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グレーゾーンのメイドと家政婦-3

  • 作者 ◆Z.OmhTbrSo氏

 薄暗く、ホコリっぽい廃工場の中ではじめは手足を縛られ座らされていた。
 廃工場の中を照らしているものは頭上三メートルほどの位置にある窓から差してくる陽光だけ。

 目の前には男が三人。いずれも大柄ではじめよりも年上のように見える。
 武器のようなものは何も持っていない。手に持っているものは携帯電話ぐらいだ。

「……今、藤森はじめの身柄を預かっている者だ」
『―――――?!』

 男の一人が携帯電話でどこかに電話をかけていた。
 相手が誰なのかはわからない。しかし、だいたいの予想はついていた。

『――――――!』
「安心しろ。無事だ。声? 悪いが聞かせられないな。こっちにはあまり時間が無いんだ」
 ……嘘だと思うなら信じなければいい。藤森はじめの命が惜しくないならな。
 こちらの用件を伝える。金目のものを持って今すぐ隣町の――」

 廃工場の位置を電話の相手に伝えている。
 男の話にから推測すると、ここは隣町にある廃工場だということになる。

「用件は伝えた。ちなみに警察には連絡するな。騒ぎを大きくしたくはないだろう?
 ――じゃあな。早く来るんだぞ」

 用件を伝えた後、男は電話を切った。

「今、僕の家に電話を……?」
「ああ、そうだ」

 男は気だるそうにため息をついた。その姿にはじめは違和感を覚えた。
 その男だけではない。残りの二人にも同じものを感じる。
 男三人は顔を突き合わせて話し出した。

「なあ、ほんとにいいのか? こんなことして」
「警察に連絡でもされたらどうするよ」
「……たぶん、その心配はしなくても平気だろう」

 てっきり自分を殺す算段をするのだと思っていたはじめはその会話を聞いて混乱した。

(やっぱりおかしい。話していることに計画性が無さ過ぎる。普通警察に連絡がいくことも考えるだろう?)

「……やっぱり俺は降りるよ。危険すぎる」
「馬鹿! ようやく借金を返せるかもしれないんだぞ!」
「でも、もし家の人がごつい人を連れてきたらどうするんだよ! 勝てるわけないぞ!」

 男達が口論を始めた。仲間割れだろうか?
 この隙に逃げだしたいところだが、手足を縛られているはじめは動けなかった。

 男達は数分間口論したあと、意見がまとまったようだ。

「――すまん。藤森はじめくん」
「は、はい?」

 男の一人が声をかけてきた。何故誘拐犯が謝るのだろう?

「実は、君をさらうようにある人から言われていたんだ」
「ええ?! 誰ですかそれは?」

 なんとなくそんな気がしていたものの、本当に当たってしまうとは思っていなかったはじめは
驚いて開いた口が塞がらなかった。どこの誰がそんなことを?

 はじめの手足の拘束を解くと、男が口を開いた。

「実は――――――――」
『ドロロロロロロ ロロロロロロロロ』

 突然大きな音が聞こえてきて、聴覚を遮られた。音は外から聞こえてくる。
 心臓を打たれたような錯覚を覚えた。静かな廃工場の中の空気をも震わせるほどの音量である。
 はっ、としてはじめは口を開いた。

「この音はたしか……マナのバイクの音?」
「なんだって? もう来たのか!」

 目の前の男が頭を抱えている。まだマナがやって来ないと踏んでいたんだろう。
 それもそのはず。藤森家から隣町までは混雑する国道を通らなければならないので、20分以上はかかる。
 いかに機動性に優れるバイクとはいえ、連絡してからこれほどの早さで着くなど考えられない。
 常識的に考えれば。

「外に来てるのか……」

 バイクの排気音は工場のすぐ近くで止まった。ドルドルドル、というアイドリングの音が聞こえてくる。
 男の一人が肩を落とし、かぶりを振った。

「はあ……一体どうやって説明すればいいんだ……ふう」

 ため息をつきながらそんなことを言っている。振り向いた顔には疲労の色が映っている。

「藤森くん。君も少しだけフォローしてくれないかな? 俺達のやったことに対して怒ってるかもしれないけど」 
「は、はあ……」

 そう言われてもはじめには呻くことしかできない。正直なところ、状況がさっぱり掴めていない。
 この誘拐事件を起こした人間のことも、三人の男達が何者なのかも。
 一つ分かっていることは、彼の知り合いがバイクに乗って工場にやってきたということだけだ。

 男がもう一度嘆息し、工場の入り口へ向けて歩き出す。

『バオオオオオッ! ブォォオオオオオォゥン!』

 瞬間、一際大きな排気音が廃工場に響いた。反射的に耳を押さえてしまうほどの爆音。

 それは段々大きくなって近づいてくる。そして――


「はっじめぇぇぇぇぇっ!!!!」

 音が工場内へ響いてきた。同時に、女の声がはじめの名前を叫んでいるのも聞き取れた。
 その場にいた全員が音のする方向、上を向いた。

 陽光を取り入れていた窓ガラスが割れていた。
 飛び散った窓ガラスが陽光を反射しキラキラと光っている。
 その光景に、黄色いバイクが一台混じっている。バイクには女中服を着た女性が二人乗っていた。
 背の低い女の子と無表情のままの女の子。それが誰だかはじめにはすぐにわかった。

(マナ! と、やよいさんも?!)
「な、なんだぁぁぁぁ!?」

 入り口近く、はじめの前方三メートルの位置にいた男が驚愕の声をあげる。そして、彼の上空には闖入者のバイクが。

「こぉの、お邪魔虫ぃ!」

 男の視界が黄色――バイクの車体色――で埋め尽くされる。
 彼が最後に目にしたものは、黒いタイヤだった。

「あがぁぁぁっ!!」

 後輪のタイヤに顎を直撃され、男は半回転してうつぶせに倒れた。
 同時に、バイクも着地する。ハンドルを握っているマナ一人だけを乗せた状態で。
 やよいはというと、バイクが着地するより前に飛び降りて駆け出していた。もう一人の誘拐犯の方へ向かって。

「ちょっと待って、これは――」

 男が手を体の前に出して何か言おうとするが、やよいの耳には届いていない。
 目にも止まらぬ速さで標的の懐に入り込んだ女は、一瞬の溜めの後に跳躍。
 がごっ、という音がしてやよいの飛び膝蹴りが男の顎に突き刺さる。そのまま後ろに倒れ、男は昏倒した。

「あと、一人――!」

 やよいの鋭い眼差しが残る標的を捕らえた。はじめを挟んで向こう側に一人だけ残った犯人が立っている。
 それを確認した彼女は胸元から銀色のボールペンを取り出し、右手の人差し指と中指で挟むと後ろに振りかぶった。

「はじめくん。動かないでください」
「え?」

 短く、抑揚の無い声で呟くと、やよいは体をひねりペンを投擲した。
 そのペンは一直線に突き進む。座っていたはじめのこめかみを一陣の風が通り抜けた。

「ぎゃああああ!?」

 はじめが振り向くと、右掌にペンを刺した状態で悲鳴をあげる男の姿があった。
 本来筆記用具であったはずの物は正しい使い方をされることなく、人間の手を貫き半ばまで突き刺さっていた。
 膝をつき、しばらく悲鳴を上げ続けていた男は顔を上げるとやよいの目を睨み付けた。

「このアマ! 甘くしてやったらつけあがりやがって!」

 血に塗れたペンを投げ捨てると、男はやよいへ向かって襲い掛かった。

「……」

 それを見たやよいは男に背を向けた。興味を失ったかのように。
 しかし走り出した男は止まらない。怪我をしていない左手を振りかぶり、無防備な家政婦の後頭部に振り下ろす。

 刹那。

「噴ッ!!!」

 やよいの右足を軸に回転して放たれた左回し蹴りが、標的の右側頭部を直撃した。
 男が放った左拳の打ち下ろしの一撃はやよいの右手に進路を曲げられ、不発に終わった。

 最後の抵抗も空しく、誘拐犯は脱力してその場に崩れ落ちた。

 自分より大柄な男三人が女性二人の手にかかって瞬く間に倒された。
 その事実も驚きだが、その女性二人が知り合いだということもはじめにとっては驚きだった。

(本当にやよいさん、強かったんだ)

 もしかしたらとは思っていたが、これほどだとはさすがに予想していなかったようだ。
 それともう一つ。

「ふん、はじめをさらうからこんな目に会うのよ! 自業自得ね!」

 誘拐犯からの電話があってから10分と経たないうちに廃工場に到着したマナの運転技術にも驚かされた。
 彼女はというと、誘拐犯全員をその辺に落ちていたロープで縛り上げているところだった。

「やっぱり亀甲縛りがいいわよね。そして町中をバイクで引きずりまわすの。楽しみだわぁ」

 うふふふふ、と笑いながら複雑に縄を縛っていく。

(マナにも逆らわないほうがいいな。これは)

 一歩間違っていたら自分も誘拐犯と同じ目に会わされていたかもしれない。
 はじめは昨日マナと喧嘩した自分自身の愚かさに後悔した。

「はじめくん!」

 名前を呼ばれたはじめはその声の主――やよいが目の前にいることに気づいた。
 その目はいつも自宅で見かける冷静なものではなく、今にも泣き出しそうな目であった。

「大丈夫でしたか? 怪我は?」
「どこにも無いです。あの人達は僕に危害を加えようと考えてはいなかったようですし」
「そうですか。それは良かったです……ん!?」
「? どうかしましたか?」
「はじめくん。ここ」

 やよいが手を差し出してこめかみに触れた。その途端、はじめの脳にちくりとした痛みが走る。
 こめかみに触れた指先を見ると、赤い液体が付いていた。
 男たちに殴られたりはしなかったので、はじめにはその怪我に心当たりがなかった。
 しかし、やよいは自分の指先を見つめると息を呑んだ。

「もしかして、さっき私が投げたペンがかすって……?
 ごめんなさい! ごめんなさいはじめくん! ごめんなさい!」
「あ、大丈夫ですよ。これぐらいかすり傷です」
「ごめんなさいごめんなさいごめんなさい。まさか怪我をさせてしまうなんて、私……」

 さらに何度も謝り続ける。はじめはその姿を見ていたたまれなくなってきた。

「もう大丈夫ですって。こんなもの、怪我のうちにも……」
「駄目です! 今、すぐに消毒をしないと!」
「え、でも」

 消毒できる道具なんてどこにも、と言おうとしたらやよいの手が頭に触れた。
 はじめの頭は彼女の顔の近くにまで引き寄せられた。

「……れろ」
「うひぇっ?! やよいさん!? いきなり何を!」
「ですから、消毒です。私の舌で舐めて消毒しますから」

 やよいがはじめのこめかみを舐め始めた。血の流れている部分に何度も舌を這わせる。
 ぴちゃぴちゃという卑猥な音が聞こえてくる。

「うわ、わ、やよいさん。そんなこと、しなくてもいいです、から」

 その言葉を聞いてやよいが一旦舌を止めた。

「……まだ駄目です。血がまた滲んできました」
「ですから、これぐらいなら放っておいても」
「駄目と言ったら駄目です! 放っておいたら化膿してしまいます」

 再びやよいがこめかみを舐め始めた。今度は先ほどまでの血を舐めとる動きではない。
 舌を突き出し、全体を使って血が滲んでいる部分に唾を塗りつける。

「わ、あわあああ、はぁ、ぁうあああ……」

 未知の体験をしているはじめには、やよいを止めるという選択肢が思い浮かばない。
 ただこめかみを舐め続ける舌が止まるまでそのまま待ち続けるしかなかった。

「……うん……血が止まりましたよ。はじめくん」
「へ。あ、そ、ですか。あはははは、は」
「良かった……」

 ぎゅっ……とやよいがはじめの頭を強く抱きしめた。
 形のいい胸に少年の顔が埋め込まれる。

「む?! うわ、柔ら――いや、やよいさん、手を離し、て?」

 頭を抱きしめる腕が小さく震えていた。同時にはじめの頭も小刻みに揺れる。
 もしかしたら泣いているのかもしれない。そう思ったら彼は何も言えなくなってしまった。

「本当に、ごめんなさい」
「でも、あれはわざとじゃないんでしょう?」
「いいえ。それだけじゃなくて、昨日のことも」
「あ……」

 そう言われてはじめは思い出した。昨日、やよいと口論になってしまったということを。
 それをやよいが気にかけているということを知って彼は心苦しくなった。

「でもあれは僕が悪いじゃないですか。今朝だって僕の方から避けたのに」
「違うんです。そうじゃなくて――なんて言ったらいいかわからないです。・・・・・・ごめんなさい」
「……」
「ごめんなさい。何度でも謝るから、だから居なくならないで。はじめくん」

 やよいは謝りながら抱きしめる腕に力を込めてきた。胸の谷間にはじめの顔が沈む。
 エプロンの生地越しに未体験の感触が伝わる。
 優しく受け入れながらもそれを弾こうとして柔らかく押し返す。そんな感覚。
 しかし、最初は気持ちよさを感じていたはじめも、抱きしめる力の強さに我慢できなくなってきた。
 頭を締め付けられ、脳に圧力がかかる。やよいが喋るたびにその力は強くなっていく。

「昨日も本当はあんなことを言うつもりじゃなかったんです。ただ、二人に仲直りしてほしくて。 
 それなのに喧嘩してしまって、そしてはじめくんがさらわれて、二度と会えなくなると思ったら……。
 お願いです。許してください。はじめくん」
「あ、が、だだだだだ、それより、い、やよいさん。ち、からが強す、ギ……」
「居なくならないでください。ずっと、あの家に居て」
「……ぅ……ぁガ…………ギ……」

 後頭部からプレス機のような力をかけられて、額をやよいの胸板に押し付けられる。
 はじめにはその胸の肉感的な柔らかさはもう感じられなかった。
 暴力。理不尽。拷問。そんな単語しか思い浮かばない。

「私にできることなら、なんでもしますから……だから、ずっとあの家に居て……」
「……ぁ……め…………ぇ…………ぅ」

 抱きしめられている少年は声を出すこともままならなかった。呻き声を漏らすだけで、呼吸さえできない。
 やよいの腕を振りほどく力も余裕も、今のはじめには残されていない。

 女性に抱きしめられながら死ぬというのは幸せな場合ばかりではない。
 はじめはそう思いながら繋ぎとめていた意識を手放すことにした。

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最終更新:2007年08月04日 12:18