投手。右投右打。
在籍:2006年~
背番号:18
愛称:「岐阜の18番」、「ガラスの貴公子」、「一場ンゴ」、「イチバカ」
マウンド上の一場

人物

荒削りな投球とちょっとやんちゃな印象から初年度からエースとして庇護される。
当初こそ「エース」には、うんこちゃんの前回のやきゅつく2で不朽の敗戦数を残したユウキと同様のネタ的な意味が含まれていたが着実に成長を見せて実績も残すように。
後半は本当に球団のエースとなった。
ただし初回の失点や好投していたかと思えば急に崩れたりと、どこか精神的な脆さが感じられた。
全幅の信頼を得ていたとは言い切れない。
銭ゲバ。2年目には30敗もしているのに1億を要求。これに対して金額を多少上乗せした形の複数年という不利な条件が提示され、サインしてしまう。以降、「バカ」としても認識され始める。

プレースタイル

直球は150km/h半ばも掲示するが数字ほどの球威は無い模様。変化球はウイニングショットのスライダーをはじめ割と多彩。
中継ぎタイプの多いシャークス投手陣では唯一の先発完投型。
先発枚数が少ないこともあってキャリアを通して中3日、あるいは中2日での登板が通例で、時には連投することもあった。そのためおよそ1シーズンで残すとは考えられない登板数、イニングを何度も記録した。
投手としては打撃もそこそこできる方で、DH制が解禁された2012年度は打率1割台後半、4打点だった。
スランプ以外では長期の離脱がほとんど無い怪我に強い選手。

エピソード

一場に期待する理由はオーナー自身分からない。なんとなく夢を乗せる感じ。

球歴

2006年
ケガも無く一年間ローテーションを守った。前半は打ちこまれて開幕から9連敗したが中盤以降は悪いながら何とか試合をまとめる投球を見せる。
大きく負け越したが7勝はチーム内最多勝であった。

2007年
10勝を目標に開幕投手を任されるが昨年同様、負けが先行する苦しい投球を続ける。
離脱が無かったこと、先発を3枚に固定したことで登板数は飛躍的に増加したが、防御率まで悪化してしまった。結果8勝止まりで負け星はキャリアワーストの30敗を記録する。
自身初のタイトルでもある最多奪三振を獲得。

2008年
球威、制球をはじめ全般的に能力の向上が感じられた。
好投とまでは言えないがそれなりの投球を持続させてチーム史上初の2ケタ勝利投手に。相変わらず負け数ではリーグワーストだったが、同時に2年連続の最多奪三振のタイトルを受賞する。

2009年
不調のため3年連続の開幕投手を逃す。開幕3連敗の後4連勝を重ね、以降は5分の成績を連ねる。
6月にスランプで約1カ月戦列を離れるが復帰後も同様の投球を見せる。防御率はさほど変わりなかったが、1試合の平均投球回、与四球率が飛躍的に向上した。

2010年
再び開幕投手を任され、出だしはやや黒星先行だったが、夏場に中1日でローテに入ると連戦連勝を飾る。
近代野球では未聞の先発50試合登板を果たす。リーグ最多の300イニングを記録、オーナー念願の最多勝、最多敗も手にする。

2011年
開幕戦を大量失点で落とすと、その後も波に乗れず序盤の低迷に一役買ってしまう。
後半は盛り返し4年連続の2ケタ勝利を達成するが過去3年で最悪の成績を残す。

2012年
3年連続で任された開幕戦で大量失点を許すなど、前半戦は7勝を挙げるものの、防御率は4点台と振るわなかった。
後半は一転、波に乗ったように白星を積み重ねて、自身初の防御率3点台を記録。10完投、うち完封は6度の大活躍だった。
CS第2ステージの日ハム戦でも完封。
続く日本シリーズには計2試合に登板。第3戦では7回途中3失点の好投で勝ち投手に。日本一を懸けた第7戦でも先発するが1回1/3を4失点でノックアウトされてしまう。

年度別成績

年度 登板 防御率 回数 三振 与四死
2006 34 7 20 0 4.99 212 1/3 138 97
2007 46 8 30 0 5.47 288 1/3 205 110
2008 48 13 22 0 4.44 312 1/3 220 117
2009 30 14 14 0 4.47 261 2/3 176 76
2010 51 21 20 0 4.07 349 1/3 245 127
2011 42 11 23 0 4.93 266 2/3 183 70
2012 43 19 15 0 3.89 220
通算:7年 294 93 144 0 1387

タイトル・受賞

タイトル
  • 最多勝:1回(2010年)
  • 最多奪三振:2回(2007年、2008年)

表彰
  • 月間MVP:2回(2010年6月、7月)


記録

  • シーズン最多敗記録:30敗(2007年)
最終更新:2013年05月25日 16:16
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