――う……うむ……?
チーズの濃厚な味が合わなくて、吐き出してしまいそうになる事も覚悟していた纏だっ
たが、意外と抵抗感なく舌に馴染んでいく。難しい顔をしながら口を動かしていると、別
府が横から聞いて来た。
「どうだ? 味の方は。やっぱ不味いか?」
それに纏は、片手を上げて彼の顔の前にかざして制した。
「ちょっと待たぬか。まだ良く分からぬわ」
嚥下すると、もう一口、おにぎりを今度はもう少し多く口の中に入れる。確かに、かつ
おの風味たっぷりの醤油味おにぎりにチーズの味はミスマッチだ。だが、想像していなかっ
た事に、これが意外にも合う。とろけるチーズのまろやかさが実に味を引き立てていた。
気が付くともう一口、また一口と食べてしまう。思い込みの嫌悪感が無くなると、空腹だっ
たことも相まって、たちまちのうちに彼女はおにぎりを食べ尽くしてしまった。
「フゥ……」
満足の吐息を漏らす。これは意外な発見だった。今度、自分でも作ってみようかとそう
思った時、横からおもしろがるような声がした。
「どうやら、姫御前のお気に召して頂けたようで」
ハッと声のした方向に振り向くと、すぐ隣で別府がニヤニヤした笑いを貼り付けて纏を
見つめていた。その途端、纏は自分が勝負していた事を思い出す。咄嗟に口から言い訳が
突いて出た。
「ち……違うぞ、別府!! 儂はその……断じて美味いなぞ、思うてはおらぬぞ」
「その割には、わき目も振らずに熱心に食べていたようだけど?」
嬉しそうなその顔が、何とも癪に触って仕方が無かった。彼の前でだけは認めたくない
と、纏は必死で言い訳を思いついた。
「そ、それは……じゃな。これを……儂が食べ残したら、後はお主が食うつもりじゃった
のじゃろう?」
「そりゃもちろん。もったいないし」
頷く彼を前に、纏はその小さく愛らしい顔を歪めて嫌悪感を丸出しにして見せた。
330 名前:2/8[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 05:24:20.28 0
「ほれみい。そうなったらの。儂はお主と、その……間接キッスをじゃな。してしまう事
になってしまうのじゃ。しかもお主の事じゃから、イヤらしく笑みを浮かべて指摘するん
じゃろ? さような事はゴメンじゃからの。不味い飯ではあったが、敢えて全部食ろうて
やったのじゃ」
プイとそっぽを向くその顔には、ほのかに赤味が差していた。どうやら自分で言った言
葉に自分で照れてしまったらしい。
「なるほど。纏は俺と間接キスがしたくなくて、敢えて不味いおにぎりを全部食べたと、
こう主張する訳だ」
別府が確認するように繰り返すと、彼女はコクリと小さく頷いてから彼を横目で睨み付
ける。
「そうじゃ。じゃから、儂はお主に負けておらぬからの。それだけは肝に銘じておくのじゃぞ?」
「はいはい。強情っぱりのお姫様」
別府からしてみれば、どう考えても夢中になって頬張っていたようにしか見えなかった
が、こうと言い出したら絶対に認めない性格はよく知っていたから、言い負かすのは諦め
ていた。纏が自分の作ったおにぎりを美味しく食べてくれたから、それでよしとしよう。
そう思いつつ、今度は自分も食べようともう一つのおにぎりに手を伸ばしかけた時、彼女
の手が自分に向かって差し出されているのに気が付いた。
「うん? どうしたの、纏」
すると彼女は珍しく、もじもじと少し戸惑った態度を取った後で、小さな声で命じて来た。
「……は、はようもう一つの握り飯も寄越さぬか。この戯けめが」
「え? こっちの明太チーズおにぎりも?」
「うむ。そうじゃ。はようせい」
彼女の催促に、彼はわざと首を傾げてみせた。何となく彼女の気持ちに気付いていたが、
それは敢えて態度に出さずに。
「でも、明太子とチーズなんて合うわけないって言ってたじゃん。せっかくの明太子を粗
末にするなとか言って」
すると纏は、パッと彼を睨み付けて、若干照れた様子を見せつつも強気な態度を崩さず
に言い放つ。
331 名前:3/8[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 05:24:57.69 0
「こうなったら、毒を食らわば皿までじゃ。お主の味覚がどこまでおかしいかを実証する
為にも食うてみせるから、はよう渡さぬか」
本当は、絶対に美味しいはずがないと思っていたチーズおかかが物凄く美味しかったの
で、もしかしたら明太チーズも美味しいのではないかと試してみたくなったのだが、無論
そんな事を口に出せる訳がない。
「でも、これを渡したら俺のおにぎりが無くなっちゃうんだけど」
もともと、纏が一口食べたら残りは全部自分が食べる気だったので、困った顔で言うと、
彼女は無言で反対側を向き、そして自分の弁当箱を開けて彼に向かって差し出した。
「フン。ならば、代わりにこれを食うが良いぞ。儂は握り飯を四つも食えぬからの。儂が
作ってきた二つはお主にくれてやるわ」
そのおにぎりを見て、彼は驚くと同時に喜びに心を躍らせた。
「おー。これはもしかして、昨日纏が言っていた焼き味噌おにぎりでは?」
その問い掛けに、彼女は小さくコクリと頷く。二人で作ってきたおにぎりを交換し合う
なんて、まるで恋人同士みたいな振る舞いだとドキドキしつつも、自分の作ったおにぎり
も別府に食べて欲しいという気持ちが湧き上がっていた。
「そ……そうじゃ。本来ならばお主に見せびらかそうと思って作ってきたのじゃがの。も
う一つ食うたらさすがに腹に入らぬでの。自分の不味い握り飯との味の違いをじっくりと
堪能するが良いぞ」
まともに彼の顔を見ることが出来ず、辛うじて言葉だけは強気に、纏は自分のおにぎり
を彼に勧めた。すぐに弾んだ答えが返ってくる。
「そういう事なら喜んで。ほれ、俺のおにぎり」
差し出した手にズシリと重みを感じて、彼女は自分の顔の前におにぎりを持って来た。
海苔で巻かれたそのおにぎりは、一見普通のおにぎりと何の変わりもないように見える。
「全く、おにぎりにチーズを入れるなぞ、本当に邪道もいいところじゃな。やはり米はキ
チンと和の食材を使ったものに限るぞよ」
ぶつくさと文句を言いつつ、一口、二口と口にする。具を大目に入れたのか早くも明太
子のピリッとした辛さとチーズのクリーミーな味わいが同時に口に広がる。明太子と混ざっ
た事で、よりチーズの濃厚さが引き立つような感じだった。
「そっちはどうだ? 纏」
332 名前:4/8[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 05:25:30.18 0
貰ったおにぎりに手を付けるより前に、別府は纏の感想を聞こうとした。彼女はワザと
しかめっ面をしてみせ、頷きつつ口の中の物を全部飲み込んでから、彼の方を見ずに答える。
「うむ。予想通り……いや、想像以上の不味さじゃな。これは……」
そう言いつつ、もう一口、また一口と躊躇う事なく口にして行く。ああ、これは口に合っ
たんだなと内心納得しつつ、別府は纏から貰ったおにぎりを口にした。
「おおっ!? こりゃ美味いわ。味噌の濃厚な味わいに香ばしさが加わって、美味しさが
増してるし。それに、普通焼きおにぎりって海苔は巻かないと思ってたけど、意外と合う
もんだな」
「フン。手に持っても汚れぬようにそうしたまでじゃ。そもそもは儂が食べるつもりじゃっ
たからの」
つまらなそうに言って、纏は最後の一口を口にした。手に付いたご飯粒を口で取ってか
ら、おしぼりで手を拭う。そして、別府の食べっぷりを見て、彼女もまた安堵した。
――良かった。口に合ったようじゃの……
彼女と違って、彼はお世辞や愛想を言うのが上手い。人の話に付き合ってから、後から
実は誰それは好きじゃないとか、あれはああ言ったけど、本当はこうだと思うという事を、
よく別府から聞かされていた。しかし、それだけに自分に対しても同じようなことがある
んじゃないかという心配は常に付きまとっていたが、しかし今の嬉しそうな顔を見ている
限りでは、本当に美味しいと思ってくれていると信じていいだろう。
「いや。これ、マジで美味かったわ。今まではさっき纏にあげたチーズおかかが俺の中で
ナンバーワンだったけど、これはそれの上を行く美味しさだな」
「当たり前じゃ。儂の焼き味噌握りは天下一品じゃぞ? お主の不味いチーズおかかなん
ぞ、比べるべくもないと分かったか。この戯けめが」
すると別府は、わざとらしく困った顔で頭を掻いた。
「いや、申し訳ない。纏の口に合わなくてさ。俺は大好きなんだけどな。でも、俺にして
みれば、勝ったも同然だけどな。纏はおにぎり全部食べてくれたし、俺も纏お手製の焼き
おにぎり食べられたし、言う事無しだぜ」
「全く。これでは儂一人が損をしたようなものじゃ。良いな。約束の柚子の水菓子の件は
忘れるでないぞ?」
333 名前:5/8[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 05:26:31.39 0
さすがにチーズのおにぎりを二つも食べたので、口の中をサッパリさせたくなって、纏
は水筒からお茶を汲んで飲む。別府は彼女の言葉に頷くと、もう一つのおにぎりを差して
聞いた。
「大丈夫。忘れてないから、ちゃんと近いうちに買って渡すよ。ところで、もう一つのお
にぎりは何なの?」
「それは梅じゃ。あんなコンビニおにぎりのカリカリ小梅なぞとは違うぞ。儂が握り飯に
入れるのは、紀州産の梅干しと決まっておるからの。全く、お主に食わせると分かっておっ
たらもう少し格を落としたのじゃが」
気持ちとは裏腹に、ワザと仏頂面でもったいながると、彼は軽く頭を下げた。
「そんな高級な梅おにぎりを頂けるなんて、ありがたく礼を言わせて貰うぜ。それじゃ、
いただきます」
勢いよくかぶり付く別府を見て、纏はため息をつき、呆れたような視線を向ける。
「かように焦って食べんでも良いわ。お主が食べる前になくなったりはせぬからの。それ
よりも、あまり急ぐと米が喉に詰まるぞよ」
そう言った途端、舌鼓を打ちながら食べていた別府の動きが止まった。素早く片手を口
に当てたが、それと同時にゴホゴホと咳き込む。
「ほれ。言わぬ事ではないわ」
無意識のうちに、纏は手に持つ水筒のコップを別府に手渡した。彼はそれを受け取ると、
急いで一気に飲み干す。
「ぷはあっ!! いや、米粒が気管にダイブしてさ。思わずむせちまった。助かったぜ」
「全く、がっついて食べるからそのような事になるのじゃ。人がせっかく恵んでやったの
じゃから、もう少し味おうて食せい」
別府からコップを返して貰い、もう一杯お茶を飲もうと水筒から注いだその時、彼女は
ハッとした。
――ちょっと待て。先ほど、儂は何をやった……?
別府がむせ、咄嗟に自分が手に持ったこのコップを渡して、彼がそれを一気に飲み干す
光景を脳裏に蘇らせる。
――し、しもうた……慌てて渡したから全く意識しておらんかったが……今、間接キッス
をさせてしもうたんじゃ……
334 名前:6/8[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 05:27:04.06 0
気付いた途端、顔がカアッと熱く火照る。いや。それよりも今がまた問題だ。このコッ
プに入ったお茶を口にすると、自分もまた、別府が口にしたコップでお茶を飲む事になっ
てしまう。
「どうした、纏? 何か、強張った顔でお茶を見つめているけど」
別府の声に、纏は思わず驚いて体をビクッと動かす。しかしそこは日頃武道を嗜んでい
る身。動揺を最小限に抑え、何も無かった風に彼を睨み付けた。
「何でもないわ。少々考え事に没頭しておっただけじゃ。いきなり気持ち悪い声を掛ける
でないわ。全く……」
そして、再びコップに視線を落とす。彼が口を付けた場所以外で飲めば良いと思いもし
たが、もはやどこに口を付けたかも分からない。それに、いっそ自分もそこから口をつけ
て飲みたいという誘惑までが襲い、それを振り払おうと彼女は懸命に意識しないように精
神を集中させようとした。
「もしかして、俺と間接キスしたことに動揺してたりして」
「んなっ!?」
今度こそ、纏は驚いてビクッと体を跳ねさせた。同時にコップの中のお茶も跳ね、半分
くらいが彼女の手に掛かる。しかしそれを気にする余裕すらなく、纏は別府の方を見て口
をパクパクさせた。
「何……何……」
「あれ? もしかして、気付いてなかったとか? まあ俺も気付いたのは纏にコップ返す
時だったけどさ」
首を傾げる別府を睨み付け、彼女は思わず怒鳴った。
「何を戯けた事を言っておるかっ!! かっ……かっ……間接キスなぞ……」
しかし、それ以上は上手く言葉にならない。彼女を見つめながら、別府はイタズラっぽ
くニカッと笑ってみせる。
「全く。間接キスを指摘されたくらいでこんなに動揺しちゃうなんて、纏って相変わらず
純情にも程があるよな。もう少し男に耐性付けないと、色々と苦労すると思うぜ」
「誰が純情じゃっ!!」
クワッとまなじりを逆立てて怒鳴ると、別府は上半身を引きつつも、纏を指差して答えた。
「だって、興奮して顔真っ赤だし。普段、みんなといる時の纏じゃありえない顔してるぜ」
335 名前:7/8[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 05:27:37.86 0
知的でクールと評判の彼女だったが、今やその片鱗すらない。だが、彼女はブンブンと
首を振って、それを否定した。
「儂は動揺なぞしておらぬわ。何が間接キスじゃ。ほれ」
勢いに任せ、手に持つコップに残ったお茶を一気に飲み干す。その瞬間、余計に体が火
照った気がしたが、あくまで気にしない風に彼女は立ち上がって別府を見下ろした。
「見よ。全く、くだらぬ事を言いおって…… お主とたまたま同じコップで茶を飲んだと
て、どうって事はないわ」
「でも、さっきは間接キスが嫌だからって不味いおにぎりを全部食べたとか言ってなかったか?」
「ぬ?」
別府の的確な指摘に、纏は思わず言葉を失う。またしても、体温が一度上昇したような
感覚の中、混乱した頭を整理出来ないままでいると、別府がニヤリと笑って勝ち誇ったよ
うに言った。
「自分でそう言い訳してたじゃん。なのに、自分から間接キスさせてくれるなんて、何か
纏って俺の前だと墓穴掘るよな。まあ、俺からしてみると更に間接キスのおまけまで増え
て言う事なしだけどな」
「やかましいわっ!!」
別府の言葉が言い終わらないうちに、纏は怒鳴りつけた。もう恥ずかしさと動揺でまと
もに頭も働かなかったが、それでも自棄っぱちで言葉を繰り出す。
「そもそもお主がむせたりするから悪いんじゃっ!! 人の親切を逆手にとってニヤニヤ
しおって」
「別に俺から何か仕掛けた訳じゃないじゃん。親切にして貰った上に間接キスまでさせて
貰ってありがたいなあと言ってるだけでさ」
対する別府はあくまで冷静だった。纏の反応をいちいち試しては楽しんでいるようにも
思える。それに対して纏は、ますます激昂の度合いを強めて行った。
「やかましいわっ!!」
フウフウと息も荒く、彼を見据えて彼女は言葉を続けた。
「これじゃからお主と一緒におるのは嫌なんじゃ。よいか? 金輪際、お主とは一緒に昼
を一緒にはせぬからの。分かったな!!」
336 名前:8/8[sage] 投稿日:2012/10/16(火) 05:28:46.03 0
捨て台詞のようにそう言うと、彼女は弁当も水筒もそのままに、脱兎の如くその場から
走り去ってしまった。別府はちょっと楽しげにその後姿を見送っていたが、やがて彼女の
残したものの片付けをしつつ、苦笑した。
「ホントに、分かりやすいな。纏は。さて、どうやって慰めるかな。柚子ゼリーだけじゃ
なくて、アイツの好きなあんみつセットも付けてやるか……」
走りに走って、気が付けば昇降口近くまで駆けてから、纏はようやく息が上がって足を
止めた。それから、人目に付かないよう建物の影に隠れて片手を付く。
「あああああ……もう、嫌じゃ…… 何であ奴と一緒だと儂は……ああもダメになってし
まうのじゃ……」
自分の行動、言動を思い返すと全てが恥ずかしい。
「あれでは、自分が阿呆じゃと言っておるのと同じじゃ…… 恥ずかしい……穴があった
ら入りたいくらいじゃ……最早、まともに顔なぞ出せぬわ……」
結局そのまま、授業のチャイムがなるまで、自己嫌悪で悶々としていたのだった。
終わり
この纏さんは黒髪ポニテロングのイメージ
和装でない老成さんもなかなか良いと思うのです
最終更新:2013年04月18日 14:28