前回まではこちら

50 名前:『黒川さんと七夕の話』 1/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 01:56:23.03ID:y4gvYG2W0 [3/12]
 今朝に見たニュースによると気温が三十六度を超えてるらしい。
 三十六度って。それはもう体温じゃないか。
 通りで発汗が止まらずに目の前で陽炎が揺れるわけだ。
 中学校の頃、この時期に熱を出して冷房の無い部屋で蒸し焼きにされていた過去を思い
出すに、汗が出なくなってからが危険だ。
 感覚が狂ってむしろ暑くなるほど快適に感じてくる。
 それを踏まえると今の僕はまだ身体的には狂ってないので大丈夫。
 精神的にはもう限界。
 小学校の朝礼で校長先生の話を最後まで聞けた試しがない程の貧弱さを誇る僕に、この
暑さに対してどう抵抗しろというのか。
 控えめに解釈しても死ねってことですか神様。
「あぁ…………快適だ」
 机に頭を乗せた体勢で呟く。
 頭が変になった訳じゃないよ、まだ。
 放課後の図書室で、本を読むでもなく時間を潰している状況だ。
 何故なら此処には冷房があるから。
 あぁ涼しいなぁ冷房。文明って素晴らしい。カルチャー、ラブ。
 極力家電に頼らない方針の両親だから、居間にしか冷房が無いんだよね。
 まぁ両親の部屋にも無い上に、二人とも涼しい顔して乗り切れる程の超人だから文句の
言いようもないんだけど。
 妹は妹で「水泳部の自主練習をしてくるので」と言って日が暮れるまで帰らないし。
 そういえば最近妹がパソコンに続いてエアコンの購入を検討していたけれど、兄として
はその金銭感覚にちょっと不安を覚える。
 自分の貯めた小遣いで購入するつもりらしいから口を挟む事でも無いんだけどさぁ。
 一応僕も同じ額と貯蓄している訳で、半分ぐらい出してあげるべきなのだろうか。
 小学校あたりから使わずに貯めてるから、我ながらその金額に引く。
 うーん、寧ろ普通なら大部分を僕が負担するべきなんだろうか、兄として。
「あらあら間抜けな置物だと思ったらびっくり、人間だったわ」
 兄の威厳、という言葉に付いて思考を巡らせていると、頭の上から流れるように罵倒が
降りかかってきた。

51 名前:『黒川さんと七夕の話』 2/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 01:59:12.85 ID:y4gvYG2W0 [4/12]
 そんな事を言うのは一人しか居ない、とカッコ付けてみるけどそもそも声で解るし姿が
見えてるし目の前にいるし。
 という訳で、黒川さんだった。
 椅子に座っている僕より少し上に顔がある。実に可愛い。
 この間身長が伸びたと密かに喜んでいたけど、まだ小学生レベル。マジ可愛い。
 最近また髪を伸ばし始めて、背中に掛かるくらいになってる。超可愛い。
 目を半目にして口をへの字型にした不機嫌な表情。デビル可愛い。
 うんうん、僕の頭はまだ暑さにやられている訳じゃ無さそうだ。
 黒川への想いの方が熱いからな! とか言ってみたりして!
「何よ、いきなり人の顔を見て笑い出して………抉るわよ」
「何をですか!?」
「え、そ、そんな事私の口から言える訳無いじゃない」
「よし分かった、僕が悪かった。とりあえずその両手のボールペンを机に置こう」
 言うと黒川は素直に構えていたボールペンを机に置く。
 その数、十本。何処から出したと問うのも怖い。
「まぁ良いわ、私はこんな愉快なやりとりをする為に貴方を探してた訳じゃないのよ」
「いや、僕は戦々恐々って感じだけどな……ん? 僕を探すって……何で?」
 中間試験は終わったから、しばらくは試験勉強をしなくても良い筈だけど。
 現に結果発表があった日に「私は自由よ! ハレルヤ!」とか珍しくハイテンションな黒
川を見て恵比寿顔になった記憶があるし。
 理由もなく一緒に下校するような間柄でもないし。いや、僕は良いんだけどね?
 去年の夏休みに告白してそろそろ一年間、まだ返答貰ってないわけだし。
 …………い、一年かぁ。
 恐ろしく長い攻略スパンだよな、これ。しかも殆ど関係が進展してない気がするし。
 寧ろ告白したせいで必要以上の接触を避けられてる気がするし。
 蛇の生殺しにも程が無いだろうか。
「……………ハァ?」
 内心でつらつらと考えを滑らせていると、恐ろしくドスの効いた重低音が来た。
 黒川がその目を日本刀の如く鋭くして僕に殺意を向けてきていた。
 つまり日本刀の様に芸術的で美しいってことさ! 無理があるか。

52 名前:『黒川さんと七夕の話』 3/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 02:02:03.11 ID:y4gvYG2W0 [5/12]
「忘れたの?」
「え?」
「ああ、そう、そうなのね? まぁ私との約束より勉強するほうが大事だものねぇ?」
「え? えぇ?」
 な、何だろう。
 どうにも僕は地雷を踏んだらしい。
 ええと、今日何かあったっけ? 思い出せ思い出すんだ僕……!
 …………あ。
「いやいやいやいや、覚えてるぜ覚えてるよ? まさか僕が忘れるわけないじゃないか!」
「いえ、無理しなくてもいいのよ。別に私が楽しみにしてたとかそんな訳じゃないからえぇ
全然。寧ろ忘れてくれてよかったわ本当に」
「わ、忘れてない、忘れてないぞ! 七夕の約束だよね!?」
 その言葉に、黒川の表情が和らいだ。
 と言ってもうっかりすると見逃しそうな微細な変化だけど。
 七月七日。
 ポニテの日にして浴衣の日にして、七夕の日。
 ポニテに浴衣って、僕の為の日みたいだな! という妄言はまぁ置いといて。
 僕達の住む街はこういう行事に力を入れる節があって、割りと町中を巻き込んで七夕祭
が開催される。
 要するに出店があって最後に花火を打ち上げる典型的なお祭りなのだが、七夕の特徴と
して、短冊を吊るすために多くの笹が用意される。
 高い所に吊るすほど願いが叶うと言われており、小学生等が競って自分の短冊を他人よ
り高い位置に吊るす事に躍起になる。
 ……小学生の頃は毎年、「健康になりたい」って書いたっけなぁ。
 我ながら地味に重い願い事だ。
 両親はそれを見て何を考えていたんだろうか。
 ともあれその七夕祭に黒川と参加するという約束を取り付けていた。
 その為に今日は一緒に帰る事になっていたのだった。
 主に浴衣の着付けの問題で。
 まぁ、一年も着なかったら着付けの仕方なんて忘れちゃうよね。

53 名前:『黒川さんと七夕の話』 4/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 02:04:21.35 ID:y4gvYG2W0 [6/12]
 そんな約束を忘れるとは僕らしくもないが、やはり暑さに頭をやられていたんだろう。
「よし、それじゃ帰ろうか」
「勉強はどうしたのよ、貴方」
「そんな物より黒川の方が大事だよ」
「な………!」
 冷房の効いた図書室から離れるのは名残惜しいが、黒川と下校出来るのなら比べるまで
もない。
 でもやっぱり燦々と振り注ぐ陽光はもう少し弱めてくれてもいいんだけど。
 申し訳程度に広げていた筆記用具とノートを看板に詰め込み、黒川を促す。
 しかし、出口に向かって歩きだしても黒川が動かない。
「ん? どうかした?」
「………なんでもないわ」
「そう?」
 黒川が隣に並ぶ。
 一度上目遣いに此方を伺うようにして、溜息。
 そのまま目線を逸らすようにして、小さく言った。
「………………貴方のそういう所、卑怯よね」
「え、何が?」
「何でもないわよ」
「ふーん……所で黒川さ、願い事は何て書く?」
「なんで貴方に教えないといけないのよ」
「いや、気になったから」
「気になったことが何でも教えてもらえると思わないことね」
「因みに僕は『黒川と仲良くなる』って書くつもりだけど」
「……………それ願い事じゃなくて、断定よね?」
「まぁ、決意表明というか………黒川」
「何よ」
「好きだぜ?」
「………言ってなさい」
 呟いた黒川の顔は、少しばかり紅潮………してるように見えたが、錯覚だろうか。

54 名前:『黒川さんと七夕の話』 5/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 02:06:53.43 ID:y4gvYG2W0 [7/12]
 どうもこんにちはこんばんはおはようございます、黒川さんよ。
 最近髪を伸ばし始めたのだけど、正直鬱陶しいわ。暑くて。
 去年はこれより長かったのによく耐えたわね、私。
 やはり恋する乙女は強いわね。あら、自分の発言で冷えたわ。なんて自給自足。
 今年の夏は冷房が大活躍だけど、部屋に冷房が設置されてない彼は考えるまでもなく
大変なんでしょうね。
 只でさえ虚弱なくせに、変に意地っ張りなんだもの。
 中学校の頃、熱を出して暑さで死にかけたのをまだ懲りてないのかしら。
 まぁ実際、彼の妹さんの方から『兄が譫言を言ってます。そろそろ冷房を購入するべき
かもしれません』というメールが送られてくるのよね。
 この一年で随分と妹さんとの距離が縮まったわねぇ、私。
 …………肝心の彼との距離が据え置きなのは、どうかと思うけれど。
 そんな状況を打破するために、まぁ今日は色々と覚悟を決めているのよ。
 なんと、今夜の七夕祭に誘われてしまったわ。イェイ。
 夏、浴衣、お祭り。
 去年、彼に告白されたシチュエーションを見事に再現してるわね。
 浴衣も同じ物だし
 ついでに髪型も彼が好きだと言っていたポニーテールにしてみたりして。
 ネットで調べたら七夕と同時にポニーテールの日や浴衣の日でも有るらしいから、言い
訳もバッチリよ。
 着付けが解らないという理由で彼の両親へ挨拶する理由もこじつけたわ。
 ふふふ、策士な黒川さんよ。
 別に本当に着付けの仕方が解らなかった訳じゃないわ、えぇ全く。本当だってば。
 ともあれ細工は隆々、だというのに当日の放課後に彼の姿が見当たらなかった。
 ホームルームが終わったら忽然と消えていた。
「……………わ、忘れられたのかしら?」
 そんな事無いわよね? と自らを鼓舞してみる。
 しかし忘れていないとしても、彼が今日だと気づいていない可能性もある。
 大分、この暑さに参っていたようだし。というか本当に鬱陶しいわね、汗。
「涼しい所……というと、保健室か図書室。大穴で職員室よね」

55 名前:『黒川さんと七夕の話』 6/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 02:09:53.67 ID:y4gvYG2W0 [8/12]
 保健室には居なかったので、図書室に来た。
 長机が殆ど埋まっているのは先日、中間テストの結果が出たからでしょう。
 ちなみに私は赤点じゃなかったわ。なんて清々しい気分。
 まぁ彼に勉強を教えて貰った結果なのだけど、その教えていた本人は全校生徒の中で一
位を取っていたりする。
 一体、何時の間に自分の勉強をしたのかしら。というか本当に人間なのかしら。
 などと考えていると、鬼気迫る勉強者達から少し離れた場所に彼を見つけた。
 机に筆記用具とノートを広げ、突っ伏している。
 一位を取った癖にまだ勉強をするつもりかしら。
 近づいても頭を上げないので、無視をされた気分になる。
 ちょっとした苛立ちと共に言葉をぶつける。
「あらあら間抜けな置物だと思ったらびっくり、人間だったわ」
 その声に彼がピクリと反応して、此方に首を向ける。
 私の姿を確認すると、その表情を柔らかい微笑みに変えた。
 ………何故、浮かんだ感想が「可愛い」だったのかしらね私?
「何よ、いきなり人の顔を見て笑い出して………抉るわよ」
「何をですか!?」
 微笑みから目を見開いた驚愕へと表情が変化する。
 咄嗟に言ってみたけど、抉るのなんて眼球ぐらいしか無いわね、人体。
「え、そ、そんな事私の口から言える訳無いじゃない」
「よし分かった、僕が悪かった。とりあえずその両手のボールペンを机に置こう」
 体を起こして、落ち着けと動作で示すように両掌を向けてくる。
 逆らう理由もないので袖口から取り出したボールペンを机に放る。
 ………あぁ、別に普段からこんな武装をしてる訳じゃないのよ?
 ただ彼と話すときは事前に仕込んでるだけだもの。
 これは健気という奴かしらね。えぇ、間違ってる事は知ってるわ。
「まぁ良いわ、私はこんな愉快なやりとりをする為に貴方を探してた訳じゃないのよ」
「いや、僕は戦々恐々って感じだけどな……ん? 僕を探すって……何で?」
 …………何で?
 今、何でって言ったのかしら?

56 名前:『黒川さんと七夕の話』 7/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 02:12:31.71 ID:y4gvYG2W0 [9/12]
 あら? もしかしてこの人、本気で忘れてる………?
 折角の機会なのにいい度胸ね。
 ………いえ、そもそも私が告白に返事すれば否応なく進展するんでしょうけど。
 ただ、「返事はいつでもいい」って、言う方は簡単でも答える方は大変なのよ!
 主にタイミング的に! あと心の準備!
 何だか日を改めてしまうと気恥しくって、「あの時返事しておけば!」って何度思った
かしらね。
 だからまぁ、こっちとしても一周年で良いタイミングだと思ったのに……何でって。
「……………ハァ?」
 自然、表情がキツめになったことを自覚する。
「忘れたの?」
「え?」
「ああ、そう、そうなのね? まぁ私との約束より勉強するほうが大事だものねぇ?」
「え? えぇ?」
 八つ当たりも含めて追い詰めると、彼の顔が面白いように焦りに支配されてくる。
 小動物系ね、それも犬。
 彼は良く私を猫系だと判断してるようだから、バランスとしては良いんじゃないかしら。
 ともあれ彼は悩むような表情を見せ、数秒後閃いた。
「いやいやいやいや、覚えてるぜ覚えてるよ? まさか僕が忘れるわけないじゃないか!」
「いえ、無理しなくてもいいのよ。別に私が楽しみにしてたとかそんな訳じゃないからえぇ
全然。寧ろ忘れてくれてよかったわ本当に」
 まぁ嘘だけど。
「わ、忘れてない、忘れてないぞ! 七夕の約束だよね!?」
 どうやら正答を導き出したらしい。
 まぁ思い出したのだし、暑さの所為って惚けてたことで許してあげましょう。
 そんな思いが表情に出たのか、彼が安堵するように息を吐いた。
 そのまま表情を笑みの形にする。
「よし、それじゃ帰ろうか」
 言うが、ノートを除いてみると明らかに勉強の途中だ。
「勉強はどうしたのよ、貴方」

57 名前:『黒川さんと七夕の話』 8/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 02:14:40.99 ID:y4gvYG2W0 [10/12]
 あぁ、と目線をノートに向け、しかしすぐに此方に戻す。
「そんな物より黒川の方が大事だよ」
「な………!」
 不意打ちだった。
 定番というか使い古された台詞なのに、顔が熱を持ち始める。
 簡単に照れてしまっては軽い女と思われるかもしれないので、赤面は抑える。
 彼は何でもなさ気に早々と荷物を纏め、私の横を通り抜ける。
 貴方も少しは照れなさいよ…………!
 そんな理不尽な感情が湧いてきた。
「ん? どうかした?」
「………なんでもないわ」
「そう?」
 顔に上る熱が落ち着いたので、ボールペンを拾って彼の横に並ぶ。
 横目で彼を伺うと、今の発言など何も気にしてない顔があった。
「………………貴方のそういう所、卑怯よね」
「え、何が?」
 聞こえないと思って呟いた言葉に反応してくる。
 しかもこちらの表情を覗き込むように。
「何でもないわよ」
「ふーん……所で黒川さ、願い事は何て書く?」
 願い事。恐らくは七夕祭で書く短冊の事だろう。
 決めてあるけれど、それを言う気にはなれない。
「なんで貴方に教えないといけないのよ」
「いや、気になったから」
「気になったことが何でも教えてもらえると思わないことね」
「因みに僕は『黒川と仲良くなる』って書くつもりだけど」
「……………それ願い事じゃなくて、断定よね?」
 ええと、顔、ニヤけてないわよね? ちゃんと不機嫌っぽい感じになってるわね?
 ふふふ、そんな言葉で喜ぶほど安い女じゃないわ! 舐めないでよね!
 でもテンパってるわよね私!

58 名前:『黒川さんと七夕の話』 9/9[] 投稿日:2011/07/08(金) 02:16:54.65 ID:y4gvYG2W0 [11/12]
「まぁ、決意表明というか………黒川」
「何よ」
 ちょっと声が裏返った。
「好きだぜ?」
 「貴方は何っでそういう事を平然と言うのよ!」と心の中のデフォルメされた私が赤面
半泣き錯乱テンパり状態で叫んでいたけど、グッと飲み込んだ。
「………言ってなさい」
 出来るだけ平坦な言葉を作って言った。
 上手く呆れている感じが出てればいいのだけど、此方を見て微笑んだ彼の表情を見る
に、その効果は薄そうだ。
 しかし今日の彼はいやに積極的に言葉をぶつけてくる。
 向こうも、この機会に関係を進めようと思ってるのかもしれない。
 こ、この調子でお祭りに行って、私の心臓は持つのかしら……?
 ともすれば彼に聴こえそうな程に脈打つ心臓。
 出来れば、告白の返事を返す位はしたいのだけど……!
 校門を出て彼の家に向かいながら、鞄を握る手に力が篭る。
 其処に入っている短冊は、昨日の内に用意してきたものだ。
 出来るだけ目立たないように質素なデザインを選んだ、桃色の短冊。
 「恋人」だの「付き合う」だののフレーズを書いては悶絶して却下した結果、最終的
に無難な言葉に落ち着いたと思う。
 ……最初の方に書いたのは、誰かに見られたら死ぬわね。
 細かく切り刻んで捨てたから大丈夫だと思うけど。
 それでもこの短冊は出来れば笹の下の方、目立たない位置に吊るそうと誓う。

 『もう少し、素直になれますように  黒川』

 自分の力で叶えるべきなんでしょうけどね、これ。
 えぇまぁ、頑張りましょう………出来る範囲で。

~続(かない)~
最終更新:2011年07月11日 01:36