雛消しプロローグ


少年は白くて硬いベッドの上に横たわっていた。
その身体は青白く、皮膚が透けて血管が浮かび上がっている。呼吸は不規則で、胸が上下に動くたびにヒューヒューと喉から音が漏れていた。
生まれた時に分かっていたことだが、彼はもう長くない。
5年間生きていられただけでも奇跡と言える。それだけ重い病気だった。
病室の外では両親が声を出さずに泣き続けている。
今夜が山だ、両親は主治医からそう聞いている。泣き咽ぶ声は時々大きくなり、病室の少年の耳にも入っていた。

「人は死んだ後どうなるの?」

「そしたら…天使になるんだよ」

以前両親に悲しい絵本を読み聞かせて貰った時に自らが発した質問を少年は不意に思い出した。そしてなんだか寂しくなった。

あの頃は病院のベッドではなく家の布団の父親と母親の間で寝ていた。

少年が自らの短い半生を思い出していると、両親が病室に入って来た。
どこかぎこちない笑顔を向ける母親に少年もぎこちない笑顔を返した。

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「ご臨終です」
深夜、少年は息を引き取った。両親は彼の横で涙を流し、彼らが貧しい家に少年を産んだことを嘆いていた。
少年の病気は外国で内臓移植を行うことで治る可能性も十分に考えられていたが、この家族には経済的な理由で不可能だった。
仮に移植ができていたとしても、粗雑な基準で選ばれた内臓では術後も一生薬を飲み続けて拒絶反応を防ぐ必要がある。
拒絶反応を起こさない内臓を見つけることはほぼ不可能だ。
結局最終的には金が必要なのだ。
(全く不憫でならない…)

主治医は遺族を見て感傷に浸っていた

(これではまるで、あの子供が両親を悲しませるために産まれてきたみたいじゃないか)

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天界にはこの日新しい天使が現れた。とても礼儀正しく笑顔の絶えない働き者ですぐに人気者になった。
神が直接天使として作った存在ではなく、人間の魂がアセンションして生まれた希有な存在だった彼は無意識に少しずつ天界の有り様を変えていた。
天界内のヒエラルキーや関係は少しずつ縺れ、その動きに耐えられなかった天使の1人が禁を犯し、地に堕ちた。
たった1人、小さな罪を肉に変えて翼を失ったその天使は吐瀉物や生ゴミの溢れる路地裏にその身体を浸し、通りを彷徨った。

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なんとしてでも罪を償い、再び天界に戻ろうとした堕天使はある町医者に出会う。
町医者は悲哀を全身で受け止めているようだった。
堕天使は彼に声を掛けた。殆ど無意識であったが、人の悩みを解決する事で天界に戻れると彼は信じて疑わなかったのだ。

医者は相手が汚い身形をしているにもかかわらず、何か運命のような力を感じ、彼に全てを打ち明けた。救われない患者の話は堕天使の心にも響いた。

「次にそんな事が起きそうだったら私が力を貸そう」

堕天使は言った。
彼にもまだ少し天使としての力は残っていた。小さな奇跡なら起こせよう。
医者は早速他に入院している患者の治療に手を貸して欲しいと頼んだ。
その患者も内臓の移植を必要としていた。堕天使は快く了承した。
医者は堕天使に部屋を貸し与え、住み込みで働かせる事になる。

その日から猟奇誘拐犯、通称《雛消し》が現れ、内臓を抜き取られる代わりにプラスチック製の偽内臓を埋め込まれる被害者が多発した。
プラスチックの偽内臓はまるで「奇跡」が起きたように短期間の間だけ普通の内臓と同じ働きをしているらしい。

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医者は堕天使の好意を断ることも目の前の患者を見捨てることも出来ない。
堕天使は自分が善行を積んでいると信じて止まず、いつかまた天界に連れ戻されると思っていた。

彼らが裁かれる日は、救われる日は来るのだろうか。


最終更新:2015年03月19日 20:43