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衝撃波を使う俺 ラル√15話前編

人類側の勝利によって幕を降ろした都市奪還戦。
大規模反攻作戦が成功したことで全域に展開されていた部隊の大半が祝勝の空気に包まれるなか、第502統合戦闘航空団に所属するウィッチだけは沈痛な面持ちを隠せずにいた。
痛んだ長椅子に腰を降ろし、支給された食事を取る顔ぶれの中に俺の姿だけが見当たらない。
それこそが彼女らの端正な容貌に暗い影を落とす最たる要因であると、一体誰が思い至るだろうか。
単身でジグラットの内部に侵入し、コアの破壊に成功したものの同時に深手を負い、脱出が間に合わず、俺は崩壊に巻き込まれた。
奪還作戦終了から既に五時間以上もの時が経過しているにも拘わらず、未だ瓦礫の山から発見されていないどころか、彼自身からの生存報告も届いていない。
ブレイブウィッチーズ発足から今日に至るまで隊員の負傷にストライカーの破損は度々起きたが、撃墜されて命を落とした者は誰一人としておらず、それだけに俺の未帰還は彼女らの輝かしい戦歴に苦渋を舐めさせるに充分過ぎる衝撃を与えた。

ジョゼ「こんなのって……こんなのって、ないですっ」

長椅子に座り、両手に持ったマグカップを見下ろしながら弱々しく胸の内を明かす。
香ばしい匂いを放つ紅い液体の表面に映し出されているのは、今にも泣き出してしまいそうな自身の表情。
既に中身は冷め切り、立ち昇っていた白い湯気も何処かへと消えていた。
紅茶に含まれるカフェインには精神を安定させる効果があるといわれるが、今回ばかりは味も香りも楽しむ気にはなれない。
出会いこそ衝撃的であったものの、すぐに俺と打ち解けたジョゼは清掃員である彼と一緒に基地内の清掃を何度か共にしたことがある。
時折熱心に掃除を行っている最中に話しかけられ、つい厳しい口調で当たってしまったが、それでも彼は何ら態度を変えず受け入れてくれた。

定子「ジョゼさん……」

俯き、静かに涙を零すジョゼを前に定子は自分のカップを脇に置くと小刻みに震える彼女の背中に手を回して抱き寄せる。

ジョゼ「……!?」

突如として自分を包み込んだ安堵感に強張る華奢な体躯。
その硬直も一瞬で姿を消し、すぐさま全身を包み込む安堵感に行き場のない感情を爆発させる。

ジョゼ「下原、さんっ……俺さんは……俺さんはっ!」

床の上に放り投げられ、音を立てる無骨なデザインの金属製マグカップ。
古び、力を込めれば軋み声を上げる床板へと吸い込まれていく黒い液体など見向きもせず堰を切ったかのように泣き声を上げてしがみつく。

定子「ジョゼさん、大丈夫です。俺さんなら……きっと戻って来ます。だから、泣かないで……」

胸に突き刺さる悲しみから逃避するかのように、自分の胸元に顔を埋めて泣きじゃくる少女の華奢な体躯を包み込むように、温めるように手を回す。
同じ扶桑の出身だけあってか俺とは管野を交えた三人でよく故郷談義に花を咲かせた。
話の中身はというと扶桑文学についての話であったり、メンコやおはじきといった娯楽であったりといたってありふれたもの。それでも、決して退屈な時間ではなかった。

定子「(俺さん……)」

小刻みに震えるジョゼを宥めながら、天井に空いた風穴から見える星空を仰ぐ。
本当に彼は死んでしまったのだろうか。もしかしたら運よく脱出できたのでは。
しかし、希望はすぐさま現実によって掻き消される。
どれほど優れたウィッチであろうとも、降り注ぐ瓦礫に押し潰されて生き延びられるはずがない。
ましてや俺は魔力減衰を迎え障壁を展開する力を失っている。そのことを考慮すると彼の生存は絶望的といってもいい。


誰も口に出していないだけで、みんな彼のこと……――


後に続く言葉を胸の内に零す前に、慌てて頭を振って負の想像を掻き消した。
自分たちが信じないで一体誰が彼の生存を信じるというのか。
ウィッチに不可能は無い。故に希望を捨てるなと恩師からも教わったではないか。

定子「ジョゼさん。俺さんはきっと戻ってきます。私たちが信じてあげないと」

ジョゼ「で、でも……」

定子「俺さんのこと……信じましょう? あの人はそう簡単に斃れるような人じゃありません。それはジョゼさんも知っていますよね?」

促されるような問いかけに弱々しく、小さく頷くジョゼ。
墜落したニパを追って深い森の中に身を投じたときも、負傷こそしたものの彼は生還を果たした。
今回の作戦においてもストライカー無しで堅牢な装甲を有する陸戦型ネウロイと単機で渡りあっていた。
そんな男が簡単に死ぬはずが無い。きっと上手い策を駆使して生き延びたに違いない。
友人の澄んだ黒の双眸が無言でそう物語っているのを捉え、

ジョゼ「俺さんは……帰ってきますか?」

定子「もちろんです」

瞼を閉じた彼女の笑みにつられて口許を綻ばせた。
涙に濡れた瞼を擦りながら、自分は一体何をしていたのだろうと自問する。
最後の最後まで諦めるわけにはいかない。
そう自身に言い聞かせたジョゼが涙を拭い終える頃には、瞳に漂っていた悲嘆の色は姿を消していた。
ジョゼの青い瞳に宿りつつある確かな希望を捉えた定子は彼女の頭を撫でながら、どこかで生き延びているであろう俺の無事を祈り始めた。





支給された食事に手をつけず、ニパは教会の壁に空いた風穴から聞こえる凱歌を上の空で聞き流していた。
あれだけの大規模作戦が成功したのだ。本来ならば勝利の美酒に酔いしれるのが妥当だろうし、ニパも作戦が終わるその瞬間まではそう思っていた。
未だ受け入れることが出来ない俺の未帰還。
しかし、いくらその事実を拒んでも軍人としての理性がそれを受け入れてしまっているのだ。
自分でも驚くほどあっさりと俺の死を認めてしまっていることに気がつき、一層悲しみが込み上げてきてしまう。

ニパ「っ……ひっく……」

とうとう耐え切れなくなって嗚咽が漏れ出し始めた。
いくら指で拭っても込み上げて来る涙は止まる気配を見せてくれない。
こんなにも悲しい思いを味わったのはいつ以来だろうか。自問するも、断続的に発せられる嗚咽が呼吸を乱して冷静な思考を妨げる。

ニパ「おれぇ……」

目尻から零れ落ちた雫が頬を伝い、ズボンの上に落ちては染みを生んだ。
森の中へと落ちた自分を彼は追いかけてきてくれた。箒を使って共に掃除をしながら談笑を楽しみ、うっかりサーシャの逆鱗に触れてしまい一緒に正座をしながら互いに笑い合ったことも。
ほんの数日までは当たり前のように日常を過ごしていたというのに、一体どうしてこんなことになってしまったのだろう。
たしかに今回の作戦は今までと比べて規模も桁違いだが、死ぬつもりなど毛頭なかった。
多少、ストライカーの破損は覚悟していたが、普段と変わらず全員で帰還するはずだったのだ。
それなのに……

ニパ「どうして、どうしてこんなことになったんだよぉ……!!」

悲痛な叫びは外野の歓声によって掻き消された。
ブレイブウィッチーズ結成以来、初めて味わう仲間の戦死。
ましてや戦死した人間が共に危機を乗り越えた男であるだけに彼女が抱いたショックも一際大きいものと化していた。

ニパ「くそっ……くそぉ……なんで、なんでなんだよぉ……!!」

管野「おい。いい加減に泣くのやめて飯食えよ。冷めちまうだろ」

背凭れを挟んだ背後から飛んできたのは業を煮やしたかのような声音。
不機嫌さを隠す気が微塵も感じ取れない不遜な声色が耳朶を掠めた途端、ニパの形の良い柳眉が吊り上る。

ニパ「こんなときに……食べられるわけないだろっ」

管野「それでも食え。もう第二波がここを奪い返す為に動き始めたんだ。スープだけでも良いからさっさと食っちまえよ」

ニパ「食べられるわけない……俺が、死んだのに……」

管野「………………おい、ニパ。お前本気で……そう思ってんのか?」

ニパ「それは……」

口ごもるニパを他所に背凭れを挟んだ背後から長椅子の板が軋む音が上がり、鼓膜を震わせる乱暴な足音が目の前で止まった。

管野「あの俺が! 死んだなんて本気で思ってんのかよッッ!!!」

頭上から降り注ぐ空気を震わせる一喝に身体を強張らせたニパが顔を上げた瞬間、息を呑んだ。
幼さが残る容貌に象嵌された双眸に溢れかえる透明な大粒の雫。
それは彼女が決して他人に見せない己の弱み。

ニパ「カン、ノ……?」

管野「死んだ? んなわきゃねぇだろうがッッ!!」

怒号炸裂。咆哮と呼んでも差し支えない大音響が周囲の空間に迸った。
自分の身に他の隊員たちの視線が集中することなど気にもかけず、研ぎ澄まされた刃を連想させる鋭い眼差しをニパに叩きつける。
死んだだと? 馬鹿を言うな。そう簡単にくたばるほどあの男は軟じゃない。
魔眼を持たないにも拘わらず敵のコアを一撃でぶち抜き、ストライカーの恩恵も無い状態で陸戦型と互角に戦い抜いてみせた男なのだ。あの程度で散ったなど到底考えられるわけがない。

管野「あいつは死んでなんかいねぇ! きっと上手いこと逃げ伸びてるに決まってらぁ!!」

瞳から零れ落ちた涙が照明を受け、凛とした輝きを発しながら床へと落ちていく。
魔眼無しのコア破壊といい、あの手の芸当を年の功と呼ぶのだろう。
悔しいが自分はまだ俺ほどの境地に至ってはいない。だが、それは現時点での話。
そう遠くない未来に、それこそ明日にでも奴の鼻を明かしてみせる。
だからこそ勝ち逃げなど許さない。自分よりも、それこそたかが一段程度の高みに達したまま消えたなどというふざけた事実を絶対に認めてなるものか。

ニパ「カンノ……」

管野「わかったら食え! じゃないとオレが食っちまうぞ!!」

終始、管野の気迫に圧倒されていたニパは自分でも知らぬ内に胸のつかえが取れていたことに遅れて気がつく。
――まさかこいつに諭されるなんてな。
両手を腰にあて踏ん反り返る管野の姿に小さく笑みを零したあと、少女の両腕が伸びる前に自分のトレーを抱え持った。

ニパ「駄目だ! これは私のだからな!!」





雲によって月明かりを遮られた空間に差し込む幾条もの淡い光明。
レンガ造りの壁の内側から漏れ出す橙色のそれらに背を照らされ、寒空の下に立ち尽くす人影が一つ。
丸みを帯びた肢体や夜風に弄ばれる髪を片手で抑え付ける柔らかな仕草から女性と思しきその影は声を発することもなく、与えられた指令を遂行する機械の如く呼吸を繰り返す。
目を凝らさなければ視認が不可能なほど微かに上下する肩が辛うじて女性の形をした影が人間であることを証明していた。
同時に、肩の変化を見抜くことが出来ない遠目では影が本当に人間か否か判別できないことも意味している。
不意にそれまで微動だにせぬまま夜風に包まれていた影が動いた。教会の壁を穿つ砲痕から伸びる光を浴びて顕になる端整な美貌。
暗闇のなか、温かな光に背を向けて立ち尽くしていたのはカーキ色のカールスラント軍服で恵まれた部類に入る肢体を包む少女だった。

ラル「さすがに冷えるな」

少女が洩らした言葉がすぐさま夜風に攫われていく。
現在時刻はもうまもなく日付が切り替わる頃合。夜が更ける手前だ。
夕食を終え、消沈する隊員たちに外の空気を吸うと告げて教会の外に出てから一体どれだけの時が経過したのだろうか。
少なくとも二時間は優に超えているに違いない。
であるにも拘わらず教会に残る七人の隊員たちの誰一人として姿を見せない。おそらくは彼女らなりに自分のことを気遣っているのだろう。
そう見当をつけていると……ふと、脳裏に浮かんだある情景が少女の頬に歪みを生み落とした。
凍えた夜気が充溢する外界に繋がるドアノブに手をかけたとき、隊員たちの端整な要望にほんの一瞬だけ浮かんだ、言葉では形容できない感情。
瞳に漂う憐れみとも戸惑いとも解釈可能な複雑な色彩。
歯がゆさを隠し切れず、自分に向かって伸ばした手を引き戻す彼女らの姿がラルの唇から苦味を含んだ笑い声を零れ落としていた。
隊長として常に隊員たちに気を配り、安心させる笑みを浮かべていた自分が逆に気を使われてしまったのだ。
あまりの不甲斐なさに笑わずにはいられなかった。

ラル「私もまだ小娘だな……」

厳しい冬の寒さに晒されているだけあってか乳白色の頬にはうっすらと桃色が浮かび上がっているものの気にも留めずに、少女は憂いを帯びた瞳を天に向け続ける。
吐息を白に染める寒さも相まってか、視線の先に広がる暗夜は今にも雪が降り出しそうな気配を滲ませていた。
冷気が容赦なく全身を突き刺す。
やはり上着を引っ掛けてくるべきだったかと後悔するラルを他所に冷え込みは厳しさを増していく。

ラル「……ぁ」

寒さに耐え切れず、暖を取ろうと背後に佇む教会へと身を翻したときである。ラルの足が唐突に止まったのは。
呆けたかのような光を湛え、眼前に聳え立つ教会を見上げる青い瞳。
暗闇のなかに佇む外壁には手の平ほどの孔が穿たれ、蜘蛛の巣状の亀裂まで走っている。
本拠地であるペテルブルグ基地のそれと比較すれば余りにも粗末な臨時宿舎。
しかし、彼女の口から間の抜けた言葉を洩らさせたのは破損によるものでなく、そこが数多くの恋人たちにとって幸福の象徴とも言うべき場所であるからだろう。

ラル「……俺」

吹きすさぶ風が教会の孔を通り、笛の音色にも似た音を奏でたとき――胸中にとある考えが過ぎる。
もしも俺が生きていたら、無事にネウロイとの戦争が終結したら。
自分は彼と一緒にこんな立派な教会で結婚式を挙げることが、
仲間や友人たちからの祝福を受けながら、新たな人生への門出を迎えることが出来たのだろうか。

絶え間なく鳴り響く鐘の音。
次々と投げかけられる祝福の言葉に舞い踊る花吹雪。
純白のドレスに身を包み、世界中の誰よりも愛しい男に見守られながら、邪気のない笑みを零してブーケトスを行う自分の姿。

――あぁ、いいなぁ。これ。

見知った仲間たちの前で唇を重ねる姿を曝け出すのは相応の覚悟が要るが、悪くないと自分でも知らぬ内に口周りを緩めていく。
彼との未来に胸を膨らませる今この一瞬だけは、彼女はどこにでもいる少女に戻っていた。
しかし年頃の女なら誰もが一度は夢見る、そんなごく当たり前の夢想も次の瞬間には現実によって引き裂かれていた。

ラル「なにを考えているんだ……私は」

我に返り、それまで自分がどれだけ空しい妄想に浸っていたのかに気がつき、思わず自嘲。
失くした未来に思いを馳せるなど無いものねだりをする稚児と同じではないか。
いくら空想の世界に逃げ込んで自分を慰めたところで状況が変わるわけではない。
もう、何もかも遅いのだと戒める。たとえその行為が自身の胸裏に亀裂を生むとしても。

ラル「……」

自分は失ってしまったのだ。
彼自身を、彼に想いを告げる機会も、共に過ごせたはずの幸福な未来も全て。
それも手にする前から……

ラル「……っっ!!」

自身の胸裏に未練を生み落とす教会から弾かれたように目を背ける。
いつまでもこの場に居座るわけにはいかない。
早く戻り、隊長としての責務を果たさなければ。沈む彼女らに、また普段と変わらぬ笑みを見せて安心させなければ。
大丈夫、自分は平気だ。まだ“軍人”でいられている。
だというのに足は一向に進む兆しをみせない。それどころか、戻ったとしてもまた笑ってやれるだろうかといった疑問まで湧いてくる始末。
このままではいけない。こんな状態で戻っても気遣われるのが関の山だ。
弱った精神を切り替えようとしたラルが重い足取りでその場から歩み去るのに僅かな時間も要さなかった。






砂利を踏みしめる軍靴の音だけが暗闇で満ちた空間に伝播する。
周囲にラル以外の人影は見られない。大規模反攻戦が成功に終わり、祝勝の空気に浸る最中、わざわざ戦場跡を出歩く酔狂な人間などいないのだろう。
軍服を透過する凍てつく風が皮をなぞり、血肉を冷やしていく感覚に震える全身。
止まらぬ震えを発し続ける両肩を抱きつつ、歩を進める彼女の視界の端で不意に何かが蠢いた。

「はぁぁ……仲間Bさんも人遣いが荒い方です。酷いです」

次いで聞こえるは年端も行かぬ少女の声。
それまで自分を除く他人の気配を感じ取ることが出来なかっただけに、突如として上がった声は少なからずラルに衝撃を与ええていた。
自らの軍人としての感覚が鈍化しているのか。それとも自身の存在を他者に感づかれないよう少女が気配を消していたのか。
どちらにせよ暗がりのなかに何者かが紛れているのは事実だ。
眉を寄せ、声が聞こえた方へと目を凝らせば、扶桑陸軍の戦闘服に酷似する装束に身を包んだ小柄な身体がその場にしゃがみ込み、地面の上に何かを貼り付けているところだった。

ラル「そこで何をしている?」

仲間E「ひゃわっ!?」

問いかけた途端に跳ね上がる少女の小さな背中。
雲間を縫って投げかけられた月光に照らされ、少女と彼女の小さな指に挟まれた護符が姿を見せる。
見た目から高く見積もっても十辺りか。
更に視線を少女の手前に転ずれば、三方を囲むようにして地面に貼り付けられている護符が目に留まる。それら四枚は魔法力を帯びているのか、微かではあるものの魔力障壁と同じ青白い光輝を放出している。
まるでこれから、何らかの術式を行うかのような光景。
銃器とストライカーユニットで武装するこの時勢において明らかに前時代的過ぎる一幕。
あるいは、これらの護符を用いた術式こそが目の前で怯えた表情を浮かべる幼い少女の固有魔法なのだろうか。

ラル「見ない顔だが。どこの部隊だ?」

仲間E「えっと……えっと……」

ラル「どうした? 見たところ扶桑の人間のようだが所属と階級は?」

仲間E「えっと……その……ご、ごめんなさい!」

言うや否や少女が手に残る最後の一枚を地面の上に貼り付け、護符で囲われた空間に足を踏み入れる。瞬間、小柄な体躯が前触れも無く掻き消えた。
闇に紛れたわけではなく、文字通り消えたのである。
あたかも息を吹きかけられた蝋燭の火のように、一瞬で。

ラル「なっ!?」

忽然と姿を消した少女の行方を探そうと、無意識に地面の上に結ばれた陣へと踏み込む寸前。
足元で淡い輝きを放つ四枚の護符は、あたかもラルの侵入を拒むかのように青白い炎を発し、燃焼を開始する。

ラル「…………護符か」

風に巻き上げられ、白と黒が混合する燃え残りを手にし、目を細める。
西洋紙とは異なる独特の手触り。
俗に扶桑紙と呼ばれる紙が用いられたその護符には転移の二文字が記されていた。





見知らぬ少女との奇妙な邂逅を終えたラルが呟きと同時に足を止めた。

ラル「……おれ」

磨き上げられた宝石を思わせる眼差しの先には積み上げられた瓦礫の山が、寒空の下に晒されていた。
移動要塞ジグラット。
最期の瞬間まで彼が戦っていた戦場。そして、その命を散らした墓標。
動力炉を破壊され、残骸と化した屑鉄に歩み寄るなり形の良い尻を落とし、優美な脚線美を誇る両脚を組む。
初恋は実らないという話はよく耳にするが、よもや自分の恋がこのような結末を迎えるとは。
片思い――いや、彼もまた自分のことを好いていたのだから両思いだったことには間違いない。
ただ最後の最後まで思いを通じ合わせることが叶わなかったことを考えると、俺にとっては片思いのまま終わってしまったのだろう。

ラル「結局……伝えられず仕舞いか」

自分の想いを伝えるよりも先に彼は戦塵へと消えていった。
ジグラット内部に設置された対侵入者用の迎撃機構によるものか、それとも崩落する瓦礫による圧殺なのかは定かでないが、どちらにせよ生存率はほぼ皆無に近いといっても良い。
これも命を賭して戦う軍人が背負う宿命なのだろうか。ならば彼の死も、この胸の痛みも割り切るしかないのだろうか。仕方なかった、運が悪かったと。

ラル「なぁ、俺。みんな……おまえが帰ってこなくて泣いてるぞ……?」

まるで、その場所に俺がいるかのような優しげな口調。
隊員たちの姿を脳裏に思い浮かべながら、腰掛けている瓦礫の上に手を添える。
表面を撫でると凍てついた堅い感触が手の平に広がった。死体もこれと同じく冷たいのだろうか。
この瓦礫のように冷たくなったまま、どこかに彼も埋もれているのだろうか。
光も届かず、風にも通らず。誰の目にも触れられないまま、たった独りで……

ラル「まったく、おまえは。自分が言いたいことだけ言って……」

私はまだ何も言っていないぞ――と呟き、手を丸めて拳骨で軽く瓦礫を叩いた途端に、夜空に浮かぶ月の輪郭が歪んだ。

ラル「なぁっ! おれ……!!!」

無論、前触れもなく天体が形を変えるはずがない。
頬を伝う雫の生暖かさから、込み上げてきた涙が視界を滲ませているのだと気付く。

ラル「あ、あ……あ……あぁ」

断続的に唇を割る呆けた声音。
つい今しがたまで込み上げて来なかった涙がいま、自分の頬を濡らしていることに気付いたとき自然と全身の筋肉が弛緩していく。

――あぁ……やっぱり、こんなにも涙が溢れ出てくるほど私はあいつのことが好きだったんだ……

拭おうと手を持ち上げた瞬間、どこからともなく駆けてきた夜風によって急速に冷却される泣き濡れた頬。
氷を押し付けられたかのような冷たさに強張る全身。肌の上を走る悪寒に耐え切れず両の腕を左右の肩へと伸ばす。

ラル「……っ!!」

寒かった。単純に体温を奪われたことによるものではなく、心までもが氷の牢に閉じ込められたかのように冷え込んでいた。
傍にいて欲しい。壊れるほどに抱きしめて自分を温めて欲しい。
されども、その願いを叶えてくれる彼はもういないのだ。
あたかもこの広い世界に、たった独り取り残されたかのような不安に圧し潰されそうになる。

ラル「っく……ぅぅうう」

動悸は次第に激しさを増していき、呼吸すら儘ならなくなる。
泣き声だけはあげるまいと必死に歯を喰いしばるも、抵抗が長続きすることはなく、

ラル「っぐ……ぅぁああ……あぁぁぁぁぁああああぁぁぁぁぁぁああああああ」

魔女として、軍人としての仮面が剥がれ落ち、一人の少女へと戻ったラルが遂に泣き声を上げた。
そうしなければ、きっと自分は壊れてしまう。哀しみに耐え切れず心が砕かれてしまうから、行き場を無くした感情を爆発させた。
たとえ見っとも無いと嘲笑われようとも今自分が出せる声をラルは腹の底から絞り出す。

ラル「お、れぇ……おれ……おれぇ!!!」

死神に連れて行かれてしまった男の名を何度も叫ぶ。
嘘だ。好いた男が死んだのだ。大丈夫であるわけがない。
戦場を舞う魔女たちを統べる者として必死に耐えてきたがそれも限界だった。
悲しくて、苦しくて、痛くて、寒くて胸が張り裂けそうになる。
伝えたいことがあった。一緒に行きたい場所もあった。話したいことだってたくさんあった。

ラル「……あぁぁぁぁっぁぁあああ」

諦められるのか。彼に対するこの恋慕を捨て切れるのか。

ラル「諦められるわけ……ないっ!!」

諦め切れるわけがない。捨て切れるわけがない。
易々と捨てられるほど彼に対する自分の想いは安くない。
簡単に捨て去ることが出来る程度の情念なら、この胸はこんなにも痛みはしないのだ。

ラル「――して……くれ……!!」

弾かれたように立ち上がって身を翻し、手近な瓦礫へと手を伸ばす。
あのとき伸ばせなかった手を、届かなかった手を。
魔法力を発動。寒さに震える腕に、全身に力を込めて、掴んだ瓦礫を強引にその場から除ける。

ラル「返してくれ……っ!! あいつを……俺を……私たちに、私に返してくれっ」

一度で良い。一度だけで良い。

ラル「まだ言えてないんだ! 何も言えてないんだ!!」

どうかこの気持ちを、この想いを伝える機会を……せめて、もう一度だけ……

ラル「好きだって、言えてないんだよ!!」

爪が割れ、血が滲む。
白く細い指が血と煤に塗れ、傷口が重い痛みを生み落とした。

ラル「頼むっ!! おれを、返してくれっ!! 返して……くれよぉ……!!」

何がグレートエースだ。
何が人類第三位の撃墜数だ。
何が第502統合戦闘航空団の司令だ。

ラル「うっ……うぁぁぁぁぁぁあああああああああああ」

想いを寄せていた男をみすみす死なせてしまった。掬うことが出来ず、奈落の底へ落としてしまった。
胸の内に秘めていた慕情も永遠の片思いに変えてしまった。
そのことが悔しくて、切なくて。それなのに今の自分には翼をもがれたあの時のように涙を流すことしか出来なくて。
いっそここで潰れてしまえば、どれだけ楽になれるだろうかといったことすら考えてしまっている。

ラル「うっ……っく……うぁぁあ」

時が経てば、この痛みもいずれは針に刺された程度のものへと変わるのだろうか。
一生この痛みを引きずって生きなければならないのか。
そんな考えが脳裏を過ぎり、瞳に込み上げる涙の量が増した刹那――



「おいおい。こんな寒空の下でなに泣いてるんだよ」



忘れようも無いあの陽気な声音が泣きじゃくるラルの身体を強張らせ、震えを押さえ込んだ。

後編に続く

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最終更新:2013年03月09日 05:50
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