663 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:46:56 ID:W1pMcFoo
そいつは幼馴染みだった。
五歳の頃、私の家の隣の老夫妻の家に引っ越して来た。そいつは常に泣いていたのを覚えている。
その両親が亡くなったので親戚中をたらい回しにされた挙げ句この田舎に来た、というのだから当然と言えば当然だったのだが
当時私はそんな事も理解せずに、仲良くしていたおじいちゃんおばあちゃんを独占できなくなったとか
そいつが都会から来たとかいう理由から嫌っていた。
その後、思ったより早めにそいつは周りに馴染んだ。勉強が良くできた。病弱ではあるが運動だって出来ないわけではないらしく
元兵隊のおじいちゃんから学んだ格闘技とかも、馴染んだ一因なんだろうか。
そのまま小学校の卒業生16人全員でおなじ中学に上がってからもそれは変わらなかった。
おじいちゃんとおばあちゃんが立て続けに亡くなってそいつが一人暮らしを始めた頃からだろうか。
両親がそいつの事を気にしだして親しくなったことも手伝ってか、気付けば男子の中ではそいつばかりを目で追っていた。
でも結局、今は二人で片田舎の『部活も盛んな進学校』に通って二年と少し。ただそれだけだった。
それだけの筈だった。
一緒に返っている最中、そいつが崩れるように倒れた。
664 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:47:55 ID:W1pMcFoo
病院は嫌いだ。匂いが好かない。
そいつが倒れてもう1週間弱。結局お見舞いには今日まで来れなかった。
そいつは小さな個室だった。
ノックをしてはいると、彼は体を起こし、本を読みながら寝ていた。
私は驚いた。たった一週間と言う期間を考えれば異常なほどに痩せていた。
布団から出ている腕は自分の腕よりは太いが、普段の印象とはかけ離れて。
その腕に点滴が刺さっているのをみて、これは彼を元気にするためのものの筈なのに
何だが病人という事をより深刻にしているような印象を受けた。
体全体はまるで板のように薄く、光の加減もあるのか顔は全体が黒ずんでいる。
「立派な病人してるのね」
そう呟くと視界がぼやけた。こぼれはしなかったが、私も立派に泣いていた。
別途の前に屈むようにして彼の頬を撫でた。間違いなく暖かかった。
そのまま少し撫でていると、彼が目を覚ました。
「……う」
「あ、ごめん」
「……なんだお前か」
容赦なく一発かました。こいつが弱っている事をすっかり忘れていた上での一撃だった。
665 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:48:37 ID:W1pMcFoo
「あ、ごめん……で、これ、頼まれてた本と充電器」
「え?」
「あんた自分が本持ってこいって頼んだ事も忘れたの? 大好きな参考書と筒田康隆」
紙袋から、表紙だけはカラフルな参考書を取り出す。
重くて、分厚い参考書だ。それも数学となると見るだけで参ってくる。
それも数学だけではなかった。そんなに長くかかる病気なんだろうか、と嫌な考えがふと頭をよぎった。
「そんなの病気の時にやったら益々弱るんじゃないの」
「弱りはしねえよ、寧ろ暇で。 あ。どうぞ座って」
私は傍にあった椅子に座った。彼があまりに弱々しくて、下手に励ます事もはばかられた。
「それとこれ」
「……サラダ記念日?」
笑った。酷く老けたような笑い方で。その時の顔は、何だか別人のような気がした。
「現代文で出てくるかな」
「そういう見方するなら持って返るわよ」
「ごめんごめん」
……やっぱり馬鹿だ。こいつは。
「授業はどうなってる?」
「進路の説明で将来の夢を聞かれたぐらい」
「そうか……俺の夢はなんだろうな」
「誰も聞いてないわよ」
「じゃあ、お前の夢は?」
666 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:49:29 ID:W1pMcFoo
そういえば、一緒に学校を行き来してる割にはあまり話した事がないような気がした。
話す事なんてとりとめのない、もっとくだらない事を何日かおきに口に交わす程度だった気がする。
「……決まったら言うわ」
「前もそうだったじゃねえか。 ほら、あのお前が崖から落ちそうになった時」
「『あんたが』崖から落ちた時ね」
私の代わりに、という言葉は喉から出ることはなかった。
中学最後の夏祭りの時。花火を眺めようと二人で裏の山に登ったときのことだ。
「たかだか数メートル落ちただけなのに、お前が大声出してわんわん泣」
それ以上は喋らせなかった。あんまり思い出したい事ではない。みっともなくて。
でもその時にそんな話しただろうか。あのことは覚えていると思ったがそうではないらしい。
「……で、そんときもそう言った」
「じゃ、まだ決めてないけど間違いなくあんたより稼ぐわ」
『アナタトイッショナラドコデモイイ』そんな事言えるか。
「どうでも良いけど、あんたが早く良くなってくれないと……クラブの連中とか男子が私に色々言ってきて大変なんだから」
でも私の言いたい事はそんな事なんだろうか。
彼は笑った。少し声を出して。私も笑っていた。表情だけ。
なんで本当の事が言えないのだろう。
「それに演劇の練習もあるから。 一昨年だっけ、あの『名演』は?」
苦笑しながら彼が「勘弁してくれ」とでも言うように首を振った。
誰もいない舞台で、私の役に対して、客席に向かって「お前を泣かす奴は許さない!」と叫ぶシーンだった。
練習中みんなで爆笑したものだ。本番はBGMがあるから何とか耐えられたが。
667 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:50:02 ID:W1pMcFoo
……言うな」
「でも、早く良くなってね。 寂しいから」
………あーあ言っちゃった。でもこれが本心だ。
みるみる頬が染まり体中が熱を帯びる。あいつもきょとんとしている。
突如、彼の少しごつごつした手が私の頭を撫でた。
堪える術もなく涙が溢れてきた。
「俺は大丈夫だよ」
「……バカ」
口ではそう言ったが手を振り払えはしなかった。
その手は暖かかく、心地よかった。
「……それじゃ、もう時間があれだし帰るね」
「ああ、ありがとうな」
初め見た時は驚いたが、今はその不安は薄くなっていた。彼は大丈夫だ。
「早く、良くなってね」
「モチロン」
親指を立てて彼は応えた。
容態が急変したという連絡を受けたのは、それから二日後の昼休み中だった。
668 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:58:00 ID:W1pMcFoo
彼を見たのは、結局その連絡から3時間後だった。
その間に彼の親族に連絡を入れたが、二年に一度くらいにある定期的な儀式を流すような受け答えだった。
私が何か言う権利はない。理由だって、見つからない。ただただどす黒い曖昧な感情が全身を侵していった。
簡単な防腐処理を済ませるまではただ見る事以外出来ない。
もう彼に触れるのは、最後の別れの時だけだった。
彼が最後に抱えていたという「サラダ記念日」をおもむろに開いた。
本は綺麗なままだった。貸して3日なんだから当然と言えば当然だったが、彼はもう一回は読んでしまっていたようだった。
ベッドにある物を捨てる事は許せなかったので参考書や人形など、私が持って行った物を私が引き取る形となった。
ポストイットが裏表紙に張ってあり、ただ「どうも」とだけ書かれていて。
封筒が挟んであって、そこには私への手紙が入っていた。
涙は出なかった。
それから、殆ど何も覚えていない。周りが、いくら焦っていたといっても
何か安定した上で大騒ぎしているようで、何だか自分が滑稽だった。
お葬儀も、まさに質素だった。淡々と参列者が彼の写真の前に一礼していく。
泣いている人もいた。その人を見て初めて自分がまだ泣いていない事に気付いた。
クラスメートも来ていたが、私に話しかけてくる人はいなかった。
クラス内で仲良くしたつもりもないし誰かに話したわけでもないのだが
有り難かった。今話しかけられても答えるという事は出来ない気がした。
669 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:58:59 ID:W1pMcFoo
そして花を入れる時も、何も思わなかった。ただ彼はそこにいた。
皆が花を入れていく様をただ見ていた。
そして最後、友達に連れられるように、実際引っ張られたのかも知れないが、
閉じられる前の棺にやっと立った。
そうする事が決まっていたかのように、自然な動作で彼の頬に触り手を握った。
冷たかった――あんなに暖かかったのに
それがスイッチだった。感情を溜めていたダムが綺麗に砕けたようだった。
「あ…あああ」
喉から意識もしていないのに声が出た。膝から力が抜け、ひざまずく他無かった。
不意にいつもの彼の姿が浮かんだ。
夜遅くまでついていた部屋のライト。体育で走っている時の姿。
自転車の後ろに乗っけてもらったときの背中。背が高いわけではない私が取れない物を取ってくれた。
問題を教えてくれた時の彼の一挙一動やメモの取り方。何気なく話している時の顔。
悔しい、結局最後の最後も励まして貰ったのはこちらだった。
私は結局彼に何をしてあげられたのだろうか。結局彼の口からは何も聞けなかった。
「スキ」と思いを伝えられなかった。拒否されるのが恐かったから。
伝えたかった。気持ちを。
気が付くと友人に支えられたままで大声を上げて泣いていた。
670 :以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします:2006/12/27(水) 14:59:41 ID:W1pMcFoo
今日私はこの家を出る。
生まれ育ったこの町とも今日でお別れだ。
もう荷造りも終わり、あとはトラックを待つだけだった。
辛かった。あいつが居ない通学路をたった数ヶ月でも一人歩くというのは。
あの封筒の中の手紙には何が書いてあるのだろう。私はまだ読んでいない。
頑張れ。とでも書いてあるのだろうか。あいつは頭が良かったからそんな月並みなメッセージじゃないんだろうか。
俺の事は忘れろ、だったら今からお墓を壊しに行く。お墓のリクエストだろうか。だったら悪い事をした。
遺骨はもう親族の元で、両親と同じ処にある。遺骨は地中海に撒いてくれだろうか。
「ハズレ」……これは昔、私があいつにやってやった事だ。
涙が出てきた。これで何度目だろう。結局私を一番泣かしたのはあいつだった。
でも今は笑ってられる。見守ってて、とが傲慢な事を言うつもりはない。
見るか忘れてなければそれで良い。私は忘れない。
彼の部屋を二階から見下ろして言った。
「またね」
向こうからトラックがやってくるのが見えた。
(終)
最終更新:2011年10月25日 17:47