17 名前:1/5[] 投稿日:2013/01/19(土) 21:21:01.85 ID:M+l7xwpw0 [3/7]
けたたましい目覚ましの音に、ボクは浅い眠りから叩き起こされた。ベッドから起き上
がって立ち上がらないといけない本棚の上のほうに置いてあるので、この喧しさから逃れ
る為には、暖かで心地良い布団の中から出なければならない。
『ん…… もう……』
一瞬、現実から逃避して布団の中に潜り込みたい誘惑からかろうじて抜け出して、ボク
は勢いよく布団をまくって起き上がると、布団から体を引っ張り出して立ち上がると、時
計をベチッと叩いて止める。
『フゥ…… 学校……行かなきゃな……』
まだ眠くてボーッとしている頭を振って眠気を払おうとする。今日から新学期。とはい
え、二月までのほんの僅かな期間。一月が過ぎると受験休みに入ってしまい、もう三月の
予餞会まで行く事は無くなってしまう。最後の高校生活であって、別府君と過ごした三年
間も、もう終わってしまうのだ。
『あともうちょっとだもんね。気合……入れないと……』
パン、と頬を両手で叩き、パジャマを脱いで制服に着替える。この制服を着るのもあと
数えるほどしかないと思うと、ちょっと寂しかった。洗面所に寄って髪型を整えてからキッ
チンに向かうと、仕事に行く兄が既に食事を始めていた。
『……おはよう。お兄ちゃん』
「おはよう……って、大丈夫か? 悠」
『へ…… 何が……?』
兄がいきなり心配そうな顔つきになったので、ボクは怪訝に思って聞き返した。すると
兄は、ボクの様子を窺うように、顔をジッと見つめて来る。
「いや。何か生気の無い顔をしてるぞ? 具合でも悪いのか?」
『え……?』
ボクは首を傾げて兄を見つめた。それから慌てて両手を振ってその心配を退ける。
『ち、違うよ。大丈夫大丈夫。昨夜ちょっとさ。調子が良かったから勉強続けてたら、三
時回っちゃっててさ。だからちょっと寝不足なだけ。心配しないでもいいよ。うん』
18 名前:2/5[sage] 投稿日:2013/01/19(土) 21:22:07.95 ID:M+l7xwpw0 [4/7]
兄の事だから、下手をしたらとことんまで面倒を見ようとしかねない。それだとこっち
も困ってしまうので、ボクは平気なところを見せようと笑顔になった。しかし、それを見
透かしたかのように、兄は首を振る。
「もう受験が近いからって無理するなよ。この時期は体調管理が一番大事だからな。お前、
お正月も休まなかったんだし、根を詰めすぎると本当に体を壊すぞ」
『本当よ。昨日だけじゃなくて、最近ずっと遅いでしょう? 頑張るのはいいけど、無理
し過ぎるのは良くないわよ』
朝ごはんを作ってくれたお母さんにまで言われ、ボクはふくれっ面で二人を交互に睨ん
で言った。
『大丈夫だってば!! 自分の体のことくらい自分で面倒見られるし。昨日はちょっと失
敗しちゃったけど、寝不足なだけであとは全然元気なんだから』
眠気を少しでも覚まそうと、いつもはお砂糖二杯は入れるコーヒーをブラックのまま口
を付ける。苦さに顔をしかめつつ、ボクは無理矢理に朝ごはんを口にしたのだった。
『委員長。委員長』
トントン、と肩を叩かれ、ボクは物思いからハッと我に返った。
『ふぇっ!? な……何? 葉山さん』
気が付いたら目の前にクラスメートの顔があった。驚いて聞くと、彼女は少し微笑んで
あごを外へとしゃくって指し示す。
『もうホームルーム、終わりましたよ。今から体育館に移動です』
『え…… あ。そだね。ゴメン。ちょっとボーッとしてた』
委員長だから、みんなを整列させて体育館まで先導しないといけないのに。慌てて立ち
上がったボクに、葉山さんがそっと腕を取って来た。振り返るボクに、心配そうに声を掛ける。
『大丈夫ですか? 何か、疲れているみたいですけど』
兄と同じような心配をされ、ボクはそれを杞憂とばかりに笑顔を見せると片手を振って
みせた。
『大丈夫大丈夫。少し寝不足でボーッとしてただけだからさ』
笑顔を見せて頷くと、しかし葉山さんはますます顔を曇らせた。
19 名前:3/5[sage] 投稿日:2013/01/19(土) 21:22:51.72 ID:M+l7xwpw0 [5/7]
『本当ですか? 余計なお世話かも知れませんけど、無理はあまり良くないですよ。委員
長って、少し根を詰めすぎるところがありますからきっと遅くまで勉強していたんでしょ
うけれど、無理は良くないですよ?』
さすが三年間同じクラスだっただけあって、葉山さんは的確にボクの状況を見抜いてい
た。心配してくれるのはありがたかったので、ボクは笑顔で頷きつつ答える。
『分かってるってば。昨日はちょっと寝る時間よりオーバーしちゃったけど、一応ちゃん
と、気を付けてはいるからさ』
そして、彼女の手を振り切るように、慌てて廊下へ出て行った。
体育館に行ってからも、校長先生の話の間何度か意識が飛ぶ事があった。何とか途中で
正気を取り戻してはいるものの、どうにも頭がシャッキリしない。ニ、三度強く頭を振っ
て、ボクはギュッと太ももをつねった。
――いけないいけない。ちゃんとしないと、別府君にまで変に思われちゃうじゃない。
隣にいる副委員長の別府君にチラリと視線を走らせる。相変わらず、気の抜けたような
顔をして、いかにもだるそうに突っ立っていた。多分先生の話なんて聞いてもいないんだ
ろう。彼の前で、ボクがだらしない所を見せるわけには行かないと気を引き締めつつ、何
とかボクは始業式を乗り切ったのだった。
『起立。礼』
初日なので、教室に戻った後は連絡事項など、いささか長いホームルームの後はもう放
課後になった。眠さに負けて思考の迷路に落ちかかっていたボクは、日直の声にハッと正
気を戻す。周りが立っているのに気付いて慌てて立ち上がり、先生に向かって礼をする。
『フゥ……』
危ないところで、周りから指摘されずに済んだとホッとして、ボクは椅子に腰掛ける。
すぐに葉山さんが寄って来て、誘いを掛けてくれた。
『委員長。さっき、友香さんからメールが来て、帰りにファミレスでご飯食べて行かない
かってお誘いがあったんですけど、委員長のところにも来ていないですか?』
『へ…… あ、あったかな?』
20 名前:4/5[sage] 投稿日:2013/01/19(土) 21:23:51.72 ID:M+l7xwpw0 [6/7]
校内では使用禁止のクセに、友香ってば、先生の目を盗んではメールを送信してくるか
ら、ボクとしてはすごく迷惑である。もちろん、メールをくれる事自体はありがたいけれ
ど。ボクはカバンに入れっぱなしの携帯を出して確認する。
『あ……ホントだ。友香ってば、こんなのん気でいいのかな? 二週間後にはセンター試
験なのに……』
すると葉山さんはニッコリと微笑んで、友香のいるクラスの方を見て答えた。
『二週間後だからこそ、あまりジタバタしてもしょうがないって考えているんでしょうね。
久し振りに会ったんだから、息抜きをしながらみんなで勉強の愚痴を言い合ったり、無駄
話をしたりするのも大切だと思うんですけど。委員長も行きますよね?』
しかしボクは、小さく首を振って拒否をする。
『ゴメン。ボク……帰る前に、少し図書館寄って勉強していくつもりだったから。調べ物
もしたかったし。睦ちゃんにも会いたかったけど、また今度ね。みんなにゴメンって葉山
さんからも謝っておいてよ。もちろん、二人にはメールするけどさ』
『委員長。そんなに勉強、勉強ばかりじゃ、ストレスで押し潰されますよ?』
いささか強い口調で注意され、ハッと顔を上げて葉山さんの顔を見ると、彼女は真面目
な顔つきでボクをジッと見つめていた。このままだと葉山さんに押し切られて、ファミレ
スに連れて行かれかねない。その危惧から、ボクはうっかり口を滑らせてしまった。
『分かってる。けど……今日は、どうしても行かなきゃならないから』
するとその途端、葉山さんの表情が一変する。ハッとしたかと思うと、急に嬉しそうな
顔になって頷く。
『分かりました。委員長……別府君と、お約束しているんでしょう?』
『ふぇっ…… ななな、何で何で? ボクそんな事言ってないよ』
『だって、一人だったら行かなくちゃならない、なんてことないですもの。みんなでご飯
食べてから、一緒に市立図書館まで行って、調べ物に付き合ってあげたっていいですし。
でも、今の委員長の口調だと、図書室にどうしても寄らなくちゃいけない。つまりそれは、
別府君と一緒に勉強する約束をしているからでしょう?』
お見事な洞察力だった。いや、彼女の前で僅かでも隙を見せれば、簡単に見透かされて
しまうのは分かっているのに、焦りと判断力の低下から、うっかりと言ってしまったのだ。
『ちちち、違うってば。本当にその、別府君は関係なくて、ボ、ボクが勉強するだけで……』
22 名前:5/5[] 投稿日:2013/01/19(土) 21:27:29.64 ID:M+l7xwpw0 [7/7]
『あら? じゃあ、帰る前に私も図書室にご一緒しますわ。ちょっと借りたい本もありま
したし。無論、別府君はいないんですよね?』
無邪気な微笑みを浮かべながら、葉山さんは完全にボクを敗北させた。そもそも同じク
ラスだけに、ボクと別府君が時々一緒に勉強しているのを、彼女は多分見抜いていたのだ
ろう。諦めてボクはため息をついてせめてものごまかしをした。
『……へ、変に勘繰らないでよね? 冬休みに、物理の勉強でさ。どうしても分からない
ところがあったから…… それを別府君に教えてもらって、逆に別府君に英語を教えてあ
げるってだけで、仲良くお勉強とか、そんなんじゃないから』
しかし、葉山さんはニコニコ顔で元気良く頷く。
『ええ。それならご心配ありませんわね。別府君と一緒でしたら、委員長の疲れもきっと
吹き飛びますわ。それじゃあ、二人には宜しく言っておきますから』
『い、言っとくけど、ボクが別府君と約束してるなんて絶対言っちゃダメだからね? 分かった?』
『はい。絶対に言いませんわ。大切なお友達のお願いですもの。決して、破ったりはしません』
葉山さんの笑顔に、どうも黒いものを感じつつもボクは彼女を信じざるを得なかった。
ちなみに、明日になって分かったことだが、今の世の中は――いや、遥か昔から、言葉に
しなくても伝える手段はいくらでもあるという事を、ボクはイヤというほど思い知らされ
る事になるのだった。
続く
最終更新:2013年02月03日 00:44