256 名前:1/6[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 11:50:41.74 0
しかし、彼のそんな強がりも、5分とは持たなかった。
「遅いわよ。もっとシャキシャキ歩きなさいよ」
「いや、その……ちょっと、マジ辛くてさ……」
坂を上り始めてまだ四分の一にもならないのに、フラフラと辛そうに上る彼を、私は上
から見下ろして急き立てた。しかし、彼のスピードは一向に上がる気配を見せなかった。
立ち止まって彼が追いつくのを待っていると、フゥフゥと息を吐きつつも何とか足を速め
て上ってくる。
「全く、だらしないわね。別府君って結構スポーツ出来ると思ってたんだけど、意外だわ」
こんな姿を他の女子に見せたらどう思うんだろうかと疑問に思う。一気に熱が冷めるの
だろうか? それとも、意外と弱い一面に逆に時めいて、母性本能が働いたりするものな
のだろうか?
「いや。今日の体育がバスケでさ。そもそも疲れてんだって。あと、委員長の足が速すぎ
るってのもあるけど」
「言い訳無用。泣き言は言わないって言ったでしょ? それとも、本当におんぶされたい?」
脅すように聞くと、彼は激しく首を振った。
「いやいやいや、冗談じゃねーよ。いくらなんでも、女子におんぶされるなんて、恥もい
い所だ」
「なら、もう少しペースを上げなさい。別に私の足が速いって事もないでしょう?」
しかし、それには別府君も断固として主張してきた。
「いや。十分委員長の歩くスピード速いと思うぞ。普段からそのペースだとしたら、相当
人を追い抜いてると思うけど」
そう指摘されて、私はちょっと考えてみる。
「別にそんな事もないような気がするけど……? まあ、朝は早いからあまり人がいない
し、帰りはちーちゃん達と帰るから、もう少しゆっくりではあるけど、でも人とおしゃべ
りしながら帰るんだから、それは当たり前だし……」
でも、そう言われてみれば、確かに何人かは確実に追い越しているとは思う。別に早足
で歩いているつもりではないのだけれど。
257 名前:2/6[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 11:51:13.00 0
「いや。絶対速いって。実は何か運動やってたりしない? 競歩とかさ」
「バカね。そんな訳ないでしょ。私、運動苦手だもの」
冗談だと思いつつも、軽く一蹴する。それから、クルリと体を反転させると、付いて来
いと言わんばかりに手を軽く振って先に行くように促す。
「ほら、もう行くわよ。これでも大分時間ロスしているんだから」
あんまり遅くなると、別府君と何やってたのか、クラスの女子からの詮索がうるさくな
る。それは同時に、敵も作る結果になりかねないので、そういう噂は立てられたくなかった。
「待ってくれよ。せめて、この坂上り終えるまでは、ゆっくりめで行こうぜ。そしたら、
俺もペース上げるからさ」
どうやら、これ以上のペースを彼に求めるのも無理っぽかった。かといって、のんびり
もしていられない。立ち止まって、どうしようかとちょっと考える。と、すぐに一つの方
法が思い浮かんだ。こうすれば、無理にでも彼に急いで歩かせる事が出来る。しかし、こ
の方法には、少し――いや、かなり恥ずかしい行動を取らなければならないという問題が
あった。
「委員長?」
無言で思案する私に、別府君が様子を窺う。その声が、乙女チックなときめきに陥りか
けていた私を正気に返らせた。恥ずかしくても、効果があるならやった方がいいに決まっ
てる。決意して私は、別府君に手を差し出した。
「……荷物。貸してくれる? 私が持つから」
すると、すぐに彼は荷物を引いて隠すようにすると、首を振って拒否した。
「いや。それはダメだ。俺がちゃんと持つって言ったんだから」
「それでちんたら歩かれてたらたまらないのよ。全部じゃなくて半分。それなら平等でしょ?
ほら、早くして? 軽い方でいいから」
彼はしばらく躊躇っていたが、やがて両手に持つビニール袋の一つを逆の手に移してか
ら、残った荷物を差し出した。
「はい。これなら大して負担にもならないと思うから」
「いいわ。別に、貴方の負担を軽くするのが目的じゃないから」
「へ?」
258 名前:3/6[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 11:51:45.57 0
私の言葉に訝しげな声を上げつつ、彼は残った荷物を両手に分けようとする。私は慌て
てそれを止めた。
「待って。そのままで」
「え? 何が?」
彼の疑問に答える代わりに、私は片方の手で、彼の空いた手をギュッと握った。
「ちょっ!? い、委員長? 何で……?」
私の思いがけない行動に驚き、別府君は疑問の声を上げるが、私は構わず無視して彼の
手を引っ張って歩き出した。彼が動揺した事で、恥ずかしさに拍車が掛かってしまい、上
手く頭が回らない。そのまま彼の手を引いて歩き出すと、彼は慌てて歩を進めた。私の追
い縋るのが辛うじてと言った感じのスピードで、引っ張られつつも彼は更に質問を重ねて
きた。
「ど、どーしたんだよ委員長。いきなり人の手を握って引っ張ったりしてさ」
「どうしたもこうしたも、こういう事よ」
「はい?」
私の答えに、別府君は首を傾げた。私は振り向かずに前だけを見てしっかりと歩幅を取っ
て歩きつつ、何とか心を静めつつ、今度は分かりやすく答える。
「だから、こうやって腕を引っ張ってあげれば、貴方もだらだらと歩かずに付いて来させ
られる事が出来るでしょ? 別に握りたくて握っている訳じゃないわよ」
思いついた最初は、彼と手を繋ぐなんてあり得ないと思った。そんな事恥ずかしくて出
来たものじゃないと。だけど、すぐにもう一人の私が、手を繋ぐチャンスだと囁く。正々
堂々とした理由があるんだから、この機会を逃す手はないと。一度そう思ったら、誘惑に
逆らう術はなかった。こうやって、逃げの言い訳まで出来るのだから。
「なるほど。俺を引っ張って歩けば、自分のペースで歩けるからって事か」
「そういう事よ。納得したなら、少しでも足を速めて、私の負担を軽くするように努力し
なさいよね」
それに別府君は何も答えなかった。しかし、引っ張っていた腕の抵抗が不意に無くなる。
え?と振り向きかけた時には、別府君が私の隣に並んで歩いていた。
「ちょっと…… や、やれば速く歩けるんじゃない。今までどんだけサボッていたのよ」
横を見上げて文句を言うと、彼は照れたように笑った。
259 名前:4/6[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 11:52:17.24 0
「いや。やっぱり女の子に手を引かれて歩くなんて、みっともないじゃん。それに、委員
長からエネルギーも貰ったしね」
「は? 私が貴方にどんなエネルギーをあげたって言うのよ?」
彼の言葉に、動揺しつつ私は追及する。彼にやる気を起こさせるような事なんて、した
覚えはない。すると彼は、視線を逸らして答えた。
「いや、その……委員長の方から手を繋いでくれるなんてさ。そんなご褒美貰ったら、や
る気出すしかないじゃんって……けど、委員長足速いから、これでも結構いっぱいいっぱ
いなんだけどな」
「こ、こんなのがご褒美だって言うの? 意味分からないわよ? 何で?」
動揺して、思わず握ったまま手を持ち上げて彼を見上げる。胸がドキドキして痛いくら
いなのに、それにも気付かないほど私は興奮してしまっていた。
「だって、彼女もいない男がこんな風に女の子と手を繋いで歩けるなんて、滅多に無い事
なんだぜ? まあ、握手くらいで手を握る事はあってもさ。これって、委員長には分から
ないかも知れないけど、男にしてみりゃ結構嬉しい事なんだぜ」
「わ……分からないわよ……」
手を下ろすと、彼のちょっとゴツゴツした男の手の感触を指で確かめる。いつの間にか、
彼の握る力のほうが強くなっていた。
「も、もっと可愛い子ならともかく、私みたいに色気も可愛げも無い女と繋いだって別に
どうって事ないんじゃない? どうせ私なんて、普段視界に入ってもいないくせに、こう
いう時だけお世辞めいた事を言うのは止めてよね」
一生懸命に自分を卑下して、辛うじて蕩けそうになる心を保つ。そうでないと、みっと
もなくも調子に乗った行動を取ってしまいそうで怖かった。しかし、別府君はそんな私の
防御を、あっさりと瓦解させる言葉を口にする。
「そんな事ないよ。委員長の手、小さくてスベスベで柔らかいし」
その一言で、ボフッと私の体全体が熱を帯び、体温が一気に上昇する。手が汗ばんで来
るのが自分でも分かり、恥ずかしかった。
「そ、そんなの私だって……肉体的には女なんだから、仕方ないでしょ? どうせ、手を
握られて初めて、私の事女の子だって意識したとか、そんなんじゃないの?」
260 名前:5/6[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 11:53:22.12 0
それでもいいと思った。彼から――別府君から、口うるさいクラス委員長じゃなくて、
一人の女の子として見て貰えるなら、それがこのひと時だけだったとしても、私は嬉しかっ
た。それなのに、彼はあっさりとそれすらも否定してきた。
「いや、そんな事無いよ。気が強いのは確かだけどさ。でも、可愛いし色気だってあると
思うよ」
「どの辺がよ!! 単なるごまかしとかだったら、許さないんだから」
怒ったように怒鳴りつけて、私は追及する。しかし、別府君の方が度胸があったらしい。
真面目な顔で私を見つめてから、少し微笑んで頷いた。
「そういう気の強い所も含めて、全部可愛いと思うけど…… そうだな。さっき、上から
俺を見下ろして来た時、スッと尊大に立った姿に、スカートが風でちょっとヒラヒラして
たのは、見てて凄いドキッとしたな」
聞いた途端、私は荷物を持った手で、慌ててスカートを抑える。若干前屈みになって彼
を睨み付け、毒づいた。
「わ、私が真面目に怒ってる時に、何考えてんのよ!! このスケベ!!」
「いやいや。別に覗いてたとかじゃなくて、普通に見えてる姿での印象だから。ただ、可
愛い女の子にちょっとしたエロっぽさが加わると一段といいなあって。それは委員長に色
気があるから、そう思えたんだと思うけど」
彼の言葉に言い返そうとして何も思い浮かばす、私はただ、うつむく事しか出来なかっ
た。顔が熱い。きっと今、とっても彼に見せられないだらしない顔をしているんだろう。
「だからさ。委員長も可愛げも色気も無いなんて自虐的な事思わないでさ。もっと自分に
自信を持ちなって。そうすれば、もっともっと魅力的になるからさ」
こんな事を別府君みたいな男子から言われたら、誰だって心が溶けてしまうに決まって
いる。だからきっと、彼は女子に人気があるんだろう。
「わ、私を元気付けてくれようとした事にはお礼を言っておくわ。でも、私は自分の分っ
て物を弁えているし、貴方から同情なんてして貰いたくも無いから」
261 名前:6/6[sage] 投稿日:2012/10/07(日) 11:55:50.93 0
私は、自分に言い聞かせた。彼は単に、自虐的な私を勇気付けようとして、おせっかい
を焼いてくれただけなんだと。別に、私を特別に意識して、色気があるとか言ってくれた
んじゃなくて、客観的に見て褒めてくれただけなんだと。それだけでも、十分に有難い事
なんだからと。
「ホントに俺が、委員長に慰めや同情だけでこんな事言ってると思う?」
覗き込むように前から見下ろされて、私はドキッとしてうつむき、首を小さく振った。
「もう止めて。その話はもう聞きたくない」
この先に行くのが怖かった。今まで単にふざける彼を怒るだけだった私でしかなかった
のに。遠目から見て憧れるだけの存在だった彼に、こんなに急に接近されると嬉しさと同
じくらいに不安があった。このままだと、流されて彼の腕に飛び込んでしまいそうな自分
がいて、同時にそれはダメだと戒める自分がいて、今はまだ後者の方が強かった。
「そろそろ、手を離すわよ。もう坂も登り切ったんだし、それだけ元気なら十分付いて来られるでしょ?」
しかし、彼は甘えるように抗議した。
「いやいや。委員長が手を握ってくれてるから頑張れるんだって。せめて学校まではこの
ままでいさせてくれよ」
本当は私だって離すのが惜しいと思っていたから、彼の抗議に抗う術はなかった。
「……じゃあ、学校が見えるまで。誰かに見られて噂になったら困るし。あと、ペース速
めるから、しっかり付いて来なさいよね」
「俺は別に困らないけど?」
ワザとらしく首を傾げる彼に、私は目を剥いて怒鳴った。
「私が困るのっ!! いい? ホントにそこまでなんだからねっ!!」
そして私はその後、学校までの道を早足で、しっかりと手を繋いだまま歩いて行ったの
だった。
終わり
最終更新:2013年04月18日 14:17