プロローグ
私は有働、職業は私立探偵。京浜電鉄線界隈にある横浜の某所に事務所を構えている。
そんな私は探偵として成功を収め、自らを顧みず、
日夜仕事に終われ、束の間の休息に身を委ねることなく、
仕事が生き甲斐なのだと自らに言い聞かせながら、
仕事に没頭する日々・・・・・のはずだった。
現実はそうもいかない。クライアント(私は依頼人をそうよんでいる)もなかなか見つからず、
暇を持て余しながらも、この不安定な職に就いていることに
焦燥感に駆られていた・・・・・
このご時世だ、ただでさえ時代と逆行していると看做されても
仕方の無い職種である上、
100年に一度とも云われる大不況にクライアントの
覚束ない態度も納得はできる。
仕事を確実に遂行するだけの自信はある。
とはいっても自信だけで飯を食っていけないことも承知の上だ。
なんやかんや思いながら、空虚感の漂う事務所内で、
割高な煙草を吹かし、アシスタントの淹れてくれた珈琲に口をつけた。
「今日も依頼人からの連絡はありませんね~。」
そう私に声をかけたのは、アシスタントとして当事務所で働く冴島ゆりだった。
ミディアムロングの茶髪に透き通るような色白の肌、
ハーフのような顔立ちで小顔からか少々目立つ大きめの耳、
本当は爪もサロンなどに行って手入れをしたいのだろうが、
それは我慢しているような想像をさせる地味めなフレンチネイル、
学歴も申し分のなく、此処でなくても十二分に働いていける
要素も備えている女だった。
彼女もよくもまあうちのような二流いや三流探偵の事務所で
安月給に耐え働いてくれるもんだな、と
自虐的な思考が過り、半ば憐れみにも近い眼で彼女を見つめた。
「どうされたんです?あ、よくこんな事務所で我慢できてるな~的なこと考えてたでしょ。」
さすがは探偵事務所に勤める子だともいうべきか、
彼女の観察眼は一目を置くべきものだった。
こんな事務所には勿体の無い素材だ。
なぜ彼女のような人間が、この事務所にいつまでも席を置くのか
経営者ながら不思議だった。
けっして彼女への人件費を渋っているわけではない。
ただ私は・・・・
そのとき事務所内に設置してある電話が閑静としたこの部屋に騒がしい音を響かせた。
「あ、私がでるからいいよ。」
そういって私は受話器を取った。こちらが事務所の名を出す前に
「もしもし、あの~そちらはうぐいす探偵事務所で宜しいですよね?」
そう受話器越しで言ってきたのは、若い女性のようだった10代後半か20代前半といったところか。
「え~、そうですが。御依頼ですか?」
そう簡素でありながらも事務的な返事をした。
「はい、そうなんです。」
「まずお名前だけ伺っても宜しいでしょうか。」
「伊藤といいます。」
伊藤さんね、、と、近くにあったボールペンで紙にメモをした。
「電話で依頼内容を確認するのもなんですから、
日時だけ決定して、その日にお話を伺う方向で。」
と私が云った。
「わかりました。」
「では、そちらの都合の空いている日でいいので、いま決めてしまって頂いても宜しいですかね。」
「はいでは。」
女性が長いとも短いともいえぬ間の沈黙のあとにこう続けた。
「来週○曜日の×時にでも宜しいですか?」
「え~と、、少し待ってくださいね、、、はいはい空いてますよ~」
来週であればいつでも空いていたのだが、僅かな自尊心が私に滑稽な応対をさせた。
「では、その日に。」
「ええ。」
依頼も初夏のような春の陽気に誘われて来たのか
そんな馬鹿げているうえに面白味のない思考を浮かべながら、
久々の依頼に胸躍る気持ちになった。
プロとしての自覚?それは勿論のこと童心に還るのも悪くはない。
クライアントが探偵の心のうちを探ることがあったとしても関係はない。
要は任務を確実に遂行し真っ当すればいいのだ。
どんな依頼内容であろうと私達が解決に導く
それが探偵としての道義なんだから。
そう酔いしれた気分に浸っていると
「ま~た、ボーっとしちゃって」
と、アシスタントのゆりが言ってきた。
「所長、珈琲のおかわりは?」
「あ~、頼む。」
このアシスタントは本当にできている。
ただできた女ではないのは今度の展開でわかるだろう。
最終更新:2009年04月17日 00:28