732 :1/15:2011/03/20(日) 14:07:44 ID:???
(自炊)ホワイトデーにどうやってお返しをしようかで悩む男
「ほれ。敬香、これ」
『……何ですか? 兄さんこれは』
三月十四日の朝。妹にクッキーの入った箱を差し出すと、思いっきり胡乱げな目で見られた。
「いや。だから、その……バレンタインのお返しだって」
『私、バレンタインデーのチョコなんて兄さんにあげてませんけど』
姿見を前に、髪に櫛を入れていた妹は、一顧だにせずに答えた。しかし、それに負けて
いてはこの妹の兄は務まらない。俺は呆れた風を装って言い返した。
「何言ってんだ。一応、バレンタインデーにチョコはくれただろ? 今年はえっと……チョ
コレートムースだったっけ。自分が食べたかったから作ったついでだとか言って」
『そういえば、そんな事もありましたっけ』
素知らぬ顔で言う我が妹だが、これで本当に俺が忘れてようものなら、向こう三ヶ月は
いつにも増して辛く当たる事間違いなしなのだ。
「でなきゃ、貧乏な俺がわざわざ敬香の為に菓子なんて買って来るか。いらなきゃ別にい
いぞ。俺が食うから」
『誰もいらないなんて言ってません』
クールを装っていて、その実慌てたように敬香は言うと、俺から素早くクッキーの箱を奪い取る。
「何だよ。バレンタインデーにチョコあげてないのに、お返しだけはちゃっかり貰う気かよ」
肩をすくめて文句を言ってみせる。もちろん演技だが、妹は憤慨して言い返してきた。
『思い出しました。確かにあれはバレンタインデーでしたね。たまたま作ったチョコレー
トムースを、その日がバレンタインだって忘れてて兄さんにあげてしまいましたっけ。何
か、兄さんは勝手に勘違いしてましたけど』
俺はため息をついた。チョコをくれる女の子がいるだけでも幸せなんだろうけど、どう
して俺の周りの女の子達は素直にバレンタインチョコですって差し出してくれる子がいな
いのだろうか。せいぜいが義理だとかついでだとかだ。
「クッキー奪い取ったら思い出すとか、どんだけちゃっかりした記憶力だよ」
そう茶化すと、敬香は俺を睨み付けて言い返した。
『別にクッキーに釣られて思い出した訳じゃありません。失礼な事言わないでください』
733 :2/15:2011/03/20(日) 14:08:08 ID:???
俺を睨み付けながら、クッキーの箱を大事そうにしっかりと抱えて言い返す敬香。もっ
とも、俺だって自分の言葉を信じてはいない。頭の良い敬香がそもそもバレンタインデー
の事を忘れてるなんて事そのものを信じていないのだから。
「ま、それは冗談だけどな。で、いるのか? いらないのか? はっきりしろよ」
すると敬香は僅かに顔をうつむかせて黙り込む。少し経ってから、顔を上げて俺を憎ら
しそうに睨み付ける。しかしその頬が僅かに赤らんでいたのを、俺は見逃さなかった。
『別に、兄さんからのお返しなんて嬉しくありませんけど。でも、兄さんなんかに買われ
たクッキーが不憫ですから、これは貰っておきます』
「……貰うなら、素直にそれだけ言ってくれた方が俺としてはいいんだけどな」
相手は妹だし、もう慣れていてはいてもたまには嬉しそうな顔も見てみたいなと思いつ
つ言うが、逆に敬香は俺を思いっきり睨み付けた。
『冗談言わないでください。下手に兄さんに勘違いされたら、私が……その……困りますから』
「困るって、何が?」
直球で聞き返すと、さらに敬香は顔を赤くして怒鳴った。
『困ると言ったら困るんですっ!! これ以上深入りして聞かないでくださいっ!! も
う……用が済んだんだったら、とっとと私の部屋から出て行ってください!!』
プイ、と体ごとそっぽを向かれてしまったが、俺はまだ敬香に用があった。グズグズし
ていると叩き出されそうだったので、急いで話を進める。
「いや、あの……参考までに一つ聞きたい事があるんだが、いいか?」
『何ですか? その、参考までって』
肩越しにジロリと睨み付けられる。若干気圧されつつも、怯まないよう気を強く持って、
俺は言葉を続けた。
「あのさ。バレンタインにチョコあげたつもりのない奴から、こうやってお返し貰うのっ
て、やっぱり迷惑か? いや。嬉しくないとかは分かるんだが」
すると敬香は、クルリと俺に向き直ると、唐突に詰め寄ってきた。
『何でそんな事を聞くんですか? 私の他に、バレンタインにたまたまチョコをくれるよ
うな人が兄さんにいるんですか?』
「あー、いや。参考までだって言ったろ? 来年に備えてって事もあるし」
『来年は、私は兄さんに間違ってもチョコなんてあげませんよ?』
734 :3/15:2011/03/20(日) 14:08:33 ID:???
以前にも、敬香からそんな台詞を聞いた事があったのを俺は思い出す。その次の年は作
り過ぎたんだっけ。
「いや、だからさ。お前にだってうっかりする事はあるから、作り過ぎたりたまたま余っ
たチョコ菓子をくれたり、自分が飲みたくて一緒にホットチョコを作ったりするかも知れ
ないじゃん。だから、その時の為にさ」
過去の例をいろいろ挙げて言うと、敬香は俺を睨み付けて吐き捨てた。
『ホント、ムカつく人ですよね。兄さんって』
「別に、お前と馬が合わないのは今に始まった事じゃないだろ」
そう言うと、敬香は口を尖らせて視線を外す。少し黙った後、ゆっくりと、言葉を選ぶ
ように俺の質問に答え始めた。
『……まあ、余程常識外れなものじゃなきゃ……迷惑とまでは言いませんけど…… 大体、
兄さんは日頃私に迷惑ばかり掛けているんですから……チョコあげなくても、ホワイトデー
にプレゼント渡すくらいの感謝の気持ちはあって……当然です』
確かにいろいろ世話もして貰っているが、それなりにお返しもしているはずなんだがな、
とは内心思う。しかし、今はそっちが本命ではない。俺は小さく頷いた。
「悪いな。参考になった。ありがとう」
『へ……ちょっと、兄さん。それってどういう……』
ポカンとした顔で聞き返す敬香を俺は慌てて退けた。
「いや。気にすんな。そんじゃな」
これ以上追求される前に、俺は敬香の部屋を出た。急いで自分の部屋まで戻るとホッと
吐息をつく。
――あと……まだ、やっかいなのが二人か。
バッグを開けると、小さな手提げが二つ。覚悟を決めてチャックを閉めると、俺はバッ
グを肩に担いだ。
『何ですか先輩。教室にいきなり顔出されても困るんですけど』
放課後、真っ先に一年の教室に行くと、教室にいた手近な女子に頼んで文村を呼んで貰っ
た。俺も一応生徒会副会長なので、意外な顔一つされずに受けてくれるのはこういう時助かる。
735 :4/15:2011/03/20(日) 14:08:56 ID:???
「いや。今日は生徒会もないだろ。だから、一応こないだのお返ししとかないとと思ってさ」
そう言いつつ、俺は廊下の方に顔を向けてあごでしゃくる。その先には同じく生徒会後
輩の早川がいた。
「文村さんにはチョコ貰ったからね。感謝の気持ちって事で、はいこれ」
早川が、手提げのビニール袋を差し出す。すると文村は笑顔でそれを受け取った。
『ありがとう、計君。友チョコだとホワイトデーのお返しはないから、何気に私も貰うの
は初めてだったりとか。あ……でも、計君は他の子からも貰ってたんだっけ』
ちょっと不満気な顔になる文村に、早川は慌てて言い訳するように言う。
「いや。確かにクラスの子にも返したけど、グループでまとめてだからさ。特定の子にっ
て訳じゃないし」
そんな早川の困り顔がおかしかったのか、文村はクスッと笑った。
『いいよ、別に。お返し、くれただけでも十分嬉しいから』
それから横目でチラリと俺に視線を移して言った。
『で、先輩は?』
「ああ。俺もお返し。ほれ」
紙袋に入ったクッキーは、今朝敬香にあげたものと同じだ。文村は、紙袋を開けて除い
てみてから言った。
『ふうん。クッキーですか。超普通ですね』
「ありゃ? 何か、早川の時と随分態度違くないか?」
つまらなそうな文村の態度に疑問を呈すると、文村は不満気に俺を睨んで言った。
『当たり前です。先輩はくれて当然なんですから。義理の義理でもチョコ貰えた感謝の気
持ちくらい示して当然です』
どうしてこうも、俺の評価は低いのか。もっとも文村の場合は一応バレンタインチョコ
ではあったし、口の割には中身はしっかりしたものだったから、多少は我慢しないといけ
ない所もあるだろう。
「まーな。あれ、結構美味しかったし。だから、クッキーだっつっても、一応それなりに
は吟味してんだぞ」
美味しい、という言葉に文村がピクッと体を反応させた。視線を僅かに外して顔をうつむかせる。
736 :5/15:2011/03/20(日) 14:09:16 ID:???
『……べ、別にその……先輩に美味しかったとか言われても嬉しくないですし、別にあれ、
手作りって訳でもないですし…… でも、そこまで言うんだったら、あんまり美味しくな
かったら、やり直しを要求してもいいですか?』
「マジかよ。この財政難にそれはキツイだろ」
何だか美味しくても美味しくなくても難癖つけられそうな気がして、俺は拒否しようと
した。しかし、文村は断固とした口調で言い張る。
『いーえ。決めました。美味しくなかったらこのクッキーはお返しとは認めません。先輩
の本気が見えるまで、私は納得しませんから』
「美味いとか美味くないとか、どういう基準で判断すんだよ。そんなもん、適当に言われ
たら無限ループ突入だろ」
何か勝手に決定されてしまったので、仕方なく文句を言うと文村はキッと顔を上げて言った。
『そんな事、私の基準に決まってるじゃないですか。貰った本人なんですから。何だった
ら先輩の目の前で判定してもいいですよ?』
「まあ、確かに目の前ならある程度俺も文句付けられるけど……でも、どこで食うんだ?
生徒会室か?」
何となく思い当たる場所を言ってみたが、文村は断固とした感じで首を振った。
『そんな、いつも仕事してる場所じゃなくて喫茶店とか行きましょうよ。えっと……計君も、来る?』
チラリと早川を見て、彼女は聞いた。何となく傍観者風に俺たちのやり取りを見ていた
早川は、しかし首を振った。
「いや。ゴメン。僕は今日、用事……っていうか、予備校寄ってくから遠慮させて貰うよ」
『そなんだ。残念だな。あ、計君のは家でゆっくり味わって食べることにするからね』
微笑む文村に、早川も頷き返す。
「うん。僕のも、口に合うかどうかは分からないけどね」
『大丈夫。計君が選んだのだったら、絶対美味しいはずだから』
この返事に、俺は小さく舌打ちする。全く、俺と早川のこの差は一体何なんだと。文村
は、クルリと俺に向き直ると、ビシッと指差して言った。
『それじゃ、先輩。行きましょうか。私、行きつけの店があるんで、そこなら菓子持ち込
んでも大丈夫ですよ』
737 :6/15:2011/03/20(日) 14:09:39 ID:???
強気な文村を前に、内心俺は困惑していた。そこまで本格的に行かれると、予定してい
た最後の、そして一番重大なミッションが達成出来なくなる。さてどうしようかと悩んで
いたら、唐突に校内放送がなった。
【二年D組 別府タカシ君。至急、生徒会室に来て下さい。繰り返します。二年D組――】
「ありゃ? 文村、悪い。何か仕事みたいだ」
一瞬、文句を言いそうな顔になった文村だったが、次の瞬間には諦め顔になって、ため
息をついた。
『ハァ…… ま、仕方ないですね。別に、今日じゃなくてもいいですし。せいぜい、会長
にこき使われて来て下さい』
その言い方が、ちょっと自棄っぽく感じられた。
「ちぃーっす」
『遅いわよ』
チェックしていた書類から顔を上げて会長が俺を睨んだ。俺は自分の席にバッグを置い
て不満気に会長を見つめる。
「別に、今日は活動日じゃないんだから遅いもクソもないだろ。つか、わざわざ呼び出す
ほどの用か?」
『会長が仕事抱えてるのに、補佐すべき副会長の貴方はほったらかしにして遊びに行くつ
もりだったの? いいご身分ね』
嫌味っぽく言い返されて、俺は一瞬ムッとするが、すぐにそんな気持ちはなくなった。
別にこんなのはいつもの事だ。むしろ何で一瞬たりとも不愉快に思ったのかが不思議だ。
「ちょっと用があったんだよ。それが終わったら顔出すつもりだったさ。どうせ、会長の
事だから少しは仕事してくだろうと思ってたし」
むしろ、いなかったらどうしようかと思っていたくらいだ、と内心で付け加える。ほぼ
確信があったからこそ、こっちを後回しに出来たが、うかつに帰られていたりしたら、そ
の時点でミッション失敗である。
『優先順位が逆ね。まずこっちに顔を出して、一言断ってから用を済ませるべきだったわ。
そうすれば、放送委員の子の手を煩わせる事もなかったのに』
738 :7/15:2011/03/20(日) 14:10:06 ID:???
使う必要のない放送委員を使ったのは自分なのに、何故か俺のせいにされてしまった。
いや、今日の所はこれで良かったのだから、文句も言えないが。
「そりゃ申し訳なかった。で、何すればいいんだ?」
そんな訳で、大人しく謝ってから仕事に取り掛かる。今日は会長の手伝いくらいしかす
る事がないから、指示を仰ぐと会長は棚を指して言った。
『去年の新入生歓迎会の進行とかのファイル取って。まだ早いような気がするけど、何気
にあと半月と少しだもの。それに、四月は会計帳簿も整理しなくちゃいけないし、新年度
予算の配分もあるから出来ることからやっておかないと』
会長に言われたことをこなしつつ、俺の心は別の所にあった。用意したホワイトデーの
プレゼントをどうやって渡すか。敬香や文村とは違って、いきなり差し出すのにはかなり
の抵抗があった。会長の場合はストレートに断られるかも知れなかったし。
「あのさ、会長」
『何? 仕事中に私語しないでくれる?』
いきなりバッサリやられたが、ここでめげたら渡す機会なんて無くなる。俺はグッと気
持ちを奮い立たせた。
「いや。仕事中って言ったって今日はサビ残みたいなもんだろ? 雑談しながらやったっ
て問題ないだろうし、無言で仕事だけしてると息詰まりそうじゃないか?」
『別に。秀美ちゃんとかならともかく、貴方と話したいことなんて特にないし』
またしても冷たく突っ撥ねられた。全く、本当に心が折れそうになる。
「まあ、そう言うなよ。それに、何だかんだ言ったって、今までだってずっと話ししなが
ら仕事したりしてたじゃん」
すると会長は、小さくため息をついてボールペンを走らせる手を止めた。
『で?』
「は?」
いきなり聞かれたので反射的に聞き返すと、会長は俺を睨み付けて言った。
『何か話したいことがあったんでしょう? 聞いてあげるから、言ってみなさいよ』
会長としては折れてくれたつもりなんだろうが、いきなりこれだと心臓に悪い。どうも、
あまり遠回し過ぎるとキレられそうだから、単刀直入とは行かずまでも、俺は本題に近い
ところから話に入る事にした。
「いや。今日さ。何の日か、知ってる?」
739 :8/15:2011/03/20(日) 14:10:33 ID:???
すると会長は、無言でノートパソコンを弄っていたが、やがて顔を上げて言った。
『円周率の日でしょ? 円周率が三.一四だからそれにちなんだっていう』
「会長。今、検索しただろ?」
すると会長が、もの凄く不満気な顔で俺を睨み付けた。珍しく隙のある行動を見せた会
長の態度に、つい俺は笑ってしまう。
『別にいいじゃない。私にだって、知らない事くらいあるわ』
ムスッとした声で会長が文句を言った。正直なところ、日頃クールな会長がこうして俺
の前では少しでも感情を表に出すのは、副会長としての役得だと俺は思っている。
「何か、別の日をわざわざ検索してごまかそうとする辺り、俺の言わんとしてることは察
してると思うんだがな」
ちょっと意地悪く言うと、会長は変わらぬまま俺を睨んでいたが、やがて諦めたように
視線を外した。
『知ってるわよ。ホワイトデーでしょ? 個人的には縁が無いから、興味もないだけだわ』
素直に認めるかと思いきや、いきなりバッサリと切って落とされた。縁が無いと言うの
は、俺も含めての事なのだろうか。だとすると、先行きはかなり暗い。
「縁が無いって、会長はお返しとか貰ってないのか?」
敢えて聞くと、会長はつまらなそうにそっぽを向いたまま頷く。
『当たり前でしょう。バレンタインのチョコなんて、誰にもあげてないもの。貰いはしたけどね』
「会長は、お返しとかしないのか?」
言葉尻を捉えて聞くと、一切表情を変えずにそのまま会長は頷く。
『だって、そういうのって面倒くさいもの』
また、あっさりと言ってのけた。いや、まあ実に会長らしいとは思うし、バレンタイン
デーにもそんな事は確かに言ったのは記憶しているが。
「確かに気持ちは分かるけどさ…… けど、お返しすれば文村とか喜ぶんじゃないか?
アイツ、会長の事慕ってるんだしさ」
パッと思いつきで口にした後で、即座に俺は後悔する。予想通り、会長の顔が不機嫌に
歪む。
『余計なお世話よ。別府君にそんな事、お説教されたくもないわ』
俺は心の中で自分に舌打ちする。会長から視線を逸らし、渋い顔をして謝罪をする。
「いや。確かにその通りだよな。何か、ちょっと気になっただけで……悪い」
740 :9/15:2011/03/20(日) 14:10:58 ID:???
会長が、苛立たしげに鼻を鳴らすのが聞こえた。
『全くだわ。それに、バレンタインだのホワイトデーだの、そういう商業主義に則った因
習が面倒くさいっていうだけで、秀美ちゃんにはキチンとお礼はしたわよ』
「え? マジで?」
ちょっと驚いて聞き返す。すると今度は会長がそっぽを向いた。
『ちょっと前に、あの子の好きな甘味屋さんで抹茶ぜんざいとつぶあんみつをね。大体、
何で別府君がそんな事気にするのよ?』
まあ、女子同士だから帰りにお茶したりするのはよくある事だろうけど、それにしても
そんな事は話題にも上らなかったなと思う。そんな事を考えつつも、会長の問いにどうや
って答えようかと俺は考えあぐねた。そもそも、俺だって何であんな事を聞いたのかよく
分からないのだから。しかし、何らかの答えは出さなくちゃいけないと思い、何となくそ
う思えることで俺は答える事にした。
「……ま、何となく……だな。ここに来る前に、文村に義理チョコのお返しして来たから。
多分、それで」
『多分って何よ。多分って』
曖昧な表現を突っ込まれたが、それには俺も肩をすくめるしかなかった。
「いや。実際、何で俺もそんなに気になったのかはよく分からんし」
『変なの。もっとも、別府君は最初っから変だから、そう変とも言えないのかしら』
「さあな。何とでも言ってくれ」
会長の毒舌に文句を言う気にもなれず、俺は敢えて流した。それよりも、これだけホワ
イトデーの話をしたのだから、そろそろ自分の事も気になっていいんじゃないかと、会長
の様子を窺う。しかし会長は俺の方に真っ直ぐ視線を向け、真顔で聞いて来た。
『で、秀美ちゃんは喜んでたの?』
「へ?」
そっちの話題は終わったものだと思ってたから、意外に思って俺は会長を見返す。する
と、会長の視線とモロにぶつかりあった。
『だから、渡した時の反応。別府君にお返し貰って、彼女、どうだったの?』
そんな事に興味を持つなんて、俺は意外な面持ちで会長を見つめた。しかし、会長は相
変わらず感情を見せない表情で、押し黙って俺の答えを待っている。その視線の強さに耐
えられず、俺は答えた。
741 :10/15:2011/03/20(日) 14:11:24 ID:???
「いや。喜ぶ訳ないじゃん。早川のは素直に喜んでたけど、俺のはむしろ貰うのが当然っ
て感じだったぜ。おまけに、口に合わなかったらやり直しだからって言われてさ」
冗談めかした、おどけた口ぶりで言うと、会長は微かに笑って頷いた。
『そうなの。彼女らしいわね。ううん。ある意味、彼女らしくないか』
「何だそりゃ? どういう意味だよ」
会長の言葉に、ちょっと意味深な意図を感じて俺は聞く。しかし会長は首を左右に振っ
てそれを退けた。
『大したことじゃないから、気にしないで。それより良かったじゃない。別府君も、妹さ
ん以外で始めてお返し出来る女の子が出来て。貴方みたいな何の取り得もない男が、秀美
ちゃんみたいな可愛い子にお返し渡せるなんて、それだけでも光栄に思いなさいな』
気のせいだろうか。クールな口調で会長は話していたが、その言葉の裏に何だか様々な
思いが渦巻いているように思えてならなかった。だが、それは例え真実だったとしても確
かめる術もないし、何より俺には自分の事を優先させなければならなかった。そう。タイ
ミングなら今だ。
「……もう一人、お返しを渡さなくちゃいけない相手が、俺にはいるんだけどな」
躊躇いがちに、会長に向かって言う。すると会長の目が一瞬見開いたかのように見えた
が、すぐに元の冷静な顔に戻って、会長はファイルに目を落とした。
『……意外ね。別府君に、バレンタインデーにチョコを渡すような物好きさんが、他にも
いただなんて。貴方、意外と幸せ者じゃない』
俺はそれには答えず、バッグから紙の手提げ袋を取り出す。そして立ち上がると、会長
の席の真正面に立って、それを差し出した。
「ほれ」
すると会長は、ゆっくりと顔を上げて俺を見つめる。驚いた風でもなく、嬉しそうな風
でもなく、不快そうでもなく。それから、すぐに視線を横に逸らして、とぼけた様子で言った。
『……私、別府君にお返しを貰うような事を何かしたかしら?』
何となく予想はしていたが、またとぼけられたかと思う。いい加減ここまで来ると、呆
れるのすら通り越してしまう。
「前に手作りチョコ、くれたろ? 俺にバカにされたから証明するとか何とか言ってさ」
すると会長は、意外にもすんなりと頷いた。
『ええ。それは覚えているわ。で、それがどうしたの?』
742 :11/15:2011/03/20(日) 14:11:48 ID:???
「いや。だから、その日が、バレンタインデーだったじゃん」
そう言うと、またしても会長は頷いた。こういう所は妹とは違う。実に堂々としたもん
だ。
『そうね。たまたまだったけど、それも事実だわ。だけど、まさか貴方、勘違いしてたと
かじゃないでしょうね?』
会長が俺を睨み付ける。果たしてそれは、本心なのかポーズなのかは分からない。しか
し俺は、そう言われる事は予想していたので、何度か妄想した答えの一つを返した。
「いや。勘違いはしてないけど、やっぱりチョコ貰った事は貰ったんだしさ。何かお礼は
しなきゃって思ってたんだけど……俺は不器用だからな。逆にイベントにでもかこつけて
でないと、返せないから」
『なるほど。そういう考え方もあったわね』
意外にも、会長が感心して頷いた。
『確かに、他の日よりもかしこまらなくっていいって言うのも納得だわ。日本全国で、男
子が女子に贈り物をあげてるんだものね』
恐らくは、会長にとっては新しい考え方だったのだろう。しきりに頷いている。思い立っ
たら即行動、の会長には合わないとは思うが、それだけに何か響くものがあったのかも
知れない。しかし、今の俺にはそれよりプレゼントの方が重要だった。
「で……どうなんだよ? 受け取ってくれるのか?」
すると、会長はあっさりと首を縦に振った。
『ええ。くれるというなら貰っておくわ。いらなければ、私が処分すれば良いだけの話だ
し、例え別府君からの貰い物であっても、有益でない保障はないしね』
「じゃあ……ほら。チョコ、ありがとな……」
『一応、ありがとうと言っておくわ』
そう言って、会長は立ち上がると、俺の手から紙袋を受け取った。中を広げてみようと
して、俺の顔を見て聞く。
『開けてもいいのかしら?』
「ああ。どうぞ」
俺が頷くと、会長は紙袋を開けて、包装された小さな箱を取り出す。
『……何かしら? 食べるものではないみたいね』
「ま、いいから中を見てくれよ」
743 :12/15:2011/03/20(日) 14:12:11 ID:???
この場で会長から感想を貰うなど命知らずに等しいが、かといって家で開けられて後か
らなまくら刀でボコスコにされるよりは、いっそ一刀両断に切り捨てられた方がマシだっ
た。会長が丁寧に包みを開けるのを、俺は窒息しながら、ひたすらに見守っていた。
『……これは……イヤリング……よね?』
会長が手にしたのは、小さな白い真珠のついたイヤリングだった。セール品とはいえ、
俺の小遣いが二ヶ月は軽く吹っ飛んだ代物だ。
「まあな。ちょっと……その……俺もやり過ぎかなとは思ったんだけどさ」
正直、かなりこっぱずかしい。これで会長にボロクソに批判されたら、マジで死ねる。
『……普通、ホワイトデーのお返しなんて、クッキーやケーキなんかのスイーツにしとく
ものじゃないのかしら』
怪訝そうに会長が俺を見つめる。俺はまともに視線を受けられず、顔を逸らすとこめか
みを手で掻いた。
「だって、会長そんなに甘いもの好きじゃないじゃん。コーヒーもブラックで飲むし。か
といって、ホワイトデーに辛いものってのも何か合わない気がして、迷ってたらたまたま
それが目についてさ。会長だったら、こういうのでも似合いそうだなって思ったら……勢いで……」
すると会長は、大げさにため息をついて言った。
『……あのね。別府君にアクセサリーなんて贈られて、喜ぶ女の子がいると思うの? だ
とすれば、思い上がりも甚だしいわ』
「いや……悪かった。俺もそこまで思い上がってはいないんだけど……何つーか、気の迷いだから」
頭を下げ、手の平を会長に向けてこれ以上の非難は勘弁だという事をポーズで示す。す
ると、もう一つ会長のため息が聞こえた。
『……まあいいわ。元々プレゼントなんて期待してないんだし、貰うと言った以上は貰っ
とくわ。ただし、どう処分されても文句は言わないで。間違っても、私が付けるなんて期
待はしないでよね』
「分かってるよ。いや……十分です。はい」
やはり、バッサリ斬り落とされると心臓は激痛を覚えるのだなと、俺は実感したのだっ
た。
744 :13/15:2011/03/20(日) 14:12:35 ID:???
しかし、期待するなと言われても、期待してしまうのは男の性だ。次の日から、俺はつ
いつい会長の耳を気にするようになってしまった。しかし、次の日はもちろん、その次の
日も、また次の日も、一週間経っても会長が耳にイヤリングを付ける様子は一向に見られなかった。
「ちっ……やっぱりダメかあ」
『何がダメなんですか? 先輩』
文村が、俺を覗き込むように顔を見つめて聞いて来た。
「おわっ!? な……何でもねーよ」
ちなみに、文村との約束はキッチリ果たした。結局、クッキーにはダメだしを食らった
ものの、その場でスイーツを他にもご馳走した事で何とかやり直しだけは回避させて貰った。
文村はキョトンとした顔を向けていたが、やがて怪訝そうに言った。
『ふーん。変な先輩ですね。まあ、元からそうですから、意外でもないですけど』
そう言って離れる彼女を、俺はホッとしつつ見送ったのだった。そして、諦め顔で会長
に視線を戻す。
「ま……こんなもんだろうけどな……」
一人そう呟いて、俺はとうとう気持ちを切り替えると、目の前の仕事に没頭したのだった。
~おまけ~
『あ、静~っ!! こっちこっち』
駅前の時計台の下で、友人の聖花が手を振っているのが見える。私は特に歩調を変える
ことも無く、彼女の傍に近寄った。何となく、左手の腕時計を見る。時間は約束どおり。
十時ぴったりだ。
『全く。服買いに行くたびに、私を付き合わせるのにもいい加減勘弁して欲しいわね。友
達づきあいとはいえ、毎度の事だとうんざりするわ』
『だって、一人だと目移りしちゃってさ。その点静が一緒だと、バッサリ判断してくれる
から有難くって』
『だってそんなもの、欲しい服と手持ちの資金を比較して、買える物で選択すればあっと
いう間に決まるじゃない。それなのに、予算に合わないものと延々と見比べるなんてナン
センスだわ』
745 :14/15:2011/03/20(日) 14:13:00 ID:???
聖花だけじゃない。ウィンドウショッピングだけに何時間も掛けて、買えもしないブラ
ンドのバッグとかを見て回る神経が私にはそもそも理解出来なかった。
『だって、どーしても欲しいものってあるじゃない。まあ、静は有る物で着こなせる才能
を持ってるからかもしれないけどさ』
自分では、服選びなんてかなり適当なのだが、聖花は私のセンスをよく褒めてくれる。
まあ、悪い気はしない。
『口で褒めておだてられても、ちっとも嬉しくないわ』
口ではそう突き放すと、聖花はニッコリ笑って言った。
『分かってますって。ご飯、ちゃんと奢るわよ。今日も中華?』
『中華って……ラーメンでしょ? 聖花の奢る限界なんて』
『あー。奢って貰うのにそういう事言う? まあ、実際そうなんだけどさ。でも、静はア
ソコの激辛坦々麺好きじゃん』
『まあ、ね。それに、別に文句言ってるわけでもないから。それより、早く行きましょう。
ただでさえ聖花は買い物に時間掛けるんだから、もったいないわ』
先に立って歩き出した時、聖花が後ろから呼び止めた。
『あ、ちょっと待って』
『何?』
振り向くと彼女は、私の耳元をジッと見つめて言った。
『何って……これ、イヤリングじゃん。静ってこういうの、嫌いじゃなかったっけ?』
『別に。嫌いじゃないわ。買うほど興味が無かったってだけで』
何となく、気恥ずかしくなって手で隠したい衝動に駆られる。しかしそれは、余計に相
手の興味を惹くだけだと思って、私はグッと我慢した。
『ほほう。どういう心境の変化ですかな? それとも、貰い物?』
好奇心に任せて聞く彼女を、私は興味なさげに退ける。
『さあね。ご想像にお任せするわ』
すると、聖花はちょっと意味深な表情を浮かべて、聞いて来た。
『もしかして……男から貰ったとか?』
私は、ジッとしばらく無言で聖花を見つめた。それから、小さくため息をついて言った。
『……それ、本気で言ってるわけ?』
すると彼女は、面白がるように笑顔を浮かべて言った。
746 :15/15:2011/03/20(日) 14:15:55 ID:???
『いやいや。今を時めく美人生徒会長の清宮静嬢ですもの。贈り物にアクセサリーを贈る
男子なんてたくさんいそうだし。まあ……でも、静が受け取るとも思えないけどね……』
『そういう事よ。全く、バカな事言ってないで、さっさと行きましょう』
私は身を翻すと、パッと髪をかき上げて早足で歩き出した。
『あ、ちょっと待ってってば!!』
後ろから早足で追いかけて来る彼女をチラリと見て、思った。
――これが……男の子から……それも別府君から貰ったものだなんて知ったら、どう思うかしらね。
その事を想像すると、何となく、私はちょっとおかしくなって内心クスリと笑みを漏ら
すのだった。
終わり
ちょっと遅めのホワイトデーネタでした。
自分で書いてて何だが、ちょっと男モテ過ぎだろうと
最終更新:2011年10月25日 21:26