『ツンデレさんと夏祭りに行きたい話』


 八月の三十一日、夏休みの最後の日も正午を過ぎて。
 夏休みの宿題は終わらせてやる事も無いので、本屋で立ち読みして暇潰し。
 中途半端に時間が余るのが一番困るのよね。えぇ、まったく。
 興味がある訳ではないから、ただ紙を捲るだけの作業になってるわね。
 別に『一か月で驚きの効果!もう貧しいだなんて言わせない!~豊胸体操特集~』だ
なんて記事に興味があった訳ではないのよ。えぇ、まったく。
 でもそうね、紙を捲るだけと言うのも飽きてきたし、そろそろちゃんと内容を読む事
にしても良いかもしれないわね。
 断じてこんなくだらない記事を信じる訳じゃないけれど。
 そもそもそんな確実に効果があるなら、胸で悩む人なんて居なくなるわよ。
 は? だから私は違うと言ってるでしょう? 刺されたいの?
 ………良く分からない電波を受信してしまってたみたいね、私とした事が。
「………あら」
 夏休み特別、浴衣特集。
 そんな記事が目に付いたわ。
 浴衣の着付けを写真入りで中々丁寧に解説してるのは良いとして、思いっきり下着が
写ってるわね。
 少女漫画とか女性向け雑誌って、こういう所は無頓着よね。
 男が読む事とか想定してないのかしら。
 想定する必要が無いからこその女性向けなのでしょうけれど。
 そう言えば下着のコマーシャルとかも問題よね。
 堂々と下着姿の女性がテレビに映ってるのに、誰も抗議する様子が無いもの。
 私が知らないだけでクレームの嵐だったりするのかしら。
 気になると言えば気になるわね。
 調べようとは思わないけど。
 着付けの説明を終えた後は、浴衣に合う小物などを紹介していた。
 髪飾りや巾着ぐらいだと思ってたけど、ふうん、結構あるのね。
 多分私が使う事は無いんでしょうけど。
 だいたいそんなキャラじゃないもの。
 でもまぁ、かんざしとかなら良いかもしれないわね。






 着こなし方について長々と説明があった後に、赤枠で重要そうに囲んで一行。
『浴衣を着るときは線が出ない様に、下着はつけないようにしましょう』
 …………バカじゃないかしら?
 バカじゃないかしら!?
 誰がそんな成人向け漫画みたいな事をするというのよ。
 本気にしたらどうするのよ、これ。
 ………でも、そうね。
 もしこの行為が一線を越えると決めた「覚悟」を表すのだとしたら。
 夏祭りの最後。
 花火を背景に男と女が二人きり。ふと隣を見れば相手も同じようにこちらを見てて
目が合う。染めた頬は花火の色でごまかして、二人の距離は縮まってついにはゼロに。
ゼロからさらに一歩を踏み出す為に男のその腕は女の浴衣の中に……キャー!
「……………………」
 うん、慣れない事はするもんじゃないわね。
 激しい違和感と自己嫌悪で吐き気が酷いわ。
 わー、しーにーたーいー。
 ぶんぶんぶん、と頭を抱えて振りまわしたくなる衝動を堪える。此処は公共の場よ。
 それに、私は今死ぬわけにもいかないのよ。
 約束があるもの。
 新しい浴衣を着て、彼と夏祭りに行く。
 そんな約束が。
 言っておくけれど、決してデートではないわ。
 …………そういえば、申し遅れたわね。
 私は黒川。皆のアイドル黒川さんよ。なんちゃって。
 とか、一度は言ってみたい台詞よね。


 祭囃子が聞こえてくる。
 なんて恰好つけてみたけれど、正直私祭囃子が何なのかいまだに分かって無いわ。
 中学校に上がる前までは祭林という地名だと思っていたもの。






 雑誌を適当に立ち読みしてから、家で着替えて外出準備。
 なので今の私は浴衣姿。
 赤色に花柄の、先日購入した物を着ている。
「くっ、この……うぅ」
 そして鏡の前でかんざしを付けるのに四苦八苦していた。
 桃色の花を模したかんざし。
 最近髪の長さも戻ってきたから、大丈夫だと思ったのだけど。
 どうにもうまく行かない。
 諦めていつものようにポニーテールにしても良いけど、それも悔しい。
 彼はあの髪型が好きらしいけど。
 それって、中学の時の流川さんの影響なのよね。
 今日ぐらいは私らしく行きたいじゃない。
 別に、彼の為って訳じゃないけれど。
「ん、よし」
 何とか髪の形が整う。
 鏡で見ても違和感が無いぐらいには仕上がった。
 時計を見ると五時を過ぎた所。
 少し早いけれど、遅刻するよりはマシでしょう。
 財布の入った巾着袋を持って、玄関で浴衣に合わせて下駄を履く。
 最後に玄関に置いてある小さな鏡で髪型を確認して。
「いってきます」
 待ち合わせ場所に向かう事にした。


 夏祭りと言ってもそんなに大きなものではなくて。
 少し高い丘の上にある神社が中心となって、その麓に夜店が並ぶ。
 神社には簡単なステージが建てられ、何かイベントがあったり高校生バンドがライブ
をしたりする。
 そして最後は花火で終了を迎える。
 大体毎年八月の最後に開催され、お祭りと一緒に夏休みも終了する。





 それでもお祭りには変わりないし、色々な夜店が出るから結構多くの人が集まる。
 勿論、夏休み最後の思い出作りとして恋人たちにも人気だったりする。
 私には関係無い話だけれど。えぇ、まったく。
「……黒川、道行くカップルに殺視線を送るのはやめようぜ」
「殺視線て何よ人聞きの悪いわね」
「視線で人を殺せそうだったから。熱視線から応用した」
 お祭りの場所から少し離れた公園のベンチ。
 待ち合わせ場所には既に彼の姿があった。
 ………まだ三十分前なのにどうして居るのかしら?
「いつから来たのよここに」
「朝の六時にー」
「バカじゃないの?」
「……起きたから時間を持て余して、って言おうとしたんだけどね」
 ははは、と小さく笑って立ち上がる。
 彼の服装は夏祭りに合わせて浴衣姿。
 模様の入っていない藍染のシンプルな物で、着こなしも妙にサマになっていた。
 流石は和菓子屋の息子、と言うべきなのかしら。
 私は浴衣の善し悪しに詳しい訳ではないけど、高級な物なのは分かるわ。
「今日は髪型が違うね」
「えぇ。貴方にしてみれば残念だったかしら?」
「うん? 可愛いと思うよ?」
「…………………」
「あ、照れてる?」
「は? そんな訳ないでしょう、バカな事を言わないで頂戴。貴方に何を言われたって
私が動じる筈が無いわ。私にとって貴方なんて路傍の石みたいなものよ」
「もし照れ隠しだとしても心が痛いんですがね」
「まったく、お詫びとしてわたあめを奢らせてあげても良いわよ」
「うわぁ女王様発言だ。でもわたあめって所が可愛さを演出してるねぇ」
「じゃあカタヌキでいいわ」
「地味くない? ………ま、とりあえず行こうか」






 彼が手を差し伸べてきたので快く無視して先へ進む。
 離れていると言ってもすぐそばなので、数分もしない内に提灯の光に包まれる。
 同時に人の数も一気に増す。
 まさしく人込みにして人の波で、普段この町のどこにいるのかと不思議なくらいの人
が集まっている。
 浴衣と私服の人の割合は半々ぐらいかしら。
 見た限り女性が浴衣で男性が私服なのが多いようね。
「とりあえずなんか食べる? 奢るよ」
「バカにしないで、自分の分ぐらい自分で払うわ」
 手に持っていた巾着を掲げる。
 ちなみに財布の中身は千円札が二枚、百円玉が三枚。
 お祭りの軍資金としては心許かもしれないけれど、アルバイトもしてない高校生なら
妥当な所よね。
 お祭り行くからお小遣いちょーだい、だなんて言える年齢は過ぎたのよ。
「まぁまぁ」
 彼が私の腕を押し下げる。ちょっと、何するのよ。
「折角だし此処は僕に恰好つけさせてくれ」
「そう言う訳にもいかないわよ」
 巾着を持ちあげる。押し戻される。両手を使う。両手で押さえられる。
 人込みの中で地味な攻防が始まる。
「大体貴方、お金は持ってるんでしょうね」
「諭吉さんが二人ほど」
「死になさい!」
 何よそのブルジョワ発言は!
 貴方本当に高校生な訳!?
「………なんか、今までで一番憎しみのこもった言葉だったなぁ」
「当たり前でしょう、何よその桁違いの金額は」
「いや、趣味が無いと普段お金使う機会無くって」
 そんな事を呟いた。
 なんだか悲しい事を平然と言ったわね。




 そう言えば彼の妹はお小遣いを貯めてパソコンや携帯電話を買ったとか言ってたわね。
 だとすれば同じ金額を貯め続けた彼の貯金も大変な事になってる筈よね。
 あ、なんだか殺意が沸いてきたわ。
「……拳を握りしめるのはやめようぜ黒川さんよぉ」
「携帯電話を買いなさいよ」
「は?」
「そんなにお金があるんなら、まず携帯電話を買いなさい」
「携帯電話ってそんなに欲しい訳じゃないんだよね」
「何でよ」
「身体弱いから外出あんまりしないし、電話かけるほどの友達とかいないし」
 ………悲しい事を言い出したわね。
 彼に友達がいない筈は無いけれど、外出は難しいのは確かよね。
 それでも全く居ないとか出来ないと言う訳でもないでしょうに。
 家の電話で充分、とか思ってるんでしょうねどうせ。
「良いから買いなさい」
「でも使わないしなぁ」
「…………私がメールしてあげるから」
「マジで!?黒川が毎日エロ写メ送ってくれるの!?」
「このバカ!」
 彼の腹を殴る。
 今の私、珍しく優しくしてあげたというのに。
 この時々炸裂する空気の読めなさっぷりはなんなのかしら。
「よし、テンションあがってきた。チョコバナナを奢ってあげよう」
「なんで一択なのよ」
「エロイから!」
 完璧に迷いの無い瞳と答えね。甘栗の機械に頭突っ込んであげようかしら。
「おいおい、僕の顔が甘くなってしまうじゃないか」
「人のモノローグを読まないで頂戴」
「黒川の事はなんでもお見通しさ!」
「あ、ごめんなさいもう黙って。そして死んで?」





「あ、リンゴあめ買おう。黒川も居る?」
「えぇ、美味しそうねあのたこ焼き」
「かみ合わない会話怖い。すいませーん、リンゴあめ二つください」
「私はそっちの一番大きい奴で」
「ちゃっかり選ぶんだ」
「私は何事も大きい物が好きなのよ」
「へぇ、そうなんだ(笑)」
「えぇ、そうなのよ(怒)」
「おかしいな、何も言ってないのに蹴られた」
「良くも目線下げたわね?」
「別に胸の事は考えてないって……黒川、痛いから脛を蹴るのをやめるんだ」
「御免なさい、蹴りやすい所にあったからつい」
「その溢れる情熱はあそこに見える射的にぶつけようぜ」
「まぁ、射的なんて久しぶりね」
「さぁリンゴあめを預かろう。どっちが黒川のかわからなくなるかもしれないが」
「大丈夫よ、もう食べたもの」
「早くね!?」
「ところであの景品のぬいぐるみは素敵ね、とてもキュートだわ」
「クマさんのぬいぐるみだね。なんか禍々しい包丁持ってますが」
「アンバランスさがキュートだわ」
「そのセンスはどうだろう!?」
「勿論私の為に取ってくれるのよね?」
「マジすか」
「大丈夫、お金ならいくらでもあるわ」
「僕の金なんですが」
「えぇ、だから私の懐は痛まないわね」
「悪魔ですね黒川さん。名前の通り黒ですね」
「もし取れたら一つ命令を聞かせてあげるわ」
「黒川さん黒川さん、実は僕って別にマゾじゃねぇんです」
「知ってるわよ」







 そんなやり取りを経て私の手にはクマのぬいぐるみが。
 なんでもやってみるものね。十五回目の挑戦で取れたわ。
 最後なんて店のおじさんが「頑張れ!頑張れ!」って応援してくれたもの。
 正直五回目ぐらいから申し訳ない気持ちになってたのだけど、彼がお金を使える事を
楽しんでたようだから止めるに止められなかったわ。
 将来ギャンブルで身を崩すんじゃないかしら。不安ね。
「女の子がぬいぐるみを抱く、という姿が見れただけで僕の努力は報われた」
「私のキャラじゃないわね、正直」
「そうでもないよ黒川。自分に自信を持って」
「全然嬉しくない慰めをありがとう」
 しかし恐るべきはお祭りの魔力ね。
 彼のこんなテンション高い姿、実は初めて見たかもしれないわ。
 貧血で倒れて迷惑をかけるかもしれないから外出するだけで気を使う、なんて考えて
みれば結構重い話よね。
 去年はお祭りに行かなかったと言ってたし。
 実は小学生並みにお祭りを楽しんでいたりするのかしら。
 金魚掬いで取った金魚(黒)を嬉しそうに眺めている姿を見て、そう思った。
 と、その時。
 人込みの中に見慣れた顔を見つけた。
 私にとっては見慣れた、なんて言葉で片付けられる物じゃない。
 別府先輩と、椎水先輩。
 二人が一緒に居た。
 当たり前だ。あの二人は恋人同士で、この町に住んでいるのだから。
 このお祭りの場に居ないと思う方がおかしい。
 二人とも浴衣姿で、とても楽しそうな笑顔を浮かべて。
 それは学校で見せる仲の良さじゃなく、もっとプライベートの親密さ。
「――――――あ、」
 まずい。
 まずいまずいまずいまずいまずいまずい。
 この気持ちは、まずい。






 突然顔の奥が熱くなって、込み上げてくる何かを我慢する。
 顔を誰にも見られたくなくて俯く。
 うずくまって頭をかきむしりたくなるのを必死で抑える。
「黒川」
 爪が刺さるほど握りしめた拳を、誰かの手が優しく包み込んだ。
 反射的に顔を上げると、彼と目があった。
 いつものように、静かな微笑み。
「ちょっと休もうか。僕、少し疲れちゃったからさ」
 子供をあやすような温かい声で言う。
 そのまま彼に手を引かれるがままに人込みを移動する。
 別府先輩達が居たのとは逆の方向へ。
 まだ油断すると溢れてしまう何かを我慢して、俯いたまま彼の後についていく。
 それでも不思議と誰にもぶつからなかったし。
 少し強く引かれる腕を痛いとも思わなかった。

「やー、ちょっとはしゃぎすぎたかな」
 そう言って彼はベンチに座る。
 店が出ていない通りにあるベンチで、周りには人の姿は無い。
 私もベンチに座って、抱いていたぬいぐるみに顔をうずめた。
 無意識に噛んでいた唇が痛い。血が出ているのかもしれない。
「お、こっちは風があって涼しいね。そろそろ夏も終わりかなぁ」
 彼がそんな事を言うけど、返事をする余裕はない。
 多分彼も期待はしてないだろう。
「結構時間経ってるね。もうすぐ花火かな?」
 私は彼に気を遣われていて、その事実がなんだか情けない。
 あー。
 結構吹っ切れたと、思ってたんだけど。
 中学の時に別府先輩を好きになって、でも行動する勇気が無くて。
 死ぬほど勉強して一緒の高校に行って、先輩に彼女が出来て。
 最近は二人で居るのを見ても、それほど気にしないようになってきてたのに。




10
 でも、プライベートで好きあってるを見るのは、辛かった。
 結局、私は心の何処かで期待してたのかもしれない。
 いつか先輩たちが別れるんじゃないかという黒い期待。
 そんな自分の汚さに嫌気が刺すし。
 だからこそ本当にお互いを好きだと確信できる二人の姿は、辛かった。
 例え別府先輩が椎水先輩と付き合ってなかったとしても。
 こんな汚い私に、振りむいてくれる筈も無いのに――!
「ねぇ、黒川」
 彼に呼びかけられた時、私はいつの間にか泣いていた。
 何処かで我慢しきれなくなったのだろう。
 彼は私の反応を待たずに、言葉を続ける。
「僕はね、キミの事を凄いと思ってるんだ」
 意外な言葉だった。
 彼の言った内容と、それを彼が言ったという事の両方が。
「キミと同じように別府先輩に憧れて、同じ進路を取ろうとする人は大勢居た」
 別にその人達を責めるつもりはないけど、と小さく付け足す。
「でもね、精一杯努力して、別府先輩と一緒の高校に行けたのは黒川、キミだけだ」
「………それは、貴方もでしょう?」
「僕? 僕は違うよ」
 僕はもっと小さい人間だ、と自嘲気味に漏らす。
 それは彼に似合わない、心の底からの自嘲だったように聞こえた。
「僕は別府先輩に憧れなんかじゃなくて、そうだな、敵愾心を抱いていたんだよ」
「………敵愾心?」
「知っての通り僕は運動に向かない。準備運動で既に気分が悪くなる程の虚弱体質だ」
 だから。
「だから、勉強では絶対に負けたくなかった。それは勿論、別府先輩にもね」
 それは初めて聞く言葉だった。
 私にとっての彼のイメージは、いつも漂々としてるクラスメイトで。
 私とは違う目線で物事を見る特別な人間だと思っていた。
 だけど、目の前の彼は、私と一緒の人間に見えた。





11
「僕にとって、一途に努力し続ける黒川はとても輝いて見えたよ」
「………私は、そんな立派な人間じゃないわ」
「そうかもしれない。だけど、そんな所を含めても僕は、」
 彼が私の眼を見た。
 涙や洟で汚れた顔を見られるのは嫌だったけれど。
 それでも目を逸らしてはいけないと思った。
 遠くで花火の上がる音がする。
 それに合わせるかのように、口を開いた。

「僕はキミが好きだ」

「そして、ずっとキミの傍に居たいと思っている」
 ごまかしようも無くまっすぐ、彼が言った。
 破裂した花火の音はとても遠く聞こえて、彼の声ははっきりと耳に届いた。
 花火で照らされた彼の顔はやっぱり静かな笑顔で。
 幻想的なその姿に、目が逸らせない。
「あ……私、は」
「返事は今じゃなくて良いよ」
 何かを言おうと開いた口を、彼に制止される。
 彼がベンチから立ち上がる。
 置いていかれる、という思いが沸いてきて私も立ち上がろうとする。
 しかしその行為は、彼の差し出した右手に止められた。
 そして、私の前に歩いてくる。
「今の僕はね、別府先輩に感謝してるんだ」
 目を閉じて、まるで思い出を懐かしむように彼が言う。
「感謝……?」
「別府先輩のおかげで僕は黒川と知り合えた。別府先輩のおかげで黒川と一緒の高校に
行けた。別府先輩のおかげで黒川と仲良くなれたし、別府先輩のおかげで――黒川の事
を好きになる事が出来たんだ」
 僕はキミの事が好きだ、と。彼はもう一度言った。




12
「今は返事をしなくても良いよ」
 どんどんどん、と花火に照らされながら彼は言う。
「いつか、別府先輩の事を本当に吹っ切れる日が来た時。例えば今日の涙を笑って話せ
る様な日が来た時。もしその時キミの気持が僕に向いてくれるのであれば、その時は」
「僕と、付き合ってください」
 そう言って、右手を差し出してくる。
 まるで握手を求めるように。
「あ………」
 止まりかけた涙が、また出てきた。
 けどそれは多分、さっきまでの涙とは違う物だと思う。
 涙でぐしゃぐしゃの顔を彼に見られたくなくて。
 そして。
 多分とてもとても赤くなっている顔を隠す為に、ぬいぐるみに顔をうずめる。
「わ、私は貴方の事なんか好きでも………嫌いでも、ないけど」
 右手を差し出す。
 彼の握手に応じる為に。
 一度だけ空中ですれ違って、それでもがっしりと手を握りしめてくる。
 もう離さないとでも言うかのように。
 顔をうずめたまま、花火の音でかき消されるような小さな声で、言う。
 ちょっとだけ。
 ちょっとだけ、素直な気持ちを伝える為に。
「こんな、不束者な私でよかったら………」


「………これからもずっと、仲良くしてください」

 夏やお祭りの終わりを告げるように花火は打ちあがるけれど。
 私の彼の関係は今日、新しく始まった。

~終(わらない)~
最終更新:2011年07月11日 01:48