836 名前:1/6[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 13:28:13.78 0
『あっつぅ~……』
木の壁で三方を囲み、中にベンチの設置されたバス停の中で、彼女はYシャツの胸元を
パタパタと動かし、中に風を送る。
「全く……次のバスまで一時間とか…… マジ信じられねえよ」
その隣に座る彼は、両腕を広げて背もたれに乗せ、天を仰ぐ。屋根はあるが、日差しは
容赦なくバス停の中に降り注いでいた。そんな彼を横目で睨んで彼女が毒づいた。
『誰のせいでこんな事になってんのよ。アンタら男子がふざけてばっかりで、全然掃除が
終わらなかったせいでしょうが』
「俺じゃねーよ。ふざけ始めたのは山田だっての。アイツが――」
言い訳をしようとする彼を、彼女が遮る。
『誰が始めようが、男子全員乗ったじゃない。あたしらが文句言ったのに、全然止めよう
としないで、結局先生に説教されちゃってさ。おかげで電車乗り遅れちゃうし。最悪』
ブスッとした顔で携帯を開き、メールをチェックするも、今のところ誰からも来てない
のを確認だけして彼女は携帯を閉じてポケットにしまった。
「電車通学だけの奴らはいいよな。俺らなんてここからバスでさらに三十分だぜ。ホント、
田舎に住んでると辛いよな。しかも電車との接続、超悪いし」
『朝と夕方の一本だけだもんね。まともに乗り換えられるのって。あとはぜーんぶ、三十
分とか一時間とか待たされるし。文化祭の時なんて、駅着いたらバス終わってんのよ。信
じられないわ』
過去、何度言ったか知れない文句を二人して嘆くも、それでバスが来てくれる訳もない。
「ちくしょー。ちびうさの説教が長過ぎるから悪いんだ。でも、よく考えてみたら、怒ら
れたの男子だけじゃん。何でお前、先帰らなかったの?」
彼の問いに、彼女は思わず横を向いて彼を見る。それから不機嫌そうに彼を睨み付けた。
『う、うるさいわね。二時間の道のりを一人で茹だりながら帰れっての? 愚痴の一つも
言う相手がいなきゃ、それこそ退屈で死んじゃうし、大体説教があそこまで長引くなんて
思わなかったもん。どうせまた、うさちゃん先生のこと、からかって遊んだりしたんでしょ?』
837 名前:2/6[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 13:28:45.34 0
「知らねーよ。荒巻にでも聞け。ったく、アイツはちびうさからかうの好きだからな」
呆れたようにため息をついて、彼はちらりと横目で彼女を見やる。すると彼女もいい加
減仏頂面にも疲れたのか、諦めたような吐息をつくと、正面を向いて彼と同じように天を
仰いだ。耳を澄ましても、セミの音以外は何も聞こえて来ない。
『……ねえ。ここってさ。駅前……よね?』
唐突に、ポツリと独り言のように呟く。
「何、今さら、分かりきった事言ってんだよ」
つまらなさそうに答える彼をちょっとだけジロリと睨み付けてから、彼女は再び視線を
天井に戻して、言葉を続けた。
『別に。ただ、なーんにもないなーって。それだけ』
駅とは言っても単線一面のホームに小さな小屋のような駅舎が建っているだけである。
当然、駅員などおらず、駅前にあるのは自動販売機の列くらいなものである。最近、ICカー
ド乗車券の精算機が置かれたのが、この十年ほどで唯一の近代化であった。
「仕方ねーだろ。利用者なんて、朝晩の学生と会社勤めの人が少しだけで、昼間なんてほ
とんどいないしな。つか、日中は電車だって無いし」
『分かってるわよ。たださ。同じ路線使ってんのに、ゆーちゃんとかは恵まれてるなーっ
て思って。だって、駅前にマックあんのよ? あとコンビニも。すごいと思わない?』
「ゆーこさんとこは、一応私鉄との接続駅だからな。逆にそれで、駅前で使えるのがあと
銀行だけってのがすごいけど。つか、それで栄えてるって思えるのが悲しすぎるね」
『全くよ。こないだゆーちゃんたちと渋谷行ったじゃん。あたし。向こう凄いよ? 次の
駅まで一分で着くんだから。これ、電車必要あんのって。しかも電車も次から次へと来る
しさ。あれなら乗り過ごしたって何の問題もないわよ』
ちょっと興奮気味にしゃべる彼女を見て、彼は呆れた気分になった。
「お前さ。今、自分が田舎もん丸出しでしゃべってる事に気付いてる?」
そう指摘した途端、彼女の顔が羞恥にパッと赤く染まる。
『う、うるさいわねっ!! 実際カルチャーショックだったんだからしょうがないでしょうが』
そう怒鳴りつけてから、彼女は不満気にぶつくさと文句を続けた。
838 名前:3/6[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 13:29:16.37 0
『大体おかしいのよ。家から学校まで通う時間と、学校からの最寄駅から都内に出る時間
がほとんど変わらないとか。距離は圧倒的に向こうの方が遠いのに』
「おんなじ県内でも、県庁所在地に住んでる奴らとじゃ、格差違い過ぎるからなあ。向こ
うはちゃんとJRの幹線走ってるし、駅前にはショッピングモールもあるしさ。俺らなんて、
ちょっと前までは本買うのにも電車で何十分も掛かったりしたし。今じゃアマゾンさんあ
るからいいけどさ」
彼女の意見に同調しつつ、彼は通学用のバッグから下敷きを取り出し、ワイシャツのボ
タンを上から二つ外すと、中のTシャツを引っ張って体との間に隙間を作り、その中に風
を送り込んだ。その仕草に彼女は僅かにドキリとしたが、素知らぬ顔で視線を逸らす。
『横浜に住んでる従妹はさ。学校まで自転車で15分だってさ。あたしら、バス待ってるだ
けで一時間よ? はぁーあ。羨ましいなあ……』
ため息混じりに言って、彼女はうーん、と伸びをした。すると、そこで彼が不意にこん
な質問をして来た。
「そういえばさ。お前、大学はどこ受けんの? 県外?」
伸びをしたまま、彼女はチラリと彼に視線を向ける。それから両腕を下ろし、姿勢を直
して彼の方に半分体を向けつつ睨み付ける。
『何だってアンタがあたしの進学先に興味持つのよ? 関係ないでしょ?』
彼女の逆質問に、彼は空を見上げたまま答える。
「別に。都会が羨ましそうだったからさ。出てくのかなって思って」
その事を想像すると、胸に僅かに寂寥感を覚える。彼女が出て行ったら、自分の周りは、
より静かになってしまうのだろうかと。気になって横目で彼女を見ると、彼女は再び、ベ
ンチの背もたれに体を預けて、彼と同じように上を見つめ、空で指を弄んだ。
『……どうしようかなー……って』
「何だよ。まだ決めてないのかよ」
ちょっと呆れたような彼の言葉に、彼女は不満気に唇を尖らせた。
『悪かったわね。進路って重要な問題なんだから、そう簡単に決めれるもんじゃないのよ』
そう文句を言ってから、真顔になって彼を見つめ直した。前に聞いた彼の進路を思い出
して、確認する。
839 名前:4/6[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 13:30:16.32 0
『……アンタは、国立大の農学部だっけ?』
「ああ」
頷く彼をしばらく見つめてから、彼女は視線を前に向ける。
『……今の時代に、よく親の後を継いで農業とかやる気になれるわよね。何かもっと、カッ
コイイ仕事したいとか、思わないの?』
「別に」
それは、他の友達からもよく聞かれる質問だったから、特に意外に思うこともなく彼は
サラッと否定した。
「土いじりとか、ガキの頃から好きだったし。それに、親の後を継がなくちゃとかそんな
んじゃなくて、ただ野菜とか果物とか、色々と品種改良とかしたりするのに興味が出てきたから」
『ふうん』
興味ない素振りで生返事をしつつ、その実ちょっと感心して彼女は横目で彼を見つめた。
何というか、自分の進むべき道を見定めていて、それに進んで行こうと決めている彼はちょっ
とカッコイイと思ってしまう。
「で、お前は何か考えてるのかよ? 決まってないって言ったって、幾つか思うことあるだろ?」
また、自分の事に話を振り戻されて、彼女は不機嫌な気分で顔をしかめた。彼と比べる
と、どうしても自分が考えなしに思えて、答えるのが嫌だったからだ。
『そりゃ幾つか考えてるわよ。東京に近い大学行った方が進路の幅は広がるかなって思っ
たり……まだ、就職の事まで考え付かないし。でも、それも違うかなって思ったり……』
「違うかなって?」
曖昧な彼女の言葉が気になって、彼はつい問い質す。しかし、深く追求する事を嫌がら
れるかと思ったのに、彼女は物思いに耽るかのように頷いて、それから自分の思いを口に
し始めた。
『……ちょっと前まではさ。こんな何も無い場所からは大人になったら出て行こうって思っ
てたんだけど……何回か遊びに行ってさ。買い物したり遊園地行ったりして、楽しい思い
もいっぱいしてるけど……単にオシャレだったり便利だったりで進路選ぶのは違うかなって』
840 名前:5/6[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 13:31:05.14 0
彼女の答えを聞き、彼は真剣にその言葉を考えた。何か、ここに引き止められる思いが
あるのだろうが、それが何かまでは分からなかった。彼としてはそれを知りたかった。そ
して、その思いを糧にしてここに留まるように言いたかった。しかし、自分の思いはグッ
と心の奥底に追いやって、客観的に、最良と思える答えを口にした。
「まあ、進路の事だしもっと真剣に考えろってのはあるけどさ。けど、何だっていいんじゃ
ね? 遊び気分ってだけじゃなければさ。それで大学入ってからいろいろと経験して、先
の事決めたって良い訳だし。それなら、向こう行って、新しいチャレンジするってのもあ
りなんじゃないか?」
『アンタは、あたしが東京行った方が良いって本気でそう思って言ってるわけ?』
彼の言葉を曲解して、彼女は咄嗟に苛立って聞いてしまう。その語気の荒さに彼は驚い
たが、すぐに慌てて弁解を始めた。
「いやいや、どっちが良いとかって訳じゃないけどさ。現実に、向こう行った方が経験の
幅は広がるんじゃないかなって思っただけで。やりたい事が見つかってないんだったら、
いろんな経験して、進路見つけた方がいいだろうし、さっき自分でもそう言ってたじゃん」
彼の言葉を聞きつつ、彼女は懸命に気持ちを落ち着かせた。何も彼は私に出て行って欲
しいと思って言っている訳でもないし、出て行っても構わないとすら言っていない。きっ
と、私の事だけを考えて、アドバイスしてくれているだけだと。しかし、怒りは収まって
も、そこはかとない寂しさだけは残っていた。
『そうね。確かに、東京に出れば、新しい経験とかたくさん出来るとは思う』
自分の気持ちを押し隠して、彼女は頷いた。それから、顔を上げて、真っ直ぐに真面目
な顔で彼を見つめて、言葉を続けた。
『けどさ。何か……得るものが多い代わりに、失う物も、もしかしたら多いんじゃないか
なって……そう思うようになってさ。だから、簡単にここ出て行っちゃっていいのかなっ
て。ここにいても出来る事っていうのも、いっぱいあるのに、それを見ないで出て行っちゃっ
ていいのかなって……』
841 名前:6/6[sage] 投稿日:2012/09/08(土) 13:33:08.19 0
すると、彼は真面目な顔で、彼女を見て頷いた。
「それもあるかもな。まあ、ここを出て他の町の大学行ったからって帰って来れない訳で
もないし、逆にここに残ってじっくり見定めてから都会に出てもいい訳だし。一応進路希
望調査は来週だけど、順序消して出してもいいんじゃないか? ちゃんと先生に話すればさ」
『うん。そうする。ありがとね。アドバイスくれて』
何となく、素直な気分でお礼を言うと、彼がマジマジと彼女を見つめたので彼女は気に
なって問い質した。
『な……何よ、変な顔して。何かあたし、変な事言った?』
すると彼は、視線を逸らして、照れたように頭を掻いた。
「いやー。何か、かなみから素直にありがとうなんて言われるなんて、滅多にない事だか
ら、ちょっとこそばゆくてさ」
それを聞いて、彼女は急に恥ずかしくなって、思わず彼を怒鳴りつけた。
『う……うるさいわねっ!! 一応、アンタが真面目に考えて言ってくれたからお礼しな
きゃなって思っただけよ!! そ、そんなのは人として当たり前の事で…… 大体普段か
ら怒られるような事しかしてないアンタが悪いの!! このバカ!!』
フン、と鼻息も荒くそっぽを向きつつ、謝る彼を無視し続けながら彼女は心の中でこっ
そりと呟く。
『ここから出て行っちゃったら……何よりもこうして、アンタと二人で居られる時間が、
無くなっちゃうんだからね…… あたしは、それが一番無くしたくないんだから……』
終わり
最終更新:2012年09月10日 22:57