387 名前:・ツンデレが男に水族館デートを申し込まれたら その8 1/4[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 07:18:17.66 0
「見て下さい。この、海鮮丼。大きいでしょう? この大振りのどんぶりにこれでもか
とばかりに乗せられた海産物。海老、イカ、うに、いくら、まぐろにたこ。豪華でしょう?」
それから、どんぶりを元に戻すと、箸でまぐろをつまんで、顔の前に掲げて見せる。
「しかも、この分厚さ。色艶の良さ。新鮮な材料の手に入る、漁港近くならではですよ」
私は頬杖を突いて見つつ、ボソッと呟く。
『こういうのって、テレビとかだと別撮りで、いかにも美味しそうっていう見せ方する
のよね…… ああいう職業の人もいるのかしら? だとしたら拷問だわ。見せるだけで
食べられないとか』
まるでテレビを見ている気分で感想を言うと、別府君がうっかり会話に乗ってきてし
まう。
「ああ。そうだよな。もし、あれで芸能人とかが食べてるの見てるだけだったら――」
『レポーターが反応しない。真面目に自分の役割に専念なさい』
厳しい声で別府君の声を遮ってピシャッと言うと、別府君がウッと渋い顔を見せた。
しかし、次の瞬間には諦めたように、演技へと戻る。
「では、早速頂かせて貰いますよっと…… まずは、小鉢にわさびを入れて、醤油で溶
きます。これは、上手に溶かないと、固まりが入っていてうっかりむせちゃったりする
んですよね……」
『小話がくだらなさすぎだわ…… まあ、いいけど』
私の感想に、別府君が僅かにがっかりしたような困った顔を見せる。ネタが滑った時
の芸人のように。しかしまあ、立ち直りが早いのは彼の良いところだろう。
「では、これをサッとどんぶりに掛けて……では、いただきます」
『やっと食べるのね…… 見ていたらお腹が空いてきたわ』
軽く、彼には見えないようにお腹に手を添える。気休め程度だが、こんな所でお腹を
鳴らしてしまう訳にはいかなかったから。
「では……まずは、と。さっそくこの、うに行っちゃいましょう。うに。すっごいいい
色してますよね。これ、スーパーの特売のスシに入ってるうにとかだと、たまに酷い色
のもあるんですけど、これはもう輝きを放っているといって過言ではないですよ」
388 名前:・ツンデレが男に水族館デートを申し込まれたら その8 2/4[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 07:18:50.44 0
『だから、貴方の体験談なんて誰も聞きたくないでしょうに……』
ブツブツと、私は文句を言う。別府君に全種類食べさせるまでは見ていたい気分もあっ
たが、反面お腹が空いて自分も食べたくなってきていた。まあ、私が食べてる間でも別
府君にはずっと演技をしながら食事してもらうというのも、また一興だろうけど。
「コホン。では、あらためて……いただきます」
自分の小話にケチを付けられてちょっと不機嫌そうにしつつも、咳払いで気を取り直
した彼は、ご飯にたっぷりのうにを載せ、わざとらしく箸を一回顔の前に掲げて見せて
から、ゆっくりと口に運んだ。何度か咀嚼してから、ゴクリと飲み込む。と、途端にそ
の顔に満面の笑みが浮かんだ。
「うめえええええっ!! あ、思わず叫んじゃいましたが、そのくらい美味しいですよ。
口に入れた途端、うにの甘くまろやかな風味が口いっぱいに広がって、しかも濃厚なの
にクセはないんですよ。これだったら、ホント、何杯だっていけます」
別府君のさも美味しそうな表情に、自分も早く食べたくてしょうがなくなった。正直、
頑張ってる別府君には悪いけれど、これは失敗だったかも知れない。いや、当初の目的
を達成したという意味では成功したのだが、テレビだと適当なところで切ってしまえば
いいが、正直落ちがないので、どこで終わりにすればいいか、上手いタイミングが思い
付かない。
「では、次はこの、分厚く切った新鮮なマグロをいただきます」
私の考えに気付くはずも無く、別府君は箸でマグロをつまんで見せる。うん。多分こ
れの繰り返しだろうし、このマグロを食べ終わったら強制終了しようと私は決めた。も
ういい加減、お腹が限界だ。
「では、これもごはんにのせて…… 見て下さいよこの大きさ。別にごはんを少なく取
ったわけじゃないですよ。それなのに、上に乗ったマグロがこんなにもはみ出してるん
ですから」
マグロが落ちないように、恐る恐るゆっくりと、別府君が大きな口を開けてマグロを
口に入れた。また、別府君のさも幸せそうな顔を見るのもいささか飽きてきた。まあ、
私の頼みを聞いて一生懸命やってくれた彼には悪いけど、ここいらで打ち切ろう。
そう決めた時だった。別府君がいきなり、むせた。
389 名前:・ツンデレが男に水族館デートを申し込まれたら その8 3/4[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 07:19:29.32 0
「ブッ!! ゴホッ……ゲホゴホ……オホッ!! ウェッ……」
何事かと驚いて私は思わず目を見開いて彼を見つめる。すると別府君は、口元を手で
押さえたまま、顔を上に向けて鼻を指でつまみ、涙目で顔をしかめる。
「あーっ……やっべ……わさびの固まりが……ヴーッ」
しかし、そこで彼は諦めなかった。しばらく上を向いて落ち着かせると、無理矢理笑
顔を作ってリポートを続けようとしたのだ。
「いやぁ。ちょっろ、お見苦しい所をお見せひましたが、えもこのマグロ……」
とはいえ、口の中にまだわさびの風味が残っているのだろう、僅かに顔が歪み、口調
も何か変だ。それが私のツボを突き、私は笑いを堪える為に口元を手で隠し、腹筋に力
を入れる。彼の前で大爆笑するなんて、みっともなくて出来たものではない。
「新鮮で、脂が乗っていて……ゲホッ!! ゴホゴホゴホ!! くひのなかれ……エホ
エホッ!!」
しかし、どうやら直撃したわさびは簡単に抜けないようだった。鼻に来る刺激と戦い
ながら、必死でリポートを続けようとする彼の様子がおかしくておかしくて、とうとう
私は堪え切れなくなってしまった。
『クッ……!!』
両手で顔を覆うと、私は体を折って必死で声を殺す。しかし、別府君のあの必死な顔
が浮かぶたびに笑いがこみ上げてどうしようもなくなって、私は体を震わせて目に涙を
浮かべながら、笑い続けたのだった。
『あー…… もうダメ。死ぬかと思ったわホントに』
ようやく笑いを収め、私は水を一気に飲み干す。すると、仏頂面の別府君が文句を言って来た。
「あそこで笑うとかひでーよな。人が一生懸命やろうとしてんのによ」
その顔がまた、笑いを誘発しそうになって私は思わず視線を逸らし、唇を噛み締める。
『仕方ないでしょ。貴方があんまりにも変な顔でリポートを続けようとするんだもの』
「いや、だってその、あそこで勝手に止めたりしたら、また文句言われるかと思ってさ」
そう言われて、考えてしまう。果たして私は、彼の中ではどのくらい暴君なんだろうと。
『一時中断して収まるまで待って貰うとか考えなかったの? そもそも、貴方がわさび
をキチンと溶かさずに醤油を掛けたのが問題なんじゃない』
390 名前:・ツンデレが男に水族館デートを申し込まれたら その8 4/4[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 07:21:16.43 0
私の指摘に、まだ軽く咳き込んでいた彼は、いささか不満気な顔をしつつ、しかし自
信無げに小さく答えた。
「いや、だから続けなくちゃいけないかなって思ってたから…… まあいいよ。俺の不
注意が原因なんだろ? 悪かったな。上手く出来なくて」
何を言っても反論されると思ったのだろう。彼は言い訳を諦め、半ば投げ遣りな謝罪
をする。普段ならこんな謝り方を私は許さないが、これに関しては私の無茶振りなんだ
し、それに十分楽しませてもらったので、私は大人しく頷いて彼の言葉を受け止めた。
『まあ、いいわ。まるで私のせいみたいに言われたのが気に食わなかっただけで、わさ
びに苦しみながらも演技を続けようとした、その努力は買ってあげる』
本音を言えば百点満点なのだが、どうにも私は、素直に褒めるという事が極端に苦手
なのだ。こと、別府君に関しては。
「ちぇっ。人が死ぬ思いで演技を続けようと頑張ったのにさ。評価が努力賞程度って、
なんか泣けてくるよな」
不満気な彼の言葉を、私はばっさりと斬って捨てた。
『仕方ないでしょう。いくら努力をしても、結果が付いて来なければこの世の中、評価
なんてされないのよ。褒められただけでもありがたいと思いなさい』
その言葉に、彼は私を見て何か言いたそうな顔をしていたが、やがて肩をすくめてた
め息をついた。
「分かったよ。で、この下手くそな演技のレポートはまだ続けなくちゃなんないのか?」
その問いに、私は首を横に振った。もう立派にオチまで付いたのだから、これ以上はもはや蛇足だ。
『いいえ、もういいわ。正直、ちょっと飽きて来た所だったし、私もお腹が空いて来た
から、終わらせるのにはちょうどいいわ』
しかし、私の返答は、別府君の心にダメージを与えるのに十分だったようだ。
391 名前:・ツンデレが男に水族館デートを申し込まれたら その8 5/5[sage] 投稿日:2012/10/22(月) 07:22:23.05 0
「……飽きて来たって……全く……苦労して見よう見まねでやったってのに……」
愕然とした顔で、半ば呆然と呟きつつ天井を見上げる。それから軽く頭を振って、睨
み付けるような目で私を見ると、半ばキレ気味に叫んだ。
「分かったよ、もう!! ったく、やれっつーからやったのによ。元からして無茶だっ
ての!! ああ、もうちくしょう!!」
そして、どんぶりを持ち上げると、やけっぱちに一気にかっ込む。自分の言い方が良
くなかったのは分かっているが、何だかそのキレ方までがお笑い芸人っぽくて、またお
かしくなってしまう。それをグッと我慢し、私もようやく、一口海鮮丼を口にした。
続く
最終更新:2013年04月18日 14:40