166 名前:『ある新幹線の車内にて』 1/3[] 投稿日:2011/10/26(水) 01:03:01.94 ID:pZQA721J0 [3/6]
―――あぁ、胃が痛い。
新幹線の自由席に座って窓外の景色を眺めながら、腹部に刺すような痛みを感じてい
た。便意はない。昔から緊張すると腹痛が起きる体質なのだ。
今の俺の服装は背広にネクタイ、黒の革靴と足元には黒の鞄。
典型的なスーツ姿で、いわゆる就職活動――面接試験の為に新幹線に乗っているのだっ
た。
行き先は首都・東京都。
田舎出身、ついでに地元の県から出た経験が中学と高校の修学旅行しか無い俺にとって
は異世界のような場所だ。その修学旅行も付近の県に遊びに行ったぐらいだしなぁ。ここ
だけの話、テレビで映る光景がCGだって言われたら信じる。
以前その事を東京出身である後輩に話したら「はっはっは、本当に馬鹿なんですね先輩
ってば可哀想に――頭が。それとも精一杯のギャグですか?」と標準語で馬鹿にされた。
しかも口調と裏腹に表情固定のポーカーフェイス。
目が笑っていない笑顔というものをあの時初めて見た。
そんな訳で景色に山の代わりにビルが増え出したことに珍しさを感じられていたのも
最初の数分だけであり、ビルの外見に娯楽を求めるほど建築に詳しくないのでまた緊張を
感じ始めているのであった。
よし、何か楽しいことを考えよう。
そうだな、せっかく東京に行くんだから観光しないと損だよな。新幹線の往復チケット
とホテルでの一泊がセットになっている旅行プランだったので、時間は気にしなくていい。
球形の展望台が付いたテレビ局とか秋葉原のメイドカフェとか見てこよう。
家族に土産も買わなきゃなぁ
………あぁ、そういえば後輩からも頼まれていたっけか。
『そういえば先輩、東京に行くらしいですね? それならばお土産は浅草寺で草加煎餅を
買ってきてくださいよ。あれ、好きなんです』
『戦争寺って物騒な名前だな、おい』
『ははは、先輩は受験生の癖に馬鹿ですねぇ』
『いや、大学は行かないから受験じゃねぇけど。あと馬鹿って言うな』
『それはスイマセン。では―――先輩は阿呆ですねぇ』
『申し訳なさそうに馬鹿にするな……!』
167 名前:『ある新幹線の車内にて』 2/3[] 投稿日:2011/10/26(水) 01:06:12.53 ID:pZQA721J0 [4/6]
……………うーん、あいつには土産買わなくていいじゃないかな。
そして仮にも女子高生が頼む土産が煎餅で良いのか。渋すぎだろうに。
『甘いのダメなんですよ。だから東京ばな奈とか買っちゃダメですよ。絶対ですよ?』
『フリかそれは。俺は好きだけどな、甘いの』
『それは聞いてません』
『さいですか』
『えぇ、因みに甘いのが苦手なのでカップルのイチャつきも苦手です』
『それは聞いてねぇよ。あと微妙に得意げになんな、上手くないから』
なんだか余計なことまで思い出したような、まぁいいか。
腹痛をごまかすために外を流れる看板群の文字列を追っていると、椅子に備え付けの
テーブルにおいてある携帯電話が発光していた。
兄からのメールが一通、届いていた。
年は一つ上で、去年ひと足早く東京に就職した。
今回の東京行きでは休日が合えば案内をしてくれることになっているので、それについ
ての連絡だろう。
メールを開く。そこにはただ一文字
件名:なし 本文:『ハズレ』
「この社会人マジうっぜぇ…………!」
小声で呟き、携帯電話を持つ手に力が入った。
しかもハとズとレが一文字ずつ色を変えてあるという無駄な凝り。
さてなんて返信してやろうかと考えていると、続いて受信。
送ってきたのは続けて兄だった。
『緊張をほぐしてやろうと思ったわけだがどうだ?んン?ほれ、感謝しても構わんぞ?』
ソファにふんぞり返ってる兄(装備:左団扇)の写メが添付されていた。削除。
「クビになれ」と返信したら数秒後に受信。本文は『面接落ちろ』。落ちてたまるか。
その後お互いに「不幸になれ」「口内炎出来ろ」だのとメールを送りあう。
新幹線が幾つかの駅を過ぎた辺りで悪口のストックが無くなってきた。
原点回帰して後輩の口癖でもある「阿呆」の二文字を送ろうとしていたら、送信ボタン
を押す直前にメールが届いた。二回連続はルール違反だろうに。
どんな悪口が書かれているかと開いてみると、今度のメールは兄からじゃなかった。
168 名前:『ある新幹線の車内にて』 3/3[] 投稿日:2011/10/26(水) 01:10:01.91 ID:pZQA721J0 [5/6]
メールの送り主は後輩だった。
部活内の連絡手段としてメールアドレスは教えていたし知っていたが、後輩からこうや
ってメールが送られてくるのは実は初めてだったりする。
件名は無題。本文にはただ一文。
『頑張ってくださいね』
「………………」
文を見て、一旦閉じて、もう一度見て。
不味いなー、これは不味い。何が不味いって、ほら、頬の緩みが止まらない。
傍から見たら不審者だぜ、今の俺。
おいおい何だ何だ、なんなんだろうなー、この気持ち。
腹底からこみ上げる言いようのない感情が、口の中で言葉にならずに渦巻いてくる。
落ち着かないが、不快でもない。
『……次は東京、東京に止まります。お降りの方は――』
車内アナウンスが、目的地の到達を伝えてくる。
足元の鞄を掴み、なんとか表情を引きしめる。
慣れない革靴なのに、足取りは何故だか軽い。
腹痛はいつの間にか消えている。
メールに返信して、席を立つ。
さて、と。
「それじゃあちょっと――頑張ってみようか?」
遠く離れた場所で授業を受けているであろう可愛い後輩を思い浮かべ、小さく呟いた。
件名:Re: 本文:『応援してくれてありがとう』
件名:Re:Re: 本文:『………うるさい、あほ』
~続(かない)~
最終更新:2011年11月03日 01:54