673 :1/2:2010/02/07(日) 17:48:23 ID:???
いつだったかのスレのなんだかっていうお題で一つ

“三年”になる。
口に出してみれば1秒にも満たない短い言葉は、こんなにも重く、こんなにも黒く。
「あぁ。俺は薄情だよ。おまえとこんなになった理由さえ覚えていないんだ」
それはきっと、道端で石に躓いて転んだとか、冷蔵庫を開けたら目当ての飲み物が無かったとか、そんな風にくだらないことだった。
けれどどれだけくだらなくても、離れてしまえばあんなにも重い言葉だったとわかる。
――……。
痛いぐらい耳に押し付けたワインレッド色の携帯の向こうからは、相変わらず何の音も聞こえない。
携帯だけ別の部屋に放置しているのかも知れないし、そもそも、もう繋がっていないのかも知れない。
灰色のアスファルトに目線を落として歩く俺は、そんなことさえわからなく、なっている。
「ばかみたいだ。おまえはこんなに苦しんでいて、俺はそのせいで苦しんでいて、まったく因果なものだけど」
ガタンガタン。
電車の走る音が耳元を駆けていく。
どこからどこに向かう、どこを通る電車だろう。
心の奥底で中途半端に眠りについた思い出が、けだるそうに、緩慢に、そのくせ待ってたかのようにさぁと鮮明になっていく。
電車の色は、確か黄色。
「はは、懐かしいな。……あ。……ごめんな、またかけるよ」
前触れも無く降り出した雨を見て、相手の返事も待たずに通話を終わる。
勝手だと思う。けど、そういう性分だ。
おまえにどんなに怒られたって変わってやるものか。
畳んだワインレッドの携帯をポケットの中に入れて、俺は群青色の大きな傘を広げる。
携帯を切ったのはそのためではない。
いつか見た光景が、ふっと目の前に蘇ったからだ。
「そのままじゃぬれますよ」
違うのは、あのときよりも少女の背丈が高いこと。
地毛だという絹みたいな茶髪も短かいし、フードを目深に被った上着の色は赤じゃなくて青だし。
「ありがとうご……――っ!?」
懐かしいといえば懐かしい。
おかしいのは、こちらを見上げた少女の顔に見覚えがあったことか。
灰色の空。
そんなに急がなくてもいいのにと思わせるぐらい、雨脚は凄まじい勢いで強くなっていく。
黒色の瞳。
傘を差し出してくれた少年の顔を見るなり、言葉を失って沈黙する少女は、やっぱり雨にぬれ、あのときと違って涙でも流しているみたいだ。
自分の膝に手を置いてかがんだ状態のまま、俺はふっと頬を緩めた。
「傘ぐらい、使ってくれてもいいだろ」
「うるさいバカ。バカ。バカ!」
あのときは罵声も無かった。
いや、初対面だったのに散々な態度はとられたかも知れない。
「バカ! 顔なんて見たくもない! あんたの顔なんか、あんたの顔なんか!」
――――の、顔なんか!

674 :2/2:2010/02/07(日) 17:50:47 ID:???
よく聞こえなかった誰かの名前。
言って、俺から傘を奪う少女。
ガタン。雨の音がうるさい。ゴトン。電車の音がうるさい?
群青色の大きな傘は見るも無残にびしょぬれな少女を守って、雨粒を景気よくばしばし弾く。
「おまえは家にいるものだとばかり思っていたけれど」
少なくとも携帯からは雨の音はなかった。
どこからどこに向かう、いつを通るかもわからない電車の音はしたけれど。
その思い込みは嘘じゃない。
でも俺の言葉を少女がどれだけ信じているかは別問題。
昔から言っていた。あんたの話は半分真面目に聞くぐらいが丁度いいんだって。
ひどい話だ。まったく。
「でも、そっか。ここにいたんだ。嬉しいな。小躍りしようか、雨の中で」
ばか、と本日何度目かもわからない悪口が雨をかきわけてまっすぐに俺の心を刺す。
小躍りしたいのは本当だ。でも俺の言葉を少女がどれだけ信じているかは別問題。
昔から言っていた。あんたは思ったことを全部口にする正直(バカ)なやつだって。
ひどい話だ。ほんと。それじゃぁ俺はこれから風邪をひくことになる。
「そうだよばか。しんじゃえ。かぜひいて、おもくなって、しんじゃえばいいんだ」
看病になんか行ってやるもんかって、少女の声は雨に打たれる水溜りみたいに震えている。
道端の、雨の日は水溜りでばしゃばしゃするのが仕事みたいな子供にさえ見向きもされない惨めな水溜りみたいに。
「ひどいなまったく。ほんと、なんてひどい。ごめんな」
「知らないよ」
それは凄惨な光景だった。
ずぶぬれの少年がいて、傘の中で震える少女がいて、化かしあいみたいな会話ばっかりで、最後まで顔をあわせないで。
なるほど、何のことはない、二人は変わらず、生憎の天気だったというだけのくだらないワンシーン。
「帰ろう。送る……は、――っくしょん! ……よ」
「そう」
少女が歩き出す。俺も歩き出す。
傘に入った誰かと傘に入ってない誰かが縦に並んで住宅街を歩くなんて、奇妙な光景だろう。
けど、それが俺たちの関係で。
多分、ここからやり直す関係で。
「……そうだよな?」
答えはなかったけど、どうせ知らない、とかばか、とかしょうもなく容赦のない言葉が弾丸のように返ってきたことだろう。
それでいいんだ。
あの電車の見える安アパートで、俺たちはそうやっていがみあってきたんだから。
最終更新:2011年10月25日 19:46