『女将』(6)

千里の道も一歩から・・たとえどんなに長い道のりでも一歩ずつ進めば必ず千里の道に到達するというありがたい
言葉です。明美さんとの改善を修復した今、今度は隆二さんとの関係を元のとおりに修復したいものです・・
ですが、それにはまず明美さんの協力が必要不可欠で、隆二さんへの謝罪の意味もこめながら小まめに関係の
修復方法を一緒に模索して来ました。

そんな私たちですが、職場や学校では相変わらず氷のような冷たさを帯びた会話や刺々しい雰囲気が嫌ほど伝わります。


「そっか・・女将は大変なんだね」

「ええ、何とか隆二さんと仲直りしたいです。このままじゃおちおち厨房も入れませんよ」

「そうね・・」

お昼休み・・何とか明美さんと一緒に隆二さんとの和解への方向に進みたいのですが、なかなか案というのは
そう簡単には浮かび上がりません。あの一件以来、私たちの些細な悪戯心によって隆二さんは事の真相を見てしまって
自分が利用されたのだと思い込んでしまい、心に深く傷ついてしまってしまいました。もう、2人きりでどこかへ行って
謝るのは古典的ですし、何よりも私自身が少し億劫になってしまいます。
だったら私のこの身を呈して・・あ、そんなことがばれたら私はもとより幼い頃からお世話になっている厨房の皆様が
隆二さんを許すはずがありません、特に父や玄さんには徹底的に痛めつけられてしまうでしょう・・
それだけ、幼い頃からこの旅館には馴染みがあるものです。


「何にせよ・・そんなに考え込んじゃ駄目よ」

「・・ええ」


明美さんの気楽さが私にはかえって眩しく見えました・・



あれから明美さんと話し合ってもいい案が出ないまま3日程が過ぎてしまいました。なかなか案が見つからない
焦ってしまう私を他所に皮肉にも現実というのはゆっくりと定められた時をゆっくりと刻んで進んでいました。
いろいろ考えた結果ですがやはり私自身が直接隆二さんに謝らなければなりません、なんだかんだ言ってもこうする
ことしか今の私にはできないものなのです。
この際、具体的なことは何も考えずにただ・・隆二さんに謝ればそれでよしです。悪く言えば行き当たりばったり
なのですが、悪くなればそこでお終いです。
まさに単純明快・・今の自分にそんな所があったなんて帰って笑えて仕方ありませんね。ですが決意した以上は
何が何でも実行しなければ意味がありません・・

こんなことを考えるとまるで男の人みたいな考え方ですね、僅かながら私にも女体化する前の男のときの意地が
残っていたのでしょうか?

それはさて置き・・仕事が一段落した私は意を決して隆二さんを呼び出しました。
呼び出された隆二さんはあっけらかんとした表情を一瞬見せてくれましたが、いつもの様に無愛想な表情のまま
何かを見透かした視線を私に向けたまま冷たさを帯びた口調でこう一言だけ言ってきました。


「・・話って何?」

「え、ええっと・・」

呼びつけたはずなのに・・私のほうが緊張してしまうなんておかしいものです。
だけど、私は隆二さんにただ一言・・――ごめんなさいと謝りたいのになかなか言葉と言うのは思うように出ないものです。
戸惑う私に隆二さんから放たれる視線はだんだんと冷たくなってきます。




「――あ、あの・・」

「・・何、話がないなら戻るけど」

「ま、待ってください!! ・・隆二さん、あの時は本当にすみませんでした。悪いタイミングで出てきてしまって」

「・・・」

「ですから、今はこんなことしか言えませんが・・本当にすみませんでした」

夜風が冷たく吹き繁る中・・私は隆二さんにぺこりと頭を下げました。
隆二さんに言いたい事も言えて私は不思議と清々しく軽やかな気持ちになって今まで隆二さんから感じていた
負の感情とかが取り払われた気がしてなりません。
しかし所詮は単なる自己満足ですが、今までずっと溜め込むよりもよっぽどいいものだと私は思いました。ですが・・未だに隆二さんの
気持ちは私に告げられておりません、隆二さんは冷たい視線で私を見つめながらじっとその静寂を保っていました。


「・・それで?」

「私は・・――私は本当に隆二さんに!!
隆二さんに謝りたい――ッ!!・・ただそれだけです」

いつの間にか私の瞳からは暖かくも冷たいものが頬を伝って流れ落ちてしまいました。
それに伴い、空気は一気に氷点下にまで到達して冷たさを肌で感じるほど重々しいものとなってきました。これ以上はもう無理なのでしょう・・
隆二さんは私の予想以上に心が傷ついて思いつめているのです、私がこれ以上女々しい言い訳を言ってしまえば余計に隆二さんの傷に塩を塗るだけ・・


そう私は絶望を胸に抱えながらこれからの進展を悟ると、場は一向に冷徹で寒々しい空気のまま・・注目の隆二さんはその重たい口をようやく開くとこう一言さらりと
言ってくれました。




「・・俺こそ悪かった。その・・お前を不安にさせて」

「り、隆二さん・・?」

「だから・・もう、俺のためにそこまで思いつめなくてもいいんだ」

いつものように隆二さんは無表情のままで淡々と言葉を発せられておりましたが、その言葉にはいつも感じていた
重々しい冷徹な感じが全くせずにとても温かみのある優しい言葉でした。そのまま私は感激の余りじっと隆二さんを見つめていると・・
隆二さんはまたいつものように無表情のまま私にこういってくれました。

いつもの隆二さんの無表情がどことなく可愛く見えてしまいます・・


「・・さて、戻るか。これからも頼むよ」

「は、はい!」

静かにその場から立ち去った隆二さんの背中を見つめる私でしたが・・喜び半分、物足りなさ半分と言ったところでしょうか?
確かに当初の目的である隆二さんとの和解は無事に成立して私としては大満足なのですが・・どうも心の中では物足りなさが出てしまいます。
あの場で私は隆二さんに何を求めていたのでしょうか・・?


大変うまくいった結果なのになんだか自分の求めているものがよくわかりませんでした・・



「これって・・お手紙?」

あの騒動の後、無事に学校に登校した私ですが・・なんと驚くべきことに下駄箱にお手紙が入ってました。ここ数日は
私の身の回りにはパラダイスで溢れ返って、スリルには困らない日常生活を送っています。誰か一日でも代わっては
くれないものなのでしょうか・・?

まぁ、それよりも・・こんなことは漫画や小説でしかやらないものだとばっかり思っていたのですがまさか実際に実行する
人がいるなんて思いにもよりませんでした。手紙をよく見てみると差出人は不詳で何でも放課後に私と折り入って話が
したいそうです。

(まぁ・・行ってみましょうか)

私は静かに手紙をカバンに収めるとそのままステップを刻みながら学校へと向かうことにしました。
それにしてもこの手紙は誰が差し出したのでしょうか・・?


仮に悪戯だとしても少し度が過ぎているように思えて仕方ありません。



手紙の存在は私の頭にあるタンスの引き出しに仕舞われることなく、その存在をチラつかせながら
程よい緊張感を私に与えてくれました。おかげでいい居眠り日和なのに感じの眠気がすっ飛んでしまいます。
毎度のこと訪れたお昼休みでもその存在は常に私に誇示しており、いつものように自分で作ったお弁当を明美さんと
一緒に摘みながら昨日の結果報告をしてもあのときの喜びが少し半減してしまいます・・
それでも手紙の存在は十分にからかわれる材料なので明美さんには黙っておくことにしましょう。

そんな明美さんは私たちの和解の知らせを聞くととても喜んでくれていました。


「そう・・無事に仲良くできたのね」

「ええ、それはもう。・・ですが、結果は満足でも私のなんだか心につっかえみたいなのが残って」

「心のつっかえ・・?」

明美さんは少し不思議そうな表情をしたまま私の報告をじっと聞いてくれました。
あれから隆二さんとはいつもどおりの関係には戻ることはできましたがあの時、隆二さんから感じた心のつっかえは未だに
私の心の奥底に残っています。
普段は余り感じないのですが、どうも隆二さんと話すときだけにはどこかそれに似たものを感じてしまうものがあります。


いったいこの気持ちは何なのでしょうか・・?




「・・それって、あれね。
まぁ、だけどね・・取り入って私の口から言うことじゃないわね。あ、唐揚げもらい!」

「―ちょ・・! 意地悪しないでちゃんと教えてくださいよぉ!!」

「だめ、女将も自分の気持ちもわからないと・・ね」

何かを察したように明美さんは少し意地悪そうな顔で見つめると私から奪ったから揚げを満足そうに食べていました。
早起きして作った弁当は私の自信作です、こう見えても毎回お昼で食べる弁当は小学校の頃から自分で作っては
皆さんと一緒に摘んでいました。この唐揚げも昨日の晩から誰もいない厨房でひっそりと作ったものです・・


それにしても・・本当にこの妙な気持ちは一体何なのでしょうか?




「たしか、ここでしたね・・」

お約束の放課後・・指定された場所に私は一人で向かうと今朝置いてあった手紙をじっと見つめると
未だにわからない差出人を想像してしまいます。筆跡からして男の人に間違いはなさそうなのですが、それにしても
なぜ私に手紙を出すのかがよくわかりません。
私の知り合いで男性と言えば隆二さんやその他、厨房の人たちなどぐらいしか余り思い浮かびませんし、学校の男子とは
普通並にしか行動を共にしたことはありません。度の過ぎたイタズラだったら、明美さんに相談しましょうか・・
だけど、差出人の人はなんで私に手紙を出したのでしょうか? ・・やっぱり直で言うのは恥ずかしいからでしょうね。

そんなことを考えていると私の目の前に一人の男性がこっちに現れました。
確かあの人は・・隣のクラスの黒崎 栄太(くろさき えいた)さんですね、その整った容姿と相手に退屈を与えないそのフランクな口調は
女子の人たちの間でもそこそこの人気で付き合いたいと願望を持つ人が後が絶たないとか・・そんな推測が私の脳内に飛び交う中で、一体この私に
手紙まで出すとは何の用なのでしょうか?


いろいろな気持ちが入り混じる中で黒崎さんはそのハスキーボイスでこう口にされました。



「わざわざ呼び出して悪かったね。・・単刀直入だけど僕と付き合ってくれないかな」

「――へっ・・? 今何と・・」

「ごめんごめん。・・森野さん、貴方のことは前々から思いを寄せていました。
僕と付き合ってもらえませんか?」

黒崎さんはそのフランクな口調と爽やかな笑顔で私に第二の騒動の種を与えてくださいました。
それにしても・・本当になんということでしょう!! まさに衝撃・・インパクトです。こんなベタなやり方はある意味では
清々しいものなのですが、返ってその気持ちにどう応えていいのかはかなり迷ってしまいます。

直で男の人に告白されるなんて私の生涯初の出来事です、今までにも少なからず男の人には告白されたことはあるのですが、こうストレート風に面と向かって
言われたのは初めてです。人の駆け引きと言うのはいかに奥深く純粋なものなのと私に思い知らされます。返事をどのように返そうかという以前に思わぬ行動に
私は口を唖然としたまま爽やかな笑みを崩さない黒崎さんを見つめるしかありません。

一体、物語はこの私にいかなる大混乱とスペクタクルを歩ませてくれるのでしょうか・・?
本日はこれにてご来店いただき誠にありがとうございました。またのお越しをよろしくお願いいたします・・



この物語に臨時休業という言葉は果たして存在するのでしょうか・・



―fin―


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最終更新:2008年09月17日 20:26
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