『ツンデレさんと出会う前の話』
1
八月の最終日、夏休みの終わりの日。
大きな音を聞いて眼が覚めた。
花火だ。
そう気付く頃には音の残響は静寂に溶けて消えていた。
天井から壁の時計へと視線を移す。
午前六時。
かちこちと秒針が動く音以外は何も聞こえない。
きっと外は晴れだろう。
さっきの花火は、祭の決行を知らせる合図の筈。
今日は祭りがある。
この夏を締めくくる意味合いを持った、大きな花火大会だ。
去年は参加しなかった。
今年は参加するつもりだ。
黒川を誘ったら、許可が貰えた。
黒川とお祭り。一緒に浴衣姿で。
行くしかないじゃないか。
約束の時間は午後六時。
あと十二時間後。
まだまだ時間はあるので。
「だから、二度寝してもいいよね」
………ぐう。
「おーい、起きろいっちょんー………さっさと起きやがれこの委員長野郎ー」
脇腹に蹴りが入った。
刺さったと言っても良い。
それぐらい容赦のない蹴りだった。
僕の身体だけでは威力を殺しきれずに、そのまま椅子ごと地面へと吸い込まれる。
受身も取れずに五体投地した。
しかし貧血持ちにはいつもの事なので今更気にしない。
2
「………なるほど、夢オチだったのか」
「相変わらず寝起きのいっちょんは素敵発言の宝庫だね」
「ほっほっほ、そうじゃろう」
「わー、激レアのじじいっちょんだー」
さっきから僕、口が独立宣言してるな。
だって寝起きだから。
「で、そろそろ起き上がったらと思う訳だけど、どうでしょう」
「うーむ」
「あれ、そこで渋っちゃうんスか」
「水平から垂直に視点を変えることで隠された真実を見つけられてね」
「おやおや、それで何か新しい世界は開けましたですか」
「肝心の観察対象が短パン装備だから、うん、良くて四十五点」
「私のパンツかよ!」
一歩後ずさってスカートを押さえながら頬を染める。
女子っぽい動作だったけれど、余計なのは僕の顔に蹴りを入れた事だ。
靴底で容赦なく。
蹴りというか踏みだ。
後頭部が悲鳴を上げた。僕もカエルの様に悲鳴を上げた。
「ふー、寝起きいっちょんはエロいっちょんだよ」
「エロ? それは違うぞ全然違う。僕はただの行動的な思春期なんだ」
「全国の思春期に謝りなさい」
「はい、ごめんなさい」
会話が一段落したから、そろそろ起き上がるか。
いい加減、埃とか気になってきたし。
「じゃ、帰ろっか」
「おぉー………おー?」
「ほらほら、早く荷物持っちゃって」
「うぉー」
流川が僕を急かす。
なので、浮かんだ疑問を口にする事が出来なかった。
3
流川とは家の方向が一緒だった。
だから、今日みたいに一緒に登下校する事が結構あった。
「うひゃー、さっむいねー」
校門を出た辺りで流川が言った。
タイミング良く風が吹いて、流川がその細い体を震わせる。
「もう二月だって言うのに、空気が読めてないよ風の癖に!」
「まぁまぁ、風も気温とかに板挟みにされて辛いんでしょうよ」
「いっちょんは何で風の味方してるんかな?」
暑いより寒い方が体調が良いんだよ僕は。
代わりに朝の起き辛さは二倍だけど。当社比。もとい当者比。
「そういや、僕が高校生で夏休み最終日を迎える夢見てた」
「なにその夢の無い夢。いっちょんのリアリストめ!」
「違う、僕はピアニストだ」
「ピアノ弾けない癖に!」
「まぁ確かに」
寒さを気にしない為にお互い必死で雑談を続ける。
いやぁ、流石に寒いもんは寒いですよあっはっは。
「で、」
しばらく雑談を続けて。
会話の種が無くなった頃、教室で聞けなかった事を聞いてみる。
「なーんで彼氏とじゃなくて僕と一緒に帰ってるのかな?」
「あー、やっぱ聞いてきますかー」
まいっちゃうぜ、とか呟く流川。
表情が困ったような笑顔な所を見ると、この質問は予想していたのだろう。
「私、彼氏と喧嘩しましたー」
「奥さん、別れちゃいなよ」
「みのいっちょんのそのアドバイスは聞けねぇっすー」
「すっすか」
「すっすっすー」
気に入ったのか、歌うように語尾を繰り返し始める。
4
一年の時に知り合って、流川と僕は良く一緒に登下校していた。
しかし、それも流川に彼氏が出来るまでだ。
それからは、いつの間にか一緒に帰る事は無くなった。
当たり前と言えば当たり前。
彼氏以外と二人きりで登下校なんて、余計な誤解を招くから。
「大した事じゃないんだけど、どうにも意見がぶつかっちゃった訳で」
「で、音楽性の違いで解散ですか」
「解散なんてしませんよーだ。ほら、あの人、真面目だから」
「この場合、真面目ってのは融通利かないの隠語で良いのかな?」
「まぁそんな真面目な所も素敵だったりするんですがー」
ノロケかよ。
彼女いない歴年齢の僕を相手にノロケかよ。
石投げるぞ。
「でもねー」
そこで、流川の表情が変わる。
活発的な明るい笑顔から、悲しみを訴えるような儚い笑みに。
「やっぱり私、いっちょんと話してる方が楽しんだよね」
「…………」
僕が。
その言葉に対して何も感じなかったと言えば、嘘になるけど。
それが感情として形になる前にぐしゃぐしゃに混ぜて切り捨てる。
「僕達は真面目な話はしないからね。だから、楽なんだろ」
「これは結構、真面目な話じゃないかな?」
「ラブコメとギャグ漫画はどっちが楽しく読めるか、っていうレベルの話だよ」
「そうっすかー」
「そうっす」
「すっすっすっすー」
それからお互い「すっすっすー」と言いあってると、交差点に着いた。
僕の家は直進、流川は右折。
「うーん、やっぱ私が謝るしかないっすねー」
5
別れ際にそう言った流川の笑顔は、いつも通りの明るく活発な物だった。
少なくとも、僕にはそう見えた。
本当は流川がどんな気持ちなのか、僕にはわからないけど。
流川渚。
るかわなぎさ。
茶髪。ポニーテイル。勉強より運動が得意。活発な笑顔を標準装備。
本人曰く、チャームポイントは太股。胸は平均より少し上と自称。
僕にいっちょんというニックネームを定着させようとする。
由来は僕が委員長だから。安易。
中一の始業式で話す機会があって、妙に会話が合って意気投合。
中二の二学期でサッカー部の彼氏が出来て、微妙に疎遠になる。
いつの間にか仲良くなって、いつの間にか話さなくなったクラスメイト。
女子相手の中では一番仲が良い。
でも、これ以上親密になりたいかと問われれば。
多分、僕の答えは。
…………なーんて思わせぶりな事を、土の上に倒れながら考えてみた。
殴られた頬が鈍く痛む。
昼休み、人目につかない校舎裏。
呼び出されてのこのこ来てみれば、いきなり拳をくらった。
僕はもっと色々と危機感を持つべきだと思う。
バカなんじゃなかろうか。
「…………僕は地面に倒れる事には結構慣れてるけどさぁ」
青空に向かって溜息を一つ吐いて、一人ごちる。
「だからって、別に痛みにも慣れてる訳じゃないんだよね」
呟きながら上半身を起こすと、僕を殴った相手はもう居なかった。
「渚にもう近付くな、ねぇ」
殴る前にそう言われた。
相手は流川の彼氏のサッカー部。
言いたい事だけ言って僕を殴って去っていった。
6
通り魔みたいだな。
呼び出されといて通り魔も何もないけど。
殴られた理由は大体察しが付く。
昨日流川と帰ってるのを誰かに見られたんだろう。
そして彼氏である彼の耳に入った訳だ。
悪い虫を払う為に拳を固めてやってくる熱血ぶりは少しだけ羨ましい気もする。
流川は俺が守るってか。お前はどこの主人公だよ。
そんな物語は当人だけで周りを巻き込まずにやっててくれ。
僕は脇役で十分だから。
「おー、痛い。口の中血の味がするんだけど」
殴られた頬が段々熱くなっている。
もしかしたら腫れているかも、と触れて確かめてみると激痛が走った。
涙が出る。
「これって問題行為だよなぁ……僕が先生に報告するとか考えてないのか」
愛の為なら周りが見えなくなる熱血漢。
ホント、何年前の漫画の主人公なんだよ、アイツは。
生まれる時代間違えたんじゃないのか。
「あ、何かだんだん痛くなってきた」
頬がじわじわと殴られた痛みを伝えてくる。
口の内側も切っているようだ。
とっとと保健室に行こう。
「ねぇ」
頭上から声がかけられた。
女の声だ。
「痛そうね、それ」
二階の窓からこちらを見下ろしている。
唇の端を少しだけ上げた表情が様になっていて、深窓の令嬢という言葉を連想する。
「もしかして、ずっと見てたのかな?」
「修羅場か決闘が見れるかと思ったのに、一方的に殴られてて興ざめだったわ」
「……ああそう」
7
決闘て。そんな発想は出てこないだろ今時。
「手、出して」
「はい?」
「ちゃんと受け取りなさいよ?」
何かを落としてきた。
桃色の何かをキャッチする。
少し湿らせたハンカチだった。
「頬、凄い事になってるわよ。それで冷やして、早く保健室に行きなさい」
「えーと………ありがとう?」
「別に良いわよ。ハンカチ、機会があれば返してくれればいいから」
それじゃ、と軽く言い残して校舎の中に姿を消す。
………あれがクールアンドビューティ、なのか?
女子なのに僕の知ってる中では一番カッコイイな、あの子。
上品な猫の様だ。
にゃんこさんと呼ばせて頂こう。
「いっちょん、その顔どうしたの?」
「殴り合いで本当に友情は芽生えるか試そうとしたら一方的に殴られたんだよ」
「ほほう、いっちょんってば男の子だねぇ」
放課後。
彼氏に釘を刺されたばかりだと言うのに、流川と一緒に帰っていた。
「………いや、だから、彼氏と帰れって」
「まだ喧嘩中です」
「謝るんじゃなかったのか」
「や、何か知らないけど今日一日中不機嫌で。話すチャンスが無かったんだぜ」
それは恐らく、昨日の事を知ってむしゃくしゃしてたんだろうよ。
なんて事は言わないけど。
右の頬をガーゼで覆われてるので、少し話しにくい。
そういえば流川が怪我をしてる様子は見受けられない。
流川も殴られるんじゃないかと半ば本気で心配していたので、一応安心。
8
「あ、そだそだいっちょん」
「何かな」
「来週ってば終業式なんですよねー」
「あー、そういえばそうだっけ」
「うん、でね、重要なお知らせがあります」
流川が足を止める。
僕も同じように足を止めて流川の顔を見る。
流川は笑っていた。
困っているような、悲しそうな笑顔で。
「私、転校するんだ」
と、冗談めかした口調で言った。
「…………へぇ」
「反応薄いなぁ」
「いや、驚いてるよ。なに、結構遠くへ行くの?」
「そうなっちゃうかな」
「ふぅん………寂しくなるな」
「それ、本当?」
「嘘じゃないね」
「実は、もう一つ言っておきたい事があるんだけど」
「聞こうか」
「実は私ね、」
「貴方の事が、好きでした」
「……………………………」
あぁ、なるほど。
昨日今日と一緒に帰ろうと言いだしたのは、それが言いたかったのか。
最近あまり話してなかったし、おかしいとは思っていたんだけどね。
………ごめん、流川
「僕は、もうお前の事を好きじゃないよ」
9
「………もう、ですか」
「………もう、ですよ」
「うふふふふふ」
「うくくくくく」
僕も流川も、笑顔を浮かべる。
二人で笑いを堪える。
「あーあ、フラれちゃった」
「フっちゃった。今更告白とかされても、ねー」
「ま、予想はしてたけどー。それでもショックなんですが?」
「因みに僕が受け入れてたらどうするつもりだったんだよ」
「……しゅらーば?」
「それ、僕が殴られる展開だよなどう考えても」
「あっはっはー」
「笑い事じゃないし」
流川がいつも通りの笑顔を浮かべ、歩き出す。
それに一歩遅れて僕もついていく。
だからもう表情は見えなくなったけど。
多分、泣きはしないと思う。
「やっほー、いっちょーん、私の事愛してるー?」
週も変わって終業式の日。
午前中で日程が終わり、教室の戸締りをしている時に話しかけられた。
妙にテンションが高い。
素直にウザイと思った。
「………頭、大丈夫?」
「うん、大丈夫過ぎる」
「何か用?」
「この後私のお別れ会だから、いっちょんと話すのは今しかないんだよね」
ぐ、とか言いながら親指を立ててくる。
10
「電話使え電話」
「だっていっちょん携帯電話とか持ってないしさ」
「そうだけどね」
高校になったら持つつもりなんだよ。気が向けば。
「で、もう会えないかもしれないし、最後に聞きたかったんだけど」
「私がもっと早く告白してたら、付き合ってくれてたのかな?」
「まあね。お前に彼氏がいても、勝負を挑むぐらいはしただろうね」
「お、即答だ。カッコイイー」
「実は僕、お前の事が好きだったんだぜ?」
「過去形っすか」
「過去形っす」
「すっすっすか」
「すっすっすっすよ」
「よーするに私達、タイミングを逃しちゃったわけなんだね」
「そうなるなぁ」
あーあ、と流川が溜息をつく。
「ま、例の彼氏との遠距離恋愛、頑張ってくれ」
「いっちょんも来年から彼女作り頑張れー」
「余計なお世話すぎる」
お互い、そう言いあって笑う。
そして最後にとびっきりの笑顔で笑って、僕にばいばいと手を振った。
僕はいつも通り、挨拶を返した。
流川が廊下を歩く姿を、見えなくなるまで見送った。
「さよなら、流川」
もう会えないであろう流川に対して、最後の挨拶を呟く。
目に何かが込み上げてきた。
ポケットにあったハンカチで目を押さえる。
桃色のハンカチ。
11
そういえば、にゃんこさんに返すのを忘れていたな。
春休みが明けたら返すとしよう。
僕はにゃんこさんの名前もクラスも知らないけど。
きっと来年の始業式で見つけられるだろう。
結構可愛かったし。
まぁ、始業式どころか。
来年はにゃんこさんと同じクラスになって、色々と接点が出来るのだけど。
この頃の僕はそんな事は考えもしなかった、ってまぁ、当たり前か。
高校一年生。八月終日。午前九時。
「……………ハンカチ、返さなきゃな」
机の引出しにしまっていたハンカチを取り出す。
中学校の頃に黒川から借りた、桃色のハンカチ。
未だに返してなかった。
というか忘れていた。
夢を見なければまだ忘れていただろう。
「良い機会だし、これも返しとこう」
忘れない様に机の上、財布と一緒に置く。
今日は、黒川と一緒にお祭りに行く予定だ。
その時に、色々と決着をつける事にしよう。
流川の時の二の舞にならない様に。
タイミングを逃して失敗してしまわない様に。
約束の時間は午後六時。
あと九時間後。
今夜、黒川に好きだと告白しよう。
~続(かない)~
最終更新:2011年07月11日 01:46