霊的へのアプローチ方法



250 :に :2009/11/23(月) 00:57:03 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
「雷というのは神の怒りである」という言説の過ちを正す為には、
「雷というのは電気による自然現象である」ということの科学的証明が必要でしょう。


251 :本当にあった怖い名無し :sage :2009/11/23(月) 01:29:00 (p)ID:3krkfFHn0(3) 
霊については霊的な体験と言えますが、雷については雷的な体験という言い方はないと思います。
雷についてはいきなり雷を主語にして物理学的に語って、なんの問題もない。
つまり、雷の解明とは雷がもともと持っている性質の暴露というわけですね。
一方、霊に関しては、霊的という形容詞がもとになっていると考えます。
霊的という形容詞がもともと持っている性質とはなんでしょう。
霊的は主語ではありませんから、その性質を引き出すことはできないように思われます。


253 :に :2009/11/23(月) 02:19:01 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
 >>251
霊については霊的な体験と言えますが、雷については雷的な体験という言い方はないと思います。
雷についてはいきなり雷を主語にして物理学的に語って、なんの問題もない。

そりゃ当たり前だろ。
フランクリンが雷=自然現象であると証明するまでは、神の怒り、つまり「神的な体験」だったんだから。
つまり、雷についても、未解明な状態では「神の起こす現象」として神を主語にしていたわけだ。

つまり、雷の解明とは雷がもともと持っている性質の暴露というわけですね。

「雷=神の存在が原因である」という誤った性質の解釈を、科学的検証をもとにして正したというわけです。

一方、霊に関しては、霊的という形容詞がもとになっていると考えます。

雷も「神鳴り」という言葉がもとになっています。

霊的という形容詞がもともと持っている性質とはなんでしょう。

「神鳴り」という言葉がもともと持っている性質とはなんでしょう。

霊的は主語ではありませんから、その性質を引き出すことはできないように思われます。

「神鳴り」は「神が鳴らす」という意味の現象を名詞化したものです。
神の存在は科学的に検証不能であると考えますから、神が起こす「神鳴り」あるいは「雷」も同様に科学的に検証不可能です。

ということになっちゃいますけど。


254 :に :2009/11/23(月) 02:34:38 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
 >>251
一方、霊に関しては、霊的という形容詞がもとになっていると考えます。

では、「霊的」という形容詞の語源は何でしょうか。
「霊的」という言葉を初めて使った人は、どのような状態・状況を指して「霊的である」と言ったのでしょう。


255 :本当にあった怖い名無し :sage :2009/11/23(月) 02:49:33 (p)ID:SHRoXzd6P(9) 
 >>253
まあ、言いたいことはわかるが>>251のやろうとしている事の本質とはちょっとかけ離れてるね。

 >>251自体はここでの体験者への告白に対しての検証者の心がけを説明しているようなものだ。
その雷の例で言うなら
「雨雲からものすごい音と共に光の矢が落ちてきた。あれは神様が天罰を下したに違いない」と体験者が話したとする。
今ここに居る否定派(特に煽る連中)の多くはその後段だけを捉えて
「神様なんて居るわけないだろ、だから空から光の矢が落ちてくるなんてことありえない」と言っているようなもんだということ。

確かに体験者はその事象に対して己の信仰や信念などから勝手な解釈を入れるという傾向はある。
それがいかに非科学的であろうとも、彼の身に起こった事実まで嘘・妄想と一蹴するのはいかなるものかということだよ。
雷として考えたら、雷の科学を知らない迷信深い人なら上記の証言をすることはあってもおかしくないだろ?

彼はそこから霊的というフィルターを外して実際に起きた現象を考えるアプローチは無いかと考えているんだよ。
まあ心理学的アプローチとでも言ったらいいのかな。
あってもおかしくないと言うより、体験談ぐらいしか根拠の無い幽霊には必須なアプローチ方法と思うがね。


256 :に :2009/11/23(月) 02:59:11 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
そもそも言葉と、その言葉が指し示す内容などというのは、はなから一致していなくて当たり前なんです。
ある動物を指して、日本人は「いぬ」と記し、欧米人は「dog」と記します。
では、ある動物を「いぬ」と記す事と、「dog」と記すことはどちらが正しいのでしょうか。
また、その動物だって、自分と自分の仲間を示す何らかの記号を脳内に持っているはずです(持っていなければ
自分と同種の異性を認識できず、正常な生殖が行なえませんから絶滅します)。

結局のところ、言葉というのは「その言葉ができる前から存在する事象に当てはめられた、相対的な記号」なわけです。

天気予報では雨という現象は「傘」の記号で示されますが、これは「傘が無い時代には雨は存在しなかった」と
いうことの証明になるでしょうか?

「傘の無い時代には、雨という現象を傘の記号で伝えることはなかった。別の記号で伝えていた」というだけの話です。

同様に「霊的」や「霊」という言葉の議論も、人間が「霊」や「霊的」という記号(言葉や言語は記号です)を使いはじめる前には
別の記号で伝えていただろうというだけの話にしかなりません。

例えば、原始時代であれば「ウホホッホ」あるいは「ウホッホホッホホホ」などが霊を示す記号だったかもしれません。


257 :本当にあった怖い名無し :sage :2009/11/23(月) 03:14:55 (p)ID:SHRoXzd6P(9) 
 >>256
はいはい暴走しすぎ。言葉遊びは言語学板にでも行ってねw
霊という言葉の語源探しは興味はあるが、お互いの議論している内容とはかけ離れすぎ。

幽霊という体験を考察する際に「霊的な感覚」から考察することはアプローチとしては問題ないだろ?って話なんだから。


258 :に :2009/11/23(月) 03:19:36 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
 >>255
あってもおかしくないと言うより、体験談ぐらいしか根拠の無い幽霊には必須なアプローチ方法と思うがね。

雷が神の怒りだと考えられていた時代に、雷を目撃した人に雷体験談を語らせたらどうなりますか?
「神のお怒りが舞い降りたとしか考えられない」と言う人が多くなるに決まってます。

ここでフィルターとして働くのは「何事をも神様と関連づけて考えるのはやめよう」という思考だと思いますが、
そのような思考が機能している世の中であれば、そもそも「雷=神」という短絡が人々の間に定着することもないでしょう。

つまり「霊的なるもの=死後にも残る人間の意識が視覚化されたもの」という考えが世の中に強く浸透しているからこそ
「死後に残った人間の意識が視覚化したものを見た!」と判断する人が多くいるわけです。

キリスト教の原理主義者に「人間を作ったのは誰なのか、神の存在(神フィルター)を前提にせずに考えてごらん」と言ったって
「神の存在を前提にしないとは何事だ」と言われるだけでしょう。
(神の存在を前提にせずに物事を考えられるのは、神の存在を否定するか懐疑している人間だけです)

霊体験談というのは「自分は霊的な現象を体験した」ということですよね。
その時点ですでに「あれは霊的な何かだった」という思考フィルターが働いちゃってるわけです。


259 :に :2009/11/23(月) 03:29:07 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
霊的なフィルターがすでに働いている状態で「では霊的なフィルターをはずして考えてみましょう。あなたが目撃したのは
死んだあなたのお父さんとは無関係であると考えてみましょう」なんて言っても、体験者は納得しないでしょうよ。

「自分は霊体験をしたのに、あいつらはそれを霊的な現象ではないと言いやがった」みたいな話にしかなりません。


260 :本当にあった怖い名無し :sage :2009/11/23(月) 03:33:29 (p)ID:SHRoXzd6P(9) 
 >>258
それは否定はしないけどね。ただ、そのフィルターを外す技術は作れないかって議論だよ。
体験者に外せなくてもこちらで心理状態などを考察して、純粋な現象だけを取り出せないかとね。

それが一切無いと言うのであれば、無神論者の幽霊体験者という非常に稀有な体験者を待つか、
もしくは体験談以外のアプローチを考えるってことになるね。
後は煽り連中と同じように全てに対して「妄想だ、うそつきだ」と言い張るかw
ちなみにに氏は幽霊の存否を体験談以外の何を根拠に検証しようとしているんだい?

残念ながら雷のように幽霊は万人が見ることができない存在である以上、
雷のような第三者的アプローチは難しいと思うのが俺の考え方だよ。
だから、そういうアプローチ方法ができるなら非常に面白いとは思うんだがね。


261 :に :2009/11/23(月) 03:40:42 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
 >>255
確かに体験者はその事象に対して己の信仰や信念などから勝手な解釈を入れるという傾向はある。
それがいかに非科学的であろうとも、彼の身に起こった事実まで嘘・妄想と一蹴するのはいかなるものかということだよ。

例えばだな、雷がまだ神の怒りだと信じられている時代に、善人が雷に撃たれて死んだとする。
それを目撃した人間は「あいつは神の怒りに打たれて死んだ。あいつは悪人だったんだ」と判断するだろ。

これは「雷に人が打たれることを目撃した」という部分までは事実だが、「神に打たれたのだから悪人だと判断できる」という
部分は妄想だろ。

雷が神の怒りだと信じられている時代には「雷に打たれて死んだ人間は悪人である」という主張は尊重されなければならないのか?
雷が神の怒りだと信じられている時代であっても「雷に打たれて死んだ人間は悪人であるなどという考えは妄想だ」と言うことこそが
正しいと思うわけだが。


262 :本当にあった怖い名無し :sage :2009/11/23(月) 03:44:50 (p)ID:SHRoXzd6P(9) 
 >>261
だからそれは否定しないってw
そういうフィルターを外して、「雷に打たれると人は死ぬ」という現象のみを取り出すってことだよ。
まあついでにそいつが黒こげになったとか、触ったらビリッとしたとか言う証言まで引き出せれば充分。

余計な尾ひれがつくからって体験談を無碍にすることは無いんじゃないのってこと。


263 :に :2009/11/23(月) 03:45:02 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
このスレでも、「死者の姿を見た」→「はい妄想決定」なんていう率直な流れはほとんどないだろ。
一応、拙いながらも、見間違いや偶然の可能性は無いかなどを確認している。

ていうか「そのフィルターを外す技術」っていうのが「科学」だろうがよw


264 :に :2009/11/23(月) 03:46:40 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
現時点での問題点は、ほとんどの心霊現象が「科学というフィルター除去装置」を使うと
既知の自然現象に還元できてしまうという部分にあるわけなんだが。


265 :に :2009/11/23(月) 03:54:14 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
雷の場合には、錯誤、幻覚、トリック、嘘では説明できない事例が多くあり、物理現象そのものが否定できないわけで、
だから「神的な性質」を排除しても、研究すべき対象が残るわけです。

しかし霊の場合には、錯誤、幻覚、トリック、嘘では説明できない事例がほとんど存在しないので、
「霊的な性質」を排除すると、研究すべき対象がほとんど残らないのよね。


266 :本当にあった怖い名無し :sage :2009/11/23(月) 03:54:57 (p)ID:SHRoXzd6P(9) 
 >>263
ここ1・2スレ顔出してないから知らないかもしれんが、結構惨い煽りも多かったぞw今更感もあるかもしれんがww
他の人をこき下ろしておいて「俺の知り合いの霊能者が・・・」とか言い出す奴も居たなw
実際1レスだけでも体験者にとっては屈辱に感じるというのは理解できるよ。せっかく話してるのにってね。
君や俺みたいに「オカ板じゃこんなの日常」って思っている方が、逆に偏りすぎなのかもしれないがww

まあ>>243もやろうとしている事は一緒。アプローチ方法がちょっと違うだけでね。
そちらのフィルターで幽霊が引っかからないなら、彼のフィルターで引っかかった時にまた議論すればいいんじゃないかな。
まだやろうとしているだけで引っかかっていないんだからさw


267 :に :2009/11/23(月) 04:04:07 (p)ID:dVkbh+nn0(17) 
ああ、そういうことね。
規制巻き込まれてる間にそんな感じか。
じゃあこういうふうにまとめるか。

ルール1:このスレのことは誰にも言うな!
ルール2:このスレのことは誰にも言うな!
ルール3:霊はいない可能性が高いけど、100%いないとは限らない!
ルール4:霊はいる可能性が低いけど、いる可能性は0%とは限らない!

ヒアリングと論拠明示のできない肯定派は霊原理主義者でしかなく、
ヒアリングと論拠明示のできない否定派は霊否定原理主義者でしかない。

このスレは霊原理主義者と霊否定原理主義者お断りです。


302 :本当にあった怖い名無し :sage :2009/11/23(月) 19:13:10 ID:+e18mCda0 
 >>250
 >>253
 >>256

ゆうべの続き。

日本語圏においては「犬」という語がある動物を指し、英語圏においては「dog」が同じある動物を指す。
「犬」と「dog」のどちらが正しいわけでもないし、どちらが偉いわけでもない。
それはその通り。

ある時代以降においては「空と地、または空と空の間に起きる大規模な放電現象」という記述が雷という事象を指し、別の時代においては「神の怒り」という記述が同じ雷という事象を指していた。
二つの記述のどちらが正しいのでもないし、どちらが偉いのでもない。
それもまたその通りなんじゃない?

ようするに、異なる言語に属する二つの単語が同じものを指すか、異なる時代に属する二つの記述が同じものを指すかの違い。
科学的記述のほうが魔術的(オカルト的)記述より腕力に勝るのは当たり前として、その二つが権利の上で同等なのも当たり前のことなんじゃないか。



















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最終更新:2010年01月10日 12:06
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