6 名前:1/6[] 投稿日:2011/12/26(月) 12:14:02.65 ID:UAbmaORt0 [3/8]
人間は、考える葦である
             ──パスカル

人間が他の多種多様な動物たちを出し抜き現在に至る高度な文明を紡ぎ出したのは、人間が思考する生き物であるからに他ならない。
人は落ちるリンゴに疑問を見出し、昇る太陽に疑問を見出し、それらを解決しようとすることで知識を得て発展してきたのだ。

然るに、分からないことを疑問に思うのは人間を人間たらしめるアイデンティティーと言ってよい。
逆に分からないことを不思議にすら思わない人間は、既に人とすら言えないのかもしれない。

さて、高校三年の冬。
別府 孝はクラスの自分の席で頬杖をつき、ひとつの疑問と戦っていた。

「…何をジロジロと見ていますの?」

孝の視線の先にあるのは、豊かな金髪縦ロール。
私立のちょっと学力のいい学校に通う、明らかに不釣り合いな神野財閥令嬢、神野リナの髪型だ。

「あ…いや、何も」

失礼だったか、と孝は少し慌てて視線を外す。
とりあえず雪の降りしきる窓の外へ視線を向け、それでも孝の頭には先ほどから一つの疑問が浮かび続けていた。

──あの髪型、どうやって作ってるんだ?

それはあまりに馬鹿らしく、矮小でちっぽけなしょうもない疑問。
しかしそれは彼にとってまぎれもない謎。人間を今に至る発展へと導いた鍵のひとつ。

神野リナは冬だろうと夏だろうと、春だろうと秋だろうとその蜂蜜色の髪をくるくると巻いたいわゆる縦ロールの髪型をしている。
「美の女神さえひれ伏す私の美しさを十二分に発揮した結果ですわ」とは彼女の談である。

7 名前:2/6[] 投稿日:2011/12/26(月) 12:14:24.98 ID:UAbmaORt0 [4/8]
確かに似合っているが、何より手入れが大変そうだ。
そもそも、一体どのようにしてあの髪型を作り出しているのだろう。まさか寝る時まであのようなくるくるの巻き毛な訳ではあるまい。
例えば我が家のおかんはカーラーをくるくると巻き付けておばちゃんパーマを形成しているが、
まさか神野リナも同じようにくるくるとカーラーを巻き込んで使っているとは到底思えない。

ならば、どう作っているのだろう。
別府タカシはうんうんと考えてはみるものの、所詮は庶民である。上流階級である彼女のやり方など、想像できるはずもない。
それでもあれやこれやと奇怪で失礼な方法を空想していると、不意に彼女の高目の声が投げかけられた。

「ちょっと貴方!聞いていますの!?」

リナの声でタカシの思考は中断される。
ふと前を見れば、ひどく不機嫌そうな──まあ、おそらくこれは自身のせいなのだろう──顔をした神野リナがこちらを睨みつけていた。

「あ…悪い。聞いていなかった」
「聞いていなかった?…まったくもう、貴方って人は…」

口では冷たく言いつつも、リナの声はどこか暖かい。
呆れながらも慣れているのだろうと聞いて取れた。

「この私が話しかけてあげていると言うのに、さっきからずっとふわふわと…一体何を考えていますの?」
「いや、実はお前の髪について考えていた」

タカシは隠すでもなくあっけらかんと答える。
彼のこうしたところは未だに彼女の出来ない第一要因であり、
また神野リナのような女性にひそかに想いを寄せられている一番の原因だったりするのだが──彼にそれを知る由は無い。
意図せずして自分の事を振られたリナは、少し面喰ったように答えた。

「わ、私の髪を…?」
「ああ」

8 名前:3/6[] 投稿日:2011/12/26(月) 12:14:52.11 ID:UAbmaORt0 [5/8]
言いながら、タカシはさっとリナの髪を撫でつける。
艶があり、僅かに匂いの香る柔らかくも美しいブロンド・ヘア。
くるくると曲線を描く見事に対照な縦ロール。よく見ればその渦は割と大きく、ストレートにすれば結構な長さになりそうだ。

問題の部分は実にしっかりとカールされていて、ちょっとやそっとじゃ簡単に戻りそうにない。
それでいて整髪料のような硬質な感じは無く、あくまで羽毛のような繊細さがある。きっと髪質自体が柔らかいのだろう。
こんな髪にカールを掛ける事の技術の高さは、素人のタカシにも感じ取れた。やはりお嬢様だなあと、タカシは今更ながらに実感する。

そして──。

「…あれ?」
「………っ!(////)」

髪をいじくる自分の目の前に、びっくりするほどしおらしく、顔を赤くして俯く一人の女の子がいる事に気が付く。
タカシがそちらに意識を向けた瞬間、神野リナのありとあらゆる感情が奔流となって噴き出た。

「リナ、どうした──」
「お、お黙りなさい!朝から女性の髪に気安く触れてんじゃねーですわーーーーっ!!」
「ぎゃーーーっ!?」

どうして蹴飛ばされたのか、その理由もよく分からないまま。
デリカシーのなさすぎる男・別府タカシは、リナにお尻を蹴飛ばされた。

9 名前:4/6[] 投稿日:2011/12/26(月) 12:15:09.72 ID:UAbmaORt0 [6/8]
~解答編~

「……ん…むぅ…」

時刻は午前六時。神野リナは起床する。
星空の散りばめられた大きな天蓋と、七匹の子ヤギと三匹のぶたと十一匹のねこをまとめて引き受けられそうなくらい大きなベッド、
そしてペルシャ調に美しく彩られたベッドシーツから身を起こし、神野リナは軽く瞬きをした。

「おはようございます、お嬢様」

屋敷仕えのメイドが静かな声で朝の挨拶を告げる。
リナはそれに寝起きで出せる最大限優雅な声で返し、それからまだ僅かに眠気の残る頭を少し振り、眠気を飛ばした。
朝日を受けて黄金色に輝くストレート・ヘアが、ふわりと宙を舞った。

それからリナはネグリジェを脱ぎ、メイドの手により部屋着に着替える。
メイドに自分の顔を洗わせてから、少しそわそわした様子でリナは尋ねた。

「芽衣、今は何時?」
「は。六時半でございます」
「朝食まであと何分あるかしら」
「三十分です」

それを聞くと、リナはくすり、とどこか無邪気な子供のように静かに微笑んだ。

「電話」
「は」

メイドはごてごてと余計な装飾の付いた、もとは黒電話だったと思われる物を持って控える。
リナは受話器を上げ、ダイヤルをじーこじーこと回した。

10 名前:5/6[] 投稿日:2011/12/26(月) 12:15:34.10 ID:UAbmaORt0 [7/8]
長めのコールを経て、電話口から彼の声が聞こえる。

「…はい」
「おはようございます。目は覚めまして?」
「ああ、お嬢か…おはよう」

眠たげで冴えなくて垢抜けない彼の声。
しかしリナにとっては、そんな気の抜けた姿もまた愛らしく聞こえてしまう。

「相変わらず寝ぼけてますわね。この私がこうして毎朝電話を掛けて貴方を起こして差し上げているのだから、
 感動のあまりむせび泣きながら応対するのが正しいあり方というものではなくて?」
「朝からそれは勘弁してほしいよ。まあ、感謝はしてるけどね」

感謝、の言葉にリナの心がどきんと弾む。
──何故だろう。電話越しなのに、彼はここにいない筈なのに、顔が熱くなって仕方ない。
リナは自分の髪をごにょごにょといじりながら、熱を悟られないように抑えて電話を続ける。

「…そうそう、昨日の無礼は一体なんなんですの?」
「昨日?…あ、ひょっとして髪勝手にいじった事、まだ怒ってる?」
「とっ…当然ですわ!まあ、他ならぬこの私の髪に惹かれるのは人類として仕方ない事だとは思いますが…
 それにしても、レディの髪を勝手に触るなんてあんまりじゃありませんこと?」

一般的に女性の髪を男性が触るのは、親密な愛情の現れであるとされている。
貴方はどうせ知らないでしょうけど、と、リナは心の中で小さな溜息をついた。

「あー、いや。ごめん。その件はホントに。…でもリナの髪って綺麗だよな。それに柔らかいし」

触った故の率直な感想を述べてくる彼に、リナの心は再び熱を帯びる。

11 名前:6/6[] 投稿日:2011/12/26(月) 12:16:53.15 ID:UAbmaORt0 [8/8]
「なっ…そ、そう…ですの。貴方も少しは物の見方と言うものが分かってきたのかも知れませんわね」

本当、電話越しでも妙に気恥しい。
クセのようなものだろうか。褒められた事もあり、リナはいじいじと自分の髪をいじくりまわす。
くるくると指先に巻きつけたりして、彼に褒められた自分の髪を堪能した。

「それで、リナに一つ聞きたい事があるんだけどさ」

何故だかリナの心が早鐘を打った。
何を期待したのか、自分でも分からないのだが。

「な…なんですの?」
「いや、リナの髪って毎日縦にロールしてあるでしょ?あれってどうやってんのかなーって思って」
「ああ、そんな事…」

何かの期待に外れ、リナはぱっと巻きつけて遊んでいた髪を指から離す。
髪には少しのクセが付き、びよよよよんと元に戻った。

リナは少しだけ思案したあと、悪戯っぽく答えた。

「ひみつ、ですわ」
「えー…」

まさか疑問の答えが自分であるとは、
電話越しの別府タカシには想像もつかないのであった。

終わり。
最終更新:2011年12月27日 23:37