43 :本当にあった怖い名無し:2009/01/25(日) 20:09:36 ID:RtU/4l8L0
霊はいる。ただ、いるのは外の空間にではなく、
私たちの脳の中のデータとして存在しているのではないか。
家族や知人を思い浮かべてみよう。
そこにいるわけではないのに、姿やしぐさ、癖などが思い浮かんだのではないだろうか?
このように、人の脳の中には、擬似的に人格をエミュレートできる仕組みがある。
もし、この人格が不随意にエミュレートされたとしたら?
たとえば、AがBを殺したとする。
その情報量はともかく、もともとAの中にはBについての情報(どんな人間か)が蓄えられていて、
そこに、「これこれこういう理由、方法でBを殺してやった」と言う情報が入ってきた場合、
記憶の中のBが「よくも俺を殺したな」と、Aにあらゆる方法(感覚器の誤作動、無意識の領域への働きかけ)で
復讐を始めるのではなかろうか。
これがいわゆる祟りであり、Bに「取り憑かれた」状態なのではないだろうか。
逆に、好意的な人格の記憶は、物事を良い方向に導こうとする、いわゆる「守護霊」という形で
働きかけているのではないかと考えてみる。
44 :本当にあった怖い名無し:2009/01/25(日) 20:13:49 ID:H260GSfM0
VIPからきましたけど >>43どこのコピペ?
45 :本当にあった怖い名無し:2009/01/25(日) 20:24:31 ID:qR+XgIlz0
記憶の中のBがAに復讐を始めるのは、「Aの、Bに対する良心の呵責」に過ぎないのでは?
「Aの中のB」が自分の方から能動的に何かをするわけではなく。
46 :本当にあった怖い名無し:2009/01/25(日) 20:29:57 ID:RtU/4l8L0
>>45
だから普通に考えればそうだけど、
記憶の中のBが実際にある程度の自我を持っていると仮定したらどうよ?
61 :本当にあった怖い名無し:2009/01/25(日) 23:51:14 ID:qR+XgIlz0
>>46
人間の脳内にある「人物データ」には、確かに顔と名前と同時に、相手の人格も入っている。
でもそれは、あくまで「Aから見たB」なのである。
Aの中のBとは、実際のBをAが見て、「Bはこういう人間だ」という認識が作り上げたものなのだ。
「記憶の中のB」が何かしでかしたとしても、
それはAが「Bならこういう行動に出るに違いない」と思うことによって起こることである。
最終更新:2010年07月25日 22:08