『ツンデレさんと勉強してた昔話』
1
七月も半ばを過ぎ梅雨が明けて、本格的な夏になった。
貧血持ちには辛い季節だ。
特例として、朝礼では一人だけ列から離れて木陰に入らされるほどに。
今日は学期末テストの結果が張り出され、朝礼後の教室は悲喜交々を見られる。
そんなお祭りめいた空気の教室に、黒川さんがやってきた。
隣のクラスの黒川さんが。
来訪者に集まる教室の注目を意に介さず、黒川さんはてくてくと歩いてくる。
僕の方へ。
何でだよ。
「会長」
いつものように落ち着いた声で、僕を呼ぶ。
もしかしたら僕以外の誰かへの用事かも、と淡く希望していたのだけれど。
今まで談笑していた友人が一歩、僕から離れる。
対応するように黒川さんが一歩、僕へと近づく。
人形のように澄んだ目で僕をまっすぐ見つめてくる。
「何か用かな?」
「私に、勉強を教えて欲しいのだけど」
そんな事があったのが、だいたい一週間前。
終業式が終わって夏休みに入って、僕は黒川さんと一緒に市立図書館に居た。
無論、お勉強をするために。
「………………」
「会長、此処が解らないわ」
「あぁ、これはこのページのやり方だと難しいから、さっきの問題の応用で……」
午前九時に待ち合わせをして、もうすぐ正午になる。
約三時間、休憩もなしに勉強を続けている。
僕は夏休みの宿題。黒川さんは持参の数学の問題集。
真面目すぎだろ。
いや良い事なんだろうけど。
2
二、三文字ほど書いて、チラリと横を見る。
黒川さんの真剣な横顔。
絹のようになめらかな黒髪と、ガラス細工のように透き通った瞳。
小柄な体躯と相まって、まるで人形みたいだ。
そもそも、何で僕なんだ。
期末テストの結果を見て、自分の成績に思う所があったのだろう。
でもそこで、何故教わる相手が僕だったのか。
生徒会の書記を務める黒川さん。
同じく生徒会長を務めている僕。
接点なんて、それぐらいだけど。
うあー、もう。
「黒川さん、お腹すかない?」
悩んでも仕方ないし、悩まないでおこう。うん。
「お金なら僕が出すけど」
「そんな訳にもいかないでしょう。自分の分は自分で払うわよ」
「いやいや、奢るのは男の甲斐性って聞いたし」
「お金の借りは作りたくない、の、よ?」
「どうかした、黒川さん?」
「いえ、その、ごめんなさい、財布を忘れたみたい」
「………奢るよ」
目線をそらして、バツの悪そうな黒川さん。
財布を忘れるなんて、黒川さんはドジっ子属性だね!
とか思いついたけど口が裂けても言わない。
というか言ったら裂かれる気がする、口を。
場所は近所のファミリーレストラン。
お昼ご飯を食べに来ました。
女の子と二人きりでファミリー(ここ重要)レストランに来るという事はつまりそう
いう関係ってことですかヒャッホゥ!
とか興奮できるほど僕は歪んだ性癖の持ち主じゃない。
3
なので普通にご飯を食べます。
僕はミートソーススパゲティ。
黒川さんは牛丼。
いや牛丼て。わざわざファミレスで食べる人いるのか。なんと目の前にいるぜ。
ファミレスで牛丼を食べる女子。
アリかナシかで言ったら、どうだろう、アリか?
とかなんとか。
食べてる最中そんな戯言を考えていたのは置いといて。
こんな会話があった。
「突然勉強をしようと思ったきっかけとか、聞いても良い?」
「別に突然って訳じゃないわ。これ以上は独力じゃ無理そうだったからよ」
「って事は結構良い高校を目指そうとか考えてる訳だ」
「そうなるわね」
「へぇ、頑張って」
「えぇ、頑張るわ」
それから黒川さんと一緒に図書館に戻って。
閉館する午後六時までずっと机に向かっていた。
人間が続けて集中できる限界は三十分だと聞いたことがある。
だけど黒川さんはその間、僕が見ている限りではずっと集中していた。
よっぽど志望校に受かりたいのだろう。
そういう一途で、努力が出来る人間は嫌いじゃない。
「流石に、ちょっと、疲れたわね」
ちょっとなんだ。
黒川さんが手首を揉みながら言う。
昼以外に休憩らしい休憩も挟まず、大体八時間ほど。
いきなりそんなに手首を駆使すると痛めるんじゃないか。
「六時だと、まだそんなに日は沈んでないのね」
例えば、漫画なら夕日に目を細める姿にドキッとするのが定石なんだけど。
僕に限ってそんな事は無かった。何故なら見逃したから。うわーい、ダサっ。
4
「黒川さんが目指す高校って、何処?」
図書館の前で別れ際、そんな事を聞いた。
別れの挨拶をするつもりが、無意識に口から洩れた。
黒川さんは一瞬不意を突かれた表情になって。
それから多分答えようかどうか迷う表情を見せてから、質問に答えてくれた。
「会長と同じ高校よ」
「え?」
「だから、会長と同じで――――別府先輩が行った高校よ」
先週教えて貰った黒川さんの成績を思い出す。
「それは、結構、ギリギリだよね」
「そうね」
黒川さんは拗ねたような顔になって。
「だから、勉強を教えて貰っているんでしょう?」
「あー、うん、その通りだ」
「まぁいいわ。また今度もよろしく」
「うん、またね」
「えぇ、また」
お互いにそう言って、反対方向に歩きだした。
少しだけ歩いて振り向くと、黒川さんの背中はもう見えなくなっていた。
そして周りにも人影はなくて。
「…………あはっ」
そこまで確認してようやく、こみ上げてきた笑いを表に出した。
「あっははははははっ!」
やー、もう、本当に自意識過剰にも程があるんだけどさぁ。
心の何処かで少しだけさぁ。
黒川さんがもしかして、僕の事好きだったりするんじゃないかとか、考えちゃった。
『―――別府先輩が行った高校よ』
なるほどね、別府先輩ね。だから僕だった訳か。
成績が上位で、別府先輩と一緒の高校を目指そうとしてるのが、僕だったんだろう。
合理的だ。分かりやす過ぎて涙が出てくる。いや、泣いてなんかないよ。
5
別に泣いてなんかないけれど、今日は上を向いて帰る事にした。
別に涙がこぼれるとかじゃなくて、たまに空を見たい日があるって理由だからね。
あー、本当、夏は辛い季節だなぁ。
貧血とは関係ない気がするけどー。
という、夢を見た。
いや、別に黒川と勉強したのが夢だとか、そういう切なくて痛い話じゃなくて。
高校一年生、去年に実際あった事を夢で見た、という話。
今年も夏休みに入ったから思い出したんだろう。多分。
結局黒川は夏休みを殆ど勉強に費やして、危なげなく合格した。
最後の方になると問題集もやり尽くして、僕が自作で問題集とかを作ったりしてた。
今年はまぁ受験もないし、去年ほど勉強しなくても良いと思う。
なのに、
「僕はどうして、朝からずっと勉強をしているのだろう……?」
そんな呟きをしてみた。
流行りのツイッターという奴。
ただの独り言、あるいは愚痴ともいう。
流行ってようがなんだろうが、パソコンどころか実は携帯電話すら持っていないこの
僕が、鳥のさえずりを語源としたサービスを利用する事は出来っこないけど。
ちなみに妹は持っている。パソコンも携帯電話も。
お年玉や約二年分のお小遣いを貯金して購入していた。
凄まじい執念。むしろ信念。
「その言い方は、私を遠回しに責めているのかしら?」
横から黒川の声が来た。
不機嫌そうにも聞こえるし、いつも通りにも聞こえる。
別に普段から不機嫌そうだとか言うつもりはないよ。
市立図書館なう。
勉強中なう。
「別に責めてるつもりはないけどさ」
6
夏休み直前の教室で、去年と似たような事が起きた。
今度は黒川が一緒のクラスだったから、それほど注目は集まらなかったけど。
「っていうか、黒川も運というか、間が悪いよね」
「何の話よ」
「別府先輩を追ってこの高校に来たのに、別府先輩に彼女が出来てるなんてさ」
「……………」
あ、沈黙だ。やっぱり失恋関係の話題は時間が経っても地雷か。
まぁまだ数カ月しか経ってないしな。僕が無神経だったか。
「………あぁ、そう言う設定だったわね」
「え、設定って言った? 何、嘘なの?」
「そんなことないわよー」
「凄い棒読みだ……! よし、黒川がその気ならこっちにも考えがあるからな」
「へぇ、聞かせて貰おうかしら?」
「本当の事を言わない場合、この公衆の面前で、黒川と手を繋ぐ……!」
「な、なんて破廉恥な……人の心が無いというの……!?」
悪い笑い方をする僕。戦慄する黒川。
うん、図書館では静かにしようか。
「中学校の頃の僕は、君の事を深窓の令嬢みたいだと思ってたんだけど」
「奇遇ね。私も貴方は中学校の頃の方が優しいと思ってたわ」
そこで会話を打ち切って、お互いに勉強に戻る。
黒川が英語で、僕が世界史。
ノートにシャープペンを走らせながら、横目で黒川を見る。
相変わらず真剣で―――綺麗な横顔。
それを見ると、こんな時間も悪くないなぁ、とか。
別府先輩に見込みないなら、僕にもチャンスはあったりするのかなぁ、とか。
べ、別に思ってたりなんかしないんだからね!勘違いしないでよね!
………いや、本当に。
~続(かない)~
最終更新:2011年07月11日 01:43