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グレーゾーンのメイドと家政婦2-3

  • 作者 ◆Z.OmhTbrSo氏

「さて、その女の子のところに案内してもらおうか」
 不良たちを追い払った千夏は、振り向いた途端に切り出した。
「このデパートの中から出てきた、ということは建物の中に女の子を隠してきたんだろう」
「ああ、まあな」
「どこだ?」
「女子トイレ」
「まあ、無難なところか。じゃあ、さっさと行くぞ。案内しろ」
「へいへい」
 千夏に顎で促され、卓也はデパートの裏口へ歩き出す。
 はじめも2人についていこうとしたが、足が言うことを聞かないため、動けなかった。

「どうした、はじめ? 顔が汗だらけだぞ」
「……もうちょっと、休んでからにしようよ」
 千夏の言うとおり、はじめは顔だけでなく体中汗まみれだった。
 久しぶりに走り回り、たった今緊張の糸が切れたせいで足が言うことを聞かなくなっていた。
「膝が笑っているぞ。怖かったのか?」
「そうじゃ、なくて。筋肉が痙攣を……」
 壁に手をついて膝を揺らせるはじめを見て、千夏は肩を軽く落とした。
「まったくだらしのない。模型ばかり作っているからそうなるんだ。
 たまには外で元気良くマラソンでもしてきたらどうだ」
「……考えてみるよ」

 はじめは頷けなかった。
 はじめがマラソンでも始めようものなら自宅に住まう家政婦の目に留まり、
興が高じれば筋力トレーニング・水泳までさせられかねないからだ。
 そのため、家政婦の目に留まらぬよう、室内で運動を行わなければならない。
 しかし、室内でできる運動をはじめは長く続けられたためしがない。
 作りかけの模型を見ているうちにいつのまにか机に座り、目と腕と指を動かす作業に没頭してしまう。
 はじめが運動不足になるのは必然のことだった。

「こういうものはきっかけが大事なんだ。やるのなら今日からがいい。
 ……そうだ。はじめ、うちの道場に来い、今から」
「いや、僕に格闘技は向いていないよ」
「心配ない。空手に限らず武道というものは武を通して道を学ぶためのもの。
 心と体の両方を鍛えることこそが目的。武術ではないのだから」
「はあ……」
 武道と武術の違いが、はじめにはいまいちわからなかった。
 家に帰ったらやよいさんに聞こう、とはじめは思った。

「千夏、はじめまで毒牙にかけるつもりか」
 今の話題を聞きとがめたのか、卓也が2人の会話に割り込んだ。
「人聞きの悪いことを言うな。私ははじめのためを思って言っているんだ」
「お前の親父さんにしごかれたらはじめが死んじまうぞ」
「む……それはまずいな」
 千夏は顔をしかめてうめいた。
「ならば……父の興味がはじめに移らなければいい……。
 そうだ。卓也、お前も一緒にくればはじめは無事だぞ」
「俺は絶対に行かないぞ」
「薄情な。親友を見捨てるというのか、お前は。
 お前には人の道というものを教えてやらなければいけないな」
「お前が教えられるのは鬼の道だろうがよ」
 ぴくり、と千夏の眉が上に動いた。
「ほほおう、言ったな……」

 千夏がゆらりとした動きで卓也に近づいていく。
 危険を察知して、卓也は身構えた。
 左手を前に、右手をみぞおちの近くに置く、見様見真似の空手の構え。
 千夏はにやりとした笑顔のまま、鏡が向かい合うように同じ構えをとった。
「卓也、腰が引けているぞ。誰にそんな構えを教わった?」
「たった今、俺の目の前にいる女に殴られているうちに覚えたんだよ」
「まだまだ私の構えもなっていないな。自分がこんなに情けない構えをしていたとは……」
「ああ、全くお前は情けない女だよ」
「だとしたら、卓也はさらに情けない男だな。私に一度も勝ったことがないのだから」
 卓也と千夏の2人があやしい声で笑い出した。
 くっくっく、というどちらから発せられているのかわからない笑い声をはじめは聞いた。
「2人とも落ち着いてくれ。ここはデパートの入り口だし、人の目もあるし」
 制止するはじめの声を聞いて、2人の声が止まった。

「はじめ。さっきの女の子に、もう大丈夫だって言ってきてくれ。
 俺は、この女を今日こそぶちのめしてやるんだ」
 そう言って、卓也は首を回した。
 首が左右に倒れるたび、骨の鳴る音がする。
「正直言ってこんな男の相手をするまでもないんだが……戦いを挑まれては仕方がない。
 助けた女の子とやらによろしくな」
 千夏は握り締めていた両手を開いた。
 再び両手が握られたときはメキメキ、という思わず心配になる音がした。

 にらみ合いを止めない2人を見て、はじめが裏口へ向かったとき。
 裏口のドアを開けて、勢いよく飛び出してくる女性を見た。
 はじめが何か声をかけるよりも早く、女性は口を開いた。
「あ、あの……ハァ、私、その……けほっ……お2人が、心配で……」
 言葉の途中で荒い息を吐きながら、女性は言った。
「大丈夫ですよ、僕も卓也も無事ですから」
「あ……そう、でしたか」
「はい」
「あの、もう1人の男性の方は……」
「ああ、そこにいますよ」
 振り向くと、女性がやってきたことにも気づかずにらみ合いを続ける卓也と千夏がいた。
 まだ2人のにらみ合いと罵声の応酬は止まっていなかった。
 もう少し時間がかかりそうだとはじめは判断した。
 はじめが再度女性の方を振り返ったとき、女性の表情は一変していた。
 怒りの表情である。
 さっきまで大人しそうだった女性の顔だとはとても思えない。
 女性は怒りを込めた眼差しを、千夏に向けている。

 女性はすたすたと歩き出すと、千夏の後ろで立ち止まった。
「あの」
「ん、誰だ。君は」
「さっき、そこの男性に助けてもらった者です」
「ん? ……ああ。卓也が助けた女の子というのは、君だったのか」
「はい。それで、あなたは彼の――卓也さんの何なんですか?」
「いや……何と言われても……」
 女性に押しやられるようにして、千夏が下がった。
 はじめには返答に困って下がったというより、表情の迫力に負けて下がったように見えた。
 卓也は空手の構えのまま、口を半開きにしている。
 目の前で千夏が押されていることが信じられないようだった。

「もしかして、恋人ですか?」
「ぶっ!?」
 女性の発言を受けて、卓也と千夏は同じタイミングで息を噴き出した。
「あの、誤解の無いよう言っておきますが、このサバイバルナイフみたいな女は俺の彼女じゃありません。
 こんなのを彼女にするぐらいなら、丸一日車のトランクに詰め込まれているほうがいいです」
 そのたとえはあんまりだろう、とはじめは思った。
「君の目は節穴か? こんな冴えない、だらしない、強くない男に引かれるわけがないだろう」
 卓也の暴言に負けないくらいひどいことを言う千夏。

 今の発言を受けてもっとも反応したのは、怒りの顔をした女性だった。
「冴えなくもだらしなくも弱くも無いです! 訂正してください!!」
 目の前で大音声で叫ばれて、千夏は一歩さがった。
 はじめと卓也は、突然大声を出した女性に意表を突かれていた。
「弱い人だったら、私を助けたりしません!」
「あ、ああ。……確かに君の言うとおりだ」
「今までの人生で、ここまで必死になって私に接してくれた人は見たことがないです!
 こんな、素敵な人……今までいませんでした」

 ……え?
 素敵な人?誰?
 はじめと千夏は顔を見合わせた。
 しかし、会話の流れからいって、誰のことを言っているのかはすぐにわかる。
 数秒見つめあった2人の視線は、卓也の顔に固定された。
 卓也は何を言われたのか理解できていないようだった。
 顔全体で疑問をあらわした卓也が、女性に声をかける。
「あのー……素敵って……」
「もちろん、あなたに決まって…………あァッ!!」

 女性の最後の声は裏返っていた。
 自分の発言を思い出して、女性は小刻みに体を動かす。
 視線は3人の間をさまよう。はじめ、千夏、卓也の順で。
 女性の視線が、卓也の顔で止まった。
 卓也が苦笑いをすると、女性の顔が真っ赤に染まる。
「あわわわわわわ……わ、私なんてこと……。
 ごめんなさい! さっきは助けてくれてありがとうございました! さようならーー!」

 女性は深く頭を下げると、背中を見せて走り出した。
 はじめは女性の後ろ姿を目で追った。
 数メートルおきに走ったまま振り返り、こちらに頭を下げる。
 そして前方を向いて、コンクリートの壁にぶつかった。
 女性は頭を押さえながら慌てて立ち上がる。
 またこちらを振り返りお辞儀をして、どこかへ向かって走っていった。

「なんだったんだ、あの子……」
「なんだったんだ、あの女は……」
 はじめも、2人とまったく同じことを思っていた。
 大人しい女性かと思いきや、千夏を批判するほどに豪胆な人だった。
 女性の言葉を整理してみると、卓也に惚れているということはわかった。
 おそらく一目惚れというやつだろう。それも、かなり惚れ込んでいる。 
 痴れ男から守るというのは、女性の心を射止めるには絶好のシチュエーションだということなのか。
 それとも単純に卓也に備わっているなにかに惚れ込んだのか。
 相変わらず首を捻り続ける親友を見ていても、はじめにはわからなかった。



 はじめと卓也と千夏は、デパートから離れて喫茶店に入った。
 さっきの騒ぎのせいで、デパートの裏口は人の目に留まった。
 当然、騒ぎの中心にいたはじめ達は注目をあび、離れざるをえなくなった。
 結果、近くの喫茶店に収まることになったのだった。

「まったく、無駄なエネルギーを使ってしまった。お前達2人にあったせいでな」
「ごめん、酉島さん」
「別に謝る必要はない。結果的にはさっきの女は助かったわけだしな」
 千夏は注文していたコーヒーを一口飲んだ。

「いや、でも助かったぜ。あのまま逃げ続けてたらはじめが捕まってたかもしれないし」
「そんなことになったら、卓也が身を呈して守れ」
「……そりゃ、見捨てたりはしないけどな。お前みたいには上手くやれないよ」
「仮にもうちの道場に出入りしたことのある人間だ。あいつらを蹴散らすぐらいなんとかなるだろう」
「あんな漫画みたいなこと、俺ができるわけあるか」
「手加減はしたつもりだぞ。あの大男、今日一日は足腰が立たないかもしれないが」
「……お前、トラかオオカミだよ。もしくは熊か」
 卓也はそう言って、ストローでコーラを飲んだ。

「だいたい、空手の技は素人に向けて使っちゃいけないんじゃないのか? ばれたら親父さんに怒られるぞ」
「状況が状況だ。お前達2人を見捨てるのもできないし、それに」
「それに?」
「あの手の男は、私は大嫌いだ」
 はじめは、千夏と不良のやりとりを思い返した。
 酉島さんは、最初からあいつらに対して挑発的な態度だった。
 あの態度は不良の男達が嫌いだったからなのか。
 あれ? 待てよ?

「どうした、はじめ。私の顔に何かついているか?」
「いやさ……ちょっと疑問に思って」
「なにをだ?」
「酉島さんの、嫌いな男のタイプってどんなのかな、と思って」
「ううん……難しいことを聞く。そうだな、勘のようなものか。
 近寄りたくない、近寄って欲しくない相手というのがなんとなくわかるんだ」
「じゃあ、好きなタイプって?」
 はじめは軽い好奇心で質問した。
 純粋に千夏の好きなタイプがどんな人間なのか知りたかった。
 そこに深い意味はない。はじめは腹の探りあいができるほど器用ではない。
 即答してくるかと思いきや、千夏は神妙な顔になって腕を組んだ。

「なぜそんなことを聞く?」
「え、えっと。酉島さんのことを知りたいと思ったからなんだけど」
「何故好きなタイプを聞くんだ? 他にも質問はあるだろうに」
「うーん……参考にしようかな、と」
「……はぁ?」
 珍しいことに、千夏が唖然とした顔を見せた。
「はじめ、それは一体どういうつもりで言っている……?」
「えっと……」
 なんて答えよう?
 昔、マナに同じ質問をして『なんとなくそう思った』、って答えたら頭をはたかれたし。
 やよいさんに『嫌われないために』、って答えたら晩御飯がおかず抜きになったし。
 別の答えは、何かないか?
「……はじめ?」
 何かを期待するかのように、千夏は目をしばたかせていた。
 千夏の目に促されるかのように、はじめは答える。

「僕がそういうタイプになろうかなって。ほら、友達として仲良……」
 はじめの言葉は、突然紛れ込んできた音によって遮られた。
 卓也がコーラを吹いた音と、千夏が椅子を横に倒して転げ落ちた音だ。
 テーブルの上はコーラで、床の上はコーヒーでびしょびしょになっている。
 店内にいる人間は、皆がはじめ達に注目している。
 中にはわざわざ立ち上がって見てくるものさえ居た。

「カハッ、ゴハ、ゲホッ……ばじべ、おばえ……」
 卓也はテーブルに備え付けてあったナプキンで鼻をかんだ。
 もう一度咳き込んでから、卓也は口を開いた。
「いきなり変なことを言うな! 血迷ったか!」
「なんで? おかしなこと言ったか、僕」
「お前……今の、こくは……」
「コクハ?」
 わけがわからない、という顔をするはじめ。
 親友のごまかしのない顔を見て、卓也はかぶりを振った。

「いや、もーいい。勝手にしろ。お前はそういう星の元に生まれついたんだ。
 何気ない仕草や軽い言葉で女を手篭めにする男なんだ」
「卓也、何を言っているんだ」
「やよいさんやマナちゃんなら納得ができる。だが、千夏にまで手を出すとは思わなかった。
 俺としては、千夏がお前の方に行くから嬉しいんだが……。
 ああ、いいことを教えてやる。千夏は俺の知る限りで、男と付き合ったことは無いぞ」
 卓也は椅子から立ち上がると、はじめに背を向けた。
「ごちそうさん。ここで飲んだコーラ……忘れないぜ。
 ツンと鼻まで抜けそうな、いや、鼻が爆発しそうな甘さだった」
「おーーい、卓也ーーー? せめてコーラ代だけでも払っていってくれないかなーー?」

 卓也は、喫茶店のドアの前で立ち止まると振り返った。
 そして、生暖かい目をして、サムズアップ。
 後ろ手でドアを開け、卓也は外へ出て行った。
 カランカラン、というベルの音と共に、ドアが閉まった。


 はじめと千夏は、喫茶店を出たらそれぞれの自宅へ帰ることにした。
 時刻は6時を回っている。そろそろ帰らないと、やよいが心配する頃合だ。
 路地は、T字路に差し掛かっていた。右に曲がるとはじめの家に着く。
「酉島さん、僕はこっちの道だから」
「ああ、そうか……」
「じゃあ、また」
「あっ」
 右へ曲がったはじめに、千夏が駆け寄る。
 歩幅を合わせて歩く千夏に、はじめが声をかける。
「酉島さん、どうかした?」
「ん、何がだ?」
「様子がなんかおかしいよ。さっきも椅子から落ちたし。もしかして風邪?」
「いや……そうじゃない。あんなことを言われたのが初めてだったから、びっくりしてな」
「あんなことって?」
 はじめの顔を見ず、前を見て千夏は答える。

「私に好かれようだなんて男は、いないと思っていた」
「……そんなことないと思うな」
 卓也は、自分と気の合わない人間とは友達にならない。
 はじめと仲良くしているのは、気が合っているからだ。同じことが千夏にも言える。
 卓也は千夏のことを憎まれ口をたたきながらも好意的に思っている。
 これは間違いない。そこに恋愛感情が介入していないのも間違いない。
 喧嘩仲間的な、昔からの友達。
 きっと、卓也にとって千夏はそういった存在なのだ。

「荒っぽい女など、はじめは嫌いだろう?
 昨日会った家政婦の女性のような、おしとやかな女性の方が好きだろう?」
「やよいさんみたいな女性が好きだとしても、他の人を好きにならない理由はないよ。
 それに、荒っぽいっていうのは酉島さんの持つ、自分のイメージでしょ。
 僕のイメージでは、お父さんの跡を継ごうとする立派な人に思えるよ」
「そうか……そうともとれるか。実際はそんな立派なものではないんだがな」
 千夏は自嘲的な笑いを浮かべると、立ち止まった。
 2人は話している間に藤森家の敷地の入り口前に来ていた。
 はじめが自宅の玄関を見ても誰も立っていなかった。

 千夏は、はじめの顔は見ず、俯いて喋りだした。
「はじめ、さっきの言葉は……本当だな? 私を好いて、そして好かれてもいいというのか?」
「うん。僕は酉島さんと仲良くしたいし」
「……なら、お願いがある。私のことは、苗字ではなく名前で呼んでくれないか?」
「え、いいの?」
「ああ、私は最初から呼び捨てだったしな。今のままではフェアじゃないだろう」
「じゃあ、これからは千夏さんって呼ぶよ」
「呼び捨てでも構わないんだが……はじめがそれでいいなら、それでいこう。
 そろそろ私は帰るとするよ。では、また……必ず会おう」
「うん。またね、千夏さん」
 去っていく千夏の背中を、はじめは見送った。
 千夏の背中は、力強く、どこまでもまっすぐに伸びていた。

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最終更新:2007年08月04日 18:54