ツルとカメ-52(完結)
◇ ◇ ◇
「……て」
何だろうか、やけに騒がしい。
「……なさい」
そんなに叫ばなくても、きちんと聞こえているというのに。
「起きろっつってんでしょ!?」
「ちょっと、ツル。流石に止めなさ……」
目を開いて最初に見えたのは、高速で迫ってくる拳。
反射的に首を横に振って避けるとマウントポジションを取っていた誰かを突き飛ばし、
そのまま一気に後退した。意味が分からない。何故起き抜けに殴られそうにならなければ
ならないのだろうか、そんな恨みなど買った覚えなどないというのに。
取り敢えず今の状況を把握しようとして、
「は?」
混乱した。
豪華な部屋だ、それだけなら構わない。棚に置いてある楯やトロフィーを見れば、俺が
現在居る場所が、織濱第二高校という高校の生徒会室か校長室のようなものだと分かる。
いや、よく見たら部屋の隅には幾つかの段ボール箱や鞄が置いてあるから生徒会室辺りで
決定か。いや、そんなことは問題ではない、問題なのは視界の中の人間だ。
何故か皆、数えて11人全員が全裸だった。
しかも年齢はバラけているものの性別は同じ、全てが女。
「う、いかん!!」
観察という目的はあったが、それは下らない言い訳にしかならない。女性の裸をじっと
見つめてしまっていたことに気付き、俺は慌てて目を背けた。マナー違反以前に、これは
まず人として失格だ。相手が全裸だからと言っても、視姦しても良い理由にはならない。
しかし分からない。何故、俺はこんな場所に居るのだろうか。
「あー、カメ? 別に今のは仕方ないし、こんな状況だから皆の裸を見ても怒らないわよ」
そもそも何だ、あの年齢の差は。上は三十手前辺りから、生徒の親だということは多分
無いから、つまり教師達なのだろう。下に至っては、小学生だろうか。俺を殴ろうとした、
あの目付きのやけに悪い子供だ。身長も低かったし、体の起伏も存在しなかった。転んだ
拍子に見えてしまった割れ目は毛も生えてなかった。どこか大人びた雰囲気もあったから、
小学五年生辺りだろうか。
「カメ、聞いてる?」
ロリコン罪でブタバコ行きになるのか、両親には何て謝ろうか。
「カメってば!!」
無理矢理に顔を掴まれて、再び女の子達が目に入る。この女子、なんて力だ。さっきの
拳も避けていなかったら、きっと鼻の骨や歯が折れたりしたに違いない。
いや、それより気になることがあった。さっきから珍妙な単語が出てきているが、
「カメ、って俺のことか?」
「そうだよ?」
女の子の一人、いや男か。どう見ても女の子だが、股間には男の象徴が鎮座していた。
「水樹、あんた戻ったなら服着なさいよ。男なんだから」
水樹というらしい男子に視線を向けたが、逆に疑問の視線を返された。何を言っている
のか、とでも言うように。だが分からないものは分からない、俺はそんな名前ではなく、
「ん?」
思い出せない。
「俺は」
何という名前だったのか。
「そう言えば、何でカメさんなのか知らないデス」
「あー、それな。小学校に入ったときのクラスの自己紹介でよ、緊張しまくってたコイツ
が孝道をタカメッチって言ってな。タカメッチを略してカメッチ、カメになったんだ」
そうなんだ、と皆が応えているが、俺としては意味の分からないままだ。取り敢えず、
俺の名前が孝道であだ名がカメだということが理解出来たが、それが状況の把握に繋がる
という訳ではない。分かったことと言えば、俺が女の子達と同年代ということくらいだ。
「あのさ、何で皆裸なんだ?」「え? ついさっきまで皆で乱交してたからでしょ、そりゃ」
今は出来るだけ女の子を見ないように目を閉じているので少し妙な言い方になるのだが、
目の前に立ったままの小学生が呆れたように答えてくる。もうこれ以上驚くことは無いと
思っていたのだが、甘かった。小学生が普通にアブノーマルなことを言ったり、こんな数
で乱交をしていたり、それに推定教師が交じっていたり、どこまで無法地帯なんだろうか。
しかも小学生の口ぶりや俺も裸という現状を考えてみれば、普通に参加していたようだ。
恐ろしい。
「そうだよな、セックスは裸が基本だもんな……有り得ないだろ!!」
ついノリツッコミをしてしまったが、そんな乱交だのという説明で疑問は氷解しない。
寧ろ嫌な現実を突き付けられて、余計に混乱してしまった。
「何なんだ、アンタら!! おかしいだろ!! 乱交パーティをしていたのは嫌だが理解した。
でもよ、こんな小学生を連れ込んでするなんて幾ら何でも……」
「誰が小学生よ!?」
再びマウントポジションを取られた、無茶苦茶だ。だが殴られる訳にはいかない。この
小学生の怪力は洒落にならないと、捻られたときから痛んでいる首が伝えている。
「ごめんごめん、中学生かな?」
一発目の拳を掴んで防ぐ、こんな力が俺にあったなんて驚きだ。
「あんた、さっきから馬鹿にしてるの!?」
「誤解だ!!」
「待て、カメの様子がおかしいぞ?」
ハスキーな声の眼鏡の女性が待ったをかけてくれた、流石は大人だ。乱交を見過ごした
だけでなく参加までしていたらしいので最初は人間性を疑っていたのだが、大事な部分は
分かってくれているらしい。因みに隣にも歳が同じくらいの人が居たのだが、何故か本能
が関わってはいけないと告げていた。
そしてここからのフォローに期待していたのだが、皆は黙り、首を振った後で、
『いつものこと、いつものこと』
「いや、そうじゃなくてだな。まともっぽくないか?」
「何だその理不尽発言は!?」
駄目だ、話がまるで通じない。
「まともじゃないなのはアンタ達だ。良いから、まずは服着ろ。見てるこっちが目の毒だ」
その発言に、全員が驚いたような顔をした。
「特にお前、まだ小さいんだから、下品なことは遠慮しろ」
そう言って未だマウントを取ったままの少女に目を向けると、
「どうしたの?」
心配そうな顔をされた。
「アズサ先生の言葉じゃないけど、本当におかしいわよ?」
「そう言えば、珍しく乳を揉んだりしてないのう」
「ツルにも手を出さないわね」
「さっきから一度も私達を直視しようとしてないですね」
「そうだな、いつもなら視姦した上にセクハラしてくるのだが」
女の子達はそれぞれ好き勝手なことを言っているが、それでは只の変態なのではないの
だろうか。そんなに露骨に見たり体を触ったりするなんて、頭がおかしいとしか思えない。
しかも皆は、それが当然と言うか、日常的に行われていたというような態度で話している。
「あの、カメ君?」
「何だ?」
まるで漫画に出てきそうな、典型的なお嬢様といった外見の女の子が声をかけてきた。
「私達の名前、言えます?」
「いや、さっぱり分からん」
空気が凍った、そんな気がした。
先程まで俺がしていたらしい奇行を話していた女の子達が一斉に黙り、二人の大人は眉
を寄せ、金髪のお嬢様は隣に座っている褐色肌の女の子と頷きを交わしている。
そして俺の腹の上、とても小さな女の子は、
「……何、それ?」
肩を震わせていた。
「まぁ、何だ。その」
詰まるところ、
「俺は記憶喪失というものらしい」
◇ ◇ ◇
「さ、食って」
あれから、俺はコイという少女の家に呼ばれた。過去の強い出来事をきっかけに、何か
思い出すかもしれないとエニシ先生という人が言ったからだ。俺が小学生だと思った少女、
ツルという名前の子と一緒に暮らしているらしいので最初はそちらにしようかという意見
も出たが、ツルは酷く錯乱していたので最後に回そうということになった。その代わりに
最初に選ばれたのが、このコイという娘だった。
「いただきます」
出された料理はシンプルな片面焼きの目玉焼きだ、どうやらこれが俺とコイの思い出の
料理らしい。付けられたのは塩胡椒、以前の俺は通好みの食べ方をしていたようだ。
箸で適当に黄身を崩し、白身に絡めて食べる。何も妙な部分が無いが、何度か噛むと実
に濃い旨味が口の中に広がった。卵のパックは市販のものだったので特別な材料は使って
なかった筈なのだが、ここまで出来るなんて、コイは料理の天才か何かだったのだろうか。
「どう?」
「凄いな、こんなに美味い目玉焼きは初めてだ」
と言っても、過去の記憶が無いので実は何度も食っていたのかもしれないが。
「全部、カメのお陰だよ。何度も失敗して、それに付き合ってくれて」
失敗って言われても、目玉焼きのどこに失敗する要素があるのだろうか。
「最初は粉ジュースも作れなかったし、料理しても化学兵器になったし」
それは流石に冗談だろうと思うが、表情からは真剣な気持ちが見えてくる。何度も失敗
に付き合うなんて、以前の俺は随分とお人好しだったのだろう。苦手だったものが自信に
変わるまで支えてやるなんてことは、言うよりもずっと難しくて大変だと思う。
「今のあんたに言うのもおかしいけどさ、改めて言うよ。ありがとうね。こんな不愉快な
女に付き合っててさ、正直大変だったと思うし」
そうなのか、ツルと同様に目付きが悪いが、そんな性格じゃないとは思う。
「いっつも腐れちんことか言ってたし」
何て酷いことを言うんだ、この女は鬼か。毎日そんなことを言われたら、心がくじけて
しまうに違いない。それとも俺はお人好しではなく、ヘタレか変態だったのだろうか。
「それよりさ、何か思い出した?」
「いや、すまん」
残念なことに、何も思い出せなかった。
コイは悲しそうな目をするが、仕方ないわね、と溜息を吐いた。
「ツルじゃないと駄目かもね」
◇ ◇ ◇
コイの次は、アズサ先生という俺の担任教師の部屋だった。外見が割とキツい感じだし、
妙齢の女性の独り暮らしの部屋だ。多少ボロいアパートなので不安は感じていたものの、
それ以上に緊張の度合いが高い。しかし教師と個人的な付き合いがあるなんて、以前の俺
は常識や倫理というものを知らなかったのだろうか。
そう色々考えていたが、ドアを開いた瞬間に全てが消し飛んだ。
部屋の状態を説明するなら、三つの単語で充分だ。
煙草、酒、ゴミ。
もっと端的に言うなら、独身女性的。
全ての独身女性に当てはまる訳ではないだろうが、イメージとしては正にそんな感じだ。
部屋の中には煙草の匂いが染み付き、隅には出しそびれたらしいゴミ袋や空瓶などが並び、
ちゃぶ台の上にはスナック菓子やコンビニ弁当、惣菜などの残骸が無様な姿を晒している。
ベッドや壁に架けられたコートと上着は皺がなく綺麗だが、逆に言えば、それ以外は全滅
という非常に辛い状態だ。
「これは、その」
「あ、すまん。今片付ける」
そう言ってアズサ先生はちゃぶ台の上のものを適当にゴミ袋に突っ込んだ。弁当などの
パックは洗ってリサイクル用の袋に入れるべきだと思うのだが、分別という言葉など頭に
無いらしく、とにかく適当にゴミを袋に詰めてゆく。割箸は折って小さくし、袋に負担を
かけないように。プラスチック類は鋏で細かく切って、って何でこんなことを覚えている
のだろうか。何故か片付けの手順が頭に思い浮かんでくる。
「これは、ちょっと」
「これが私だ。学校では真面目にやっているが、私生活は荒れがちで、婚期も逃しそうに
なり、結局見栄だけ張って無様に生きている。上手くいっていない女の典型的な例だ」
だが、とアズサ先生はこちらを向き、
「お前は、その私の弱さを肯定してくれた。在りの儘で良いと、そう言ってくれたんだ」
これを見てそんなことが言えるなんて、大物なのか馬鹿なのか。出来れば前者であって
ほしいが、学校での皆の反応から察するに後者かもしれない。何だろう、記憶を取り戻す
のが少し恐くなってきた。
「それに私はこの通りの堅物顔だろう、そんな私をクラスに馴染めるようにしてくれた」
キツい顔をしていると思っていたが、柔らかい笑みが結構似合う。
「思い出したか?」
俺は首を横に振った。
◇ ◇ ◇
次に連れていかれたのはバーガー屋、ここでミチルという少女はバイトしているという。
聞けば他にも何個か掛け持ちしている鉄腕アルバイターらしいが、そのきっかけになった
のが、どうも俺だったらしい。正確には生きる目標や楽しみを見付ける手伝いをしていた
とか何とか、要は前の二ヶ所と同じでお人好しな世話をしていたようだ。
「カメが拾ってくれなんだら、儂も生涯ただの亀として暮らしていた筈じゃ」
「いや、拾ってって犬や猫じゃないんだから」
「そう言えば、お主は記憶が無いんじゃったの?」
直後、信じられないことが起きた。
ミチルが光に包まれたかと思うと、その姿が忽然と消えたのだ。コイが凄腕の料理人と
するなら、このミチルは凄腕の手品師か何かだろうか。
『こっちじゃ、こっち』
視線を声の聞こえてきた方向、下に向ければ居たのは小さな緑亀。それが光に包まれた
かと思えば、今度はツルより少し小さな幼女の姿が現れた。何か仕掛けがあるのだろうが、
全く想像がつかない。子供みたいな表現だが、まるで魔法のようだと思った。
「いや、凄いな。どうやったんだ?」
「魔法じゃ。儂はさっきも言ったように、少しばかり特種ではあるが、ただの亀。ドブで
ひっくり返っているのをお主が助けてくれて、それでペットになったんじゃ」
そんな非現実的な存在と普通に接していたのか、俺も物凄い奴だ。
「そうして居候の只飯食いなのが後めたくて働き始め、見事に勤労の喜びに目覚めた、と
いう訳じゃ。それに夢中になり、人の世を楽しむことを忘れていた儂を引き戻してくれた
のもお主じゃしのう。本当に、何度頭を下げても足りぬくらいじゃ」
喉を鳴らして独特な笑い声を出し、こちらに細くした目を向けてくる。記憶には無いが、
その表情だけで、ミチルが人生を楽しんでいるということは容易に理解することが出来た。
亀の身でありながら、寧ろ人間よりも人間らしいと思う。
だが、言いたいこともある。
「それは俺のお陰じゃなく、ミチル自身が頑張った成果だろ」
自然に思い浮かんだ言葉なのだが、ミチルは目を何度かしばたかせ、
「カメはどんなになってもカメじゃのう」
優しい笑い声を漏らし、身を擦り寄せてきた。
「お主がお主である限り、万事が上手くいくであろうよ」
俺である限り、か。
亀の癖に上手いことを言うもんだ。
◇ ◇ ◇
次はセンス、という外人の娘。外人にまで手を出していたという俺のジゴロっぷりには
恐れ入る。いや、一つ前は人間相手ですらなかったから、それに比べたら可愛いものか。
あまり誉められたようなものではないけれど。
連れてこられた場所は、
「ゲーセンか」
日本のゲームや漫画、アニメの文化は外国では評判が良いと言われているが、センスも
その類で仲良くなったのだろうか。今までのパターンからすると、そうかもしれない。
「本当はラブホテルに行きたかったんデスけど」
さっきから腕を絡めてきたりして胸が当たっていたのだが、それは事故でもアメリカ式
の過剰なスキンシップでもなく、狙っていたものだったらしい。付き合っているのかとも
思ったのだが、他の皆の言葉を聞く限りでは俺はツルと付き合っていたらしいので、この
態度は非常に対応に困る。と言うか、何でこんなに積極的なのだろうか。
「あ、カメさん、おっぱい揉みマスか?」
「いや、普通は揉まないだろ」
何故か残念そうな顔をされた、この娘は痴女なのだろうか。
「やっぱり、カメさんらしくないデスよ」
俺らしい、の定義が甚だ疑問だ。さっきは普通の発言をして俺らしいと言われ、今回は
奇行を求められる。もしかして過去なんて存在していなくて、皆で俺を騙しているのかと
すら思える程だ。いや、そんなファンタジーなことは流石に無いか。
「過去の俺は、センスに何をしたんだ?」
「えぇと、おっぱい揉んだり、お尻を触ったりスカートの中を覗いてきたり、変な発言と
行動を重ねたり、おかしな思考回路で妙な答えを出してセクハラしてきたり」
「犯罪者じゃねぇか、それも最低な」
頭がおかしいとしか思えない、このまま記憶が戻らない方が皆で平和に暮らせるのでは
ないだろうか。そんな変人は居ないに越したことはない、と考えている内に悲しくなった。
「あ、でも良いところも沢山あるんデスよ? コイさんも同じパターンらしいんデスけど、
最初は嫌ってたんデスよ、変なことばかりするので。でも何度も笑って話し掛けてきたり、
色々教えてくれたり。最初にゲームにハマったとき、お小遣いが足りなくて買えないから
悲しんでたわたしにゲーム機を貸してくれたり」
その後、ノロケ話のようなものが十数分続いた。
だが、何かが足りない。
◇ ◇ ◇
場所は戻って俺が目を覚ました生徒会室、そこにはホウ先輩とオウ先輩が居た。
「待ちくたびれましたわ、こちらも暇じゃありませんのに」
「……ホウ様、素直じゃない」
いきなりの上から目線とは驚いたが、確かに待たせ過ぎたかもしれない。思い出の場所
が生徒会室だと言うのなら最初にここを選んでも良かった筈だし、聞けば今日で卒業だと
いうからには友達や家族と遊ぶ予定もあったのだろう。卒業旅行もあれば、大学での生活
に向けての準備もあったかもしれない。申し訳ない話だ。
だが逆に、嬉しさもある。
「わざわざ待っててくれたんですよね?」
忙しいという言葉は嘘ではないだろうし、これだけ関係者が居た状態なら理由を話して
抜けることも出来ただろう。その中で律儀に残ってくれるなんて、有難い先輩だ。
笑みを向けるとホウ先輩は顔を赤らめて横を向き、そして溜息を吐く。
「駄目ですわね、一年前の雰囲気にすれば思い出すかとも思ったんですけれども。それに
失敗した上に、すぐに照れるなんて、私にあるまじき失態ですわ」
そう言うと同時に鋭さが消え、柔らかな雰囲気になる。先程までの名残と言えば、元々
の顔の作りの関係だろう、鋭く吊り上がった目尻だけだ。それにしても目付きが悪い人が
多いが、これは俺の趣味だったのだろうか。思い出すだけでも三人、アズサ先生とコイと
ツル。このホウ先輩と、真子ちゃんと呼ばれていた娘を含めると五人、あの場に居た人数
の約半分だ。巨乳の人数に至っては、いかん、そんなことで人を見てはいけない。
雑念を振り払ってホウ先輩達に目を向ければ、
「照れてるホウ様、可愛い」
「オウの方が可愛いですわ」
何故か百合が展開されていた。
「あー、二人はレズなんですか?」
「応援してくれたのはカメ君ですわ」
お人好しだったり反モラリストだったり動物に手を出したり犯罪者だったり、挙げ句の
果てにはレズ運動支援者か。何なんだ俺は、どこまで滅茶苦茶なんだ。
二人は俺を無視して甘い空間を築き始めているし、首を吊りたくなってきた。
「……カメ君、元に戻りたい?」
「いや、もう何かどうでも良く」
「……駄目だよ、そんなんじゃ。……ボクだから分かる、ツルちゃんと仲良くしてたのが、
カメ君にとって一番幸せなんだって。……だから、元に戻って」
甘い空間は相変わらずだが、その目は真剣だった。
◇ ◇ ◇
ツルを除いた最後の女の子は、一つ年下だというチーちゃんだ。
「ここは?」
土地勘が無くても街外れだと分かる、林に隣接した小さなビル群。ここにはどのような
思い出があるのだろうか。癖なのか、浮かべた無表情からは何も読み取ることは出来ない。
記憶が戻る以前は読み取っていたのだろうか、と考えたとき、チーちゃんは振り向いた。
「やっぱり、思い出せませんか」
やっぱり、というのは、どういう意味だろうか。
「私はカメさんの幼馴染みなんですよ。昔、ここに二人でよくエロ本をあさりに来てて」
昔とは違う景色なんですけどね、と言う表情は少し寂しそうに見えた。相変わらず顔は
固定されたままだが、そう思えたのだ。幼馴染みとして体に染み付いたものが、そう俺に
判断させたのかもしれない。
だが、気付かないと分かっていながら、何故この場所を選んだのか。
「こんな風に変わった後で、一回二人で来たんですよ。それも、つい最近」
最近のこと、と言われても思い出せない。
どの辺りの年齢からの幼馴染みかは分からないが、この娘とは他の娘と比べて、かなり
長い付き合いの筈だ。ここはその中でも一番に選ばれた場所だから、思い出すきっかけに
なるには違いないだろう。だが悲しいことに、何も浮かんでこない。
「ごめん、何をしに」
「振られる為に、です」
「振られ、って」
それは幼馴染みとして、とても辛いのではないだろうか。
「カメさんは、ツルさんを選らんだので」
どう反応して良いのか分からなかった。
記憶を失う以前の俺なら何とかしたのかもしれない、しかし今の俺にはどうすることも
出来ない。過去を聞き理解しても実感が無いし、どのように接していたのかも分からない。
今の俺が思った通りに接しても過去のカメと俺は違うから間違って余計に傷付けるかも
しれないし、無難な慰めをしたところで何の意味も持たない。
沈黙。
それを崩したのは、チーちゃんだった。
こちらを向くと、わざとらしく掌を打ち、
「あ、一つだけ言い忘れていました」
棒読みだが、演技しているのか素の状態なのか分からない。さっき交わした短い会話の
中でも殆んど抑揚が無かったし、生徒会室でも何か言っていたかもしれないがテンパって
いた俺には覚えておく余裕も無かった。微かに覚えていることと言えば、皆が俺を普通に
変態扱いをしていたことくらいのものだ。いかん、何だか
また首を吊りたくなってきた。
「あの、今から大事な話なんですけど」
「あ、すまん」
チーちゃんは咳払いを一つ。
「ツルさんも幼馴染みなんです、私と歩んだ道は違いますけど」
そう言えば、従妹、とか言われたような。
「でも、ツルさんの気持ちは分かります。だから、早く戻って下さい」
早く戻れ、か。
家に帰るという意味ではなく、元のあるべき姿に。
「記憶を失っているカメさん相手だから言いますよ、表では振られたのを引きずってない
ことになってますから。出来れば忘れて下さい」
一息。
「悔しいですけど、ツルさんとカメさんが二人で居るのが一番似合ってますから」
泣きそうな顔。
それを見て、心が少し痛んだ。
それは悲しそうという意味もあるのだが、それだけではない。
何かとても大切なものを忘れているような喪失感にも似た違和感。このままでは駄目だ、
という、焦りにも似た感情だ。俺は、肝心な部分を失っているのではないだろうか。
俺が選んだという、あの小さな娘についての何かを。
「ごめん」
一言だけ言ったが、既に体は動いていた。
腕を振り、足を前へ。
記憶や理性では何も分かっていないが、心が動きを加速させる。
「待ってろ」
もう少しで。
「絶対、戻るから」
◇ ◇ ◇
体の赴くままに走り十数分、概視感の強い一つの家に辿り着いていた。何の根拠も無い
のだが、ここが俺の家だと直感で理解した。覚えてなどいないけれど、間違いない。
ドアを開き、靴を脱ぐ時間すらも惜しいと思いながら、向かうのはリビング。
「あ、おかえり」
テーブルの上には、様々な料理が乗っていた。少し焦げた部分もあるが、それらの全て
が手作りだということなのだろう。だがそんなことすらも些細なことに感じさせるくらい
豪華な、まるでパーティでもするような品々だ。種類の多さや内容から考えると、即興で
用意したものとは思えない。俺も様々な場所を歩いたから時間は結構開いているが、この
量から考えると昨日の夜から準備していたのだろう。
「今日は記念日か」
「記憶戻ったの!?」
嬉しそうな顔をしているので悪いと思ったが、首を振る。
「すまん、だがもう少しだ」
もう喉元まで答えが出そうになっている、後は何かきっかけがあれば良い。
「そう」
残念そうに一瞬俯いたものの、すぐにツルは笑みを浮かべた。それが逆に痛々しくて、
目を背けてしまいそいになる。ここまで来たのに、このまま一旦逃げようか、などと最低
な考えすら浮かんできた。それくらい、今のツルは酷い。
何か、きっかけがあれば。
考えを巡らせ、気付いたのはテーブルだ。
「これ、何の記念日なんだ?」
「……カメと暮らし始めて、二年目の」
低く暗い声だが、それでもツルは答えた。
俺とツルは従兄妹で、俺が高校二年ということは、高校に通い初めてから二人暮らしを
始めたということか。付き合い始めたのがいつからか分からないが、少なくともツルとの
共同生活は二年分だ、それだけのものがあったということだ。もう一人の幼馴染みである
チーちゃんも濃い付き合いなのだろうが、一緒に暮らしたという意味ではツルの方が濃い
かもしれない。それなのに思い出せないのが、何とも歯痒い感じだ。
「そして、カメと」
「俺と?」
軽音。
俯いたツルの頬を伝った涙が、フローリングの床を打ち付ける。
いかん、と思ったとき、既に体は動いていた。
さっきと家に帰ってこれたときと同じだ、こうするべきだと日々の経験が無意識の内に
体を動かしている。腕の中の細く小さな女の子を、これ以上泣かせてはいけないと、そう
本能が叫んでいる。これが俺なのだと、そう言っているのだ。
「カメ?」
「まだ、思い出せないけど」
「うん」
良いんだ、とツルは腕の中で呟く。
「前も、こうしてたみたいだし」
「うん」
どうやら正解だったらしい。握られた制服の胸元から愛しさのようなものが込み上げて
きて、相手は自分だが、少し羨ましくなった。お前はいつも、こうした温もりや愛しさを
味わっていたのかと、そんな気持ちが沸いてくる。こんな可愛い娘の愛情を一身に受けて、
それなのに忘れているなんて、俺は物凄い馬鹿だ。
どのくらいそうしていたのだろうか。
一瞬とも思えるし、永遠とも思える時間が過ぎた頃、
「ありがとう」
ツルの方から離れ、こちらに笑みを向ける。
「一緒に頑張ろ? 私は、こうしてカメが抱き締めてくれただけでも満足だし」
もう一度頑張ろう、と言ったツルは足元に目を向け、
「あ、でも土足禁止」
いかん、すっかり忘れていた。
このまま床を汚すのも悪い気がして、その場で靴を脱ごうとし、
「あ」
視界が傾いだ。
スローモーションで動く視界の中、ツルが手を伸ばしてくるのが分かる。俺はその手を
取ったが、幾ら怪力娘とはいえバランスが崩れた状態では力を込めることなど出来ない。
結果、二人で倒れることになった。
幸い俺が下になったのでツルは傷一つ無いが、逆に俺は二人分の体重で頭を打ち付けた。
ツルは軽いので正確には二人分に少し足りないだろうが、幾ら毎日ツルの打撃を受けたり
している俺でも、これはかなり堪えた。まぁ、それでもツルの体温を感じるくらいの余裕
はあるのだが。頑丈に産んでくれた両親に感謝だ。
「ちょっとカメ、大丈夫!? 今凄い音したわよ!?」
「情けないな、俺は」
違う。
「僕は、またツルを泣かせて」
言うと、ツルは驚いたように顔を上げ、
「もど、った?」
「お待たせ」
「遅いわよ馬鹿!!」
いきなり殴りかかってきた。
「泣く前に思い出しなさい、とは言わないけど、何で頭打ったショックで思い出すのよ!?
普通は泣くのを見て思い出したりするもんでしょうが!! どんだけベタ体質なのよ!?」
そう言われても困る、こればっかりは僕でも出来なかった。
だが、
「こっちの方が、寧ろ僕達らし……」
「誤魔化そうとすんな!! それと」
ツルは僕の腕を捻って極め、
「さっきから尻撫でてるの止めなさい!!」
太股が当たっているのは良いが、長袖なのが残念だ。畜生、靴は脱がなくても良いから
タンクトップに着替えることをすれば良かった。このままでは、せっかくのツルの太股の
感触が無駄になってしまう。
「変なこと考えてない?」
「いや全く」
大事なことだ、私生活の中でツルの地肌に触れるのは。特に冬はツルが寒がりなせいか
大抵ストッキングなので、今のシチュエーションはレア中のレアなのだが。
「全く、せっかく大事な場面なのに」
「そうだな。それと力を弱めてくれないと、僕の大事な腕が折れる」
本気で無意識だったらしく、言われて初めて気付いたようにツルは手を離した。一緒に
太股が離れたのも残念だが、これは今夜の楽しみにしておくとしよう。プロレスごっこで
あることには変わりない、極端に性的になっているが意味は変わらないのが素晴らしい。
これなら子供が出来たときでも、嘘のない言い訳が出来るだろう。
「今あんたが何を考えているのか分かるわ」
「言ってみ?」
「全裸関節技」
見事だ、以心伝心とは正にこのこと。通じあっているのが嬉しい。
「じゃあ、次は私が何を思っているのか当ててみて?」
そんなものは簡単だ。
「飯より寧ろベッドにGO!!」
「ブー、外れ。正解は着衣打撃、基本+不正解ペナルティで打撃一つ追加。合わせて二百」
待て基本の数がおかしい。
僕に覆い被さった姿勢を利用してマウントポジションを取ったツルは遠慮なく連続打撃
を加えてくるが、その度にパンツが見えるのが嬉しい。これは飴と鞭というものか。
「パンツ見る度にパンチ一発追加よ?」
「ダジャレかよ!?」
いや、それよりも、そんなペナルティがあったら無限打撃地獄か。
結局ツルは打撃を78で終わらせて、溜息を吐く。
「もう、忘れたりしたら駄目よ?」
忘れるものか、絶対に。
「愛してる」
「うん、私も」
僕を殴ったこととは無関係だと思いたいが、スッキリとした顔でツルは立ち上がろうと
したところで、テーブルの角に強く頭を打った。僕のことをベタ体質だの何だのとツルは
言ったが、ツルも十分にお約束をしている。しかも打ち所が悪かったのか、ツルは鈍い音
をたてて床へ転がった。料理の皿が落ちてこなかったのが、せめてもの救いか。
「全く、ドジっ娘属性まで」
突っ込みをしようとしたが、様子がおかしい。
「気絶してる?」
いかん、これは性急に対応しなければ。
心臓マッサージをするか人口呼吸をするか迷ったが、結論は一瞬だ。ツルは乳が圧倒的
に足りないので、位置を正確に把握するのが難しい。だが唇ならば分かりやすいし、毎晩
キスをしているので、素人の僕でも人口呼吸は簡単だろう。自分の判断の完璧さに感心を
しつつ、いざチューをしようと唇を近付けた瞬間、残念なことにツルは目を開いた。
「あんた、誰?」
「え?」
「何でいきなり、キスしようとしてるわけ?」
待て。
「て言うか、ここどこよ?」
様子がおかしい。
「何とか言いなさいよ」
冗談だろう。
冷たい汗が、背中を伝うのが分かる。
「おいツルよ、お前自分の名前言えるか?」
「馬鹿にしてんの? そのくらい」
数秒。
ツルは元々悪かった人相を更に凶悪に歪めると、首を傾げ、
「ワタシ、キオク、ソウシツ?」
何故か片言で喋る。
冗談だと思いたいが、その表情に偽りは無い。本気でここがどこだか、僕が誰なのかが
分かっていないようだ。まさか、とは思うが、僕の記憶が戻ったのもショック療法だった
だけに洒落になっていない。いや、これはきっとツルの意趣返しだ、こうして僕が脂汗を
垂らしているのを見たところで悪どい笑みを浮かべ、鼻で笑うのだ。久しく味わっていな
かったから忘れていたが、付き合う前はこんな残虐な面をしょっちゅう見せていたのだ。
そうだ、きっとそうに決まっている、ツルはお茶目ガールだ。
だが現実は残酷らしい。
「マジであんた誰よ?」
「嘘だぁァ――――――――――――ッ!!」
僕は絶叫した。
最終更新:2007年10月31日 19:55