88 名前:1/6[sage] 投稿日:2011/07/11(月) 19:18:31.94 ID:1yexaHvX0 [2/14]
無限に広がる宇宙。古より人々は、夜空に思いを馳せ、様々な物語を紡いできた。
空に浮かぶ無数の星が、只の光る点ではないと気付いたのはいつだったか。
天体だと認識されて意義を見出されたのは、いつからだったか。
そして、そこに我々と違う生物が住むことを夢想しはじめたのは、いつのことなのか。
地球外生命体については、現在に至るまで様々な事件を元に、神話や宗教、考古学、果ては陰謀論を材料に憶
測や伝聞が飛び交っている。
しかし、数多の目撃証言や体験談が寄せられているにも関わらず、そのいずれも確たる物証には欠け、未だ人
類は異星人とのコンタクトは取れていない、とされる。
――ただし、公には。
- Case1.怪しい光------------------------------------------------------------------
「ただいまー」
玄関の奥に声をかけると、ぱたぱたと音がして小柄な影が出てきた。腰ほどまである銀色の長い髪の毛が目を
引く。染めているのではない。その証拠に眉毛もまつげも全てが同じ色だ。それなのに肌は健康的な褐色をして
いて、一見ミスマッチだが、それが不思議と調和の取れた美しさを持っていた。
「……ん」
「ただいま、晃」
妻の晃(あきら)は、殆ど無言で頷くと、台所の方を指差した。つまり、『ご飯が出来てるから、風呂の前に
食べて』のサインである。いつものことなので、俺は銀色の髪を優しく撫でる。
「ありがとな」
「……んぅ」
不満そうなうめき声を上げての睨み付けに笑顔で返すと上着を脱いで台所へ向かう。普段から言葉が少ない晃は、
その分アイコンタクトが得意だ。わずかな視線の動き、まばたきや顔の向きといったことで、自分の意思を的確に
告げてくるから、あまり声での会話は必要としない。さっきの不満げな眼差しも、その奥に嬉しがる色が見えてい
た。
配膳された豚肉の炒め物に、ゴーヤのおひたし、ほうれん草の味噌汁という献立が嬉しい。
89 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/07/11(月) 19:20:36.37 ID:1yexaHvX0 [3/14]
「ゴーヤかぁ、ちょっと沖縄風か?」
「……ん」(不満そうに眉をひそめる)
「はは、まぁ、確かにゴーヤがあれば沖縄ってのも短絡か。まぁ、美味けりゃいいよ」
「…………む」(軽く頷くが、釘をさすような視線)
「はいはい、味わって食べるからさ。いただきます」
「……ん」(軽く頷く)
味噌汁を一口啜ると、ほうれん草の苦味と歯ごたえが楽しい。ゴーヤのおひたしも、添えられた鰹節とごま油の
香りが苦味が程よく合わさっていて、箸休めの一品にも手間をかけているのが解った。
「……ん」(卓上カレンダーの明日の部分を指差す。そこには、俺がふざけて書いたハートマークが踊っている)
「……明日? 解ってるよ、デートだろ」
「むぅ……!」(口を尖らせ、大げさに首を振る)
「いや、デートだろ。買い物という話ではあったけどさ。別にいいじゃん」
「…………は」 (半目になって、渋面を作ると、今度はやれやれと言った感じでゆっくりと首を振る)
「わかったよ。買い物な、ついでに映画とか見にいくだけ、な?」
そういうと、ようやく頷いてくれる。まったく、素直じゃないんだから。仏頂面なのに、その瞳の奥には嬉しそ
うな色が見えていた。
何も知らなければ、俺が一方的にしゃべっているだけのように見えるだろう。だが、晃もちゃんと表情や視線で
反応を返してくれている。コミュニケーションとは、当事者同士の間に合意が出来れば、それでいいのだ。そっけ
ないやり取りも、ビデオにとって他人に見せるわけでもなし、俺にとっては何より楽しいひと時なのである。顔を
赤くしてうつむいてしまった晃を、目で楽しみつつ、俺はほころぶ顔を抑えることができずにいた。
と――ふいに玄関のチャイムが鳴った。
「!!」
同時に晃の髪がざわりと逆立った。比喩ではなく、本当に髪の毛そのものが生きているかのように重力に逆らう。
そして、銀色の髪が、眉毛が、まつげが、あっという間に、コーヒーをこぼした布のように濃い茶色へ染まった。
喜びを示してオレンジ色になっていた瞳も、黒へ変化する。
『偽彩』が終わると、晃は立ち上がって玄関へ向かった。俺も後に続く。
「あらぁ、ごめんねぇ。こんな夜中に。回覧板来てたの忘れててねぇ。あとこれ、田舎から送ってきたから、おす
そ分け。」
隣の瀧本さんちの奥さんだ。晃はシューボックスの上においてある小型の拡声器を手に取った。
90 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/07/11(月) 19:22:59.53 ID:1yexaHvX0 [4/14]
『すみません、いつも、わざわざ』
スピーカーからの少しざらついた声で受け答えしつつ、回覧板を受け取る。おすそ分けの半分にされたスイカは
俺が持った。断面にはラップがかけてあり、ひんやりと冷たい。これなら食後にすぐ食べられるだろう。なかなか
細やかな気配りのできる人で、助かっている。
「いいのよ、気にしないで。それより、お邪魔じゃなかったかしら?」
『いえ、全然……』
「困ったことがあったら、なんでも言ってね。遠慮なんか、要らないんだから」
「はい、ありがとうございます。いつもお世話になってまして」
最後の台詞は俺が言った。ご近所には『少し声が不自由な妻』で通しているので、慣れたものだ。
「……それじゃ、また今度。回覧板は明日でいいと思うから」
『はい……どうも』
「おやすみなさーい」
ドアが閉められると、晃の髪から色が抜けて、元の銀色になった。
二人して、ほっとため息をつく。何度となく体験してきたことだが、バレたらどうしようという緊張は常にある
のだ。何度か危ないこともあったし、何より嘘をついている引け目もあるので、心中穏やかではない。だが、この
後ろめたさも、俺は共に背負うことにしたのだ。
――そう、うちの嫁は、宇宙人だ。
出会いや何やらは省くが、地球とは違う星からやってきた、紛れもない宇宙人。髪の毛を自在に動かすことがで
き、色も自在に変えられるし、光ファイバーのように発光すらできる。彼女らの言語は、基本的に髪の毛の色彩や
光の明滅、そしてその配置や形状で交わされるのだ。例えるなら、常に筆談で話しているような感覚だろうか。声
帯は未発達で、ごく小さいかすれ気味の声しか出ないから、地球人とのコミュニケーションは拡声器が必需品であ
る。もちろん、こちらの言語を習得済み、という前提があるが。
「……ん?」
晃は俺が手に持っているスイカを、興味深そうに見て、指差した。そういえば、こいつ見るの初めてだったか。
「こいつは、スイカだよ。甘くて美味いぞ。実も詰まってそうだ」
持った手で軽く叩いてやると、ぽん、と良い音が鳴る。晃は声は出さず、「す・い・か」と口を動かし、なおも
しげしげとスイカに見とれていた。
91 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[sage] 投稿日:2011/07/11(月) 19:25:18.76 ID:1yexaHvX0 [5/14]
食事の後、一口大にカットされたスイカをボウルに盛り付けると、リビングのソファに座った。
「ほら、出来たぞ、っておい」
「ん……」
晃はスイカの皮の緑と黒の模様と観察しているところだった。色彩が言語だけあって、彼女たちは目が良い。視
力は地球換算で15.0くらいらしい。単にじっと見ているように見えても、実際は顕微鏡並みの観察をしているわけ
だ。この執着のおかげで、皮を傷つけないように中身を苦労してくりぬくはめになった。スイカはやっぱりくし型
にしてかぶりつきたい俺としては、いささか不満の残る結果だ。
「気に入ったか?」
晃は大きく頷く。俺らにとっては見慣れていても、やはり珍しいのだろう。それを差し引いても、これはちょっ
と異常にも思えるが。
「中身も美味いぞ、ほら」
楊枝にカットしたスイカを一切れ刺して、出してやる。
「んむ……」
晃はなおも視線を模様に注いだまま、ぱくりと食べた。
「種は食えないからな。吐き出せ」
「……ん!」
数回咀嚼しすると、瞳の色が水色に輝いた。どうやら、味も気に入ってもらえたようだ。長時間の外出にはカラ
ーコンタクトが必需品だが、感情は文字通り目の色にすぐに出るので、見ていて中々面白い。
ようやく半球状のスイカの皮を置くと、おもむろに俺の膝に座って甘えるように体を摺り寄せてきた。
「あー……」
「あぁ、はいはい、ほら」
口を開けてお代わりをご所望のようだ。この距離でおねだりされて断れるヤツがいるものか。もう一切れ口の中
に放り込んでやる。
「あむ……ん!」
今度は髪が色とりどりに輝いた。ちょっと『ねるねるねるね』の『うまい! テ-レッテレー』の電飾を思い出す。
晃は大きく頷くと、俺の耳元に口を寄せてきた。
92 名前:5/6 番号うつの忘れてた[sage] 投稿日:2011/07/11(月) 19:27:58.09 ID:1yexaHvX0 [6/14]
「……これ、明日から買ってきて」
ちょっとテレビをつけてたら、もうそれだけで聞こえなくなりそうな声だった。ついでに言えば、会話の度に体
を密着させないとならないので、絵としては結構いかがわしい。
「そんなに気に入ったか? でもちょっと割高だから、いつもってのは難しいと思うぞ?」
「むぅー……安月給」
「うっさい」
彼女の故郷の星は、地球より自転の速度が遅い。つまり一日が長いのだ。昼に長い時間太陽にさらされた大気は
高温となり、夜は同じく日光が当たらないために低温となる。結果、昼と夜で温度差が増し、この温度差が嵐のよ
うな風を生む。海は大荒れ、木もある程度の高さになると確実に折れてしまうから、進化の過程で低いものしか残
らなかった。
彼女たちの色彩と光によるコミュニケーションは、暴風によって『音』が殆ど役に立たないという環境が生み出
したものだ。風から身を守るべく、巨大なシェルターを建造し、その中に街を作って生活するようになっても、大
部分の日常生活はそれで会話をしている。
93 名前:6/6 終わり[sage] 投稿日:2011/07/11(月) 19:30:11.01 ID:1yexaHvX0 [7/14]
そして、一方で『声』には違う役割を与えた。
風が渦巻く中で、声が聞こえるのは、どのような場合か。例えば、今の俺たちのように、一人がもう一人の膝に
座っているような状態。あるいはもっとストレートに、抱き合っているような状態。とてもに親密な距離にいると
きだけ、彼女たちの『声』は効果を発揮する。実際、古い風習として『声を聞かせるのは家族と、伴侶のみである
こと』というものがあったそうだ。もちろん、現在ではそんなことはないのだが、少なくとも『声』が恋愛や婚姻
――あえて、より生物的に言うなら求愛――に重要な役割を果たす文明であるのは事実である。
今でも、晃は直接の肉声を家族を除けば、俺だけにしか聞かせない。小さくかすれて、『鈴を転がす』というよ
うな表現とはある意味対極と言えるだろう。だが、それでも俺の耳には何より心地よい良いし、何よりマイクを通
さないこの声を聞けるのがまさに全宇宙で自分だけなのだと思うと、陳腐な言い方だが、何より貴重な宝物のよ
うにも思えるのだ。
「……明日、晴れると良いな」
「………ん」
スイカをかじりながら、返事をする銀髪にそっと手を添えて撫でる。
「はぁ、楽しみだなぁ……晃、愛してるぜ」
「……いきなり、何いってるんだか……」
後ろからぎゅっと抱きしめると、憎まれ口の後でぼそっと、地球語ではない言葉を何か言って、それから髪を
少しだけ光らせた。
――『私だって、大好き』『愛してる』
俺がお義母さんに、その言葉を教えてもらっているということを、晃はまだ知らない。
終わり
最終更新:2011年07月15日 01:21