『女将』(4)

5月が過ぎて、梅雨が音を立てて近づいていく今日この頃・・梅雨と聞くと皆さんは嫌なイメージしか思い浮かびませんが、梅雨もなかなか捨てたものではありません。私は梅雨の雨が見せるこの幻想的な光景がとても大好きです。それと6月はもう一つ嫌われている理由があります、6月の最大の特徴といえば国民的な休日が何一つもないということです。修学旅行のお客様がいればまた別なのですが、最近はこういった旅館よりもホテルのほうが好かれている傾向が強いので多分修学旅行のほうからのお客様はこれないと思います。前に例の先生が修学旅行の下見にこの旅館に来てくださったのですが・・家の旅館を選ぶとは限りませんよね。

ですが、人数的にもこの旅館は大人数の人たちを泊めれますからもしかしたら来てくれるかもしれません。

 「女将、今年の修学旅行はお客は来るの?」

「さぁ・・どうでしょうか? でも、私としても是非、旅館には来てほしいですね」

雨の音が響く中で私はいつものように明美さんと話していると、外をふと見てみると相変わらずの雨ばかりで教室の湿度も少し感じてしまうような気がします。



「でもさ、修学旅行って私たちと同世代の人がたくさんくるんでしょ!!もしかしたら新たなる出会いの可能性が・・」

「・・明美さん、私にとっては仕事で手一杯で出会いなんてする暇はないですよ。それにそんなことすれば母に叱られてしまいますよ」

なるほど明美さんがやけに機嫌が良かったのはそのせいだったのですね。確かに同世代の人たちとの出会いはなかなか魅力的なのですが、私には旅館の仕事があるのでそういったことをする暇がございません。でも、そういった出会いもまた捨てがたいものですよね・・

 そういえばまだ私は初恋すらしていませんよね・・じっくり待つとしますか。



 夕方・・私は学校の帰りから休む間もなくすばやく着替えて皆さんと一緒にお仕事をしなければなりません。いつものように皆さんが意気込んでいる中で母からある衝撃的な一言が放たれました。

「皆様、先ほど電話があって明日にとある学校から修学旅行での宿泊の予約が入りました。当日は学生さんたちの思い出作りのために普段より気を引き締めて頑張ってください」

まさに驚き・・パラダイスとでも言っていいものなのでしょうか? まさかとは思いましたがこの旅館にも修学旅行の泊まりの予約が入るなんて思ってもみませんでした。明美さんほどではありませんが、私も高校以外の同世代の人と触れ合う機会が持てるとなると少し楽しみになってきました。

 「楓ちゃん、あんたはまだ従業員の中でも若いんだから気をつけるんだよ」

「そうそう最近の子は手が早いからね。楓ちゃんかわいいからすぐにナンパされちゃうよ」

「は、はぁ・・」

皆さんが私を心配してくれるのはとてもうれしいことですが・・よくよく考えてみるとそこまで生徒の人たちと触れ合う機会すらないものですし、いつものように仕事で悩殺されるかもしれませんね。それに何より私たちの年代だと恋人という存在がいてもおかしくないものですし、私は余り声を掛けられることもないと思います。

 ですが・・ちょっとだけ期待したりしてもいいかもしれません。



(出会い・・か)

今日も無事に業務を終えると、私はのんびりと自分の部屋で寛ぎながら明日に宿泊してくださる修学旅行生たちのことで頭が一杯でした。やはり私も心の奥底ではそういった出会いを求めているのでしょうか?考えてみれば私は女体化してから余り恋というものを感じたことがありませんでした。

明美さんが言うには女が恋をしたときには体に何かしらのときめきを感じるものらしいのですが・・私にはあまりよくわかりません。男の人と出会ってもこれといって体に何かしらの衝撃を感じませんし、余りぴんと来ません。

 これって女としては異常なのでしょうか?



「あ、こんなこと考えたら明美さんに笑われてしまいますね。・・明日は遠出から来てくださる多数のお客様にこの旅館のいい印象を与えなきゃいけませんね」

私は考えるのをやめると音楽を聴きながらすぐに宿題に取り掛かることにしました。私の部屋もお客様と同様に自宅である旅館にあるのですが、お客様にはわからないようなところにあるので見つかることも余りありません。旅館関係者以外で唯一この部屋の場所を知っているのは明美さんぐらいでしょうか? お風呂にも入ったことですしようやく勉強にも集中できますね。

そういえば私は一般的な料理ができてもお菓子の作り方があまりよくわかりません。前にクラスの女の子が私たちにお手製のお菓子を振舞ってくださったときにすごく感激を覚えたものです。中華と洋食は昔、父や玄さんに教えてもらったので何とかできますがお菓子作りなんて今の私にはまだ未知の領域です。

 機会があれば私も挑戦したいのですが・・今度、従業員の皆様に聞いてみましょう。同じ女の人な何かわかるかもしれません・・



「え、今日来るの!!」

「しッ!!・・声が大きいですよ。こんなこと言えるの明美さんだけなんですから」

「あ、ごめん。・・で、その例の修学旅行の人たちが今日来るの?」

「ええ、ですからほかに人には内緒ですよ」

私は声を小さくしながら明美さんに明日のことを思い切って告げることにしました。明美さんの存在は例外中の例外で部外者ながらも密かには全員に旅館関係者と認められています。本来はこんなことをほかの人に話してはいけないのですが、明美さんだけは話せるのです。これも昔からの信頼関係があってこそだからなのだと思います・・

私から修学旅行についての話を聞いた明美さんは明らかに水を得た魚のごとく張り切っていました。

 「それじゃあ、今日は学校帰りに女将の家に行きましょ」

「いいですけど・・あまり部屋から出ないでくださいね。私の部屋はほかのお客様にはわからないような所にありますから」

「わかってるわよ」

明美さんに釘を射したのはいいのですが・・なんだかどことなく不安になってきました。



「それでは私は行って来ますね。明美さんはお部屋で寛いでください」

「うん、じゃあ頑張ってね」

その帰り、私はいつものように仕事をするために自分の部屋で準備をし終えると明美さんに見送られながら皆さんのほうへと向かうことにしました。向こうのほうの到着は7時ごろなので今からは仕込みや準備に大忙しです。私は急いで厨房へ向かうと既に父を始めに厨房の皆さんがきびきびとしながら大人数の料理を作っており、私も急ぎながらすぐに父たちの波に混ざりながらすぐに材料の仕込みを始めました。

もうこんな作業は日常の一つなので大して苦労は感じませんが、小学生の頃から何度もやってきた成果だと思います。小学校の頃はよく包丁で手を切ったりして、手に包帯を巻くことが何度もありましたが・・従業員の皆さんの支えによってここまでやってこれているのだと思います。

 「これ頼むよ・・」

「あ、はい」

そういって私に材料を渡してくれたのは成宮 隆二(なるみや りゅうじ)さんです。最近、この旅館の厨房に入ってきた新人さんです。彼も私同様、野菜の仕込みに精を出していたのですが、最近になって料理を任されることになったようです。いつも無口な隆二さんですが・・とてもいい人だと私は思います。



「皆さん、私も手伝いますから頑張ってください」

「楓ちゃん。いつも悪いね!」

「んじゃ楓、来たついでに悪いがこれ頼むぞ!!」

更に父は私の目の前に大量の野菜を置くと、そのまますぐに急いでお刺身の準備や軽い鍋物の支度へと入りました。私も父や皆さんに合わせながら目の前に大量にある野菜を切っていきます・・まさに地獄の戦場とはこのことなのでしょうか?

それにこれを早くやらないと今度は母と一緒にお客様を出迎えなければいけません。この旅館の唯一の欠点といえば人手が少ないということでしょうか? でもそれだけ質の高い料理をお客様にお出しすることができるので誇れることといえば誇れることです。

だけど、こんな忙しさだと出会いも減ったくれもありませんね・・

 「楓ちゃん!!こっちのほうも頼むよ!!!」

「は、はい!!」

 果たしてこんな私に貰い手は見つかるのでしょうか・・?



「本日は、当旅館に来てくださって誠にありがとうございます」

料理の仕込をしている間に時間はあっという間に過ぎ去ってしまい、今度は母を筆頭に従業員の皆様でお客様をお迎えしなければなりません。しかも修学旅行とあってかぴったりと予約どおりに旅館に到着されました。バスから一斉に降りた高校の皆さんは旅館を興味深く見てくださっておりました。それに・・とても綺麗な鳴華さんに視線が集中するのはわかりますが、私のほうにも少し視線を感じてしまいます。これは気のせいでしょうか・・

 「すっげ!ドラマで見るような本格的な旅館だな」

「とても高そうだお・・」

「でもよブーン、教師たちも高校最後の修学旅行にこんな高そうな旅館に泊まるなんて大それたことするよな」

大人数の生徒がいる中で、一際目立つ5人組に目がついてしまいました。男性陣は福与かそうな男性と少し根暗で細い男性が対照的に並んでいる中で、真ん中にいた大きくて細身ながらも筋肉がたくさんついていて顔のほうもかなりの美形の男性がいらっしゃいました。女性陣のほうは金髪でツインテールが目立つかわいらしい女性とまるで雑誌に出ているかのようなすらっとした顔立ちに服越しからでも見える抜群のスタイル・・同じ女性としてなんだか憧れみたいなのを感じてしまいます。よくよく見てみると女性の1人は男性口調が目立っているので私と同様に女体化した人なのでしょう。

 それに察するにあの美形のの人と恋人同士なのでしょう。なんだか傍目からみてもよくお似合いです・・



「よしッ、てめぇら!! この俺様について来い!・・ツン、早く行こうぜ」

「はいはい、焦らなくても修学旅行は逃げないわよ」

なんとも微笑ましい青春の光景ですね。私も来年はこんな明るい人たちと一緒に修学旅行に行ってみたいです・・今日はお客様は高校生さんたち以外は余り来ていませんし、ようやく仕事のほうもひと段落着いて終われそうです。

 あ、それに私には部屋で待っている明美さんに食事をあげなければいけません。ちゃんと明美さんはお部屋で大人しくしているのでしょうか・・?



「お帰り、女将。ちゃんと言いつけどおりに部屋からは出てないわよ。それよりいい男いた?」

「どうでしょう・・私にはよくわかりません。・・あ、ご夕食です。今日は少し忙しかったので余りもので作ったものばかりですけど・・」

「ありがと・・んじゃ、これ食べたら行きましょうか」

「へっ?」

私はきょとんとしながら明美さんのほうを見つめておりました。さらに明美さんはそんな私を尻目にご飯を食べながらさらに上口になりなってこう言いのけてしまいました。

 「だから、例の修学旅行しているほうのお部屋に行くのよ」

「だ、駄目ですよ!・・もしトラブルになったら私も困ります」

明美さんの気持ちはわかりますが、もし高校の人たちとトラブルになったら母や父に申し訳が立ちません。極力、お客様とはトラブルにならないように別行動をとるようにしています。

 それに明美さんは一応部外者ですからトラブルに巻き込まれると余計にややこしくなってしまいます・・

 「そこまで心配しなくても大丈夫よ。女将が着いていってくれれば大丈夫だって」

「じゃあ・・本当にちょっとだけですよ。こんなことできるのは明美さんだけなんですからね・・」

「ごめんね。じゃあ、いい男捜しにいこっか」

「あ、ちょっと待ってください。着物だと流石にまずいのでちょっと着替えますね」

私は帯を脱ぐとすばやく着物から私服へと着替えることにしました。流石に向こうのほうには顔を知られているので格好を変えないとまずいのです・・着物をぱぱっと脱いだ私は、そのまま私服に着替えて軽くヘアメイクをすると明美さんと一緒に高校の人たちが宿泊している部屋のほうへと向かうことにしました。

単純ですが軽く変装をすると案外誰も気づかないものなのです。出かける支度が整うと、私たちは細心の注意を払いながら部屋に出るとそのまま高校の人たちのところへと行くことにしました。



 「なかなか・・いないわね」

「まぁ、そのうち見つかりますよ。それに皆さんは遠出から来てくださっているのですからそんなこと言ってはいけませんよ」

「女将は呑気ね・・」

あれから数時間・・男の人たちには声を掛けられることがありましたが、どれも明美さんの好みに合う人がなかなかいないみたいですね・・それにしても、男の人を軽くあしらえる明美さんには本当に頭が上がらないというか・・余りよくわかりませんね。

明美さんと一緒に歩いた私はクタクタになってマッサージ器にへたり込んでしましました。周辺をうろついて見ると、私たちと同世代ぐらいの人たちがたくさん見受けられました。どうやら向こうも自由時間のようで、カップルの人も多数見受けられました。皆さんの表情がなんだかはち切れているようにも見受けられます。

なんだかちょっぴり羨ましく感じてしまいます・・そんな時、呆然とマッサージ器に座っていると突然として明美さんに雷鳴が走りました。



「いい男はいないのかな・・あっ!いるじゃん!!ほらあそこ」

「あ、あの人は確か・・」

「かっこいい人いるじゃん。行くわよ」

明美さんが指を指した方向にはあの例の5人組にいたかっこいいほうの男の人でした。見たところどうもお一人のようで、例の彼女とは一緒ではありませんでした。それを見た明美さんは一目散にその男の人のほうへと向かいました。

未だに明美さんのこんなところがわからないときがあります。

 「ねぇねぇ、どこから来たの?」

「ああ、修学旅行だけど・・君たちは?」

流石明美さん・・さり気なくしながら徐々に自分のペースを刻んでゆきます。もし明美さんが男の人だったら・・完全なナンパ師になりますね。

 明美さんは自分のペースを刻みながら向こうには隙を与えません。



「地元よ。ねぇ、ここら辺を案内してあげようか・・ね?」

「そ、そうですよ。この街は楽しいところも一杯ですよ」

私は明美さんに合わせながら何とか男の人を勧誘しようとします。でも、理由はどうであれこうやってほかの人と話すのはいいものですね、こうやってほかの人と交友を深められて意外なところから友達が増えるのかもしれません。

今は携帯のメールやそういった出会いもあるので人間の出会いというのは広がっていくものなんですね。

 「ありがたい申し出なんだ・・」

「おいッ!!・・お前ら人の彼氏に何してやがる」

「「――ひっ!!!!」」

後ろからの声に反応して、体の底から湧き上がるこの震え・・とても同じ女性のものだとは思いませんでした。まさに物の怪・・いや、私たち女性の恐怖心を真から引き出させられているとしか思えないような感じです。明美さんのほうを見ると私とは違ってぽかんと固まっていました。

だけど体の感覚はまだ生きているようで、恐る恐る同時に振り返ってみると・・あの女性が立っておられました。同時に肩に置かれた手からは並々ならぬ負の感情が体にある恐怖心をさらに煽られているような気がします。

 それに見た目はとても綺麗な女性なのですが・・手から発せられるその力はすでに女の人のそれを明らかに超えていました。



「全く・・てめぇもあれぐらい軽くいなせるだろッ!!」

「あ、あのなぁ・・俺だってやんわりと断るつもりだったんだよ!!」

「だからてめぇは・・まぁ、これ以上言ったって意味はない。・・さて、次はてめぇらだ」

今度は私たちの方向へと振り向きました。私たちはその場からそそくさと逃げようと思ったのですが・・蛇に睨まれた蛙の如く、体が金縛りにあったかのようにぴたりと止まってその場から動けませんでした。これほどまでに視線だけで心の底から恐怖心を感じる女性はほかにいないでしょう・・



 「お前ら・・こんな奴でも一応は俺の彼氏だぞ!!」

「「ひッ!!す、すみません!!」」

「おいおい、まだ何にもされちゃいねぇよ。だからもうその辺で許してやれ」

男の人の進言によって何とか事態は収拾したかに思えてきましたが・・女性はまだ怒りが収まりきれないのか、更にヒートアップしながら私たちに詰め寄ってきました。

それ以上怒るとその綺麗な顔が台無しです・・

 「うるせぇな!!俺はな・・」

「わかったわかった、早く行くぞ。んじゃな、次からはちゃんと相手を見極めるんだぞ」

「お、おい!!ちょっと待て・・」

そういって男の人は強引ですが手馴れた手つきでその場から軽やかに去ってゆきました。あまりにもの光景に驚いてしまい、そのまましばらく明美さんと呆然になりながらしばらく体が動けませんでした・・



あの衝撃の光景の後、私たちはお部屋へと戻ることにしました。

「悔しいけど上には上がいるのね・・」

「仕方ないですよ・・」

自然と吐く吐息が重なってしまうのも無理はないでしょう。当事者ではない私ですらもなんだか妙な悔しさを覚えてしまいました。やっぱり私も心の奥底ではそういった出会いを求めていたのかもしれません。

それにやはり上には上がいると痛感させられる出来事でした。嗚呼・・本当に私たちはこんな調子で運命の人とめぐり合えることができるのでしょうか、やはりそれを知っているのは神のみぞ知るっと言うことなのでしょうか。

 「ま、今日は女将を無理につき合わせちゃって悪かったね。・・私たちにもいい出会いはあるのかな」

「きっとありますよ。・・多分ですけど」

 人の出会い・・それはわからないところに転がっているものなのでしょうか?私たちもいつかは人と出会い恋に落ちていくものなのですね・・

では皆様、またのお越しをよろしくお願いします。









―fin―


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最終更新:2008年09月17日 20:25
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