――どうして、こんなことになっちゃったのかしら……
自分の手を握り締めるゴツゴツとした手の平の感触に意識を奪われるロスマンは人混みの中を引っ張られるようにして歩いていた。
季節は一月。
冬の寒さが更に厳しさを増すなかであるにもかかわらず、大した寒気は感じない。
それは、きっと自分の手を握る彼の手が持つ温かさの所為だろう。
視線を持ち上げれば自分よりも遥かに高く、そして逞しい後姿が視界に入った。
ロスマン「あっ……あのっ! おれ、さん?」
俺「どうした? あっ……もしかして、痛かったか?」
呼びかけに男が足を止めて、振り向く。
ごめんよ、と続けるなり手を握る力を緩めた青年が快活な笑顔で見下ろしてきた。
邪な感情など微塵も読み取れない笑みにロスマンは頬に熱が灯っていく感覚を覚え、反射的に俯いてしまった。
自分よりも年上だというのに。
どうして、この人はこんな子供じみた笑顔を浮かべられるのだろう。
そのくせあのクルピンスキーすら御するほどの余裕を併せ持つのだから、ますますこの男の人となりが掴めない。
ロスマン「いえ、痛くはないんですが……」
俺「痛くは無い……あぁ、ごめんよ。やっぱり、離したほうがいいよな」
ロスマン「いえっ! そういうわけでも無いんですっ!」
気を遣ったのか、俺が腕を離す。
すると、何かに引き寄せられるかのように。
あるいは腕が独立した生き物であるかのように。
細く小さな自分の腕が、離れていく彼の腕を反射的に掴んでしまった。
ロスマン「えっ!?」
自分の突然の行動に思わず裏返った声を上げてしまう。
その声に何事かと通行人が足を止め、視線を注いできた。
恥ずかしさの余り思わず瞼をきゅっと閉じてしまうと、
俺「すいませーん! 何でもないでーす!」
空いた片手を後頭部に当てた俺が軽く頭を下げた。
その姿を見るや否や、それまで足を止めていた通行人が再び歩き始める。
往来の真ん中で立ち止まる自分たちを恋人同士だと勘違いでもしたのか、ある者は微笑ましい眼差しを。
ある者は嫉妬が入り混じった視線を投げつけてきた。
俺「大丈夫か?」
ロスマン「はい……」
俺「ははっ、珍しいな。ロスマン先生ともあろうお方が」
ロスマン「むっ。俺さんのせいですよっ?」
乾いた笑い声を上げながら頭に手を乗せる俺のそれをやや乱暴に払いのけながら、彼を睨み上げた。
たしかに変な声を上げてしまったのは自分である。そこは認めよう。
だが、そうなった原因は彼にあるはずだ。
俺が自分に妙な感情を抱かせ無ければ、あんな声も上げずに済んだのである。
ロスマン「(あれ? どうして、わたし)」
彼にこんな感情を抱いているのだろうか。
惚れた腫れたのものではない……はず。
俺「えぇぇぇ? 俺のせいかよぅ」
ロスマン「そうですっ! 俺さんのせいなんですっ! ちゃんと責任とってくださいっ!!」
胸の内でざわめく感情を吹き飛ばすかのようにロスマンが俺に縋りつき、彼の困惑した表情を見上げた。
顔を近づけようとするも身長差はどう足掻いても縮めることが出来ない。
それでも、どうにかして詰め寄ろうと爪先を伸ばして彼の顔に自分のそれを近づけようと試みる。
そんな姿が心の琴線に触れたのか、
俺「責任って……オーケィ、わかった。俺が悪かったよ」
ロスマン「むぅ。なんですかっ! その微笑ましい光景を前にするような目は!!」
優しげな笑顔を張り付かせた俺が頭に手を乗せるや否や、これまた優しげな手つきで撫で始めた。
幼い子供ならともかく、自分にとっては屈辱以外の何物でもない。
唇を尖らせたロスマンが目つきを鋭いものへと変えるなり、俺が笑みを深くする。
単にそういったものに対する耐性が備わっているのか。
それとも幼い容姿のロスマンから人を抑え付けるほどの凄みを感じ取ることができないのか。
俺「エディータは可愛いなぁ!」
ロスマン「ちょっ! 子供扱いしないでください! 私はこれでも十九歳ですよっ!!」
完璧に子ども扱いされ、思わず声を荒げる。
その反応こそが子供らしいということに気がつかずに。
俺「エディータは可愛いなぁ!!」
ロスマン「俺さん!!」
俺「エディータは可愛いなぁ!!!」
ロスマン「うぅぅぅっ」
俺「はっはっは! ごめんよ。少し意地悪が過ぎたかな」
ロスマン「俺さんなんか知りませんっ」
ふんと鼻を鳴らして足早に歩き始める。
後ろから俺が謝罪の言葉を投げかけてくるが、気にも留めず街中を歩いていく。
ロスマン「あ……」
不意に足が止まった。
視線の先のショーウィンドウには近くの劇場にて公演中のオペラの宣伝広告が張り出されていた。
広告中央にて優美なドレスを身に纏う主演女優らしき女性が軽やかにダンスを披露するワンシーンが描かれるそれは、同性の自分から見ても美しいと感じてしまった。
手足が長く身体つきも顔立ちも大人びている彼女の姿に見惚れていたロスマンが徐に視線を、硝子に映される自身の容姿に移した。
主役の座を射止めた彼女とは違い、背が低く、顔にもまだ幼さが残っている。
ロスマン「……」
硝子にそっと手を添えるロスマンの双眸に憂いの色が帯び始めた。
幼少期に患った大病が原因で身体の成長は遅れ、体力にも恵まれなかった。それ故に初めの内は軍の採用基準を満たすことを出来ず、航空ウィッチとなる夢を半ば諦めかけた時期もあった。
ヒスパニアで怪異が発生したのは、それから少し後の話。
その知らせを受けたカールスラント空軍が優秀なウィッチにのみ身体的な採用基準を緩和したことで、晴れて航空ウィッチとなることが出来たのである。
その後は生まれ持ってしまったハンデを埋めるため、メルダースとともに一撃離脱戦法を徹底的に研究し、今に至る。
辛いことも、苦しいことも数多くあった。しかし、あの病がなければ一撃離脱という戦術に拘ることもなかったし、それを新人のウィッチたちに教える機会もなかったのではと、しばしば思うときがある。
自分の教えが少しでも彼女らの命を繋ぎとめているのであるならば、むしろ病には感謝するべきだろうか。
教え子たちが成長し階級や撃墜数を超えていくことが楽しみとなっているだけに、今となっては幼い自分を苦しめたあの病に然程の憤りは感じられなかった。
それでも、ほんの一瞬だけ。目の前のポスターに描かれる女優に対して、羨ましいという感情を抱いてしまった。
あの頃に、病に掛かってさえいなければ。
きっと手足も、この女優のように伸びていたのだろうか。胸や尻も年相応に成長していたのだろうか。
ロスマン「……なにを、いまさら」
全ては仮定の話。いくら夢を見たところで今の自分が変わるわけではない。
無いものねだりをするほど子供ではないし、それ以上にこんなことを考えていたら本当に彼に子ども扱いされてしまいそうだ。
後ろ髪を引かれるような感覚を振り払うかのように身を翻すと、すぐ目の前に俺の姿があった。
思わず“ひっ”と短い悲鳴を洩らし、後退ってしまう。一体いつの間に背後に立ったのだろうか。
足音も無ければ、近づいてきた気配すら感じ取れなかった。
単に人混みが発する喧騒や足音に掻き消されただけということもありうるが、それでも今の彼女の目には俺がまるで幽霊のように映っていた。
ロスマン「驚かさないでくださいよ」
俺「いやぁ……ごめんよ。でも、いきなり姿が消えたからさ」
強めの語気を前に俺が肩をすくめてみせる。
申し訳なさそうに後頭部に手をやる俺を前にロスマンはささくれ立った胸の内が緩やかに癒えていく感覚を覚えた。
そんな顔をされては怒るに怒れないではないか。
ロスマン「……本当に反省、してますか?」
俺「してるよっ。ごめんっ!」
両手を合わせ、頭を下げる俺にまるで母親に悪戯を見つかった子供のようだと感想を抱きつつ、手を口元に運ぶ。
ロスマン「では……今日はとことん付き合って貰いますからね?」
わざわざ街に繰り出したのは備蓄されている食材の補充のためである。
当初は一人で回る予定だったのだが、偶然にも休暇が重なっていた俺が随伴を申し出てきたのだ。
俺「はい、先生」
ロスマン「よろしい。って……俺さん、靴紐解けてますよ?」
ふと、彼が履く靴の紐が解けているのを見つけた。
傷だらけではあるものの目立った汚れが見当たらないところを見ると頻繁に手入れがされているようである。
俺「ありゃ? 本当だ。悪いけど先に行っててくれないか? すぐに追いつくからさ」
ロスマン「で、ですが……」
俺「次の店は向かいだろ? 大丈夫だよ。これが終わったら、すぐいくから……ってあれ? どうなってんだ?」
ロスマン「早く来てくださいね?」
俺「おぅ」
ロスマンが向かいの店に入っていくのを確認し、靴紐を結び終えた俺が眼前に佇む洋服店のドアに手をかけた。
ここから先は、おそらく自身の想像を絶するほどの戦場が待ち受けているだろう。
ガラス越しから見える店内には女性用の衣服しか見られない。
足を踏み入れたら最後、店を出るまで奇異の視線を浴び続けることを覚悟した俺が唾を唾を飲みこんだ。
俺「じゃ……行くかぁ」
意を決した面持ちで俺が強張る身体に鞭を打ち、店の中へと入っていった。
ここまで緊張したのは友人であるミヒャエラ・ヴィットマンに追い掛け回されたとき以来だ。
後に彼は同部隊に所属するヴァルトルート・クルピンスキーにこう語ったという。
―――
――
―
食材の補充を済ませて基地へと戻り、夕食を終えた俺とロスマンの二人が談話室でくつろいでいるときである。
俺「そうそう。エディータにもちゃんと誕生日プレゼントを用意したんだ」
いつの間にかトラックの荷台に紛れ込ませていた箱を取り出した俺が埃を払い、ロスマンに差し出した。
ロスマン「私にですか?」
俺「気に入って貰えると嬉しいんだけどな」
ロスマン「……?」
サイズから見て服だろうかと首をかしげながらリボンを解き、箱を取る。
包装紙に包まれる中身を取り出したロスマンは言葉を失った。
箱の中身は黒のドレス。
アクセントとしてロングスカートの部分に施された青い薔薇を模した小さな装飾が、黒いドレスが持つ暗い印象を掻き消している。
使用されている生地が上質なものであることも柔らかな手触りから感じ取れた。
ロスマン「どうして……こんな高価なもの……」
上手く声が出せない。
何とか搾り出すも震えてしまって声としての機能を果たせているかどうかも怪しい。
視線を俺に戻す。値も相当に張るものだということは触っただけで分かる。
だというのに、俺は勝ち誇ったような笑みを浮かべ、
俺「俺の貯蓄を甘く見ないほうが良い」
傭兵時代から貯めに貯めこんだ貯蓄は未だ衰えを見せていない。
それどころか、余分な荷物を増やさないよう出費を抑えているため、ゆるやかではあるが貯蓄は増加の傾向を辿っている。
ドレス一着買うために俸給を三か月分も吹き飛ばしたどこぞの百合に生きる整備士など敵ではないのだ。
敵ではないのだ。
ロスマン「でも……」
立ち上がりドレスを広げてみせる。
若干サイズが大きい気がしてならない。
これでは歩く際にスカートを踏んでしまうのではないか。
俺「大丈夫だ。ちゃんと、そのことも考えてあるよ」
にこやかな笑みとともにテーブルの下からもう一つの箱を取り出し、蓋を外して中身を見せた。
納められる鮮やかなブルーのハイヒールに目が奪われる。
ロスマン「そんな……二つも」
俺「二つじゃないぞ。ドレスと靴でセットだから、これで一つだ」
だから気にしないでくれと続ける俺の手を握るロスマンが面を上げた。
大きめの魅力的な瞳には潤んだ輝きが帯びている。
ロスマン「どうして……こんなにしてくれるんですか……?」
自分がポスターに映る女優に魅入っていたから?
それとも自分の身体つきが小さいから?
こんな高価なドレスを誕生日プレゼントに選んできたのか。
ロスマン「同情……ですかっ?」
涙が頬を伝い、ドレスに落ちてスポットを作る。
そのような安っぽい感情で彼が動くわけなどないというのに。
そんなことを考えてしまった自分に気がつき、悲しくなった。
俺はただ純粋に自分の誕生日を祝ってくれているというのに。
素直に彼からの贈り物を受け取れずにいる自分に、今では笑い飛ばせている古傷を抉られたような思いに大粒の涙を零す。
俺「勘違いしないでくれよ。そういうのじゃないぞ?」
ロスマン「じゃあ……どうして?」
今にも詰め寄らん勢いのロスマンに対し言葉の選択に迷った俺が数秒の間、宙に視線を泳がせ、
俺「……見たかったんだ。ドレスを着たエディータが。たぶん……いや、きっといつも以上に綺麗になるに違いないって思ったから……つい買っちまった」
どうして、この人はこんな笑顔を作れるのだろう。
仮にも泣いている女性の前で、そんな笑みを浮かべられたら。
悲しみや憤りが一瞬にして消えてしまうではないか。
ロスマン「……もう良いです。着替えますから……少しの間だけ廊下で待っていてもらえますか?」
これ以上考え込むことが無駄だと悟り、ドレスを抱え込んで立ち上がった。
ロスマン「どうぞ……」
軋むような音が真夜中の廊下に響き、中途半端に開いたドアと部屋の隙間からロスマンの震えた声音が聞こえてきた。
気に入ってもらえただろうか。
どうせなら、もっと明るい色のドレスにすればよかったか。
そんなことを頭の中で思い浮かべながら談話室に足を踏み入れた俺は息を呑み込んで絶句した。
ロスマン「……あの、どうですか?」
上品な印象を見る者に抱かせる黒いドレスに身を包まれ、白い柔肌を強調されるロスマンが談話室の中央に立ち、視線を泳がせていた。
着慣れない衣服を身に着けていることへの気恥ずかしさからなのか、頬は鮮やかな桃色に染まりつつある。
似合うだろうと思って選んだつもりであったものの不安がないというわけではなかった。
いつだって異性に何かを贈るときは無条件に緊張してしまうものである。
だが、そんな不安は杞憂に終わったようだ。
思わず息を呑んでしまうほどの美しさを上手く言葉で言い表すことが出来ずにいた俺は、ただ黙って恥らう彼女を見つめることしかできなかった。
ロスマン「あ、あの……俺さん?」
黙り込み、じっと見つめるだけの俺の姿に胸騒ぎを覚えたロスマンが彼へと歩み寄った。
日頃、履かないハイヒールを身に着けているにも関わらず、一定のリズムで足音を刻むことが出来ているのは彼女がウィッチだからだろう。
俺「あ、いや!!」
寄り添い自身を見上げるロスマンの切なげな眼差しに俺が数歩、後退した。
どう返せば言いあぐねていた俺であったが、ボキャブラリが少ない自分の粗末な脳みそでは気の効いた台詞を引き出すことは不可能であると悟り、彼女の肩に両の手を乗せた。
俺「とっても……綺麗だ」
飾り気などあったものでない月並みな台詞だとは自分でも思うが、これ以外に思いつく言葉がないのもまた事実。
胸の内で静かに謝罪の念を浮かべていると肩に置いた両手が払われた。
やはり平凡すぎたかと後悔する俺の手を包み込んだロスマンが柔らかな笑みを口元に浮かべた。
ロスマン「ありがとうございます」
俺「あ……うん。喜んでもらえて、俺も、嬉しいかな」
頬が熱を生み出す感覚を覚えつつ、数珠繋ぎ返した俺が何か思いついたかのようにロスマンの手を握り、彼女の身体を引き寄せる。
そして、手近にあったレコードプレーヤーを操作するなりスピーカーからゆったりとした音色が流れ出した。
俺「よろしければ、一曲踊っていただけませんか?」
離した手を胸元に添え、恭しい物腰で一礼をしてみせた俺が顔を上げると同時に片目を瞑った。
あまりにも似合わぬ姿に思わず吹き出してしまったロスマンは目尻に込み上げてきた涙を拭い、
ロスマン「はいっ。喜んで」
笑窪を見せて彼の手を取るなり、曲に合わせ身を躍らせた。
オーディエンスがいなくとも二人の顔つきは変わらず弾んだままであった。
ロスマン「俺さん? 足元が危ないですよ?」
俺「おっと」
指摘を受けた俺が右足を引いた。
その覚束ない足の運び方から彼にダンスの経験がないことが読み取れる。
俺「……まぁ。見様見真似でどうにかなるものじゃないな……っと」
ロスマン「経験が無いのに誘ったんですか?」
問いかけに俺が気まずげな表情のまま頷く。
俺「どうしても、エディータと踊ってみたくてね」
ロスマン「もうっ。また調子の良いことを」
悪戯をめいたウィンクにつられ、口元が綻んでいくのがわかる。
不思議と不快感は沸いてこない。
それどころか嬉しいとまで思ってしまっている。
ロスマン「でしたら、私がエスコートしてあげましょう」
胸の高鳴りを抑えることができない。
まるで、あのポスターに描かれた女優にでもなった気分だ。
心が、足取りがいつになく軽い。
俺「それじゃ、よろしくお願いします。ロスマン先生」
ロスマン「ふふっ……素直な子は好きですよ。先生が手取り足取り教えてあげますからね」
微笑むなり、ロスマンが俺の手を引き寄せ危なげなくステップを踏んでいく。
俺も時に彼女に合わせ、時にリードを試みる。
個人レッスンを繰り返していくうちに曲がフィナーレを迎え、沈黙が談話室に広がり始めた。
ロスマン「お疲れ様でした」
俺「お疲れ様。いやぁ……思ったより体力使うんだな」
ロスマン「初心者にしては筋が良い方でしたよ」
俺「ありがと。じゃあ、この辺りでお開きにするか」
ロスマン「はいっ」
―――
――
―
あれから着替えを終えたロスマンを部屋まで送った俺が部屋に戻って眠りに就こうとすると、部屋のドアが何者かにノックされた。
大した力が込められていないそれは弱々しくも受け取れる。
こんな時間に誰だろうかという疑問はすぐに掻き消えた。
先ほどの出来事を考えると主は一人しかいないではないかと思いつつ、握るドアノブを回してドアを引く。
ロスマン「こ、こんばんは……」
案の定、扉の向こうの廊下には寝間着に身を包むロスマンの姿があった。
夜気に苛まれ、全身を小刻みに震わせる彼女を何も言わずに部屋の中へと通すと壁に掛けてあるハンガーからジャケットを引っ張り、ロスマンの華奢な肩にかぶせる。
俺「何か用か?」
ロスマン「その……お邪魔でしたか?」
促されベッドに腰掛けたロスマンがジャケットの中で身を丸めながら、俺を見上げる。
俺「まさか。寒さで中々寝付けなかったところさ」
肩をすくめる。
たしかに寝るところではあったが、あのまま布団に潜っていたとしてもすぐに寝付くことが出来たかどうかは怪しいところであった。
ロスマン「そう……ですか。その、改めてお礼が言いたくて」
俺「お礼なんていいのに」
ロスマン「それでも。言っておきたかったので」
俺「……わかったよ。じゃあ……どういたしましてとだけ」
ロスマン「……一つ訊いていいですか?」
俺「ん?」
ロスマン「どうして……部隊のみんなに誕生日プレゼントを贈っているんですか?」
俺「どうしてって……そりゃ、同じ部隊の仲間だからな。誕生日は祝いたいじゃないか」
ロスマン「俺さんはずるいですよっ! 自分は散々他の子たちの誕生日を祝ったのに自分の誕生日だけ隠しているなんて!!」
堰を切ったかのように突然、声を荒げたロスマンに俺が言葉を詰まらせた。
あれは隠していたのではなく完全に忘れていただけである。
ニパの誕生日パーティが終わり、彼女から自分の誕生日を訊かれたときに初めて自分もその日が誕生日であったことに気がついただけなのだ。
ロスマン「今年は……絶対に俺さんの誕生日を祝いますからねっ? それまでは……どこにもいかないでくださいね……」
隣に腰を降ろした俺の手の甲を握るロスマンが目を細めた。
俺「善処、するよ……」
確約は出来なかった。
仕事さえ終われば自分はすぐにでもここを発つことになる。
寂しくないといえば嘘になる。ここほど居心地の良い基地は今までに訪れたことがなかったが、いつかは彼女らとも別れなければならない。
それは自分に限ったことではなく、戦局によっては彼女たちブレイブウィッチーズも散り散りになることもあり得るのだ。
だが、それはきっと自分が消えたあとの話になるに違いない。部隊の中で真っ先に姿を消すからこそ、俺は自分のことを少しでも覚えていてもらえるように彼女らの誕生日には決まってプレゼントを贈ることにしていた。
何を贈れば喜んでもらえるだろうかと悩むこともあった。
物で気を引く真似のようだと気がつき、負い目を感じたこともあった。
ロスマン「約束は……してくれないんですね……」
俺「……ごめんよ」
それでも、プレゼントを渡したときに彼女たちが見せる笑顔を見るとそれまでの悩みが嘘のように消えていくのだ。
ロスマン「……私のほうこそ。変なこと言って……すみませんでした」
俺「いいよ。心配してくれて、ありが……っくしょん!!」
ロスマン「風邪を引いたら大変ですよ。早く布団に入ってください」
俺が返事をする前にロスマンが彼をベッドの上に横たわらせ、布団をかける。
慣れた手つきはさすが先生といわれるだけのことはある。
柔らかな微笑からはどこか母性すら感じ取れた。
ロスマン「それでは、私は部屋に戻りますね」
俺「あぁ。ありがとう、エディータ」
ロスマン「私こそ……今日はありがとうございました。ドレス……大事にしますね」
俺「そう言ってもらえると嬉しいかな。じゃ、おやすみ」
ロスマン「おやすみなさい。俺さん」
身を翻したロスマンが出口へと向かう。
そのまま扉の向こうへ消えていくだろうと思っていた足音が不意に途切れた。
訝しげに思った俺が上体を起こそうとした瞬間に足音がベッドの傍へと戻って来るや否や、
ロスマン「お……お邪魔します」
俺「ちょっ!?」
布団の中に入り込んだロスマンが背中にしがみついてきた。
小柄な身体ではあるものの、女性特有の柔らかさと温かさが何とも心地良い。
思わず眠ってしまいそうになる自分を胸中で叱咤する。
ロスマン「伯爵は一緒のベッドで寝かせてくれたって言ってました」
俺「(はくしゃぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁくっっっ!! 何でそんなこと言っちゃうんだよぉぉぉぉぉぉ!!!)」
俺が胸裏で絶叫する。
まさかクルピンスキーが裏切るとは。いや、むしろ彼女だからこそ場の空気を引っ掻き回す爆弾を投下するのだろう。
だが、それ以上に俺を驚愕させたのはロスマンがこうして自分のベッドに入り込んできたという状況である。
伯爵に何を言われたのかは知らないが、それを鵜呑みにする彼女ではないはずだ。
ロスマン「俺さんが風邪を引かないよう私が温めてあげます」
俺「いや! だけどさ! やっぱり不味いんじゃないかなって! 俺さん思うわけですよ!」
ロスマン「伯爵は入れて……私は入れてくれないんですか?」
俺「ぐぬぬ」
後ろから拗ねたようなロスマンの声が耳朶を掠める。
この状況でそんな声を出すのは反則だと思う俺の背中にしがみつくロスマンが更に身体を摺り寄せてきた。
他の隊員たちと比べてしまうと控えめではあるものの、それでも弾力と柔らかさに富んだそれは自分の煩悩を刺激するのに絶大な威力を秘めていた。
俺「(すごい、ぬくい、やわらかい)」
ロスマン「俺さん?」
背中からの声に我を取り戻す。
どうやら意識が遠い彼方へ吹き飛んでいたようだ。
俺「分かったよ。そのかわり……あんまり刺激しないでくれよ?」
ロスマン「善処します」
俺「……あぁ。そう」
どうやら何を言っても無駄であるようだ。
弾んだ声音で返された俺が意外と頑固なんだなと諦めきったように窓の向こうへ視線を投げる。
まるで今の自分の心境を再現しているかのように月は雲に覆い隠されていた。
おしまい
最終更新:2012年01月12日 04:38