【丁香のべるプロローグSS】~チョコレートは汚物に似ている~
ところで皆さんは魂の重さをご存じだろうか?
オレは、たった今知らされたところである。
「久坂様、ここに二十一グラムのチョコがあります。これだけあれば、一般的な家庭が一月暮らすには十分な量だとは思われませんか?」
どんなエコロジーだよ? オレは心中で突っ込んだ。
「探偵は、保護されるべき、素晴らしい生き物なのです」
目の前に座っている女の子、まぁ何というか見た目は普通なんだよなぁ。ついこの間までコ―コーセーやってたような気がするオレが言うのも何だが、なんか普通なんだ、この子。
だけど、何かがおかしい。明らかに、何かがおかしい。
発端は、オレこと蜜柑崎探偵事務所所属の見習い探偵、久坂俺に持ち込まれた依頼だった。
電話越しでもわかる思いつめた声に、思わず安請け合いしてしまったのが運の尽きと言う物だった。いや、まさか「応」とかつい言ったその口で後ろにその電話口の本人が立ってるなんて誰が思うよ!
それから、なし崩し的に依頼の内容について突き詰めるべく話が始まったわけだが……。
「お茶菓子には、こちらを、どうぞ」
お客さんをもてなすには、と一言断って席を立とうとするオレの機先を制するように彼女はポケットから分厚いそれを取り出すや。来客用テーブルにソレを置いた。
いや、それ。オレの給料何か月分だよ!
あ、あーあー。ゲフンゲフン、これは別にアネキの金払いが悪いとか、ケチだとか、しみったれてるとか、そーいうことではなくてだな。
と・に・か・く! 目の前の平凡な女子高生から飛び出すには少々胡乱なものをその分厚いヤツに感じ取ったわけだ。
話をはじめに戻すぞ。
カノジョ、あくまでソレをチョコレートで通すつもりみたいだけど、このまま相手の話に乗っかってていいものか、気になるんだよなあ。
ツッコミ待ちってわけでもなさそうだし、それを言うには時機を逸したって言うかなんて言うか、そもそも冗談を許してくれる雰囲気に無い。
「高名な蜜柑崎様の直弟子と言うことで、伺ったのですが……。久坂俺様……?」
ボウっとした捉えどころのない貌が、その口元が吊り上がって、クッと嗤った気がした。
だけど、瞬きをする間にもその印象は掻き消えてしまう。蝋燭の火を見つめているような気分だ。
「そういうことなら……」
「先に、依頼の方だけ、進めさせていただきますね」
それから、彼女は滔々と語った。変わらない、曖昧な笑みを貼り付けたまま。
変わらないならこれは無表情だ、向けられているのが好意であるか、それですら怪しい。
「迷宮時計、馴染おさな、ご存知ですか?」
依頼の内容は今から三年前、ちょっと世を騒がせた迷宮入り事件の調査と言うことだった。
何で今になって、と聞いてみたら俯いてこう言ったんだが……。
「わたしたちは、あの事件で多くの物を失いました。それで、十分でしょう?」
そう言うと、彼女は腕を外した。義手か!?
伏線無視の重い過去を突きつけられたオレは、正直気が動転していたんだと思う。
「ちょうど、今日はバレンタイン・デーということに世間は、なっているのです。このチョコで、わたしの依頼、受けてくださいますね」
「い、いやぁ、こんなに沢山困るなぁーって」
論点がずれているのはわかっている、だが許してくれ。
「何ですか、なんですか。21グラムでは、足りませんか。では、倍! 出しましょう」
そう言うと、制服のポケットにしまってあっただろう同じ束をテーブルに叩きつける。
「オレ、一人じゃ決めかねるかなぁって、ほら君未成年、でしょ?」
これは受け取っちゃいけないものだ、心でわかってる。
だけど、魂では逆らえない。そんな魔力を枯れ草色のその物体は放っていたんだ。
服のどこに仕込んでいたのか、積み重ねられるその塊。
加えて、片手に持っていた重そうなジュラルミンケースから流し込む。テーブルから落ちても気にしない!
マズい、マズいぞ。これが魔人の精神攻撃だってことは経験上、わかっていた。
だけど、はじまってしまった時点でテーブルの上の体積と重さが増えていくにつれて、逆らえないように感じちまうんだ――!
「探偵、探偵は、救い。探偵はわたしが、いや、わたしたちすべてが支えないと――」
!
壊れたテープレコーダーにみたく『探偵』を連呼する女の子に、ある思い付きをしたのはオレで、オレ自身を褒めてやりたくなった。
これがゲームなら豆電球が頭の上に点灯していただろう。
「わ、ワリぃ。オレ、実は刑事になりたいんだよね、だからさ。キミの望む探偵になるのはムリっ!」
嘘じゃない。
これで、発動条件に『探偵』が含まれている能力なら止まるはずだ。
きっと。
……だけど、それは虫のいい話だったみたいだ。
「人は――誰でも探偵になれるのです。私なら、それが出来る! 事件なら用意します、容疑者も被害者も十分です、チョコだっていくらでも、だから――」
もう、最初の二十一グラムなんて埋もれて見えない。
何倍? 何十倍? ケースにはまだまだ余裕がある。オレの魂は押し潰されそうだった。
「よーっす、おーい、俺くーん?」
……、蜜柑崎のアネキが帰ってきたのは、本当に運が良かっただけなのだろう。
オレの魂の値段、二一八四グラム。
金額に換算すると、二〇八〇万円なり。
と、言うかこのチョコ、いやもう本人がいない以上隠す必要はないだろ。
ぶっちゃけ一万円札、ぶっちゃけ札束、つまりは日本円。
その、薄汚い金の上でじたばた溺れていたところをオレは救出された。
そして、成金ごっこに興じている。
ほら、アレ、あれあれ。
日本史の教科書とかで「どうだ明るくなったろう」ってやっているアレだ。
零細! 貧乏! 極貧! で通っている蜜柑崎檸檬の姉御は血の涙を流しながらも、半ばヤケクソになって札束を燃やしている。なんかもう『うーけけけ』とか言いそうだし、実際言っていた。
そして、逃げ出した少女は青年と自分との間に確かに結ばれたはずの絆、それがぷつりと途切れたのを認識していた。
チョコで買える絆? 違う。少女は道半ばにして飢えて死んでいった探偵達を何人も見てきた。わたしたちが贈るカロリーで熱をもって推理してくれるなら、本望――なーんて。
中元、歳暮にお年玉、引出物、祝儀なら、なんでもいい。
二月はバレンタイン!
金とは信用だ。信用は信頼だ。いつだって依頼する立場にいる彼女は信頼を金で交換する。
そう、ホワイトデー。
一か月後には事件解決と言うお返しがやってくる、そういうものだから。
「もしもし、六四番、それと八四四番を例の倉庫に回して」
重みのある声だった。同じ電話口でも探偵相手とはまるで違う。
人から人の手に渡る、お金とは衛生的に汚いものだ。汚物に触れる時はそれ相応の態度をもって接しなければならない。
毅然と、威をもって彼女は犯罪の芽を育てていた。
「事件はみな探偵に捧げる供物、いつかわたしたちも――」
久坂俺に依頼をすることが出来なかったのは残念でしたが、あの人がわたしたちの望んだ通りの方ならば、事件の方からいつか近づいてくるはず。
それが、いつになるのか、どこであるのか、誰の目にも触れなくても、きっとあるでしょう。
女――
丁香のべるはそこまで思いを巡らせると、ふっと思い出したかのように微笑む。
これからはじまる戦場は、きっと迷宮時計にも負けない謎の草刈り場になるだろうと確信して。
――服の裏に張り付いた紙幣が少しわずらわしく思えた。
最終更新:2015年03月23日 20:28