そろそろ、夏だ。今年の夏は諸般の事情によってちょっと暑そうなので、
伸ばしていた髪をさっぱりさせて、涼しく過ごそうと思いたった。

 ……別に、同じクラスのアイツが、友達と話してたときに「セミロングくらいが一番好き」とか言ってたのとはまったく関係がない。
ないったらない。

 とにかく、そういうわけで、私は年に数回利用する程度の、近くの美容室へ足を運んだ。
ここの店長とは近所づきあいもあり、かなり親しい。こっそりダンピング価格でカットしてくれるので、
最近はずっとこの店で切ることにしている。

「あら、かなみちゃんじゃない! 久しぶり~! 今日はカットしに来たの?」
「はい……暑くなりそうなので、短めに」
「あら~、せっかく長くて綺麗なのに、もったいないわねぇ」
「放っておけば、すぐ伸びますから」
「む~、なんか乙女らしくないセリフ……」

ぶー、と口を尖らせる店長。結構な年のはずだが、なぜだか可愛らしい。
ずいぶん美人だと思うのだが、どうしてだか知り合ってからずっと独身である。
そろそろ焦ってもいい頃合だと思うのだが……

「今なんか失礼なこと考えてなかった?」
「いいえ、全然?」
「そう。ならいいけど」

……顔に出ていたか。気をつけよう。

「さて、それじゃあどうする? いつもみたいに私任せでやっちゃっていい?」
「あ、えっと……カタログとか、見てもいいですか?」
「いいわよぉ~。ちょっと待っててねぇ」

待合室の雑誌をいくつかもらって、中を眺める。
肩くらいまでの長さのものをいくつか見繕って、しばらく考える。

「なになに? すごい真剣な顔して~。急にオシャレに目覚めちゃった?」
「……別に、そういうわけじゃないですけど……」
「え~? ……あ、そうか!」

店長は一瞬不服そうな顔をして、すぐに満面の笑みに戻り、こう言った。

「もしかして、かなみちゃん、好きな人が出来たんでしょ~?」
「っ!? ち、違います! 言ったでしょう? 暑くなるからって……!」
「あはっ、そう? ならいいけどぉ~」

店長はとたんに機嫌が良くなって、ニヤニヤしはじめた。
……違うって言ってるのに。

「そっかー、でもそしたら、わたしも気合入れなきゃね~! かなみちゃんの人生かかってるし?」
「も、もうっ!」

うう……この店に来るのはやめたほうが良かったかもしれない。なまじ知り合いだと、
いらぬ恥ずかしさを感じてしまう。

 結局、店長の勧めもあって、カタログに載っていた「モテカワゆるふわ系小悪魔パーマ」とか言う謎の髪型に決まった。
名前の割には普通の髪型で、パーマもほとんどかかっていない。何か本質的に間違っている気がするけど、
自分のセンスに自身があるわけでもないので、この際目をつぶることにする。

「うーん、自分で言うのもなんだけど……これは傑作ね。超かわいいわこの子……」

店長は自画自賛している。かわいい……のだろうか?
正直、自分の容姿にはあまり自信が無い。

「……そ、そうですか?」
「ええ。超絶かわいいわ。これで付き合ってくれなかったらそいつはホモよ。やめときなさい」
「ホ……って、何言って……! それ以前に、付き合うとかは……今は、まだ……」
「あら、そうなの? 私的には、多分いきなり告白しても大丈夫だと思うわよ~」
「……そんなの、出来るわけ無いじゃないですか……」

――そう。出来るわけがない。彼に話しかけられるたびに、憎まれ口しか叩けないような私じゃあ。

 その日は、結局ずっと引きこもっていた。明日どんな顔をして彼に会えばいいのかわからないまま。

 開けて、翌日。その日はいつもより早く目が覚めて、時間をかけて身支度をしたのに、
いつもどおりの時間に出るのにちょっと待つ必要があった。

勝手に逸る足をなだめながら、いつものように登校していると――
ちょっと前を、例のあいつが歩いている。その姿を見ただけで、心臓がテンポを上げて、
途端に恥ずかしさが先に立つ。何とか彼の横まで歩いていって、ばくばく言う心音を感じながら、
努めていつものように声をかける。

「――お、おはよう」

声をかけてから、一瞬のあいだに後悔が起こる。髪ははねてないだろうか? 変な髪形と思われるかもしれない。
わたしが髪を短くしたのを見て、隠した気持ちに気づかれるのでは?
不安のような、期待のような、不思議な感覚で頭が一杯になる。
なんだか気恥ずかしくて、彼の顔をまともに見られない。

「……おう、お早う」

だって言うのに、彼から帰ってきたのはその一言だけ。こっちをチラッと見て、すぐ前を向いてしまった。
……興味が、なかったのだろうか? 途端に不安になる。やっぱり、元のままのほうが良かったかも知れない。
変にでしゃばらないほうが良かったのではないか?

 結局、その日はいつもよりずっと会話が少なかった。彼は私と目が会うとすぐそらしてしまうし、
休み時間もどこかへ行ってしまっていた。

「……髪、切らなきゃ良かったな……」

こんなことになるなんて思わなかった。
朝会った時に、彼がちょっと喜んで、褒めてくれるくらいで済むと思ってたのに。
現実には、まったく逆の結果になってしまった。

「……うぅ」

いまさら後悔しても、切ってしまった髪は元に戻らない。悲しい。泣きたい。
憂鬱な気持ちで日中を過ごして、やっと放課後になった。

「早く、かえろ……」

もう今日は帰って寝よう。髪だって、すぐ伸びる。ずっと今の状態が続くわけじゃない。
悲しいけど……眠ってしまえば、きっと明日は普通に出来る。

そう思って帰り支度をしていると、あいつが近づいてきた。
やさぐれた気持ちのまま、睨みつけて用件を尋ねる。いまさら何だと言うのか。
まさか、いまさら何か言ってくれるとは期待していない。

「なによ」
「……今から、帰るのか?」
「……そうよ。なんか用事?」
「いや、そのさ――」

彼は少し口ごもって、言った。


「――髪切ったんだな。結構、似合ってる」


……こうやって、こっちが諦めかけた時にこういう事を言うのだ、この男は。

「……ずるい」
「何か言ったか?」
「何にもっ!」

反射で否定したけど、彼は「釈然としません」って顔でこっちを見る。
その顔を見ていると、こんな奴の態度ひとつにに右往左往している自分が馬鹿みたいで……
なんだか悔しくなったから、掴んでいたカバンで叩いてやった。

「痛っ、褒めたのになんで殴る。理不尽だ……」
「アンタが悪いのよッ! 全部アンタのせい!」
「わけわかんねえ……確かに、言うのは遅かったけどさあ……」
「そうよッ! 遅すぎんの! どうして朝会った時に言わないのよっ! わた、わたしが、どんな気持ちで……
美容師からニヤニヤされて、よくわかんない雑誌読んで、それなのに……!」

そうだ。わたしがどんな気持ちだったと思っているのだ。今更そんなセリフを言われたって、許す気にはならない。
絶対許すもんか。わたしが不退転の決意でにらみつけていると、彼は言い訳がましく言った。

「……仕方ないだろ、俺だって緊張してたんだから……」
「……なによ、緊張って」
「自覚してねえのかよ……」
「だから、なにがよ!」
「ああ、もう……だから、そんなの――」


「お前がすげー可愛かったから、まともに見るのが恥ずかしかったんだよ。しょうがないだろ……」


「……え?」
「もともと結構いいなって思ってたのに、髪切ったらもっとヤバくなってるし。正直完全にタイプだし……」
「え? ……あ、ぅあ、えっと、その――」

言ってる意味がわからない。これはわたしの夢で、本当はまだ授業の途中なんじゃないだろうか?

「だから――そのさ。悪かったよ。なんか……怒らせたみたいだし」
「べ、別に、怒ってない! そ、それより、その――」

声が上擦る。自分でも信じられないくらいあわてている。

「わ、わたしの事――どう、思ってるの?」

彼の顔が見られない。多分、今の私は全身真っ赤だ。心臓の音がうるさくてしょうがない。

「――っ」

彼が息を呑む音が聞こえる。わたしの耳が勝手に、次の言葉を絶対に聞き漏らすまいとする。


「好きだよ。そっちがどう思ってるかは知らないけどさ……ずっと前から、可愛いと思ってた」

「っ!」

そのセリフは、わたしがずっと望んでいたもので。だからこそ、信じられなくて、聞き返してしまう。

「――ほ、ほんと、に?」
「何で嘘だって思うんだ? 自分が可愛いって思った事ないのか?」
「は、はぅ……」

彼から「可愛い」といわれるだけで体から力が抜けてしまう。顔は火がついてるんじゃないかってほど熱い。

「とにかく、俺はお前の事が好きだよ。……そっちは、そうじゃないかもしれないけど」
「――っ! 違う! そんなわけない!」

どこか悲しげに言う彼の言葉を、わたしは必死で否定する。

「わ、わたしも、あなたのことが、好き、です……! ほんとは、ずっと前から……
で、でも、恥ずかしくて……その、八つ当たり……みたいに、なってて……」
「……えーと……マジで?」
「は、はい……」

二人して赤くなってうつむく。わたしの心は、告白された嬉しさと、やっと自分の気持ちを言えた喜びで塗りつぶされている。

「……あーっと、そしたら、お互い好きってことで……俺たち、付き合ってみるか?」
「うん……うんっ!」
「あー、でも……付き合うってなんだろうな。具体的になんかするのかね」
「ぇ、あ、その……キスとか……」
「……いいのか?」
「ぅ、うん……いいよ……」


結局その日は、日が暮れるまで二人で教室に残っていた。
……きっとこれは、わたしの人生で一番幸せな記憶になるだろう。


最終更新:2011年06月09日 22:17