Le souhait ウィッシュ編9
ウ『うるさいなあ。また来たの?』
執拗なノックの後、ようやくウィッシュが顔を出した。
正直、俺にはウィッシュをどうすれば元に戻せるのか、元に戻した後どうすればいいのか、全然わからない。
それでも、何かしないでは居られないし、通い慣れた足が俺をここに連れてくることも終わろうとしない。
本当に、『また来た』と言われても――俺がやってくるのが嫌なら、言われても仕方ないな。
ウ『早く消えてくれない?せっかく独りになろうとしたのに、台無しだよ』
いつもの口調、いつもの振る舞いで、さらっと真逆の事を言う。
でも今に限っては、それは『逆』じゃないんだ。
ハロ「ウィッシュ」
ウ『呼ばないで』
ハロ「どうして、どうして諦めようとする。今まで頑張ってきたのに」
ウ『はいはい』
ウィッシュは、やれやれといった仕草を見せた後、俺の目の前にしゃがみ込んだ。
ウ『別に、そういう前置きは要らないよ?どうせ抜いてもらいに来たんでしょ?』
ウィッシュはそう言いながら、ベルトに手をかけ、外しにかかった。
ハロ「ち、違う!」
ウ『満足したら帰ってよね。まったく、いい加減にして欲しいよ』
ウィッシュは順調に脱がしていき、ついにそれを露出させた。
ウ『勃ってないね』
ハロ「話を聞け!」
ウ『でも君、脱がされるのに抵抗しなかったよね?取り合えず擦るね』
ウィッシュは全く俺の話を聞こうとせず、竿を手で扱き始めた。
柔らかく、小さな手で擦られたそれが勃たないわけもなかった。
でも俺はそれに屈する事なんてできない。
真にウィッシュを望むなら、現状を何とか切り開いていかなければならないんだ。
俺は必死にウィッシュの責めに耐えながら、話を続けた。
ハロ「お前は毎日人々の願いを聴いて、それが叶うように祈りを捧げてる。それを続けたいのはわかるよ。俺もそう望む」
ウ『舐めてあげるね。私、これ得意だったよね?』
ウィッシュは俺の竿を咥え込んだ。
俺は声が漏れそうになるのを必死でこらえた。
ハロ「それが存在意義だと言うのなら、俺たち人間は何だ?俺たちには存在意義なんて無い。それを見つけるために
一生を費やすんだ。結局、それが実は無いものであっても、それを探すことは無駄じゃない・・・」
ウ『ん・・・ちゅ・・・』
ウィッシュが裏の人格に変わってからというもの、その責めは以前より遥かにうまい。
元々フェラが得意だっただけに、余計にきつい。思考が狂いそうだ。
でも、今だけは屈してはならない。
ハロ「人間になるって、そういうことなんだ。今のウィッシュは、人間になる事から逃げてる」
ウ『ちゅぷ・・・ん、なんか出てきたよ?』
ウィッシュはいったん口を離すが、またフェラを開始した。
ハロ「(やっぱり、説得は無理なのか・・・?)」
そんな考えが頭によぎった瞬間、油断したのか痺れるような強烈な快感が襲った。
ウィッシュは一生懸命に精液を吸いだそうと頑張っている・・・ように見え、口の中に出したくなる衝動に駆られた。
俺の言葉が途切れたのに調子付いてか、閉じていた目を開け、上目遣いで俺の顔を確認してくる。
俺はそれに気付いて、体裁を保とうと表情を正すが、既に情け無い顔を見られてしまったらしく、一瞬にやっとした
目つきで俺を見た。そしてまた、責めを続ける。
その仕草が可愛くて、俺は思わず体を預けてしまいそうになる。
――ダメだ。こうなってはウィッシュの思う壺だ。
ハロ「ダメだ・・・ウィッシュ。諦めるな。俺の言葉すべてが偽善だと、戯言だと思ってくれてもいい。お前を人間にして、
無限の時から開放して、一緒になりたい。それだけは確かで、それが偽善だと言われようと、俺は構わない」
ハロ「(くっ・・・もう、ダメか・・・?)」
快感のあまり、腰が震えている。
まともな思考もできなくなって・・・もう射精させられるのを待つだけだ。
ウ『ん・・・』
ウィッシュは口を離した。
俺はそれに安堵して、力の入らない腰はがくっと床に落ちた。
ハロ「はぁ、はぁ、・・・ウィッシュ」
ウ『・・・来るな』
ハロ「え?」
ウ『もう来ないで!二度と来ないで!』
ウィッシュは俺の眼前に手のひらを差し出した。数秒して、その手を引っ込めると、
ウ『消えて!』
俺を神社の外に押し出した。
バン、と音を立てて障子が閉まる。
とにかく、適当な処置を施し、息子を仕舞う。
ハロ「・・・ウィッシュ」
ポツ。(SE:雨音)
ハロ「あ?雨?」
さっきまで晴れていたのに、一気に土砂降りになった。かと言って、再び中に入れてもらうことはできないだろうし。
俺は家まで走る事にした。
猛烈な雨は、すぐそこまであった筈の視界を遮るほどにまでなっていった。
まさに滝のように、との形容がぴったりなほどの雨である。この降り続き、驟雨でもないようだし・・・。
ハロ「ひー!」
叫びながら走っている筈なのだが、その声も殆ど掻き消される。
?「そこのあなた」
ハロ「はい?」
立ち止まり、振り向く。
そこには、一匹の三毛猫が居た。
ハロ「(変だな。この轟音で自分の声も聞こえなかった筈なのに、誰かの声がはっきり聞こえた)」
…この猫じゃないよな?
そういえば、見覚えのある猫だ。いつかの雨の日も、こんな猫を見たことがあったような気がする。
ドッシャアアア!(SE:?)
ハロ「おわっ!?」
俺の進行方向を大型トラックが横切って行った。
ハロ「びびった・・・あのまま走って行ってたら死んでたかも」
?「死にましたよ」
また、声が聞こえた。
ハロ「誰だ?」
振り向くが、また猫しか居ない。
さて、ここで問題だ。ここで猫がしゃべったと認めてしまう場合、常識ある人間としてどうだろうか。
?「知らないフリですか?」
目の前で流暢に話されてしまっては仕方ない。奇妙な世界に引きずり込まれてやろうじゃないか。
ハロ「ありがとう、助かりました」
猫に礼を言うのは生まれて初めてだ。
?「いえ。彼女にはまだ、あなたが必要ですから」
ハロ「彼女?ウィッシュのことか?」
?「はい」
何でこいつが俺とウィッシュの関係を知ってるんだ?
ハロ「・・・ん?」
ハロ「お前、ポチじゃないか?」
そうだ。俺はウィッシュに連れられて、雨の中こいつを探しに行った事がある。
ポチ「私をそう呼ぶ人も居ますね」
違った。ハリー○だ。
ポチ「呼び名なら、それでいいです。この体ですし。それに本当のポチ君はあの時より以前に死んでいましたから」
ハロ「・・・え?じゃあ、あんたは一体・・・」
ポチと会話を始めてからは、不思議と雨の音が聞こえなくなっていた。その雨も、次第に止みつつあった。
ポチ「私は、彼女の願いで救われた人々の、感謝の気持ちです」
ハロ「感謝の気持ち?」
意味が全くわからないが。
ハロ「信じましょう」
ポチ「話が早くて助かります」
俺がドリーマーだから信じられたようなもんだぞ。命の恩人だから感謝せよとは言わないけどな。
ポチ「彼女があなたに掛けた呪いは、とりあえずは中和しておきました」
ハロ「え゙?呪いですか?」
ポチ「はい。本気で消しにかかってきたようです」
ハロ「・・・マジかよ」
俺は愕然とした。やはり、俺のしている事は逆効果なんだろうか?
ポチ「でも、あなたのしたことは立派でした。今回の呪いも彼女の裏人格がした、苦し紛れの、本気の抵抗ですから。
間違いなく彼女の心は揺れ動いています。尤も今は、そっとしておくべきでしょうが」
なんで猫相手に恋愛の悩みの相談をせねばならんのだ。
ハロ「じゃあ、どうすればいいんだ?」
ポチ「私と一緒に彼女を説得しましょう。と言いたいところですが今は帰りましょう」
ハロ「んー、それなんだけど・・・」
俺は正直、自信を失くしかけていた。
ハロ「今まで何度も説得しようとしたんだよ。けど、まあ今日は一番酷いけど、どうにも・・・」
猫は弱音を聞く気は無いと言わんばかりに、足早に歩き出していた。
目で追う。俺の家のほうに向かっているような気がするんだが?
ハロ「待ってくれ。俺の家に行く気か?」
ポチ「はい」
『はい』じゃねぇっての。と言おうとしたが、今の段階では猫の手も借りたいばかりだ。などとうまい事を思いついてみる。
俺は仕方なく、その後を追った。
家の前に一人と一匹が立つ。
ハロ「俺には妹が居る」
ポチ「はい?」
ハロ「そいつの前ではしゃべるなよ。普通の猫らしく振舞え。便所も水洗を使え。ドアは自分で開けろ」
ポチ「その辺は、言われなくとも。あなた以外にはこの声は聞こえませんし」
ハロ「ならいい」
ユリ「わー!猫だ!猫猫!」
ハロ「知り合いから預かった。一日だけ置いてくれ」
ユリ「はーい!」
ハロ「じゃ、俺は風呂に入るから」
雨に打たれてきたからな。
ユリ「えっ?じゃあこの猫ちゃんお願い」
ずい、とポチを差し出される。
ハロ「洗うのか?」
ユリ「風邪引いちゃったらかわいそうでしょ?」
『風邪引いちゃったらかわいそう』、か。
ポチ「そう気に病まないよう」
ハロ「ああ。わかってる」
ユリ「?何が?」
ハロ「あ?あ、いや、独り言だ」
ユリ「変なの」
――翌日。学院にて。
当然、ポチは置いてきた。ここの関係者じゃないと学院には入れないからな。仕方ない事だ。
この前、ツンに心配掛けてしまったからな。謝らないと。
教室に一歩足を踏み入れる。
蕪「巫女萌え・・・」
ハロ「え?」
毒「巫女萌え?」
ハロ「な、なんなんだよお前ら?」
教室に入るなり、微妙な角度から言いがかりをつけられる。せっかく謝ろうと思って入ってきたのに。
ハロ「こらこら、避けろ。座れないだろ」
手で追っ払うジェスチャーをして、二人を離れさせる。
ツン「あんた、巫女萌えだったのね」
ハロ「・・・ツインテールも好きだけど?」
ツン「ま、別に『それ』はあんたの恋愛だし、私には全然関係無いんだけどね」
ツンは不機嫌そうな顔をしてペン回しする。俺にはできない。
ハロ「ごめん。あの時は何の連絡も無くて。心配掛けさせてごめんな。このとおり」
と、両手を合わせる。
ツン「別に。謝る事なんて無いわ。せいぜいその『巫女さん』とやらと幸せになる事ね」
ハロ「はあ・・・」
それが、そうもいかないんだよな、と溜め息をつく。
ツン「?」
ハロ「いや、なんでもない」
ツン「なんだかよくわからないけど、うまくいってないみたいね」
ハロ「う。」
ツン「ほら見なさい。私の勘は正しいのよ」
蕪「漏れもわかったのは気のせい?」
毒「遅楽」
ハロ「・・・」
俺は、何の気なしに聞いた。
ハロ「なあツン。もし俺がその人と別れたら、付き合ってくれるか?」
ツン「えっ?///」
一瞬硬直した後、ツンの顔はみるみる赤くなっていった。
ツン「わ、私は、別に。あんたが嫌じゃないなら、その・・・///」
ハロ「そうか。ま、聞いてみただけだ」
ツン「なっ!何よ!人が真剣に答えてあげようとしてるのに!バカ!知らない!」
酷い剣幕で怒鳴られた。
ハロ「それでも俺は、・・・いや、いい」
それでも俺は、ウィッシュを忘れられない。別れるなんてできない。例え殺されそうになっても、
諦めきれないんだよ。何もしてやれなくて、ああなって、そのままあいつが消えるような事があっては、と思うと、
なんだか、苦しくて。
ハロ「ごめんな、ツン」
ツンはそっぽを向いている。
もし俺があの時死んでしまっていたら、ツンの気持ちも聞けなかったと思ったからなんだろうか。俺が聞いたのは。
俺、また一人で危険に向かおうとしてる。
危険なんだよ。どんな魔法を使うかわからないやつが相手だし、でもこれはやっぱり俺の問題だ。
ツン「・・・ハロ?」
ハロ「え?」
ツン「そんなにしょげないでよ。私、そんなに怒ってないから」
ハロ「あ、ああ。さっきは済まんかった」
今までずっと、二人ぼっちで紡いできたラブストーリー。それを締めくくるのはやはり俺たち二人なんだろうな。
毒「俺たち無視されてね?」
蕪「面白い事言ってくれなきゃ困るお」
ハロ「悪かったな」
放課後、俺はポチを連れ、夕暮れの道を神社に向かう。
昨日は呪いをかけられるほどだったんだ。今日行くのも正直言って不安だ。
でも、一人で来るよりは、だいぶマシだ。
こいつにも不思議な力があるみたいだし、もしかしたら何とかなるかも。俺はそう思い始めていた。
こいつは以前のウィッシュに借りがあるから協力してくれるんだろうが、いや、借りがあるのは俺も同じ事だな。
ハロ「また呪いとかかけられたときはよろしく」
ポチ「はい」
でも洒落にならんな。
神社に戻る。
あたりは真っ暗。日が短くなっている事をまざまざと感じさせる。
境内を通り過ぎる。いつも縁側で祈りを捧げているウィッシュの姿を見ることができたのに。
…勝手口の戸に手を伸ばした時、昨日締め出された事が頭をよぎった。
ポチ「大丈夫です」
ポチが言う。
ポチ「消滅と存在の間で揺れ動く彼女を救ってあげられるのは、もう私たちしか居ないんです」
ポチは、まっすぐな目で俺を見、そう言った。
仮の姿なんだろうが猫にしか見えないので、猫に教えられたと思うとすこし滑稽だった。
そして浮かびかけた微笑を消し、目を閉じ、した事もない精神統一をする。
意を決し、戸を開ける。
薄暗い部屋に入るなり、ウィッシュは殺意剥き出しに俺を睨んできたが、やがて視線はポチに移った。
ウ『猫なんて連れてきて、何のつもり?』
ポチは歩み出て言った。
ポチ「お久しぶりです。ウィッシュさん」
ウ『・・・ああ、あの時の。君、喋れたっけ?』
ウィッシュは大して驚いた様子もなく対応した。
ポチ「私はウィッシュさんに救われた人々の感謝の気持ちです。神様が御使わせくださいました」
ウ『私はこんな猫、要らない』
ポチ「正確には感謝の気持ちが魂になった姿です。今度は、私があなたを助ける番です」
ウ『助ける?』
ポチは、近くに積んであった座布団の上に飛び乗り、話を続けた。
ポチ「あなたは、自分が苦しんでいる事に気付かないのですか?」
ウ『気付いてるよ?だからこの人に消えてもらおうと思ってるんだよ』
ポチ「そうですか」
ハロ「・・・」
ポチ「では、何故あなた自身は消えようとしないのですか?」
ウィッシュはため息をついた。
ウ『わかんないかな。私は願いを叶えるのが使命なの。この人と恋愛するのは使命じゃない。私が消えたら、
願いは叶わなくなるでしょ?もちろん、この人が消えたら私は元に戻るよ』
ウィッシュは平気な顔をして言った。
やはり以前のウィッシュとは全然違う人格なのだろうか、俺はそう思ったが、それ以前に気になるところがあった。
『この人が消えたら私は元に戻る』。ウィッシュは自力で元に戻る事ができる、って言ってるんだよな?
ポチ「本当に、それでいいんですか」
ウ『いい』
ポチ「仮に遥君が消えてしまったとして、それであなたは元に戻れると思ってるんですか?」
ウ『・・・戻れるって言ってるじゃん』
ポチ「それに、願いを叶えようとしない今のあなたに存在意義はありません。彼が来ているからと言って、祈りを
まったく捧げられないなんて事はありません」
ウ『なんで知ったように話すかな』
ウィッシュは昨日と同じように、手のひらをポチに向けた。
ウ『邪魔だよ』
ポチ「言いませんでしたか?私はウィッシュさんに救われた人々の感謝の気持ち。その気持ちが、ウィッシュさんを
知らないとでも思いましたか?」
ウィッシュはしばし黙る。そしてやがて、手を下ろした。
ウ『誰も私の事なんか信じてないよ』
そう否定するが、目の前に居る猫が本当にそうでない限り、その猫はここに居る筈がない。
ハロ「・・・ウィッシュ」
ウ『私なんて居ないよ!!』
俺の言葉を遮るように叫び、表に出ていってしまった。
ハロ「ウィッシュ!」
ポチ「追いましょう!」
ハロ「ウィッシュ!」
俺たちはウィッシュを追って暗闇の中を走った。
月明かりのみを頼りに、通った事の無い山道を走る。どこが道で、どこがそうでないのか殆どわからない。
崖だったりしたら、踏み外したら終わりだ。
俺を本気で消しにかかってきたウィッシュなら、これは道を踏み外させる罠なのかもしれない。
暗闇に恐怖し足に力が入らなかったが、走り続けるしかなかった。
ポチ「・・・これからあなたが辿り着く場所は、あなたにとって衝撃的かもしれません」
ハロ「え?」
心許無かった俺に、ポチの声が届いた。
ポチ「何故彼女が無意識にそこへ向かったのかはわかりませんが、・・・」
ポチが口を閉ざす。
再び、落ち葉を踏む音と呼吸の音だけがあたりを支配した。
ポチ「それも彼女の決断でしょう」
ポチが何を言っているのかわからなかった。
ウィッシュを追うのに必死になっているうちに、その言葉も記憶から薄れていった。
ハロ「ここは・・・」
たどり着いた先は、旧、ウィッシュの居る神社。
夜にこの谷にやってくる事だけは勘弁、と言っていたが、まさかこんな事になろうとはな。
ハロ「確か、昔はこの神社に・・・ウィッシュは今の神社が建てられる前、ここに居たのか?」
俺は息を整えながら、ポチに問う。
ポチ「はい。それも、何百年の間」
ハロ「そんなに長い間・・・」
そう思って昔の神社を見る。
暗くてよくわからないが、相当古いようで、いたるところが朽ちている。相当な年代ものだ。
もちろん、崖の向こうに見る程度だったからここに入った事なんて無い。
ハロ「ウィッシュの姿が見えない」
ポチ「裏手に回ったのを見ました」
ハロ「よし、追おう!」
神社の裏手に回ると、ウィッシュが佇んでいた。
そのすぐ目の前には、ウィッシュの遥か頭上にある、壁のような崖に開いた穴から滝が流れ落ちていた。
ハロ「ウィッシュ!」
俺の声は、その轟音に掻き消され、聞こえなかった。
ウ『何で・・・』
ハロ「え?」
ウ『何で、私なんて好きになっちゃったの?』
ハロ「なんで、って・・・」
ウ『何で私なんて居ないのに、私のこと好きになっちゃったのって聞いてるの!』
ハロ「ここに居るじゃないか!わけのわからない事言うな!」
ウ『居ないよ!』
ウィッシュは、傍にあった石柱を指差した。
ウ『これ、誰の塚かわかる?』
ハロ「・・・ああ」
俺にはその石柱が生々しく、不気味にそびえているように見えた。恐ろしい気持ちになったが、辛うじて返事をした。
ウ『私ね、ここから落ちて死んだんだよ!?ここから滝壺に落ちて!もう居ないの!わかる!?』
ハロ「ウィッシュ、落ち着け。とにかく落ち着いてくれ」
涙目になって、込み上げる感情に震え、必死に俺に訴えかけるウィッシュが居た。
――そこには、確かにウィッシュが人間であった痕跡があった。
ウィッシュは、自分が人間である事をなかなか教えてくれなかった。
むしろ、誰にも会うことはないから言う必要が無かったのかもしれないが、しかし言うのを躊躇ったような嫌いがあった。
自らの墓を指差し、普通の人間である俺を目の前に、自分と相手とは結ばれないと、自分に言うように。
俺は、どうしようもないものを感じた。
これが俺とウィッシュに与えられた結論なんだろうか。
これですべてが夢物語だったと認めるしかなくなったのか。
脱力し、へたり込むウィッシュを目の前に、俺はなす術も無く呆然と立ち尽くしていた。
ポチ「もう、いいんです」
ポチが歩み出た。
ポチ「ウィッシュさんはもう十分、人の役に立てました。そろそろ自分のために生きてもいいのではないでしょうか」
ウ『・・・』
ポチ「あなたは道具ではありません。また、神でもありません。あなたは人間です」
ポチの声はあの時と同じように、轟音の中でもはっきりと聞こえた。
ポチ「あなたには、自分自身のために生きる権利がある。存在意義を失う事になろうとも。それを探していく、人間になる
権利がある」
ウ『そんな手段、無いよ』
誰かが犠牲にならない限り。
ハロ「・・・まさか」
ポチ「今度は私がお役に立つ番ですね」
ハロ「なっ・・・死ぬ気か!」
ポチ「元々私はウィッシュさんに救われた魂。これでいい筈です」
ウ『駄目。今度はあなたがずっと苦しむ事になる!』
ポチ「違います」
ポチが振り返る。
ポチ「私は飽くまでウィッシュさんの呪縛を解く為にここに身を投げるのです」
ポチはとことこと滝のほうから離れた。
ポチ「尤も、今ではありませんが」
俺たちは安堵のため息をついた。
ハロ「何だよ、驚かせやがって」
ウ『ねえ』
ウィッシュが口を開く。
ウ『本当に、私は人間になれるの?』
ポチ「色々条件はありますが、今なら可能でしょう」
ウ『本当?本当に?』
ポチ「はい」
ハロ「条件って何だ?」
ポチ「・・・」
ハロ「教えてくれ!俺はもうなんでもする覚悟はできてる!やっと見えた希望なんだ!」
ウ『ハロ・・・』
ポチ「いいでしょう」
ポチは、再び滝壺に歩み寄った。
ポチ「しかし、ウィッシュさんは再び滝壺に落ちなければなりません。私と一緒に、ですが」
ハロ「なっ・・・!」
ウィッシュのほうを見る。
ウ『わ、私は・・・私は大丈夫だよ?このくらい』
ハロ「このくらい、ってお前・・・」
ウ『だって、今は前とは違う。希望を持ってる。だからもう、平気』
ハロ「そんな!」
俺はウィッシュが歩みだすのを見て、居ても立っても居られなくなった。
駆け出し、ウィッシュを抱き止めた。
ウ『う、嬉しいけど、もうちょっと待・・・あれ?』
ハロ「ウィッシュ?」
少し体を離すと、ウィッシュは朦朧とした顔をしていた。
ハロ「おい!しっかりしろ!」
ポチ「大丈夫です」
ハロ「え?」
ポチ「そのまましっかりと抱きしめてあげて下さい」
俺にはわけがわからなかったが、言われたとおりにウィッシュを強く抱きしめた。
ウ『ありが――』
そこまで聞こえたが、言葉は途切れた。
ポチ「ウィッシュさんは自分の意思でそうなったには違いありませんが、感情の変化がそうさせたものなのです。
さ、もう離してみて下さい」
俺は恐る恐る、ウィッシュと体を離した。
ハロ「ウィッシュ・・・」
――そこには、元のウィッシュが居た。
何が起こったのかはわからない。わからないが・・・これほど。これほど良かったと思う事があっただろうか。
お前の人格がおかしくなってしまって、もうどうにもならないのかって本気で悩んだ。でも、もういいんだ。
元のウィッシュが居る。俺のところに帰ってきてくれた。
一時はどうなる事かと、本当に・・・。
自然と涙は頬を流れ落ち、眠っているウィッシュの顔にぽたぽたと落ちた。
ポチ「直に目は覚めるでしょう。さ、ここを離れましょう」
俺は情け無いことに、泣きじゃくっていてすぐに返事ができなかった。
俺はウィッシュを背に負って、ポチと一緒に元の神社に戻ってきた。
とりあえずウィッシュを布団に寝かせ、その目覚めを待った。
ウ「ん・・・」
ハロ「ウィッシュ!」
ウィッシュは眠そうに体を起こした。
ウ「ほえ?私、まだ飛び込んでないよね?」
ハロ「・・・」
ポチ「それはもう少し後でもいいでしょう」
ウ「そっか。・・・なんかすごくよく眠れたんだよね。誰かにおんぶされてたような?」
首を傾げるウィッシュを見て、俺とポチは微笑を交わした。
ウ「・・・あっ!」
ウィッシュは立ち上がり、明かりに頭をぶつけた。
ウ「いたっ!」
ハロ「落ち着け」
ウ「あう・・・あのね、私、君に酷い事言ったよね。本当にごめん。本当に・・・」
ハロ「いや、もういいんだ。俺はウィッシュが元に戻っただけでなんかどうでもよくなったよ」
ウ「根に持ってない?」
ハロ「忘れっぽいからな」
ウィッシュの目にじわ、と涙が浮かぶ。そして、俺に抱きついてきた。
ハロ「はは、よしよし、お帰り、ウィッシュ」
そう言い、ぽんぽんと頭を叩く。
ウ「うん、うん・・・私、ずっと怖かった。あんな事して、君が本当に居なくなっちゃうんじゃないかって、本当に・・・!」
ハロ「でもウィッシュに責められるという貴重な体験もできたわけだし」
体を離す。
ウ「それはいいの!」
ぺし、と頭を叩かれる。
ウ「それと、ポチもありがとう」
ポチ「いいんですよ。ウィッシュさんに感謝されるなんて光栄です」
ウ「さて、出発しますか!」
俺はずっこける。
ハロ「ちょっと待てよ。今日はもう暗いし、日を改めようぜ?な?」
ウ「そっか。あせりは禁物だよね」
まあな。って相変わらず会話が噛みあわねえ。
ポチ「それでは、わたしは失礼します」
ハロ「え?どこに?」
ポチ「お邪魔でしょうから、適当に場所を見つけて休みますよ。では」
そういって、ポチは器用に戸を開け、会釈し、戸を閉めて退室した。
ハロ「ジェントルマンな猫だな」
ウ「猫に気を遣われたのは初めてだよ」
ハロ「ふぅ」
ウ「?」
ハロ「なんか疲れた。俺もう寝るわ」
ウ「えー、もうちょっとお話しようよ」
ハロ「つべこべ言うと襲うぞ」
ウ「・・・はーい」
ウィッシュは渋々横になった。
明かりを消し、走り疲れたこともあって、俺はぐっすり眠れそうな気がした。
ウィッシュが無事に戻ってきたのはいいが、今度はウィッシュ(とポチ)が滝壺に落ちなければならないと思うと・・・
いや、もう臆病では居られない。ウィッシュとポチの勇気を忘れたのか。
ようやく手繰り寄せたハッピーエンドへの糸、絶対に逃すわけにはいかない。
最終更新:2007年08月04日 10:30