『女将』(5)

梅雨が過ぎて太陽も雲の陰に隠れがちだったのですが、梅雨が終わったのと同時にひょっこりと またその輝かしい姿を露にしてくれました。その日差しは春の日和とは違って、肌を燃やしてゆくような 暑さを誇っています。もうすぐで夏の到来・・今の季節は私たち人間に夏に向けての予行練習でもやって おけということなのでしょうか?

そんな外の世界ですが・・今の私はあの一件以来、心の中では大きな曇り空がじわっと広がっています。 明美さんに対してあそこまで本気で怒ったのは初めてでした、あの一件以来明美さんとは少し距離を置いて 付き合っています。隆二さんとも仕事場、学校共に一緒にいる機会もあるのですが・・明美さんと一緒で互いに 一歩引いた形で行動をうかがっている状況です。

このまま気まずい関係はここで続けたくないのですが・・どうしようもない状況です。

(いくら、衝動に駆られたとはいえ・・私はなんという取り返しのつかないことをしたのでしょう)

あの時の怒りをできるだけ抑えたかったのですが、いくら過去を悔やんでいても仕方ありません。 ですが・・誰かに相談したくてもなんだか少し気が引けて相談しづらいものがあってなかなか相談にまで踏み込めて いません。

早く何とかしないと仕事はおろか、このままでは私の人間関係に大きく悪い影響がますます出てしまいます。

「・・これも頼むよ」

「わかりました・・」

いつものように厨房のお手伝いをします。 ですが、隆二さんと喋るたびにあの時感じた刺々しいものが言葉と一緒に私の胸に突き刺さります。 まるで薔薇の茎を触ったみたいにチクリとした痛みですが・・それが皮肉にも私の過ちを再認識させて います。厨房で料理に使う材料の仕込をしていると、黙々とほかの人たちと作業をしている隆二さんを 見ると心なしか切なさに近いのが体の奥底から感じてしまいます。 あの一件で隆二さんを傷つけてしまったのは紛れもなく私たちです・・それなのに私は責任を棚に上げて、 ただ悪戯に自分勝手になりながら明美さんに怒りをぶつけてしまってしまいました。

(このままでは非常にまずいです・・ね)

黙々と包丁で野菜を仕込んでゆきますが・・それが私の空しさを表していました。

「では・・ごゆっくり」

「ん、ああ」

食事の仕込みもあらかた終わり、私はいつものようにお客様をお部屋にご案内するとそのまま立ち去ろうと しました。お客様の満足は私にとって何よりの報酬なのですが・・今はそんな気分にはとても慣れません。 今回のお客様は以前、例の修学旅行の下見でこの旅館を御ひいきにしてくださったあの先生でどうやら 今回は連れの旦那様がおられずにお一人のようでした。私はいつものようにお客様を案内しながら お部屋までお荷物をお運びするとそのまま静かに立ち去ろうと思っていましたが・・

そんな時に突然としてお客様がとんでもないことを申されました。

「・・なぁ、少し相手してくれないか? 一人だからちょっと暇なんだよ」

「は、はぁ・・」

突然というべきなのでしょうか・・?  お客様のご要望とかはできるだけ応えたいのが従業員としての私の立場であり使命ではあるのですが・・ 私はお客様と接するのが苦手です。無論、この旅館にもある程度は芸者さんの方も一応はいらっしゃるのですが、 呼ぶにはかなりのお金が掛かるため経費削減のために私たち女性の従業員がお客様のお酌などをやる場合が 比較的に多いです。

いくら経費削減のためとはいえ・・まぁ、それだけ家の旅館の台所事情もいろいろと都合があるのでしょう。 旅館のことは母がすべて取り仕切っているので余りよくわかりません・・

「なぁに、心配しなくても酒の相手とかじゃないさ。ただ暇なんで少し話し相手になってくれるだけでそれでいいさ」

「ああ、それなら構いませんよ」

私は緊張を解くとお客様のお話し相手に回ることにしました。 話を聞くとお客様はどうやらお一人のようで、旦那様は医療関連の仕事で旅館に一緒に来れなかったとか何とか・・ もっと話を聞くと保健室の先生をやっているようです。 どうも自らも女体化しているようで女体化についてもかなりの知識を誇っておりますが、何よりもその包容力と相手の 悩みを引き寄せる老練な口調はは保健室の先生に相応しいもので今の心境をこの先生に相談しそうで怖いです。 それにこの先生はかなりのヘビースモーカーのようですぐに懐にあったお煙草に手をかけていました。

「・・とまぁ、こんな感じで先生やってるんだ。そうそう、前の修学旅行で彼氏がナンパされたって奴がいたな」

「は、はぁ・・」

心当たりが有りすぎです・・というか私たち以外に有り得ません。あの時はまさか彼女のほうが来てしまうとは 思ってみなかったことですし、何よりもあの彼女のほうは人間の底知れない恐怖を刺激してしまうので 私たちはあれから一歩も動けなかったのを今でも覚えています。

「でもまぁ、修学旅行にこの旅館を選んだのは正解だったな。あの後、意外にも教師陣に好評だったしな」

「それは私としてもうれしい限りです・・」

私は先生の賞賛の言葉に嬉しさを感じていましたが・・あの事を思い出してしまい、おのずと声のトーンも 下がってしまいました。そんな私を見た先生はタバコを灰皿に揉み消すと優しくこう語りかけてくれました。

「・・まぁ、何があったのかはわからないが話したら楽になるのもあるぞ」

「――でも、お客様には・・」

「まぁまぁ・・見たところ高校生らしいな。遠慮することなんてない、お客様なんか関係ないさ」

「・・・」

こう優しく語りかけられると・・なんだか今の私の心情を言ってしまいそうです。私はこの人に今の状況を言っても いいのだろうかとかなり迷いましたが、今の私の周りをよく見てみるとこんなことは気が引けて誰にも言えなかった のが私の現状でした。なら、このままいっそのこと誰かに打ち明けるのが一番いいのかもしれません・・

意を決した私は先生に今の抱えている最大の悩みを打ち明けることにしました。

「初めての友達との喧嘩か・・確かに難しい悩みだな」

「ええ・・私も何とかしたいのですが、なかないかいい案が出なくって」

今の状況を全部話すと、なんだか不思議と胸がスッとして落ち着きを取り戻すことができました。 先生のほうも私の話を聞いて一緒に親身になって考えてくださいました、やっぱり誰かに話すと体の中にあった重みが 和らげていっているような気がします。

先生も真剣な顔つきで少し悩みながら私と一緒に考えてくれました。

「・・俺にも似たような経験があるからな、思い切ってその友達と話し合ったらどうだ?」

「明美さんにですか・・? でも、あんなこと言ってしまったら・・」

「友達だったら本音ぐらい受け止められるだろ。じゃなきゃ、友達じゃないだろ?」

「でも・・初めてです。あんなに他人に怒ったのは・・」

明美さんとは昔ながらの友人で喧嘩も多々ありましたが・・あそこまで明美さんに怒ったのは初めてです。 本当に今まで見たいに明美さんと仲良くできるのか不安で一杯です・・

そんな私をみながら先生は優しくながらもこう進言してくれました。

「・・俺だって友達と激しく揉めたことがあるさ。 だけどな、友達だからこそ互いの本音ぶつけて認めながらここまで来たんだよ。

お前も一回マジになって怒っただけでビクビクするな。むしろ、一回は誰もが通る道だ」

「そんなものなのでしょうか・・?」

「ああ、だからあんまり不安がるな。きっと向こうだってわかってくれるはずさ」

そう言って先生は再びお煙草に手をかけながら部屋の天井を見ていました。 確かに・・先生の言うとおりです、思えば今まで私は明美さんに本音で向き合ったことなど ありませんでした、もう一度話し合えばきっと・・明美さんもわかってくれるはずです。 前向きになって考えると私の胸は希望がふつふつと湧いてきました、明美さんと話し合うことがまずは 先決なのですね・・私に行動するきっかけを与えてくれたこの先生にはとても感謝です。

「ありがとうございます。なんだか自分のやることが見えてきました」

「そう言ってくれるだけで嬉しいよ。それよりも悪かったな、仕事中に無理して引き止めてしまって」

「いえ、大丈夫ですよ。・・また機会があったらお話しましょう」

「ああ・・またな」

私は先生の部屋を静かに去ると・・黙々と入ってくる仕事をこなしながらある計画が頭の中で練りあがってきました。

仕事も終わり、自分の部屋へ戻った私は携帯を淡々と操作しながら頭の中で練り上げた壮大な計画の準備を 始めることにしました。やはりまずは明美さんとの関係を修復しなければいけません。明美さんとはあの件以降は 互いに少しギクシャクした関係になってしまったので、まだ修復は何とかなるほうだったので私はまず明美さんとの 関係を修復しようと考えました。 だけどましな関係とはいえ、メールの言葉は何にしようか考え込んでしまいます・・でもやはりここは私の本心を うまく伝えましょう。

メールを送って数時間が経過したでしょうか・・?  緊張のまま見守っていた私の携帯に一件のメールが入って私は急いで携帯を取ってメールの中身を見ると・・ 待ちかねた明美さんからでした。震える手で必死に携帯を握り締めながら恐る恐る見つめると・・メールには こんなことが書いてありました。

“・・正直返信するのは迷ったけど、それが女将の本音なら私は何にも言わない。本当にあの時はごめんね”

メールを見たとき私は喜びで一杯でした。あれから少しメールをしましたが明美さんのほうも私にどう謝ろうか かなり考えていたようです、そんな時に私のメールが来たことで無事に仲直りができたわけですね。 いつまでもお互いに一歩引いた状態で過ごすのは気まずいですし、何よりも私たちは友人なのですからいつまでも こんなジメジメした関係は終わりにしたかったようです。

私は久しぶりのメールに寝る夜も忘れて暫くは久々の気兼ねない会話を愉しみました。 本当に明美さんと仲直りできて良かったです。

皆様またのお越しを・・あ、まだ部屋ががら空きです。 ・・もう一泊どうでしょう?  







―続く―


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最終更新:2008年09月17日 20:25
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