727 名前:1/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:34:43.03 ID:rNqWm2F50 [2/9]

「タカシ、お茶」
「は」

 ああ言えばこう動き、こう言えばああ動き。
 執事とは、仕えるべき主人の命に忠実に従うもの。

「タカシ、腕が疲れましたわ」
「は」

 然るに、神野家執事若頭たる別府タカシの生活は、そのほとんどが「神野リナに従う」ことのみで構成されている。

「タカシ、何か面白い事をしなさい」
「は。…Hey Mike! Im look to wildbear in your garden.  Ah...John, Its my wife!」
「つまりませんわ」
「は」

 神野家の為に奉仕する事こそ、執事たるアイデンティティー。
 故に、別府タカシは──。

「今日は私が食事を作りますわ」

 そんな言葉をリナから聞かされた時、あやうく卒倒しかけた。


「……は?」
「ですから、貴方はついてこなくて結構。…そうですわね、食堂でゆっくり待っていなさい」
「は、いや、ですがあの」

728 名前:2/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:35:23.74 ID:rNqWm2F50 [3/9]
 執事の全存在を賭け、タカシはリナに何か言いかけるが──。

「私の言う事が聞けませんの?」

 鶴の一声のようなリナの言葉に、黙って調理場から引き下がった。

 指定通りの食堂に向かい、タカシは立ったまま思案する。
 自分は何か、機嫌を損ねるような真似をしただろうか?少なくとも自分の認識では、全く心当たりがない。
 先日も先々日も料理は完璧なものを出したし、執事として恥ずべき行動を取った覚えもない。
 主人であるツインドリルの少女の言動も、つい先ほどまでまるでいつも通り、むしろ少し機嫌がいいくらいのものだった。

 ならば何故、彼女は突然食事を作るなどと言ったのか。

 別府タカシの知る限り、神野リナは野菜に直に触れた事すらない究極の箱入りだ。
 そもそも普段なら、料理を自分で作ってみようと言う発想に至る事すらあり得ないだろう。
 そんな彼女を動かした要因は、一体何か。よほど大きなものと想定できるのだが──。

 そんな事をぐずぐずと考えていると、やがて廊下からワゴンを運ぶ音が聞こえた。

「…呆れた。座っていればよいものを、わざわざ立って待っていたのですの?」

 息が止まるような感覚──よりにもよって、ワゴンを動かしているのは神野リナその人であった。
 これはいよいよもって幼虫がおかしい、いや様子がおかしい。
 そもそも彼女はこうした仕事はメイドの仕事として、手を触れる事すら厭んじていた筈だ。
 やはり、強烈な何らかの要因が働いたとしか思えない。それでなければどこかで頭でも打ったか。

「…何をボーっとしていますの」 

 あからさまに不機嫌な主人の声が聞こえてくる。
 はっとして目を向ければ、リナはひどく不器用な手つきで皿を椅子の前に運んでいた。

729 名前:3/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:35:49.06 ID:rNqWm2F50 [4/9]
 …いくらタカシでも、ここで気づかぬほどの愚鈍ではない。
 これは明らかに自分の為──つまり、リナはこの執事の為に昼食を拵えたのだろう。

 主にこれ以上の面倒を掛けまいと、タカシはやや急ぎ足でさっと椅子に腰掛ける。
 その様子にリナは満足したような顔を浮かべ、それから満を持して、というように、皿に乗せられたドームをばっと取り上げた。

「さあ、お食べなさい!」

 ひどく傲慢な、だが決して嫌な感じのしない声でリナは勢いよく命じる。
 ドームの中から出てきたものは、色とりどりの野菜が散らされたもの──野菜イタメであった。

 具材はピーマン、ニンジン、キャベツといった所だろうか。厨房に備え付けてあるものを拝借したと思われる。
 しかしその切り方は均一性もなにもあったものでなく、例えばニンジンなどは刺身から煮物まで色々な料理に使われる大きさが混在している。
 ピーマンはまだ揃っていたほうだが、大量のタネが野菜に混じり沈んでいた。鮮やかな緑の身とともに、黒い焦げもかなり目立つ。
 キャベツに至ってはどこをどうしたものか、芯の中心部が直にどっかりと居座っていた。

 まあ、簡単に言えば結構な失敗作であった。

 しかし執事がそのような愚にもつかない事を言える筈もない。
 なにしろ目の前の主人は、この料理を会心の出来と言わんばかりに微笑んでいるからして。
 結果、別府タカシは実にうまそうに生焦げ野菜の丸かじりを食うという苦行にレッツトライする羽目になった。

730 名前:4/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:36:15.67 ID:rNqWm2F50 [5/9]

「…御馳走様でした」

 胃にのしかかる生野菜の重みを感じつつ、タカシは両手を合わせて食後の挨拶を告げる。
 リナは喜色満面に、空っぽになった皿をにこにことワゴンに戻した。

「どうでしたの、味の方は」
「大変美味しゅう御座いました。光栄の極みでございます」

 タカシは優しい嘘をついた。

「…ふふふ…まあ、私の手にかかれば、ざっとこんなものですわ」

 えっへん、と豊かな胸を張って、その言葉に得意げに鼻を鳴らすリナ。
 タカシは心の中に苦笑いを残しつつも、せめてお茶で流し込もうとワゴンに乗せられたティーカップに手を伸ばした。

「…待ちなさい」

 その手は、リナによって掠め取られる。
 リナはポットの中の茶色い液体を、少し機嫌を損ねたようにタカシのカップへこぽこぽと注いだ。
 その様子をおろおろと眺めながら、タカシは問いかける。

「…食事に関わる世話を、自分の手でやってみたくなった…のですか?言ってくれればお手伝いさせていただいたのですが…」

 ことり、と置かれたカップをタカシは手に取る。

「その言い方は気に食いませんわ。…私は、貴方に出来る事が私に出来ない筈はない、と改めて証明しただけですもの」

 にやり、と会心の笑みを漏らすリナ。
 タカシはカップに口を付け、液体を喉へ流し込む。茶葉が喉に張り付き、あやうく咳き込みかけた。

731 名前:5/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:36:33.29 ID:rNqWm2F50 [6/9]
 渋すぎる茶をなんとか飲み下し、ようやくタカシは本日最大の疑問点へ矛先を向ける。

「…それにしても、何故、急に食事の世話を?」

 はた、とリナの動きが一瞬だけ止まる。

「…言ったでしょう?私にも出来ると言う事を、改めて証明しただけだと」
「僭越ながら、言わせていただけば」

 ぴしり、と張りのある声でタカシは続ける。

「お嬢様が私よりはるかに多彩で、秀でていて、気品あふれる方だと言う事は分かりきった事実の筈。
 それに元はこのような仕事、私達のようなものにこそ相応しい。神野グループの令嬢たる貴方が、改めて行うような必要はない筈。
 …この事はむしろ、私よりお嬢様のほうがよく分かっていた筈ではないでしょうか」

 う、とリナが言葉に詰まる。

 このような質問は、本来、執事としては行き過ぎた領分に入るのだろう。
 それでも、この場では別府タカシ一個人としての好奇心が勝った。

 どうして突然食事の用意に至ったか、その理由を聞いてみたい。
 やがてリナは観念したように、ごにょごにょと話しだした。

732 名前:6/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:37:59.18 ID:rNqWm2F50 [7/9]
「……貴方が、悪いんですの」

 俯きながら、リナはゆっくりと言葉を紡ぐ

「…私が…ですか」
「私に物心ついたころから、貴方は私の世話をしてくれていて…あの頃はまだ失敗もあったけど、今は万に一つのミスもなくなりましたわね」
「光栄でございます」

 タカシは恭しく一礼する。
 その従順な様を、リナはむしろキッと睨みつけた。

「それ、ですわ。年の差はそれほど変わりはしないと言うのに…私は、貴方が執事として成長していくのが、怖かった」
「………」
「置いていかれる…気が、したんですの。
 私は、貴方ほど従順で素直になることも出来ない、子供のままだって。貴方ばかりが、先に大人になっていってしまうような気がして」

 堰を切ったように、リナの口から言葉が溢れだす。


「だから、私もちゃんと成長しているって、貴方に頼りっ放しのように見えたって、一人でも家事くらいはこなせるんだって…
 それだけ、ですわ。今にして思えば、これこそ子供っぽい理由でしたけど…」

 途切れ途切れになりながらも告白されたその言葉は、痛いほどタカシの胸に突き刺さる。
 物心ついた頃から執事として生きてきたタカシ。自分のミスのない奉仕が、逆に主人の負担になっているとはまるで気づかなかった。

 しかし、その負担は明らかなお門違い。

「お嬢様…」

 タカシは思わず立ち上がり、その両手を握る。

733 名前:7/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:38:58.62 ID:rNqWm2F50 [8/9]
「な、何を…っ!?」

 慌てるリナの目を正面から見据え、嘘偽りのない、本当の気持ちを伝える。

「お嬢様の成長は、私が誰よりも知っております。例えお嬢様が気づかずとも、私は知っているのです。
 お嬢様、貴方はそのままでいい。無理して私を真似る必要はどこにもない──!」

 リナの瞳が、タカシの真摯な面で埋まる。

「貴方は既に、誰よりも気高く美しいでしょうに!」

 勢いでそう言い放ったその刹那──ぽん、という軽い音とともに、リナの顔がゆでだこのような色に染まった。
 そして、タカシは気づく。執事たるこの身にしては、あまりに行きすぎた事を喋くっているという事に。

「…失礼しました」

 ぱっ、と握った両手を離し、執事の自分を取り戻す。
 しかし──手を離した神野リナは、しばらくの間ポーっとした熱っぽい目で、口を僅かに開いたまま、じいとタカシの事を見つめていた。

「…あの、お嬢様?」

 その声でリナは我に返る。
 自分が今の今までタカシを見つめていた事を悟ると、慌てて取り繕うように両手を隠す。

「ふ、フン、すごく嬉しい、じゃなくて少しはものの分かる執事になったようですのね。
 幸せすぎて死んじゃいそう、じゃなくて!か、神野家として相応しいものになったと言えるのかしら」

 リナはなんだかしどろもどろになりながら答える。
 やはり妙な事を言い過ぎたか──タカシは自らの浅慮な行動に後悔しつつも、自分の乱れた精神を一度統一する為、席を外そうと考えた。

734 名前:8/8[] 投稿日:2011/10/13(木) 08:39:18.59 ID:rNqWm2F50 [9/9]
「…では、私はこれで失礼します」

 椅子から立ち上がった刹那、リナが小さく「あっ…」という声を漏らす。
 それから、リナはえらく明瞭な声で──

「ま、待ちなさい!」

 と命令した。

「食器の処理が終わってませんわ、調理場まで運んで、私を手伝いなさい!」

 びしっ、と空になった皿とワゴンを指し示す。
 タカシは少しばかり足を止めた後──少しばかり微笑んで、答えた。

「…は、かしこまりましたお嬢様」

 近づけば近づくほど真っ赤になってしまうリナを気にかけながら、タカシは食器を乗せたワゴンを運ぶ。
 この日の二人の身体の距離は、心なしか──少しだけ、近くなっていた。
最終更新:2011年10月15日 15:03