〜 我々はなぜ、すべての言葉に「〜ゆうさん」とつけたがるのか 〜
あれは我々25期が四年生のときの夏合宿であった。
当時、27期に樽谷(たるたに)ひさし君という、二年生からパンサーに入ってきた人物がいた。
彼の同期らはみな、普通に「ひさし」と呼んでいたようだが、巨人の桑田にそっくりで、なにか不思議なオーラを漂わせる彼に、我々25期が目をつけないはずはなかった。
合宿最終日のシングル。たるたに君の試合がまわってきた。我々は彼の試合を食い入るように観戦した。そこで、彼がチャンスボールを思いっきりフレームショットした。
バキッ!!
鈍い、しかし、我々には何か心地よい打球音が、斑尾の青空にこだまする。
そのとき........
「たたたたたたた........たるゆうさん!!!!!!」
誰が最初にそう叫んだかは覚えてない(ま、たぶん森であろう)。しかし、我々はその言葉の響き・語呂の良さに共感し、「たるゆうさん!」「た、たるゆうさん!」と続けて叫んだのであった。
シングルが終わり、最終日飲みをした次の日の朝。我々はOB部屋で談笑していた。
「いやーたるゆうさん面白かったな」
「しもゆうさんと張るよな」
「っていうかよ、もう全員に『ゆうさん』ってつけね?」
これが始まりである。
田中→「よたゆうさん!!」
岩崎→「みつゆうさん!!」
小久保→「くぼゆうさん!!」
江尻→「えじゆうさん!!」
などのように、なりふりかまわず全員に「ゆうさん」をつけてよぶことになった。
さらにここから、人の名前以外にもつけようぜ、ということになる。
「めしゆうさん、まだゆうさん?(めし、まだ?)」
といった具合である。
この「○○ゆうさん」に、特に深い意味はない。だが、この言葉を語尾につけて話すことにより生じる『リズムの良さ』が、この言葉が支持される理由ではなかろうか。
例えば、以下のような何の変哲もない文章があったとする。
「雨が降ってしまったために、テニスはできません。でも、飲みは行うので、五時に歌舞伎町のコマ劇に来てください。」
これに『ゆうさん』を付け加えると.........
「あめゆうさん降りゆうさんテニゆうさんダメゆうさん。でもゆうさん、飲みゆうさんやるゆうさん。五時ゆうさんまでゆうさん、歌舞ゆうさんコマゆうさん劇ゆうさん来るゆうさん。」
ご覧のとおり、ただの事務的な文章が、楽しい文章に激変するのである。伝えるべきことはしっかりと伝えている点に注目していただきたい。声に出して読み上げると、まるで自分が一流ヒップホッパーになったかのような気分になれるのである。
平凡な日々をこのごろ過ごしている皆さんには、ぜひこの『○○ゆうさん』を、活用していただいて、リズムにのった人生を送ってもらいたいものである。
〜 完 〜