ツルとカメ-48
ある休日の夕暮れ、裏路地では鈍く重い音が連続していた。一人の少年が女性を背後に
かばい、喧嘩をしている。相手は五人程、少年と殆んど変わらないの年齢をしているのが
一目で分かるような外見をしていた。少年を含め全員が髪を茶色に染め、鋭く立てている。
ラフな服装をだらしなく着崩してワイルドさを演出しようとし、だが失敗しているそれは
不良と呼ばれている高校生の分かりやすい特徴を示していた。
この辺りの年齢ならば喧嘩は腕ではなく数で決着が決まるのだが、しかし少年はその数
をものともせずに殴り倒してゆく。大柄な体格によって産み出される腕力に加え、幼い頃
から続けてきた喧嘩の経験、友人の少女に最近教えてもらった拳と蹴りの基本の動きまで
駆使した結果、少年の拳や脚は相手の急所を正確に捉え、一人、また一人と、その相手を
アスファルトへと沈めていった。
「どうした? 五人居ても勝てないのか?」
不適な笑みを浮かべて少年が言った瞬間、残った一人が懐から棒状のものを取り出した。
グリップ部は10cm程度、革で出来た鞘を抜けば15cm程の刃が現れる。全長25cm程のナイフ、
その切っ先を不良は少年へ向けると一直線に飛び込んだ。
「喧嘩に刃物を出すな」
一拍。
「この、ド外道が!!」
怒号と共に打ち出された拳は正確に不良の顔面に吸い込まれ、少しの時間を置いて地面
へナイフが落ちる。金属がアスファルトに落ちる乾いた音が、降り始めている夜の帳へと
溶け込んでいった。
「大丈夫ですか?」
少年が振り向くと首に架けられた大型の十字架が揺れ、その動きに合わせるように鎖が
冬の温度のような冷たい音をたてた。運動のせいで体温が上がったらしく普段より僅かに
濃くなった白い息を吐きながら、少年は「大丈夫ですか?」と再度尋ねた。
「あ、ありがと。でも」
非難するような女性目に、少年は少し目を伏せた。
「はい、暴力は駄目ッスよね。俺も分かってるんッスけど」
頭を掻き、取り敢えずナイフを拾おうとして先端に赤い色が薄く着いていることに少年
は気が付いた。拭うように撫でるとぬめりを持って指に付着する赤は、先程付いたものだ。
少年は自分の脇腹に視線を落とし、本当に小さな赤い点があることに気が付いた。
「大変!!」
女性が慌ててシャツの裾を捲り、冷たい風が脇腹を擽ってくる。熱くなっている体には
快い風だ、それ以外には何も感じない。傷といっても、針が間違って刺さった程度のもの
だったからだ。血も止まりかけているし、気にする程のものでもない。
だが女性は慌てているらしく、ただ血が出ていることにばかり注意が向いていたらしい。
「消毒しないと!!」という叫びの後に伸ばされた舌が傷口を拭い、背筋を走り抜ける奇妙
な感覚に少年は奇声をあげた。気色悪くも腰をくねらせ、不覚にも自己主張を始めた愚息へ脳内説教をして落ち着かせた
数秒後で、やっと女性は唇を少年から離す。
「はい、これで良し」
女性も舐めている最中に血が殆んど消えたことに気付いたらしく、落ち着いた様子で鞄
から絆創膏を取り出すと傷口へと張り付ける。
「あの、ありがとうございます」
「良いわよ、お礼なんて。元々あたしを助けて出来た傷だし、ごめんなさいね」
眉根を寄せて謝る女性に、少年は首を振った。
「ところで、さっき俺の脇腹を」
「忘れて、わーすーれーてー!!」
テンパっての行動だったらしい、女性は頭を抱えて首を何度も振る。思い出すことすら
恥ずかしいらしく、少年が何かを言おうとしても視線で遮ってきた。
「あの、俺は」
「わーすーれーてー!!」
夕日が沈む中、烏の鳴き声と女性の叫びが木霊した。
◇ ◇ ◇
「なぁ、チー」
「何ですか?」
一真の本棚からエロ本を引き抜きつつ、千歳は首を傾げた。先程までの武勇伝は一真が
正に先日体験したもので、それを聞かされていたのだが、聞いている内にどうにも退屈に
なってしまったらしい。今や千歳の興味は完全にエロ本へとシフトしていて、熱心に安い
物語を語っていた一真は知る由もないのだが、手に持ったものも実は三冊目だったりする。
クッションに腰掛けてページを捲る千歳に下着が見えていることを指摘しつつ、一真は
熱っぽい目で空中を見た。何か面白いものがある訳でもないのに病的なものが宿った兄の
それを見て、千歳は露骨に眉根を寄せた。言葉にはしないものの、キモいと目が語る。
「それでな、その日から円さんのことが頭から離れないんだ」
「恋ですね」
「やっぱりそうか!?」
そうですそうです、と煎餅をかじりながら答える千歳の態度は明らかに興味が薄いもの。
その視線は恋愛事情を語る兄に向くことはなく、紙の上で裸体を晒すゴスロリ少女にのみ
向いていた。ゴスロリノーパンの姿は結構クるものがあるらしい。
「兄さん、ちょっと借りていきますよ。あ、シャワーは先に浴びるので入るなら後で」
「おう」
条件反射で返事をしたが、一真の視線は相変わらず空中に固定されたまま。気味悪そう
な顔をして部屋を出ていった千歳に一度も視線を向けることはなく、ひたすら脳内デート
や新婚生活シミュレートを繰り返し、脳内葬儀でマジ泣きしそうになってしまった辺りで
一真は我に返った。何と恥ずかしいのだろう、中学生じゃあるまいし。
悶絶しながら、そんな自分は気持ち悪いと客観的に判断して、
「いかんいかん、こんなときはオナニーでもして心安らかに」
最近ハマっているゴスロリもののエロ本を読もうとして、一真は気が付いた。どうして
本棚に入っていないのだろうか。そう言えば、ついさっき千歳が何か本を抱えて部屋から
出ていったような気もする。考えてみれば、さっき話をしていた相手は千歳だった。
そこまで思考が至ったところで、猛烈な恥ずかしさが込み上げてくる。
「いかんいかん、まずはオナニーで精神集中」
流石は思春期の男の子といったところだろう、好みのものが無くても適当にマイベスト
コレクションから一冊抜き出して、お気に入りページを広げた。粗いモザイクも何のその、
思春期男子イマジネーションと過去に見た女体化自分や女体化友人の映像記憶の複合技を
駆使して思考の中にリアルに女の裸を思い描いた。
だが、それが通用したのも一瞬のこと。
『うふふ、一真君』
脳内女性の顔がAV女優のものから、憧れの円のものへと変化する。そのせいで息子は
普段よりも元気になったのだが、手が止まってしまった。好きな人をオカズに出来ない、
何だか汚してしまう気がする、青臭い男の子のお約束である。
しかしリビドーは煮えたぎったまま、ちんこも全開状態だ。幸いにして授業中ではない
ので焦ることはないのだが、上手く収まりがつかない。どうしようかと迷い、手にしたの
ものは携帯だった。呼び出すのはカメという名前で登録された幼馴染みの名前、もちろん
ホモな目的ではない。話をしていれば自然に性欲も収まってくるだろうし、上手くいけば
モテるコツを教えてもらったり、円と仲良くするきっかけ
を与えてもらえたりするかもしれないとの判断だった。
しかし、そんなコスい考えが駄目だったのだろう。
「おう、俺だ」
2コールで繋がったが、
『何だ? これからツルと一緒に風呂に入るんだ。邪魔をするな』
一瞬で切られてしまった。
「勝ち組め」
異常に身長差のあるカップルの姿を思い浮かべ、一真は舌打ちを一つ。どうせいつもの
ことだから一緒に風呂に入るのは妄想で、今頃電話の内容を聞いていた少女が土下座した
少年を殴っているに違いない。そうでも思わないとやっていられない、モテ男に呪いあれ。
虚しくなるのは分かっているが、いっそ女になったときにしたことや、カメが女になった
ときにノリノリで3Pまでしたことでも話してやろうか。
言葉を心の中で吐きながら次の番号をプッシュする。
『あ、一真? どうしたの?』
「水樹、モテるにはどうしたら良い?」
『……カメに聞けば? ごめん、そろそろ休憩時間終わるから切るね』
どいつもこいつも薄情なことだ。目尻に浮かんだ熱い液を拭い、意味もなくシーツの海
へと頭の先からダイブする。ごろごろと大して広くもないベッドの上を転がり、壁に衝突
したところで回転を反対方向へ。その結果、ベッドから落下してしまい、しかも運の悪い
ことに肘の痛い部分を打って悶絶する。不良としか言い様のない外見の、しかも大柄な体
を持つ一真がそうして馬鹿をしている姿はシュール以外の何物でもなかった。
「どうしたら良いんだよ」
フローリングの上で横になったまま痺れの走る肘をさすり、何故か頭と両足を使っての
三点ブシッジをキメながら叫ぶ。だが答えは返ってくる筈もない。妹は部屋に居ないし、
視界の中央に鎮座する蛍光灯も冷たい光を放つだけだ。
軽音。
ノックの音の後でドアが開いたが、
「上がりまし……おやすみなさい」
しかし高速で閉じられた。
流石に萎えてはいるもののオナニー途中でちんこは露出したまま、しかも三点ブシッジ
姿勢で腰を天井へと突き出している。どれだけの変態に見えたのだろうか、そんな愛する
妹がトラウマを抱えそうになるヤバい姿勢だとも気付かずに、一真は「おやすみ」と言葉
を返した。もちろん、ブシッジは崩さないままで。
◇ ◇ ◇
『馬鹿だけど優しいし、何より私のことを大切にしてくれるし』
『儂に人生を与えてくれたところかのう』
『やっぱり、誰にでも平等に接するところデスね』
『意外と頑張り屋なところですわ』
『……弱気になってたボクを応援してくれた』
『ムードメイカーなところだな、あいつが居ると楽だ』
『ちんこが大きいところかしら』
休み時間の教室だというのに誰とも話をしようとせず、つい先程出来たざかりのメモを
開きながら一真は唸っていた。因みにこれは、コイと千歳を除くカメの周りの女の子達が
カメの良いところを聞かれた際に答えたものである。コイに訊いていない理由は、カメに
対し恋愛感情を抱いていないだろうという思い込みからだった。事実を知らない一真の中
では、未だコイは男嫌いと言うかレズであるという説が残っている。千歳に訊かないのは、
聞いていて悲しくなってくるという理由からだ。大切な妹の恋なので応援してやりたいと
いう気持ちは山々なのだが、人目を憚らずにイチャイチャしているカメを見ていると絶対
に叶わない恋だということが分かる。それなのに健気にもカメの良さや素晴らしさを語る
千歳の姿を見ていると、どうにもならなくなってしまうのだ。それは千歳自身も理解して
いるだろう、無理に傷口を広げ、更に塩を塗り込むような残酷な真似は出来なかった。
そのような経緯もあり、不完全な状態ではあるが完成したリストだが、
「これで俺にどうしろっつうんだよ?」
なんとなく作ってみたものの、円を攻略する糸口さえ見付からない。最後のものは関係
ないとして、他の評価は全て人格や性格に対するものだ。ツルに至っては付き合っている
状態、つまり現状での意見なので殆んど意味を成さないようにすら思えてくる。
「どうしたのよ? そんなに唸って、腐れちんこの腐れ脳が伝染った?」
「俺は正気だ、ただ恋をしているだけで」
うわ気持ち悪い、と一歩後退するコイを睨みながらも、しかし深呼吸をして熱くなる心
を沈める。ここでキレて円に醜聞が伝わってしまったら、もしかして嫌われてしまうかも
しれないのだ。コイはツルと遊ぶ為にカメの家に度々寄るので油断は出来ない。
「で、アンタ色んな女の子に話聞いてるみたいだけど」
「あぁ、お前はカメのどんな部分が好きだ?」
駄目元で言ったのだが、コイは首を傾げ、
「度量の広さね。悪口言っても普通に接してくれるし、あたしが作ったものも取り敢えず
食べてくれるし。こんなでも、結構救われてるのよ?」
意外とまともな意見を言ってくれたのだが、それもあまり参考にならないものだった。
円との接点が少ない上、中身を見せる機会が少ない以上、そういった深い部分をアピール
することは不可能に近い。
「役立たず、だから空気なんだ」
「アンタに言われたくないわよ!? 兄妹揃って出番が少ない癖に!!」
痛い部分を突かれて絶句するが、すぐに思考を切り替える。確かに出番は少ないが千歳
はメインヒロインの一人だし、描写でも優遇されている。ダブル幼馴染みシステムの柱の
一人だし、攻略可能ヒロインの中ではツルの一つ前、実質的にはラストヒロインなのだ。
だから何も心配することはないし、それに引き替え、
「お前、作者の中でどんな属性付けされてるのか知ってるのか?」
「ツンデレでしょ!? そんなスレだし!!」
違う違う、と首を振り、
「ビッチデレだよ!!」
あまりにも萌えない属性レッテルを叩き付けられ、コイは膝から崩れ落ちる。四ん這い
になり落ち込むコイのスカートの中を覗こうとしたカメを見て、どうしてモテるのか一真
は世の中の理不尽さを感じた。いつもの如く、カメのセクハラ行為にキレたツルがレバー
の辺りに連続で蹴りを打ち込んでいたのは言うまでもない。
「一真」
今度は蹴る度に捲れるスカートの中を覗きながら、
「そんなに悩むのはお前らしくない、今日はピンクか。何を悩んでいるのか知らんがな、
待て玉を踏み潰そうとするな、一直線に進むのがお前の良いところだ」
「そうだな」
口車に乗せられた訳ではないが、それでもカメの言うことは信じられる。伊達に十数年
友達をしてきた訳ではないのだ、その言葉には幼馴染みであるが故の安心感のようなもの
が存在していた。一真は深く頭を下げ、そして残酷な状態になりつつあるカメを救うべく
立ち上がった。
◇ ◇ ◇
電子音。
円谷宅のドアベルを鳴らし数秒待つと、円が笑みを浮かべてドアを開いた。現在この家
に居るのが円だけだという情報は同じコンビニでバイトをしているミチルから仕入れ済み
だったので、家族に会ってしまったらという緊張は無い。代わりに売り上げに貢献すると
いう約束で毎日バーガーショップに通うことになってしまったのだが、それもこの情報と
比べると随分安い買い物だと思う。
「あら、一真君。どうしたの?」
「あ、いや、カメの家に寄るついでに、ちょっとしたお話が」
何かしら、と小首を傾げる円を可愛いと素直に思う。カメのツルに対する行動は流石に
やりすぎだとは思うのだが、そうしたくなる気持ちもなんとなく分かるような気がした。
好きな相手が不意にツボを突く動きをしたとき、それは世界で一番可愛く見える。
「あ、そうそう。一真君、傷はもう大丈夫?」
そんなものは翌日には殆んど完治していたが、舐められたことを思い出し、う、とも、
あ、ともつかない奇妙な声を漏らした。今はもう傷跡すら残っていない脇腹を撫でつつ、
「平気ッス」
目を背け、小さく答えた。
「良かった。それにしても、あのときの一真君。格好良かったわよ、男の子って感じで」
格好良かった、その一言で一真は舞い上がった。単純だと言うことなかれ、恋する男子
は惚れた相手の何気無い一言で一喜一憂するものなのだ。
これはイケるかもしれない、と告白しようと口を開いた瞬間、電子音が鳴った。自分の
ものではない携帯の音、それによってタイミングが狂わされたことに内心ガックリ来つつ、
しかし焦ってはいけないと余裕の笑みを浮かべた。
取り敢えずすることもないので円の眩しい笑顔を眺めつつ、これからの展開に淡い期待
を膨らませていると、
「あ、ごめんね、彼氏が今日は早く帰れるからデートしないかって。今から準備しないと
いけないから、出来れば話は短いと嬉しいんだけど。本当、ごめんね」
は? 彼氏?
円の発言の意味を一瞬理解出来なかったが、次第に飲み込めてくると物凄い恥ずかしさ
が込み上げてくる。思わず絶叫しそうになったが、しかし男の見栄と強がりで無理矢理に
笑みを浮かべると、携帯を開いた。幾つか操作して呼び出したのは、クラスメイトである
金髪巨乳ガイジンのメールアドレス。アドリブで思い付いたにしては、悪くない。
「あの、前みたいなことにならないように友達を紹介しようと思って。センスって名前の
奴なんですけど、ほら、たまにカメの家に来ますよね」
「あ、あの金髪の娘ね」
「はい、そいつです。あいつ空手とかやってるんで、護身術とか教えて貰えば、って」
何ということだろうか、まさか自分のアドレスを紹介する前に、友達のアドレスを紹介
することになるなんて。自分でそのことに気付き、一真は泣きそうになった。
しかも一真の内心を知らない円は更に追い討ちをかけるように、
「ん、でもさ。あたしは彼が守ってくれるから」
このタイミングでノロケ話を出すのだ。
「ま、でもこの前みたいなこともあったし。ありがとう」
「いえ、気にしないで下さい」
手早くアドレスを打ち込んだ円に礼をすると、一真は坂田宅へと向かう。背後でドアが
閉まる音を聞くと、目の端から汁が垂れてくるのが分かった。口の中に塩辛い味が広がる
のを感じながら、憎たらしい程に青く澄み渡っている空を見上げ、
「さらば、我が青い春」
言って、走り出す。
カメの家など只の理由付けだったので素通りして、向かう先は定番の川原。
「俺の、バッキャロォー!!」
――こうして、一真の初恋は失恋となって終わったのだった。
最終更新:2007年08月17日 19:54