12 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2013/03/16(土) 19:42:11.98 ID:qdBUObHm0 [2/4]
バレンタインの時に投下した先生ネタのホワイトデー編を投下






  • ホワイトデーが近付いているのに、男が何の素振りも見せないので不安になってしまうツンデレ

 先週、学年末考査が終わった。

 明けた月曜日。学校に生徒の姿は少ない。試験最終日が金曜だったので、授業はテスト
休みなのだ。しかし、私達教師には、採点と言うお仕事があったので学校を休む訳にはい
かないのである。
 そして今、受け持つ4クラス分の答案用紙の山を、私は四苦八苦しつつ一枚一枚片付け
ているのだった。
『ハァ……』
 悩んだ挙句、最後の問題に△と-7という数字を書き込み、私は背もたれに体を預ける
と、左手を右肩に当て、指を突き立てるように押し付けて揉んだ。肩凝りがひどい訳では
ないが、採点作業というのは、どうしても肩が凝ってしまう。
『あら? お疲れ? 国原先生』
 40代の先輩女性教師に声を掛けられ、私は苦笑いを浮かべつつ頷いた。
『はい。その、疲れるって言うか、どうしても力が入っちゃって。単に○×つけるだけな
ら楽なんですけど、長文読解力を見る問題とかだと、生徒一人一人で解答も違いますし、
出来ればいい点あげたいとは思うんですけど』
『国原先生って優しいですね。私なんて、ある程度解答に範囲決めておいて、これが書か
れていなければ容赦なく×ですよ。でも、結構個性のある答えが返って来て、面白いです
けどね』
『あ、はい。それはありますけど』
 雑談で気を紛らわせつつ、私は聞こえないように小さくため息をついた。私の言ってい
ることは、もちろん本当の事だけれど、今回はそれとは違う、別の理由で私は緊張してい
たのだった。
――次は…… いよいよ、別府君のクラスの分、か……
 バレンタインデーの日に、私は一人の男子生徒にチョコを渡した。それはあくまで、小
テストで80点以上を取ったご褒美という意味でだったが、その時彼ともう一つ約束したの
だ。それは、学年末試験の結果が、クラスで5番目より上だったら、彼からホワイトデー
のお返しを受け取らなくてはならないという事。お返しを貰うのに条件を付けるなんて変
な話ではあるが、教師という立場から言っても、生徒からお返しなんて貰う訳にはいかな
いと言う私と、どうしてもお返しをしたいという彼の互いの主張の違いから、そういう事
になってしまったのだった。
――採点には私情を挟まないようにしないと。大丈夫よ。今までずっと、別府君は真ん中
くらいの成績だったんだし。いくら勉強したって、いきなりグッと上がったりなんてしないわ。
 教師なのだから、お返しなんて期待することさえもおこがましいと思いつつ、私は一人
ずつ採点に取り掛かっていく。
――まずは……飯野さんか。いきなりクラスでもナンバーワンの彼女が来るとはね。って、
視力が弱くて一番前の席なんだから当たり前だったわ。彼女の成績で、今回のテストの出
来がある程度分かるわね。よし。
 クラスはおろか、学年でも1、2を争う優秀な成績の彼女の採点を、私は順調に終えた。
92点。学年末なので、総まとめという事で難易度自体はさほど高くはないものの、それで
もさすがの出来に、教師の私でも感心してしまう。
――彼女でこれ、という事は、最低でも80点。多分85点以上は取らないと、5番目以内
には入れないわね。
 さすがの別府君もこれは無理か、と思いつつ、私は採点を続けて行く。55点、40点、62
点と、平均より低めの点数が続いたが、学年末ともなると大体どの子がどの程度の成績な
のかは、付ける前から予測が付く。ただ、何人かは前回より点数がアップしてこちらを喜
ばせたり、逆に急降下して心配させたりするから、必ずしもそうとは限らないのだけれど。
――大江君は……82点、と。彼ならもうちょっと行くかなとも思ったんだけど。次は、山
田君か。ん、もう。またこういうふざけた答え書いてきて。53点。次は……
 そこで私は手が止まった。いよいよ、別府君の答案用紙を採点する番になったのだ。私
はふと、後回しにしてしまいたい誘惑に駆られてしまう。
――ううん、ダメ。最後になんてしたら……採点に影響しちゃうかも知れないし……
 最後まで行けば、何点取れば5位以内か分かってしまう。問題外の点数であれば良いが、
もしギリギリだった時に、無意識のうちに採点に手心が加わってしまうかも知れない。そ
う考えた時、心の中の自分が問い掛けて来た。
――どっちに?
 自分で投げかけたその問いに、心臓がドキリと強く鼓動を打つのを感じた。自分のそん
な反応に驚いて、私は首を振り冷静さを保とうと深呼吸をした。
――私ってば、何を動揺しているんだろう。相手は生徒なのよ。それに、別府君だって、
どうせ私が若いのに地味で男に縁がないだろうからって、からかってやってるだけよ。
 そう言い聞かせる事で、私はやっと彼の採点に取り掛かることが出来た。しかし、進め
て行くにつれて、採点のペースが徐々に鈍くなっていく。そして、最後の設問で私の手が
完全に止まってしまった。
――どどど……どうしよう……
 これまでにない、彼の好成績に私は戸惑ってしまっていた。しかも、この最後の問題が
満点だと、現時点では2位になってしまうほどの点数だった。
――ダメよ。教師なんだから…… 採点に、私情を挟んだりしては……
 一度、心をクリアにして私は別府君の解答をしっかりと読む。この文章内での作者の意
図を問う問題で、彼の解答は的外れではなかった。むしろ、よく読みこんでいると言って
も良かったが、模範解答と比べると必ずしも正確とは言い難い。
――うーん…… ここがちょっと違うのよね。これで減点して……4点……は、さすがにちょっ
と低いような。でも……6点も付けたら、多分5位以内には……
 どうしても、ホワイトデーの約束が頭の片隅から身をもたげて来て、私の精神を冒そう
として来る。
――もう…… いっそ、満点解答とか、まるで的外れな解答だったら良かったのに……
 別に別府君のせいではないのに、私はそこそこ良く出来た彼の解答が恨めしくすら思え
てしまう。
 と、その時唐突に後ろから声が掛かった。
「お困りですかな? 国原先生」
『え? いいい、いえ。そんな事は……』
 国語科主任の先生に声を掛けられ、私は慌てて首を振った。しかし、主任先生は穏やか
な笑みを浮かべながら頷く。
「まあ、採点で悩むなどは付き物ですからな。特に国語などは模範解答でなければダメと
いう物でもないですし」
『はあ……』
 曖昧な笑みを浮かべつつ頷くと、主任先生は手を差し出した。
「どれ。見せてごらんなさい。何か、ヒントくらいならあげられると思いますよ。まあ、
年寄りのお節介かも知れませんがな」
『いえ。文村先生にアドバイスを頂けるなら……是非』
 さすがに断る訳には行かず、主任先生に別府君の答案用紙を差し出すと、先生はフンフ
ンと頷いて解答を呼んだ。
「ああ、なるほど。ここはちょっと迷うところですが、確かにそういう意図と読めなくも
ないですな。私なんどは、やはりいい点を取って欲しいですから多少甘めに付けたくなる
ような内容ですが、厳しくしたとしても、こんなものでいかがかと」
 主任先生の減点は、4点だった。となると、合計で80点ちょうど。5位に入れるかどう
かはギリギリのラインである。
『……ありがとうございます。参考にします』
 アドバイスも書き込まれた彼の答案用紙をもう一度見つめて、私は覚悟を決めた。自分
の良心に従って点数を書き込み、合計点数を記載して採点済みの答案用紙に重ねる。そし
て、ホッと一つため息をついて天井を見上げた。
――後は……神のみぞ知る……か……


 テスト休み明けの、答案返却日。まずは学年末試験の結果を皆に配布する。それから、
クラス内でのベスト5を発表し、答案の解説へと移っていく。
『飯野純さん…… はい。今回も良く出来ました。ただし、相変わらずケアレスミスがあ
りますね。漢字の間違いとかはもったいないので気をつけて下さい。設問の内容だけなら
満点なんですから』
『……分かりました。気をつけます』
『次、大江光君。前回より若干下がりましたね。でも、成績としては問題ありません。長
文の穴埋め問題とか、苦手な箇所の克服をもう少し頑張って下さい』
「はい。わかりました」
 こんな調子で、淡々と配布は進んでいく。そしていよいよ、別府君の番だ。聞こえない
よう、静かに深く息を吐いてから、私は彼を呼んだ。
『別府タカシ君』
「はーい」
 気のないような返事で、彼は立ち上がって私の傍に歩み寄る。私は答案用紙を差し出し
ながら、意識的に機械的な調子で言った。
『今回は良く頑張りました。出来れば、次回以降もこの調子を持続して下さい。気を抜か
ないように、お願いします』
 彼の視線が答案用紙の点数を見て、一瞬大きく見開かれるのに私は気付いた。しかしそ
れだけで、彼は今までと同じように無言で軽く頭だけ下げると、席に戻っていった。
「おい、別府。どうだったよ?」
「やったね。見てみろよ、ほらほら」
「うおー、すげえ。マジかよ」
『え? 別府君どうしちゃったの? すごいじゃない』
「つまんねーな。もうちょっと遊び心入れろよ。何だよこの真面目な答え。別府らしくねー」
 彼の席の周囲でちょっとした驚きの声が上がる。確かに、2学期末の試験と比べると20
点近く上がったのだから、気持ちは分かるがまだ授業中だ。
『はい、そこ静かにして下さい。結果に一喜一憂する気持ちは分かりますけどね。今は授
業時間内なんですから、自粛して下さい』
「うひゃ」
 何人かの生徒が顔をしかめたものの、逆らうような素振りは見せずに決まり悪そうに首
を引っ込めて、前後の生徒だけが小声で話を続ける。さすがにそれは見過ごして、私は答
案用紙の配布を続けた。そして、全て終わってから、いよいよ問題の時間がやって来た。
『それでは、今回のテストのクラスベスト5を発表します。ここに名前を呼ばれた人たち
は、とてもよく頑張ったので、皆さんで拍手してあげて下さい』
「はーい!!」
 ふざけたような、おどけた調子の男子の返事が聞こえて来て、それにクスクス笑いが続
く。しかし、私の気持ちはそんな事に構っていられる状態ではなかった。
――別府君……これを聞いた時……どんな反応をするんだろう……
 チラリと彼を見やってから、私は首を振り、何度目かの深呼吸をした。
『それじゃあ発表します。1位……飯野さん。92点です』
 常連なので驚きの声は無かったが、それでも感嘆の声がちらほら聞こえる。背後の女子
に背中を叩かれると、彼女はおずおずと立ち上がり、拍手の湧き起こる中小さく一礼して
席に座った。
『続いて2位。林さん。88点です』
 サイドポニーの可愛らしい、活発な野球部のマネージャーもやりつつ読書家なでもある
彼女に、苗字に引っ掛けて最近流行の掛け声が掛かる。
「いつやるの? 今でしょ?」
『や、やかましいわねもうっ!!』
 拍手と笑いに包まれて、彼女が席に座ると、私は出席簿のファイルで机を叩いて静かに
させる。
『はい。静かにして。次は、山根さん。85点』
 女子としては些か大柄な女の子が立ち上がってお辞儀をする。彼女には拍手のみ。席に
座り、周りの女子が小声で祝福するのを確認しつつ、私は次の名前を呼ぶ。
『4位、大江君。82点』
 彼も男子では常連だが、前回より順位も点数も下がった事でいささか複雑そうな表情で
立ち上がりお辞儀をする。周囲から拍手とからかいの声が起こるが、静かにさせるほどの
事もなくすぐに収まったので、私はいよいよ最後の一人の名を読み上げた。
『……5位。べっ……別府君。81点』
 口の中が緊張で乾いていたのに気付かず、痛恨にも噛んでしまう。しかし、生徒の方は
幸いにも結果の方の驚きが大きくて、皆が彼の方を向いていた。
「おおお。マジ? 別府すげーな」
「ありえねーだろ。絶対上手くカンニングやってるだろ?」
『すごーい。別府君。どんな勉強したの? 今度教えてよ』
「けーちゃん先生も驚いて噛んじゃうくらいだしな」
 周囲に囃し立てられつつ立ち上がり、別府君が大げさに周囲に向かってお辞儀をする。
その時、彼の視線がチラリと私ではなく、一人の女子生徒の方に向かっていたのに私は気
が付いた。クラス1位の飯野さんだ。拍手をして彼の方を向いていた彼女も、その視線に
気付いたのか、注意して見ていないと気が付かない小ささで、コクリと頷く。そして、別
府君が照れたような笑いを浮かべて頷き返してから着席する。
――何? 今の……?
 意外な二人の示し合わせみたいなものを見せられて、私はほんの少しの間だったけれど、
生徒を静めるのも忘れて呆然としてしまっていた。そこに、近くに座っていた飯野さんか
ら声が掛かる。
『先生。そろそろ……』
 その声に、私はハッと正気に戻った。
『そうですね。はい、皆さん。別府君の頑張りを称えるのはそのくらいにして下さい。そ
れでは、解答の解説をしたいと思いますから、自分の答案をしっかりと見て、どこが間違
っていたのかをしっかりと確認してください。いいですね?』
 まばらな返事と、ぶつくさ言う文句や私語を口にしつつ、皆が答案用紙を広げて向かう
のを確認すると、私はチョークを手に取り黒板に書こうとして、チョークをポロッと落と
してしまう。
『あれっ? チョーク……ど、どこに……?』
 足元に落ちたはずのチョークが見当たらない。転がったのかと床のあちこちを見回すと、
一番先頭の女子が床にしゃがみ込んで拾ってくれた。
『はい、先生』
『あ…… ありがとうございます』
 頭を下げてチョークを受け取る。全く、生徒の前でみっともないところを見せてしまっ
たなと反省する。私みたいに、若くてバカにされやすい教師は、少なくとも隙を見せては
いけないと、常日頃から気をつけているはずなのに。
『それでは、あらためて始めます。まず、最初の漢字問題ですけど、これは正解と間違え
やすいポイントを書きますので……』
 正解を書きつつ、解答のポイントとなるところを説明しつつも私の視線を別府君に向かっ
てしまう。
――別府君……順位を聞いた時、どう思ったんだろう……? 喜んだのかな? 私にプレ
ゼントを渡せるって…… それとも、もしかしてもうバレンタインデーの事なんて忘れて
いるんだろうか……
 彼の一挙手一投足を見ても、全く普段どおりでどう思っているかなんてさっぱり分から
なかった。やっぱり、何とも思ってはいないのだろうかと内心そう思いつつ、長文の穴埋
め問題を板書していると、一人の男子生徒が立ち上がって手を上げた。
「先生。ちょっといいですか」
『え? あ、はい。何ですか?』
「先生。二行目の漢字、間違ってるんですけど」
『えっ!?』
 その指摘に慌てて私は自分の書いた文字とテスト問題を見比べた。しかし、私が確認す
るとほぼ同時に、生徒達から声が上がる。
「あ、マジだー」
『せんせー。しっかりしなよー』
「教師がそんなんじゃダメだろ。俺らに漢字間違い指摘しといて」
『だよねー。これ、減点だ減点』
「先生も補習受けなよ。俺らと一緒にさー」
 ドッと教室中が笑いに包まれる中、私は恥ずかしさで真っ赤になりつつも皆を静めよう
と一生懸命に声を張り上げた。
『ちょっと静かにして下さい!! せ……先生だって人間なんですからこういう事はあり
ますっ!! だけど皆は学生で、再来年の今頃は受験という大切な物があるんですから、
こういうケアレスミスで点を落とすのはもったいないと思っているから注意している訳で……』
「先生。言い訳すんなって」
『ダメだって、先生。教師何だからさー。みんなのお手本になって、間違いは素直に認めないと』
『先生、必死すぎカワイイー』
「ダメだってお前らそんなに先生イジめちゃさ。泣いちゃうよー」
『あああ、分かりましたっ!! 先生が悪かったですから、皆静かにして下さいってば。
先に進めないじゃないですか、もうっ!!』
 一生懸命に騒ぎ立てる生徒をたしなめつつ、一緒になって囃し立てている別府君を、私
は密かに思いっきり睨み付けた。
――一体、誰のせいでこんな事になったと思ってるのよ……
 自分が悪いとは分かっていても、私を悩ませている彼を、どうしても恨めしく思わずに
はいられないのだった。


――てっきり、何か一言くらい言ってくるかと思ったのに……
 私の予想に反して、昨日一日、別府君が私に声を掛けて来ることはなかった。そして、
一夜明けた今日はいよいよホワイトデーの当日である。しかし今日も、別府君が国語科準
備室に顔を出すことは無く、ただいたずらに時間だけが過ぎて行った。
――これはもう……私との約束なんて、忘れてしまったって事だわ…… でなければ、覚
えていても、はぐらかすつもりとか……
 きっと、バレンタインデーの時も思いつきだったんだろうと思う。確かに、七歳も年上
の女性なんて、高校生の彼からすれば興味の対象外だろうし、そんな女にプレゼントをあ
げる必要性も感じられないだろう。
――でも、それでいいのよ。そもそも、こんな事自体が最初から間違っているんだから……
 お昼休みに一緒に食事をした、英語教師の友崎英香は、生徒からホワイトデーのお返し
を貰ったと、喜んで自慢話をしていたっけ。もっとも、彼女の生徒とのやり取りはレクリ
エーションみたいなものだから、何も問題は無い。私の場合は、別府タカシ君という一人
の男子生徒に限定されているところが問題だったのだ。
――気にする必要なんて、なかったかな? そうよね。教師なんだから、お返しを期待す
る事自体が間違いなんだし……
 一生懸命そう考えつつ、いつの間にか夕方も遅くなり、生徒達の下校の時間も過ぎてしまった。
 そして、とうとう彼は来なかった。
――もう、帰ろう。来ないものをいつまでも待っていても…… ううん。待ってなんてい
ないわ。仕事が時間掛かっただけの話で、その為にこの時間まで学校にいた訳じゃないもの。
 時計を見ると、既に7時半を回っている。私は片付けをして席を立つと、まだ残ってい
る先生方に挨拶をする。
『それじゃあ私、お先に失礼します』
「ああ、先生お疲れ様。気をつけて帰って下さい」
『お疲れ様です』
 頭を下げてから、私はバッグと、先生達から頂いたホワイトデーのお返しを持って国語
科準備室を出た。一つ、小さくため息をついて、私は教職員用の昇降口へと向かう。靴を
履き替え、昇降口を出た時に私は、彼の教室の方を顔を上げて見つめた。
――全く……生徒なんかにドキドキした自分が、バカみたいだわ……
 自嘲気味に、内心で呟く。他人にならともかく、自分で自分を取り繕うなんて出来なかっ
た。お返しなんて貰ってはいけないと散々思いつつも、私は別府君からのプレゼントを期
待していたのだ。だから、採点からあんなにドキドキして、彼の挙動を窺って、動揺から
チョークを落としたり、板書した漢字を間違えたりもしたのだ。
――忘れよう、もう。別に、くれないからといって、別府君が悪いんじゃないわ。勝手に
期待していた私が悪いのよ。そうなんだわ。
 何度か首を振って、私は校門に向かって歩き出す。そして、門を抜けて学校前の広い道
を、駅の方に向かって曲がった時だった。
「先生」
『えっ?』
 思いもかけぬところで、男の子の声で呼ばれ、私はビックリして足を止め、振り向いた。
その先には、彼が――別府君が、いた。
「遅いね、先生って。残業?」
 トクン、トクンと、心臓の鼓動が大きくなってくる。しかし私は、動揺をグッと抑え、
教師らしく些か偉そうな態度で彼に答えた。
『先生なんて、帰りがこの程度になるのは当たり前です。行事の前なんてもっと遅くなる
んですから。それよりも、別府君こそ何でこんな時間に学校の前にいるんですか。とっく
に帰ったと思っていたのに…… 日も落ちてからフラフラ遊び歩いているのは、先生とし
ては感心しませんよ』
 すると彼は、困ったような笑顔を見せて肩を竦めた。
「やだな、先生。まあ、山田たちと帰りに遊ぶ約束してたから、一度帰ったけどさ。俺と
の約束を忘れた訳じゃないだろ?」
 そう言って、彼は手に持っていた紙の小さな手提げ袋を持ち上げて、私に示した。
「クラスで5番以内に入ったからさ。約束どおり、あげるよ。ホワイトデーのお返しをさ」
 その途端、私の体温が一気に、5度近くも上昇したように感じた。
『なっ…… 何だ。覚えていたんですか。私はてっきり、別府君はそんなの、どうでもい
いと思っていたとばかり思っていたんですけど』
 体の反応とは真逆の、素っ気無い態度で返事をするが、別府君は私の顔をジッと見て、
まるでそれを見抜いたかのように頷いた。
「そう思って、残念に思っていた?」
 図星を突かれて、私の心臓がドキリと跳ね上がる。同時に私は、ムキになってそれを否
定した。
『ななな…… 何を言っているんですかっ!! 私が別府君のお返しを貰えなかったから
と言って……残念に思うはず、ありませんっ!!』
 しかし別府君は、それに何とも答えずに駅の方に向かって歩き出す。そして、数歩進ん
で足を止め、私に振り返った。
「とりあえず、ここじゃなんだからさ。歩きながら話そうぜ。他の先生に見られてもやっ
かいだしさ」
 まるで、私と別府君が逢引をしているみたいな事を言われてしまったのに、私は言い返
せなかった。その代わりに、彼の言う通りに、私はゆっくりと足を動かして歩き出す。彼
の横まで来ると、別府君は並んでゆっくりと歩き出した。
『どうして…… この間みたいに、待ち合わせ場所を指定してとかにしなかったんです
か? わざわざこんな、待ち伏せしたりして。私とすれ違いになるとか、思わなかったん
ですか?』
 何となく、黙っている事が出来ずに私はこの場で思いついた質問を投げかけた。すると
別府君は、おどけたように軽く肩を竦めた。
「そうなんだよね。どっちにしても会う約束だけでもしておけば良かったんだけどさ。さ
すがに発表が昨日でホワイトデーが今日じゃあ話のしようもなくってさ。先生と生徒の関
係って、意外と難しいよね」
 それがまるで、男女の関係を示唆しているように思えて、私は少しドキリとした。
『それにしたって……答案用紙の空いた場所に書くとか出来なかったんですか? 終わっ
た後は伏せて回すんだから、誰かに見られることもありませんし、この間はそうやってた
じゃないですか』
 口に出してから、この言葉もまるで逢引の仕方を相談しているように思えてならなかっ
た。いや。実際そうだとも言えるのだ。だって、私はこれから別府君にプレゼントを貰う
為に、一緒に歩いているのだから。
 別府君は、私の問いにちょっと無言のままで、それから小さく首を振った。
「ゴメン、せんせい。余裕無かったんだ。とにかく、1点でもいい点取ろうと思って頑張っ
たから。どうやって会う時間を作ろうとか、そんな事気にしてる暇もなくてさ。今日、順
位を聞いて初めてどうしようかって考えたくらいだし」
 真面目に彼の心情を吐露されて、私の心臓の鼓動がまた少し大きくなった。私の為に、
そこまで頑張ってくれたなんて思うと、ずっと年下の男の子の言葉でも嬉しく思ってしま
う。昨日から一日以上、私もやきもきさせられて来たが、彼も実は余裕が無かったんだと
知って、その不満も消し飛んでしまう。
『まあ、もういいです。済んだ事ですし、今更言っても仕方ありません。現にこうやって
会うことは出来た訳ですし』
 あまりこの件を引っ張るのを止めようと思って私は矛を収めようとしたのだが、別府君
はその言葉の意外な所を拾って来た。
「会うことは出来た……って事は、先生も、その事を気にしてくれてたって事でいいのかな?」
『えっ……?』
 思いも寄らなかった質問に、私の顔が熱を帯びた。日が落ちてからで良かったと思う。
出ないと、彼に顔の色がバレてしまっただろう。
『そ、そんな事はありません。私はそんな……別府君がくれると言うから、確かに気には
していましたけれど、でも楽しみにしていたとかそんな事は全然ないんですから。くれな
いならくれないで別にいいって……本当です!!』
 ついムキになって抗弁すると、別府君がちょっとイヤらしいニヤつくような笑顔を私に
向けて来た。
「先生って、可愛いよね。本当に、純情でさ」
『んなっ……!?』
 生徒からなのに、可愛いと言われて私の動揺がますます大きくなる。
『や、止めて下さい!! 大人をからかうなんて……そんな事するんじゃありません。そ
ういう事は、もっと若い女の子を相手に言って下さい!! まあ、別府君じゃそう言える
人がいるかどうか分かりませんけど』
 否定しつつ、それだけじゃ悔しいので最後に嫌味も一言付け加える。しかし別府君は、
まるで応えた様子もなく、平気な顔で言い返して来た。
「何言ってんだよ。先生だってまだ大学出たてでさ。十分に若いじゃん。それに、幾つだ
ろうと可愛いものは可愛いし」
『だけど、貴方から比べれば全然年上ですっ!! 高校生から若いなんて言ってもらう道
理はありません!!』
 子供にバカにされる訳にはいかないと、私は気張って文句を言う。しかし、それが逆に
子供っぽく見えたのか、別府君は笑っていなすばかりだった。
「そんな事は十分承知の上だって。でも実際可愛く見えるんだからしょうがないだろ?
それに、これって俺的には褒め言葉のつもりなんだぜ」
『別府君からそんな褒め言葉貰っても、こっちはちっとも嬉しくありません。正直、バカ
にされているようにしか感じられません』
 自分でもそう信じ込んでいるつもりだったが、その実私は、バカにされているだけだと
思い込みたがっているだけだった。事もあろうに教え子から褒められて喜ぶなんてあって
はならないことだと、自分で自分に抑制を掛けているだけだった。
「……まあ、良いけどさ。先生がどうしてもそうだって信じているなら、今はこれ以上の
証明は出来ないから」
 肩を竦めつつ、別府君は不意に私のコートの袖をつまんで引っ張った。
「それより先生。こっち来て。この先に公園があるから、そこならあまり人目に付かずに
プレゼント渡せると思うし」
 別府君に導かれるがままに、私は大通りから細い市道へと足を向けた。車同士がギリギ
リすれ違えるかどうかの幅しかない道を歩きながら、私は内心、そこはかとない不安が鎌
首をもたげるような感じを覚えた。それは多分、夜中に人通りの無い道を歩いているせい
なのだろう。
――相手が別府君だからいいけど……もし、よく知らない男の人とだったら…… ううん。
一人だったとしても、こんな道は歩けないわ……
 ドキドキしながら彼の後を付いて歩く。しかし、この心臓の鼓動は不安からなのだろう
かと、ふと疑問に思う。もしかして私は、期待してしまっているのではないだろうか? 教
師として、そんな事を考えるだけでもいけない事なのに。
『ど……どこまで行くつもりなんですか?』
 住宅街だからなのか、まだ七時過ぎだというのにこの辺りは人の姿が見当たらなかった。
私の問いに、別府君は一度私に振り返ってから、その先を視線で示す。
「すぐそこだよ。ほら、あそこ」
 彼の視線の先に、小さな公園があった。近所の子供達が遊ぶような児童公園だ。そこま
で私を誘ってから、ようやく彼は袖から手を離した。
「それじゃあ先生。これ、俺からのホワイトデーのお返しだよ」
 大した前置きも無く、すんなりと差し出されたプレゼントに私は却って戸惑ってしまっ
た。
『え、えっと……その……どう、受け取ればいいんですか?』
「どうって、普通に受け取ればいいと思うけど。何だったら、この間の続きでさ。彼氏か
ら貰うって設定でやってみる?」
 バレンタインデーの時の恥ずかしい記憶を掘り起こされて、私は慌ててそれを否定した。
『そ、そんな設定は要りませんっ!! 普通に受け取らせて貰えればそれで十分ですっ!!』
 しかし、私が変に戸惑ったせいで彼に余計な気持ちを抱かせてしまったようで、別府君
はつまらなさそうに口を尖らせた。
「えー。いいじゃん、先生。せっかく5位以内に入ったんだからさ。これでも俺、必死で
頑張って勉強したんだぜ。渡すところからやり直させてよ。俺も先生が恋人だと思って渡
すから」
『や、止めて下さいそんなの…… 別府君が恋人だなんて、やっぱり考えられませんっ……』
 首を振って拒絶するも、別府君も頑として譲らなかった。
「こないだは出来たじゃん。それに、約束だよね? 5位以内に入ったら、俺に彼女にする
ような本気のお返しをさせてくれるって。先生が約束破っていいの?」
『ううっ……』
 その約束はもちろん覚えていたが、シチュエーションまでそうするとは聞いていない。
しかし、別府君の真剣な眼差しを見ていると、どうあっても折れてくれそうにはなかった。
私は視線を逸らし、渋々といった体で承諾した。
『じゃあ……べ、別府君は、そのつもりで私にプレゼントを差し出してください。あくま
で、貴方の出来次第で、私は対応しますから』
 それを聞くと、彼はニコリと笑って頷いた。
「分かったよ。先生を本気にさせられるかどうかは、俺の言葉に掛かってるって言う訳だ」
 一度彼は、差し出したプレゼントを引っ込める。一つ、深く吐息をついてから、別府君
は両手で紙袋を捧げ持つように差し出した。
「先生。これ……俺からの、ホワイトデーのプレゼントだよ。先生に、喜んで貰えるよう
にって……ガチで、真剣に考えて選んだから……気に入って貰えると嬉しいかなって……」
 ここまで真剣な態度で来られてしまうと、まるで本当に恋人からプレゼントを受け取る
ような、そんな錯覚に陥ってしまう。とはいえ、男性と付き合った経験すらない私は、こ
ういう時どういった態度で受け取ればいいのかすら分からず、ついまごまごとしてしまった。
「どうしたの? 先生。まさか、いらない……とかじゃないよね?」
 その声でハッとなって私は慌ててプレゼントに手を伸ばした。
『も……貰いますっ!! その……約束ですし……』
 すると別府君は、苦笑しつつ一度差し出したプレゼントを私に渡さずに軽く引っ込める。
「先生。好きな人からもそうやって受け取るの? 違うでしょ?」
 彼にそう指摘されて、私は恥ずかしさの余りうつむいて、言い訳を口にした。
『だ……だって…… せ、生徒にこんなこと言う物じゃありませんけれど…… 私、どう
したらいいかなんて分からないんですっ…… 好きな人からプレゼントを貰った事なんて、
ないんですからっ!!』
 一言、口にするたびにどんどん恥を上塗りしているような気がして、同時に教師として
の皮が一枚一枚剥がされて行くような気がしてしょうがなかった。腕を体にピッタリとく
っつけ、ギュッと体を硬くして目を瞑っていると、別府君の声が聞こえた。
「そんなの、特に分からないなんてないと思うけどな。嬉しかったら、普通にそう言えば
良いだけの事だと思うけど。それで、普通好きな人からのプレゼントだったら、そう思う
でしょ?」
 その意見に、私は何とか自分がプレゼントを貰うイメージを重ね合わそうとした。ふと、
テレビドラマとかのヒロインはどうしていたっけと思う。最近、忙しくてニュース以外は
まともにテレビも見ていない気がするが、学生の頃見ていたドラマではどうだっただろう
と考えるが、サッパリ思い出せなかった。
「大丈夫? 先生」
 別府君に促されて、私は焦った。こんな事でグジグジ悩んでいる事自体がみっともなく
てしょうがない。相手はまだ高校生で、私は一年生とはいえ立派な社会人なのに。そんな
想いが、私に、つい頷かせてしまう。
「それじゃあ……さすがに何度も言うのは俺も恥ずかしいからさ。受け取るところからで。
はい、先生」
 チラリと上目遣いに彼を見ると、別府君がプレゼントを差し出したのが見えた。もうど
うにでもなれと、私は半ば自棄気味に手を出してプレゼントを受け取ろうとした。
『そ、その…… ありがとうございますっ…… 私なんかの為に、こんな事……本当に、
してくれなくても良かったのに……』
 またダメ出しを食らうのだろうかと、彼の顔も見ることが出来ずに緊張に震えていると、
手に紙袋が触れた。しっかりとそれを持つ。紙袋は随分と軽くて、何だか頼りなげに思えた。
「私なんかの為、じゃないよ。先生の為だからこそ、選んで買ったんだから」
 彼の言葉が、私の心をくすぐった。私は我慢出来ずに、顔を上げて彼を睨み付けると、
咄嗟に叫んでしまう。
『そ、そんな事言わないで下さいっ!! まだ子供のクセに……ませた事ばかり言って……
人の気持ちを……弄ぶような事は止めて下さいっ!!』
 口に出してから、後悔した。こんな事を言ってしまったら、私が別府君の言葉に動揺し
ていると認めているようなものだと気付いてしまったから。別府君は、今の私の言葉をど
う受け止めたかと気になって、彼の表情に注視する。すると、別府君は何とも困ったよう
な表情を見せ、そのまま無理矢理笑顔を作って見せた。
「別にからかっている訳じゃないよ。俺は本気で……っていうか、今は本気で好きな人に
プレゼントをあげているつもりなんだからさ。先生に一番のプレゼントをあげたいって思
うのは当然じゃない?」
 そう問われて、私には返す言葉が無かった。そう。今はそういう設定で、プレゼントを
貰っているのだったという事を、私はついつい忘れてしまっていたのだ。
『そ……そうですけれど…… 貴方の……別府君の演技が、その……余りにも真に迫って
いたものですから、つい……』
 言い訳をしようとして、また恥を上塗ってしまった事に気付き、私はプレゼントを持っ
たまま体を硬直させてしまう。すると別府君は、嬉しそうに微笑んで頷いた。
「ありがとう、先生。褒め言葉と受け取っとくよ」
 その口調は、嬉しいような寂しいような、どこか複雑な響きを持って、私の耳に届いた。
しかし、それを深く考えるよりも早く、別府君が言葉を続けた。
「それよりさ。先生、プレゼントの中身知りたいでしょ? 開けてみてよ」
 彼に促されて、私は驚いて顔を上げた。
『ちょっと待って下さい。今、ここで開けるんですか?』
 そう聞き返すと、彼は当然とばかりに頷く。
「だって、そうしなきゃ先生に感想聞けないじゃん。ほら、早く」
 急かされたものの、私はどうしようかと少しの間迷ってしまった。しかし、この状況で
断わり切れるとも思えず、私は仕方ないと頷く。
『べ……別に私はその……そんなに急いで中を見たいとか思っていません。けれど……別
府君がどうしてもというなら、開けても構いませんけれど……』
「だったらさ。ほら、早く。先生がどんな顔するのか、見てみたいし」
 別府君がそこまで期待するプレゼントとは、どんなものなのだろうか? 少しずつ、そ
んな興味も湧きつつ、私は呪縛に掛かったように袋の中に手を入れる。綺麗にラッピング
された、小さな細い箱が中に入っていた。丁寧に包装を外すと、ブランドの名前入りの黒
い化粧箱が姿を現す。
『これは……?』
 思いもかけぬ仰々しそうなプレゼントに、私は箱を開けて中まで見るのを躊躇ってしまっ
た。しかし、そんな私を別府君は我慢出来ないとばかりに後押しする。
「いいからさ。開けてみて」
 おずおずと、箱の上蓋を取って開けると、中に入っていたのは銀製の細いネックレスだっ
た。先にハート型の意匠を凝らしたアクセサリーが付いていて、赤い宝石が付いている。
『これは……』
 思わず、息を飲む。まるで、本当に付き合っている人からのプレゼントを受け取ったみ
たいだった。しかし、すぐに我に返ると、私は咄嗟に箱を持った手を彼に伸ばして首を振った。
『ダ……ダメですっ!! こんな……こんな高そうなもの、受け取る訳には行きませんっ!!』
 しかし彼は、逆に首を振って私の言葉を否定する。最初から私の反応を分かっていたか
のように、落ち着いて答えた。
「大丈夫だよ。そんな、高いものじゃないし。一週間もコンビニでバイトすれば余裕で買
える程度のものだからさ」
 そこまで高価なものではないと聞かされて少しは落ち着いたものの、しかし私はその綺
麗なネックレスを見て、もう一度首を振った。
『それにしたって…… こんなの、私には似合いませんっ!! 絶対に宝の持ち腐れにな
ります。これは……貴方が持っていて、本当に好きな人が出来た時にあげるべきです!!』
 しかし、私の言葉に別府君は全く取り合う様子を見せなかった。今度は少し不満気な顔
をして、もう一度首を振る。
「似合わないって……そんなの、先生が思い込んでるだけじゃん。確かに普段、学校に着
てる時の格好じゃああれだけどさ。オシャレすれば絶対に似合うと思うし、むしろそのネッ
クレスが似合うようなオシャレをして欲しいと思ってるから、それを選んだんだ」
『だからって…… いくらオシャレをしても、元が大した事無いのに……』
「そんな事ないよ。先生は自分で地味で野暮ったくしてるだけで、ちょっとオシャレすれ
ば絶対に綺麗になるよ。卒業式の時にちょっと綺麗にして来てたけどさ。フォーマルな姿
の先生って、綺麗だったもの」
 生徒相手なのに、そんな事を言われて私は恥ずかしさに顔を火照らせてしまう。私は必
死で首を振って、それを否定した。
『そんな事ありませんっ!! それは確かに……卒業式の時は父兄の方も見えられますし、
教師として式典に出るのに恥ずかしくないような見映えにはしましたけれど…… だから
と言って、こんなネックレスが似合うとはとても思えません!!』
 すると別府君は、何故かちょっと悪戯っぽいような笑みを浮かべると、とんでもない提
案をして来た。
「じゃあさ。今、ここで試してみようよ」
『え……?』
 キョトンとする私に、彼はもう一度、分かりやすく繰り返した。
「だからさ。そのネックレスを着けてみてよ。今、ここでさ。そうすれば先生がそのネッ
クレスが似合うかどうか、すぐに確かめられるじゃん」
『そ……そんな、今ここでなんて、出来ませんっ!! 大体こんな格好じゃ、似合うも何
もないじゃないですかっ!!』
 自分の格好を思い返して、私は即座に拒絶する。ジーンズにグレーのタートルネックの
セーターにコートを着込んだだけという衣装に、こんなアクセサリーが似合うとは思えな
い。しかし、別府君は首を振ってそれを退ける。
「コートの前を開けてさ。セーターの上から掛けても十分分かるって。ほら、早くして。
大分遅くなっちゃったからさ」
 待ち切れなさそうな彼の顔とネックレスを、私は交互に見やりつつ躊躇ってしまう。こ
のまま別府君の言いなりになる事で、どんどん深みに嵌まってしまうような、そんな不安
が私を先に進むのを妨げていた。しかし同時に、断固として拒絶する事もまた出来なかった。
「先生、どうしたの? 大丈夫だって。絶対似合うからさ。ちゃんと先生が着けるところ
をイメージして選んだんだから」
 別府君の言葉が、何だか無理矢理私の背中を押すような感じがして、私は逆らえずにお
ずおずと箱の中のネックレスに手を掛ける。止め具を外して箱から出すと、公園の灯りに
照らされてキラリと綺麗に輝く。
「箱、貸して。着けるのに邪魔でしょ?」
 別府君に言われるがままに、私はネックレスの箱を彼に渡した。もうここまで来ると後
戻りなど出来ず、私はネックレスの鎖を外すと首に通し、後ろで止めた。胸の前でハート
型のアクセサリーが微かに揺れるのを手で抑えてから、私は思い切って別府君の前に自分
の姿を正面切って晒した。
『ど……どうですか? やっぱり、こんな綺麗なの……合わないんじゃないですか?』
 グッと体を強張らせ、目を瞑って私はガチガチのまま彼に感想を聞いた。しかし彼はそ
れには答えず、私に注文を付けて来た。
「先生。そんな緊張しないでさ。もっと楽にして俺をちゃんと見て」
『き、緊張なんてしてませんっ!! ちゃんと別府君だって見て――』
 指摘されたくない事を言われて、つい反論しつつ目を開いて別府君を見たところで、私
は驚いて言葉を途切れさせた。別府君が、携帯のカメラを起動させて私に向かってレンズ
を向けていたのだ。
「それじゃあ先生。いい顔して。はいっ!!」
 パッとフラッシュが炊かれ、思わず眉をひそめた。別府君は携帯の画面を確認して僅か
に首を捻る。
「うーん……まあ、こんなものかなあ? あまり何度も撮っても仕方ないし……」
『な、何が何度撮っても仕方ないですかっ!! 悪かったですね、写真写りが悪くて……
って、それよりも何を勝手に人の事を撮ってるんですか!! 許可なく撮るなんて、盗撮
と一緒ですよっ!!』
 驚きと恥ずかしさと怒りが一緒くたになって怒鳴りつけるが、別府君は平気な顔で言い
返してきた。
「だって、写真撮らなきゃ先生、自分の姿見れないでしょ? ほら」
 別府君は自分の携帯を回して私に画面を示した。そこには、驚き呆気に取られた自分の
姿がバストショットで映し出されており、胸元には綺麗なネックレスが光っていた。
「どう? 先生に似合うと思わない?」
 私はまじまじと画面の中の私を見つめた。全体が見えないせいもあってか、少しばかり
オシャレにも見えるが、どちらかといえば冴えない女子学生が背伸びしているようにしか
思えない。
『……思いません。ネックレスは綺麗ですけど……やっぱり、着けている本人とギャップ
があり過ぎます』
「それは先生が自分の事をそう思い込み過ぎてるからだよ。このままでも十分綺麗だし、
ちょっとオシャレすればもっと映えると思うよ」
『そんな事ありませんてば!! どうして別府君は私の事をそこまで買いかぶるんですかっ!!
私の事を褒めたって、貴方には何の得にもならないでしょう?』
 断固として私の事を持ち上げる彼とそれを否定する私は、互いの主張をぶつけて睨み合っ
た。すると何かを思いついたのか、別府君はやや挑戦的な顔つきで私に一つ提案してきた。
「じゃあさ、こうしようぜ。先生、終業式の時にそれ、着けて来てよ。それで、他の皆か
らの意見も聞こうぜ。で、似合うっていう意見が多かったら先生が間違ってるって事で」
『そ、そんなの絶対にダメです!! 皆に見られちゃうなんて……そんな事出来ません!!』
 別府君に貰ったネックレスを着けて他の生徒や先生達の前に出るなんて、考えるだけで
も怖かった。しかし別府君はいかにも気軽に私の腕を軽く叩いて諭して来た。
「大丈夫だって。別に俺から貰ったってバラさなきゃいいんだし。ちょっと惹かれて買っ
てみたんでせっかくだから着けてみましたって言えばいいんだよ。女性なんだし、それで
皆納得するって」
『でも……そんな、皆の前で恥晒すなんて……』
 例え別府君からのプレゼントと知られなくても、やはり恥ずかしいものは恥ずかしい。
しかし、待ってましたとばかりに別府君は頷く。
「だから、試してみようって言ってんじゃん。笑ったりバカにしたりするような奴が多か
ったら、俺の負けだけどさ。からかい口調でも褒めてる方が多かったら、俺の勝ちって事で」
『褒められても恥ずかしいものは恥ずかしいんですっ!! ダメですそんなの……目立つ
のなんて苦手なのに……』
 みっともなくも私は、両手で顔を覆って俯いてしまった。そんな私のすぐ傍に立って、
別府君は慰めるように優しく声を掛けて来る。
「先生なんだからさ。そういうの克服しようぜ。皆に注目されないように地味な格好で過
ごすとかもったいないよ。終業式って、異動や退職する先生のお別れの挨拶とかもあるか
ら、どのみちちょっとは綺麗な格好した方がいいだろうしさ。だから、約束してくれよ。
大丈夫だって、目ざとい女子とかがきっと見つけて皆で先生可愛いって言ってくれるから」
 結局、私は別府君に押し切られる形で、終業式の日にネックレスをして学校に来る事を
承諾させられてしまったのだった。


終わり
最終更新:2013年09月02日 18:05