『失恋したツンデレさんを慰める話』


 だんだんと暑くなってきた、五月のある日。
 黒川がその長かった髪を肩口でバッサリと切って登校してきた。
 願掛けをして髪を伸ばしていたのを知っている身としては、なかなか対処に困る。
 黒川の気が変わったか、それとも挫折したか。性格を鑑みれば多分後者。更にその
証拠として、僕の机に突っ伏して落ち込んでる。
 いや、なんでだよ。
 自分の机でやれよ。
「やー、おはよっす」
 放っておいても退いてくれそうにないので話しかける。
「うー」
 挨拶未満の何かが帰ってきた。
 黒川が突っ伏した状態から顔だけ動かして、剣呑な眼つきを送ってくる。
 その様はまるで警戒をしている猫のようだった。
 というか黒川は普段から「猫のようだ」と評されることが多い。主に僕に。
 小柄な身体とさらさらな黒髪。鋭い目つき。身体の起伏は少ない。
「……スレンダーと言いなさい」
「スレンダー(笑)」
 間髪いれずに腕を引っ掻かれた。
「……この速さで攻撃できるって事は答え予想してたんだろ」
「貴方はデリカシーが無いわ。デリカットね」
 引っ掻かれた場所を触ってみると少しヒリヒリする。蚯蚓腫れになるかもしれない。
 そしてデリカットなんて言葉は無い。それは人の名前だ。
「そういや、髪切った?」
 見て分かる事をわざわざ疑問形にするのが会話を続ける技術だと前に本で読んだので
実践してみる。効果は如何に。
「見れば分かるでしょう?」
 会話終了………大人は皆嘘つきだ。
「……言っておくけど、ただの気分転換よ。特別な意味はないわ」
「あっそ」
 聞かれても無いのにそんな事を言うと、強がりにしか聞こえないけどね。







「っていうか其処、僕の席なんだけど」
「あらそう、間違えたわ」
 そう言って顔を上げる黒川。……いや、どこうよ。
 因みに僕の席は窓側の一番後ろ。間違えてる要素が無い。
 しかし髪の短い黒川というのは新鮮だった。
 今までは切るといっても腰ぐらいまでは長さがあったからな。
 長髪の黒川は深窓の令嬢といった感じだったけど、短い髪だと活発な少女のような
感じがする。体操服とか似合いそうだ。
 髪は女の命と言うけど、いやはや、なかなかにイメージが変わるもんだね。
「なによ、文句でもあるの?」
「いや、ショートも似合うねって思って」
 一瞬目を丸くして、そっぽを向いた。
「………別に貴方に褒められても、嬉しくないわ」
 そう言いつつ黒川は、笑みを浮かべ……て、無いな。残念。
 でも、わざわざ「貴方に」って言ったって事は、褒められたい人が居る訳だよね。
 それとも照れ隠しか。だと嬉しいけど、あり得ないか。
「失恋でもした?」
「黙りなさいデリカット」
 ギラン、と効果音が付きそうな勢いで睨まれた……図星か。
「失恋なんてしてないわよ。私が見限っただけよ。えぇ、誰が失恋なんか」
 黒川さん黒川さん、語るに落ちてるよ。
 口調こそ強気だけど目にうっすら涙がたまっているように見える。
「――――!」
 窓の外に目を向けていた黒川が唐突に教室の方に顔を向ける。
 それは教室の中に気になる物を見つけたというよりは、窓の外に見たくない物を見て
しまった様な動き方だった。
 だから僕は窓に、正確にはそこから見えるグラウンドに目を移す。
 性格が悪いとはよく言われます。主に目の前の人に。
「あぁ、なるほど」
 グラウンドでは、別府先輩と椎水先輩が二人で登校していた。






「……勝手に一人で納得してるんじゃないわよ」
 目を半月にして睨んでくる。イマイチ迫力が足りない。
「付き合いだしたんだね、あの二人」
「……私には関係ないわ」
 別府先輩は中学校の時からの先輩だ。苦手分野特になし。得意分野は運動。中学校の
ときには生徒会長を努めている。
 一言で表すなら主人公のような人だ。
 当然のように男女ともに人気を集めている。椎水先輩と付き合いだして、枕を濡らし
た女子は大勢居る事だろう。黒川もその中の一人のようだし。
 しばらく別府先輩と椎水先輩のじゃれあいを眺めてみる。
 数秒後、あまりのラブラブっぷりに石を投げたくなったので目をそらす。
 黒川は特に表情も出さず窓の外を眺めていた。
 ……んー。
 んーんーんー。
 別に放っておいても僕に害はないんだろうけどさ。
「ねぇ、黒川」
「何よ」
「放課後、家に来ない? 母さんの作ったケーキがあるんだけど」
 慰めてみようと思いました。まる。

「ただいまー」
「お邪魔します」
 という訳で放課後、黒川を家に招いた。
 制服の女の子が家に上がるのって、ドキドキするよネ!
 まぁ、中学の頃にはよくあった事だけど。こういうと僕が女子にモテてたみたいに見
えるから不思議だよネ。
「……そう言えば、中学以来だったわね」
「ん?」
「家に上がるのが、よ」
「あ、そだね」






 中学三年の頃、僕は黒川に勉強を教えていた。
 理由は言わずもがな、別府先輩と一緒の学校に行きたいからだろう。
 見た目は優等生っぽいんだけどね、見た目は。
「……今更だけど貴方の両親、和菓子屋なのにケーキなんて作って良いのかしら」
「同じ菓子だし、許容範囲って事で」
 そんな会話をしながら黒川をリビングのソファに座らせる。
 台所で二人分の皿とケーキを用意する間に、黒川に話しかける。
「今日さ、父さん達は店に出てるし、妹は部活で遅くなるから」
「………その情報を伝えて何になるのよ」
「今日、ウチ誰も居ないんだ……って奴ですよ」
「意味が分からないわ」
 はぁ、とため息が聞こえた。
 二人分のショートケーキと紅茶をトレイに乗せて、黒川の元へと運ぶ。
 硝子のテーブルを挟んで、黒川の対面のソファに座った。
「頂くわ」
「召し上がれ」
 黒川がフォークを持って一口食べる。
 それを見届けて僕も食べ始める。
 少しの間、会話も無くケーキを食べ続ける。
「………で? 何が目的なの?」
 沈黙に耐えられなかったのか、黒川が口を開く。
「何がって?」
「わざわざ家に呼んだのだから、ケーキを食べさせるのが目的じゃないんでしょう?」
「いや、それだけだけど?」
 そう返すと、黒川は目を丸くした。
 その後訝しげに僕を睨んで、溜息をつく。
「…………時々、貴方が何を企んでるのか全く想像がつかないのよね」
「別に企むって程じゃないけどさ、ほら、美味しい物を食べると元気が出るじゃん」
「……は?」
「だから、落ち込んでる黒川に美味しい物食べさせよう、って思っただけだよ」








「……その美味しい物が母親のケーキって所がマザコンっぽいわね」
「まぁ、確かに……でも美味しいだろ?」
「えぇ、それは認めるわ」
 気が付くと黒川のケーキは既に三分の一も残っていなかった。いつ食べたんだ。
 その三分の一も平らげて、黒川は満足そうに紅茶を飲む。
「ご馳走様、もう帰るわ」
「あ、うん」
 片付けは後回しにして、黒川を玄関まで見送る。
 靴を履いて、扉を開けようとする黒川になんと声をかけるか迷う。
 すると先に黒川が口を開いた。
「……一応言っておくと、実は私少し落ち込んでいたみたいなのよ」
「いや分かってたけど」
「だからホラ、あれよ。なんていうか、ねぇ……ありがと、う?」
「なんで疑問形?」
「………お礼は言ったわよ。それじゃ、さよなら」
 扉を開ける。
 そのまま見送ろうかと思ったけど、無意識のうちに口が動いた。
「別府先輩は長い髪が好きみたいだけどさ、僕は今の方が黒川に似合ってると思うよ」
「…………別に、貴方の好みなんて聞いてないわよ」
「……あと、実は僕はポニーテール萌えなんだ」
「その明らかな嘘は誰が得するのよ……?」
 はぁ、とため息を一つついて、黒川は外に出た。


 ……翌日。
 黒川が髪型を変えて登校してきた。
 髪を後ろで一纏めにして、短めのポニーテール風味。
 頬杖をついて、窓の外を眺めている。
 僕の席で。
 ………いや、だから、なんでだよ。







「やー、おはよっす」
「………おはよう」
 挨拶を交わして、会話終了。
 一体僕はどうやって席に座ればいいんだ。
 黒川の席に座るか? いや解決になってないし。
 窓の外を見つめていた黒川が僕の方に目線を移す。
「………違うのよ」
 何が。
「これは別に、貴方が昨日言われたからじゃなくて……そう、これから暑くなるから、
涼しい髪型にしただけよ」
 別に何も言ってないんだけどね。
 聞かれても無いのにそんな事を言うと、照れ隠しと取りますが。
「照れ隠しなんてしてないわよ、バカじゃないの?」
 そう言いつつ、黒川はそっぽを向いた。
 顔を隠しても、その耳は真っ赤に………別になってないな。残念。
「あ、別府先輩……と椎水先輩だ」
 二人並んで登校する様を窓から見つけたので、報告してみる。
 黒川は露骨に目を背ける事もせず、ゆっくりとその光景に目線を移した。
「………恋人の居る人間とか爆発しちゃえばいいと思うのよ」
「怖いよ」
 真顔だった。昨日、家に帰ってどんな悟りを開いちゃったんだよ。
 多分それは人が到達しちゃいけない領域なんだと思うぞ。

「………あ、そう言えばさ、黒川」
「なによ」
「その髪型、似合ってるね」
「………別に貴方に褒められても、嬉しくないわ」
 そう言いつつ黒川は、ちょっとだけ笑顔だった……様に、見えた。

~続(かない)~
最終更新:2011年07月11日 01:38