54 名前:1/6 :2012/12/02(日) 21:36:53.44 ID:zZDi8rK60
日曜日となると、暇であれば先輩は大体午後には僕の家に遊びに来る。いや、理由は様々
なのだが、やってる事は大体一緒なので、一言で言うとそういうことだ。そして今日も、
月曜日に提出するレポートの作成を僕と一緒にやるから、という事でやって来た先輩だが、
新刊のマンガを見つけるなり、クッションを枕にゴロゴロと読み耽っていた。
「で、いつになったらレポート始めるんですか? 先輩。僕はたった今、終わりましたけど」
椅子を回転させて、カーペットの上に寝転がっている先輩を見下ろす。うつ伏せで片足
を曲げ、プラプラさせつつクッキーなんぞをかじっている。
『あと、もーちょっとで読み終わるから。そしたらやる。ていうか、別府君終わったんな
らやってくれればいいのに』
相変わらずダメな事をさも当たり前のように口にするなあ、と内心呆れつつ、僕はお説
教モードで言い聞かせる。
「ダメですよ。そんな事したら後期の試験で先輩が苦労するだけなんですから。前期だっ
てギリギリ可だったのに、単位取れなくても知りませんよ」
必修科目の授業だから、単位が取れなければまた1年同じ授業を、今度は先輩一人で受
ける事になる。そこで取れなければ留年だ。さすがにそれは先輩も理解しているのか、マ
ンガから視線を上げて僕を睨み付けると、不満げに口を尖らせた。
『全くアンタってば年下のクセにホント、偉そうな事ばっか言うわよね。あたしだってそ
れくらいは分かってるわよ。いいでしょ? 希望くらい口にしたってさ』
本当に分かっているのなら、必修科目で不可ギリギリの点数は取らないと思う。もっと
も、他の科目は僕の協力もあったとはいえ、さすがにもう少しいい点数を取っていたので、
よほどそりが合わないのだろうけど。
「まあ、分かってて言ってるのならいいですけどね。あと、お菓子もほどほどにしておか
ないと、また太ったって騒ぐ事になりますよ? 野上さんとかにスイーツ誘われても先輩
だけ行けないってハメになってもいいんですか?」
先輩はそんなに太りやすい体質ではないが、結構体重は気にする性格なので1キロ太っ
ただけでも結構大騒ぎする。挙句にお茶請けに美味しいお菓子を出したアンタが悪いと僕
のせいにするから始末に悪いのだ。
『うっ……』
55 名前:2/6 :2012/12/02(日) 21:37:24.56 ID:zZDi8rK60
お徳用チョコの袋に手を伸ばした先輩の手が止まる。僕の顔とチョコとを交互に見比べ、
渋々ながら手を引っ込めた。
『仕方ないわね。じゃあ、あとこのおせんべいだけで止めにしとく。これならカロリーも低いし』
自分の手元にあったソフトサラダを手に取り、肘を立てて体をやや起こしてから、ビニー
ルの袋を破って、中からおせんべいを出すと、ほんの少しかじった。
「そこで止めるって事をしないのが、さすが先輩ですよね。おせんべいだって炭水化物の
固まりなんだし、食べれば結局太るのは同じだと思うんですけど」
呆れた口調で指摘しつつ、内心ではそんなダメな先輩が可愛いと思ってしまっているの
が、自分のダメな所だと思う。そして、すぐに不機嫌な顔で言い返してくるのがやっぱり可愛い。
『しょうがないでしょ。これは最後の締めに食べようと思って取っておいたんだから。あ
たしの好物だってのは知ってるくせに、わざわざ言う辺りが嫌味っぽいのよ。そういうト
コ、ホント大嫌い』
その言葉に、僕はちょっと意地悪な質問を思いついたので、早速先輩に聞いてみた。
「そういうトコが大嫌いって事は、好きなトコもあるって事ですよね? 先輩は僕のどん
なところが好きですか?」
『ふぇっ!?』
驚いた声を出して、先輩が僕の顔を見上げる。笑顔の僕と視線が合い、みるみるうちに
顔が赤くなっていく。たっぷり30秒ほど見つめ合う時間が続いてから、慌てて顔を逸らし
て、怒った顔で吐き捨てるように答えた。
『ア……アンタの好きなトコなんて、あ、ある訳ないでしょっ!! アンタなんて、大嫌
いなトコと嫌いなトコと、ちょっとムカつくトコと、どうでもいいトコと…………あとは、
その……ちょっとだけ役に立つかなってトコと…… あ、そうそう。他には大大、大っ嫌
いなトコだけよっ!! 今みたいなイヤらしい質問するとかねっ!! ホント嫌い。超嫌
い。大っ嫌い!!』
途中で僕に向き直り、ガーッと喚き立ててから、先輩は憤然とソフトサラダをかじった。
その途端、先輩の表情が一変する。ビクッと体を跳ねさせ、大きく目を見開き驚いたよう
な顔をしたかと思うと、口を片手で押さえて悶える。
「ちょっと、どうしたんですか先輩? 何があったんですか?」
慌てて僕は、床に転がった先輩の様子を窺う。身悶えしつつクッションに顔を埋めてい
た先輩は、体を震わせ、目をギュッとつむっている。その目尻に涙が溜まっているのが見えた。
56 名前:3/6 :2012/12/02(日) 21:37:55.62 ID:zZDi8rK60
『んーんー』
呻きつつ、心配して見つめる僕を、片手を振って追い払うようにしながら、先輩は体を
起こす。それからようやく、意味のある言葉を口に出した。
『いったああああああ…… ちょっ……ちょーイタい……』
「痛いって……どこがですか?」
果たしておせんべいを食べただけで痛がるってどういう事だろうと疑問に思いつつ聞く
と、先輩は自分の唇を指で引っ張り、裏返して示した。
『これよ、これ!!』
いささかくぐもった声で言う先輩に従って、僕は唇の裏側を見た。すると赤い唇の裏側
に、米粒大の大きな白い口内炎が浮き上がっていた。その周りは痛々しいほどに炎症している。
「うわー…… 随分でかい口内炎ですね。一体どうしてこんなんなったんですか?」
思わず興味本位で聞くと、先輩は唇から手を離し、不機嫌そうにしかめっ面をして見せた。
『こないだ、ご飯食べてる時に噛んじゃったのよ。それで上下に二つ、小さな口内炎が出
来ちゃって……でも、そんなに大したことないって思ってほっといたら、また噛んじゃっ
て。その時はアンタもいたでしょ?』
「ああ。そういえば一昨日でしたっけ。学食でお昼食べてた時。でもあの時は大丈夫だっ
て、すぐ食べ始めてたじゃないですか」
『それが、昨日朝ごはん食べたらやたら痛かったから、鏡で見たらこんなに大きくなっちゃっ
て。もう最悪よ』
口内炎の原因は何だったかと僕は考えてみる。確か、偏食によるビタミン不足や口腔内
の衛生が良くなかったりすると発症するんじゃなかっただろうか。
「先輩。一応聞きますけど、口の中とかキレイにしてますよね?」
真面目な顔で聞くと、先輩が驚いた顔で僕を見た。その顔が、次の瞬間にはみるみるう
ちに怒りで朱に染まっていく。
『しっ……失礼な事聞かないでよねっ!! あた……あたしだって歯磨きとか口臭予防く
らいしてるわよ!! 人の事なんだと思ってるのよ!!』
「ああ、いや。念のためです。となるとやっぱり偏食かなあ。先輩、結構好き嫌い多いですよね?」
先輩の食生活の全てを知っている訳ではないが、確かしいたけとか苦手だったはずだ。
あと、煮物のにんじんとかインゲンもあんまり好きじゃなかったはずだ。
57 名前:4/6 :2012/12/02(日) 21:38:28.35 ID:zZDi8rK60
『だけど食べてない訳じゃないもん。今度のはたまたま、二回も噛んじゃったから大きく
なっただけだってば』
ムキになって抗弁するが、そもそも口内炎になる事自体が、何かしら栄養が不足してい
るんじゃないかと思う。僕だってたまには口の中を噛む事もあるが、それで口内炎になっ
た事はほとんどないし。
「それにしても、これは酷いですよね。ちょっと、もう一度見せてもらえませんか?」
何となくもう一度みたくなって、僕は先輩にお願いしてみた。先輩はちょっとムッとし
た顔で唇を突き出しつつも、渋々といった体で頷く。
『別に見るくらいいいけど…… でも見世物じゃないんだからね』
そう言って、唇を広げて見せる。僕は顔を近付けてじっくりと見つめた。ピンク色の裏
唇に楕円形の大きな白い炎症がボコッと穴を開けているのが痛々しい。
「それにしても、こんな大きな口内炎が出来てるのに、よくソフトサラダとか食べますよ
ね? 食べてる時、痛くないんですか?」
『……だって……好きなんだもん』
不貞腐れたような答えを聞きつつ、僕は食べかけのまま封を開けたビニールに入ったソ
フトサラダを見つめた。確かに美味しいし、先輩がこれを好きなのも良く知っている。と
はいえ、痛みを我慢してまで食べたいのか、はたまたこれ自体は触れてもさほど痛くない
のか、ちょっと疑問に思った。
「でも、普通は痛かったら我慢しますよね? そこまでして食べるってしないと思うんですけど」
『これでも我慢はしたのよ。最後に一枚だけ、気をつけて食べようって思ってたし、実際
一口目は大丈夫だったのに、アンタが余計な事言うから悪いんじゃない』
それで最初の一口目は小さくかじったのかと、僕はその時の事を思い返しつつ納得した。
それなのに、僕の質問に動揺して慌てて食べたから傷口に直接触れてしまったと。
「それを僕のせいにされても困るんですけど。大体、僕の好きなところを聞いたくらいで
動揺するって、どれだけ乙女なんですか先輩は」
僕の反撃に、先輩はウッと言葉に詰まった。頬がまた紅潮し、咄嗟に顔を背けてから、
先輩は不満気にボソボソと答える。
『そ……それはその……急に変な事聞かれたから、心の準備が出来て無くてビックリした
だけよ。そ、それだけなんだからっ!!』
ムキになる先輩に、僕はまあまあと両手で制する。
58 名前:5/6 :2012/12/02(日) 21:39:44.82 ID:zZDi8rK60
「分かりましたよ。で、僕が悪いとして、それじゃあ僕は先輩に何をしてあげればいいで
すかね? 今は食べ物でお詫びは出来ませんし、どういう形で罪滅ぼしをすればいいですか?」
自分が悪いと認めたわけではないけれど、先輩といつまでもこの事で言い争いを続けて
も、先輩は絶対僕のせいである事を譲らないだろうから、こっちから折れてあげる事にし
た。すると先輩は、わずかに視線を逸らし、難しい顔で少し考えてから、ボソリと呟く。
『……薬……』
「え?」
その単語から、先輩の求める事が咄嗟に理解出来なくて、僕は聞き返した。すると先輩
は、もう一度下唇を裏返して僕に患部を見せると、怒ったようにもう一度繰り返した。
『だから薬ちょうだいって言ってんの!! こんなに酷いと痛くて何も食べられないじゃ
ない。責任とって治してよね』
「いや。さすがに治すまでは無理ですけど……口内炎の薬ってあったかなあ?」
先輩の無茶振りは置いておくとしても、薬箱の中に口内炎の薬があったかどうか、僕は
頭の中で思い出そうとしてみる。すると、唇から手を離した先輩が偉そうに指示を出して来る。
『もし無かったら、買ってくればいいでしょ? 痛みがすぐ止まって早く直るやつをね』
「そんな魔法みたいな効き目の薬なんて、世の中にあったらきっと飛ぶように売れてますっ
て。とりあえずダイニング行って探して来ますね」
床に手を付いて立ち上がろうとした時、先輩の食べかけのソフトサラダが目に入った。
「そういえば先輩。このおせんべいはどうしますか?」
そう聞くと、先輩は僕の手元のソフトサラダに目をやり、それからプイ、と視線を逸ら
して、わざとらしく興味無さそうに答えた。
『も……もったいないけど処分しちゃってよ。痛くてあたしは食べられないから』
予想通りの答えに僕は頷いた。
「それじゃあ、これは僕がいただきますね? 食べ物を捨てるなんてバチ当たりですし」
ソフトサラダを手に持って示して見せると、先輩はさらに顔を逸らした。
『す……好きにしなさいよっ!! アンタに処分任せたんだから、いちいちあたしに断る
必要ないし』
そのくせ、視線だけはこっちを捉えて離さなかった。どう考えても、先輩も意識しまくっ
ているなと思いつつ、僕は笑顔で頷く。
「それじゃあ、好きにさせてもらいます」
59 名前:6/6 :2012/12/02(日) 21:40:15.57 ID:zZDi8rK60
先輩のかじった後から口をつけると、僅かに先輩の体がピクッと震えるのが分かった。
わざと、見せびらかすようにゆっくりと食べてから、ゴミをお盆に乗せて立ち上がると、
先輩を見下ろして言った。
「先輩」
一言、呼びかけて言葉を切ると、ややあって反応があった。
『……な、何よ?』
「間接キス。ご馳走様でした」
その途端、先輩がパッと僕の方に顔を向けた。既に顔は真っ赤に染まっている。そのま
ま10秒ほど見つめ合っていると、先輩がハッと気付いたように顔を怒りに歪めてみせた。
『そ……そういう事言うなっ!! この変態っ!!』
本当に可愛らしい反応をするなあと思いつつ、僕はさらに言葉で弄ってみせる。
「そんなに照れる事ないと思うんですけどね。間接キスどころか、僕らは――」
最後まで言い終わる前に、僕の足がクッションで叩かれた。
『それ以上言うんじゃないわよ!! このバカ!!』
耐え切れなくなった先輩が実力行使で止めに掛かってくるのを、僕は体を引きつつ諌めた。
「ちょっと先輩。叩くのは止めて下さいってば。お盆持ってるんですから、落としたらカッ
プ割れちゃいますって」
『うるさいっ!! さっさと薬取って来なさいよね!!』
「分かりました。分かりましたよ」
これ以上いると本当にクッションを投げつけられかねないので、僕は急いで部屋を退散
したのだった。
続く
最終更新:2012年12月05日 23:25