『暗黒刑事ヘドロの魔法幼女大作戦』-9
第9話『前夜祭』
その部屋は、音が無かった。
管理局内にある治療室、白で統一されたその部屋には二人分の人影がある。黒髪を短く
刈り込んだ中年の男性、虎蔵は言葉を発せず、簡素な椅子に腰掛けていた。視線の向かう
先は、ベッドに横になっているリリィだ。今は眠っているが寝顔は安らかという言葉とは
程遠いもので、眉根を寄せてはうめくように長い息を吐く。
不意に、その目が開き、
「あ」
目が合った瞬間、
「あああぁぁぁァァァ!!」
リリィは狂乱した。
シーツを乱し、布団を跳ね飛ばし、大粒の涙を流して一心不乱に手足を振り回す。声が
枯れているのは、この叫びを何度も繰り返しているからだ。虎蔵からの言葉で拘束服など
は付けられていないものの、せめて爪が割れないようにと手に巻かれた包帯が痛々しい。
「落ち着け、俺は平気だ!!」
「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい」
抱くように体を押さえ、何度も落ち着けと言い聞かせ、そこで漸くリリィが静まった。
このような状態でリリィの体に傷が付いていないのは今のように虎蔵が常に側でリリィを
押さえてていたからだが、代わりに虎蔵の顔には幾つか痣があった。
数分。
何度も顔を殴られ、しかし抱き続けた結果、やっとリリィは目を閉じた。シーツを軽く
整え、脱力した小柄な体を寝かせると、部屋の隅にまで飛んでいた毛布を被せてやる。
ずっとこれの繰り返しだった。
本格的に寝入った様子を見て、安堵の吐息をしながら椅子に座る。安物のビニール性の
クッションが擦れ、高い音をたてた。それを最後に、再び部屋の中に静寂が訪れる。
「とら、ぞ、うさん」
「安心しろ、今は休め。辛いなら、側に居てやるさ」
髪を撫でてやると、少しだけ安らいだ顔になった気がした。しかし、ここで安心しては
いけないとも虎蔵は思う。旅館から帰ってきてから三日、ずっと今の状態なのだから。
◇ ◇ ◇
「代わりますよ、虎蔵さんは少し休んで下さい」
無言で首を振る虎蔵に眉根を寄せ、リィタは手首を掴み強制的に立ち上がらせた。体格
の差は倍近くあるが、装甲を纏っていないもののリィタの体は『暴君』フランチェスカと
同じものだ。大して抵抗も出来ずに、成すが儘になってしまう。
だが相手が他の者だったとしても、それは変わらなかっただろう。三日間も不眠不休で
ろくに食事も取らず、ひたすらリリィを見守っていたのだ。その顔にあるのは殴打による
痣だけではなかった。強い意思が宿る二つの瞳の下、そこには濃いクマがあった。その姿
を見れば、例え子供が見たとしても弱っていると一瞬で判断出来るだろう。
部屋を連れ出されると、代わりに薫が入ってゆく。一瞬こちらを向いて、目が合った。
浮かんでいたのは強い疲労と、悲しみの色。そんな者に心配されるとは、自分は余程酷い
状態だったのだな、と苦笑する。鏡を見たらどんな顔があるのか、と自嘲するように。
「お前は休まなくて良いのかよ?」
「私は常に回復状態なので心配要りません」
その分老化が強まっているでしょうけどね、と呟いたが虎蔵には聞こえなかった。
「ほら、早くご飯食べて下さい」
辿り着いた先は食堂で、そには既にヤキバソとコンソメスープが置いてあった。リィタ
の手作りなのだろう、独特の切り方をされた不揃いな野菜を見て胸の奥に熱が満ちてゆく
のを虎蔵は感じた。その心遣いを無駄にしないよう、大人しく席に着く。
「これだけしか作れませんけど、栄養は考えてあります。野菜でビタミン、麺で炭水化物、
コンソメスープでミネラルも補給出来ます。大変でしょうが、残さずに食べて下さい」
「凄いな」
「一応、頭は悪くないので」
照れたようにそっぽを向くリィタの頭を撫でながら一口、それだけで力が体に蓄えられ
るのが分かった。まだ大丈夫だと思っていたのだが、体力は限界に近くなっていたらしい。
それを埋めるべく、一気に胃袋へと掻き込んでゆく。
数分。
結構なボリュームのあった食事は、全て虎蔵の腹の中へと消えていた。
「落ち着きましたか?」
「あぁ、美味かった」
リィタは嬉しそうな顔をしたがすぐに表情を真剣なものに変え、本題です、と言った。
「どうして、リリィはあんなに落ち込んでいるんだと思いますか?」
「あまり言いたくねぇが、そりゃ、自分が原因で皆が怪我したからだろ」
「違います」
今まで見せたことの無い、険の表情を浮かべて溜息を一つ。
「近いですけど、違うんです。リリィは、虎蔵さんがやられたから傷付いているんですよ」
「今までも何度も怪我しただろ」
分かってませんね、と呆れたような顔をしてそっぽを向いた。視線はリリィが寝ている
治療室へ、何かを迷っているように黙り込んだ。その真意が分からず、虎蔵も無言で茶を
すする。温く、嫌いな状態だが、それも気にならない。
「リリィが寝ている状態では言いにくいのですが。虎蔵さん、リリィは虎蔵さんのことが
好きなんですよ。だから、あんなに酷い有り様になってるんです」
「俺だって結構好きだぞ、だから看病してやった。それは勿論、お前が相手でもだ。好き
だから俺は頑張れる、この正直しんど過ぎる仕事をやっていけてるんだ」
あの減らず口さえ無ければ、もっと良いのにな、と付け加えた虎蔵に恨むような視線を
向け、リィタは頭を抱えた。分かってない、この朴念人は分かってない、と呟きながら、
盛大に肩を落とす。何か悪いことでも言っただろうか、と虎蔵は首を捻って先程の自分の
発言を思い返したが、特に疑問は浮かんでこない。自分は管理局の者だけでなく監獄都市
の中に居る者も好きだ、そこは間違っていない。リリィも悪態を着いてくるものの、自分
との信頼関係はそれなりに強いという自覚もある。そこも間違っていない筈だ。そこまで
理解し、納得して、改めて疑問に取り組むが、おかしい部分は一つもない。
「あのですね、リリィは虎蔵さんを異性として好きなんですよ」
言われたことの意味を理解出来ず虎蔵は思考を止め、次に体の動きを止めた。茶を口の
端から垂れ流し、傾けたままの湯飲みからも茶が溢れた。まるで漏らしてしまったように
股間に染みが出来るが、それにも虎蔵は反応を返さない。先程とは違う意味で、何も言葉
を発することが出来なかった。リィタが慌てておしぼりを持ち股間を拭ってくるが、虎蔵
はその犯罪的な行動にもされるが儘だ。
「お、おま、な、にょ」
漸く頭の中が再起動を始め、お前何言ってんだ、そう言おうと思ったのに舌が回らない。
代わりにリィタの発した言葉の意味が超高速で駆け巡り、思考のメモリを再度パンクさせ
ようとしていた。リリィが自分のことを男として愛している、それは無いだろう。年齢も
二十歳以上離れているし、どちらかと言えば娘のような存在だ。
「ふぅ、俺もついに罪人の仲間入りか。ミイラ取りがミイラ、管理局の人間がロリコン罪
で捕まることになるなんて悲しい話だ。しかもDr.ペドのお仲間か、最悪だ!!」
「落ち着いて下さい。まだ未遂ですし、合意の上なら捕まりません。それにDr.ペドから
見たらリリィは多分アウトですよ、14歳なので。だからセーフです」
「リリィは毛も生えてねぇんだぞ!?」
「体質、遺伝です。私達の母もパイパンでした」
月の魔女の血族の思わぬ秘密をバラされて呆然とするが、今度は立ち直りが早い。股間
に毛が生えていないと理由などはどうでも良いのだ、肝心なのは虎蔵とリリィの位置関係
である。恋愛事など全く考えていなかった虎蔵と、その虎蔵に恋焦がれていたリリィとの。
「それで、虎蔵さんはどうなんですか? さっきの話ぶりではリリィの気持ちに気付いて
いないどころか、意識すらもしてなかったみたいですが」
虎蔵は、答えられない。
沈黙。
黙り、沈むという言葉が空気の流れを止めた。沼の底に存在する泥のように周囲の喧騒
をことごとく無視して、動くという概念すらも否定して、流動物であるにも関わらず固体
のように静寂の存在として溜っていった。
虎蔵の心は、今もセリスの所にある。娘も飛び抜けて愛しているが、それの遥か上空、
頂点には妻という者が居るのだ。それは殺されて数年経つ今現在でも変わらない。慈しむ
という言葉をも超越した、まるでヘドロのような目をして写真を眺める毎日である。暗黒
刑事ヘドロという不名誉極まりない称号を嫌がっているにも関わらず、毎日その暗黒行為
を繰り返しているのはその為だ。
ある者は、それを妻に対する未練だと非難する。
ある者は、それを死に対する否定だと非難する。
ある者は、それを今に対する逃避だと非難する。
リィタは、それに対して何も言わない。
薫は、それに対して何も言わない。
リリィは、いつもヘドロのようだと言った。
しかしそれは、表情を言葉で表現しただけだ。その行為に対しては、やはり薫やリィタ
のように何も言わなかった。今までは、それだけの意味しか持たなかった。だがリリィの
本心が露呈した今では、全く別の意味を持つものへと変わってくる。
今まで、どのように思って言っていたのか。
妬いていたのか、悔しかったのか、それとも悲しかったのか。自分で思い浮かべたこと
ではあるが、どれも自惚れの強い考えだと思う。本当のところは、さっぱりと分からない。
何しろ虎蔵はリリィ本人ではない、考えが分かる筈も無い。考え方も違えば、性格も違う。
言葉から推測するにしても、本心を見せないように並べられていたものばかり。不愉快な
パズルの説明のようだ、と虎蔵は思う。完成図の抽象的なイメージだけを伝えられたが、
ピースを一つも渡されていない状態。イメージだけは沸いてくるが結果は見えず、それを
確認しようにも組み立てることが出来ないので、どうにも出来ない状態だ。
ならば次はどうするのか、それは人によって変わる。イメージを頼りに店を訪ね歩き、
例え説明した者の答えとは違っていたとしても、自分で納得したものを購入する者も居る。
これでは情報が足りないと更なる説明を求め、完全な答えを手に入れた上で店に赴き購入
する者も居る。これでは話にならないと諦め、別のものに関心を向ける者も居る。
虎蔵は考えるよりも動くタイプの人間、一つ目だ。言わない部分があるのなら、それは
説明する者の判断に成されたものだと受け止め、追求しない。諦めることもしない。足で
踏み出し、自分で真実に近付こうとするタイプの人間である。
「どうなるかは分からんが」
まずはリリィと話をするべきだ、と決意した。
「最後に一つ訊きたいが、リィタ、お前はどうなんだ?」
「私は虎蔵さんの娘であり、リリィの妹でもある。それだけ言っておきます。問題は提示
されました、後は答えを出すだけなんです。この先、どうするのかは、リリィと虎蔵さん
が決めることです。これだけは私が口を挟めることではありませんから」
では私は腕輪の修理をしなければいけませんので、と顔を普段の無表情に戻し、リィタ
は食堂を出ていった。普段ならば困ったときに必ず一度は目を向ける、携帯の待受画像に
してあるセリスの顔を見ることも出来ず、虎蔵は苦い顔で頭を掻いた。
◇ ◇ ◇
リリィの寝ているベッドの隣、椅子に腰掛けた虎蔵は幼い顔を見つめた。起きて荒れる
ことも無ければ、悪口を言ってくることもない。数分程前に行ったリィタとの会話で妙な
気負いが出来たものの、無理に看病をしようという潰されそうな責任感が消えたのも事実。
そのような状態でリリィを客観的に見てみると、今までは見えていたようで意外と見えて
いなかった部分が幾つか見えてくる。
例えば顔だ。整っているとは思っていたが、それは太陽のように強いものではなく月の
ように繊細なもの。触れただけでも傷付いてしまいそうだと思うくらいに、儚げな印象を
与えてくるものだ。死んでいるようにすら見える、と虎蔵は思った。
それよりも驚いたのは、細く白い掌だった。いつものように頭を撫でてやるのではなく
手を握ったのだが、そこで虎蔵は気付いた。女の柔らかなものではなく、男のように固く
ざらついたものだった。開いてみれば理由も分かる、無数の傷があったのだ。何度も傷を
重ねたことにより、肌は樹皮のようになっていた。リリィは幼い娘でありながら、管理局
トップクラスの技術者でもある。そう生きていると、虎蔵は改めて気付かされた。
「大変だったろ?」
弾力の減った掌を軋ませるように強く握り、虎蔵は言う。
「すまん、俺は本当に何も知らなかった」
反応は来ないが、構わない、と思う。
「悪かったな、辛いことに気付いてやれなくて。聞こえてないだろうがな、聞いてくれ。
無理に戻らなくても良い、その分苦労をしてきたんだからよ。だから」
一息吸い、
「今は、休め」
暴れるリィタをなだめる為に言っていたときとは違う意味を持たせ、静かに語りかけた。
以前リリィは、管理局員という今の世界を自分の選んだ道だと言った。月の魔女の血族
の選ぶ、誇りのある道だと。リィタも同じことを言っていた。だが背負いすぎだ、と思う。
道というものは歩いて進む以外に出来ることはない、その為のものだからだ。だが他の者
に無理に合わせる必要も無い。個人にはそれぞれののペースというものがあるし、疲れた
ならば休めば良い。道は逃げたりしないし、道に居る限り、諦めることさえしなければ、
目的地には必ず辿り着くことが出来るのだから。
「休め」
もう一度言った言葉に、虎蔵は言葉を続ける。
俺が守っててやるからよ、と。
「……ありがとうございます」 突然の言葉に、体が跳ねた。繋いでいた手を離し、一歩引いてリリィを見る。
「正気に戻ったか」
「人をキチガイみたいに言わないで下さい、ヘドロさんの方がよっぽど頭がおかしいです」
いつもの言動に安堵し、余裕が出るとすぐに重大なことに気が付いた。
「いつから起きてた?」
「手を握られ始めた辺りからです」
殆んど全てが筒抜け状態だった、そのことに虎蔵は悶えた。リリィは上体を起こしながら横目で虎蔵を見て、今の状態
に更に追い討ちをかけるように白い目をして、
「寝ているレディの手を握るなんて、このエロ中年!!」
わざわざ手でメガホンを作り、叫んだ。
「ば、馬鹿野郎。妙な誤解を広めるな!! 大体エロはお前だ、このパイパン露出狂が!!
何度も女房以外の股間を見せやがって、俺の身にも……いかん、落ち着け俺」
このままでは肝心の話が出来ない、と虎蔵は顔を真剣なものに変えた。
「心が治ってテンション高ぇのは分かるが、今から真面目な話をすんぞ?」
リリィの目を見つめ、
「リィタから話は聞いた、お前の本心ってやつをよ。結論だけ言うぞ、俺はお前を嫁にゃ
出来ねぇよ。俺は今でもセリス一筋、もう暫く他の女を見る気は無ぇんだ」
だがよ、と一拍空け、
「それでも俺のことを好きだってんなら、努力はする。お前には悪い話だが、セリスにも
悪い話だが、俺の中できちんとケジメ付けれるまで待っててくれ。それからリリィ、お前
に対して絶対に向き合ってみせる。長い時間になるだろうがよ、約束は守る」
数秒。
果たして、リリィは頷いた。
無表情でもなく、罵倒をするときのように白い目をするでもなく、微笑、という虎蔵に
初めて見せる表情を浮かべて。虎蔵が寝ているリリィにしたように手を握って、情の熱を
持った瞳で寸分もずれることなく、真っ直ぐな視線で虎蔵の両の瞳を射抜く。自分はここ
に居るのだと、存在にも言葉にも嘘は無いと伝えるように。セリスもよく浮かべていた、
良い顔だと虎蔵は心の中で小さく呟いた。
「分かりました。なら私は待ちます、虎蔵さんが自分の中でセリスさんを諦めても良いと
思えるようになるまで。そして待ってて下さい、私がセリスさん以上になるまで。いつか、
いつかきっと振り向かせてみせますから」
やっと言えた、とリリィは呟き、大袈裟に腕を広げてベッドへと倒れ込む。マットレス
に体が沈む低い音が響き、続いて毛布を被る音が生まれる。虎蔵の視界からリリィの姿は
消えた、今は毛布の膨らみが少女の存在を示している。その中で少女がどのような表情を
浮かべているのかは、分からない。無理に見ようとも思わず、虎蔵はそのまま目を閉じた。
「楽しみにしてるぞ」
はい、という微かな声を聞き、実に虎蔵は三日振りに意識を闇に落とした。
最終更新:2007年08月04日 18:06