119 名前:1/7[] 投稿日:2011/08/06(土) 20:47:19.76 ID:Q2A5AENV0 [16/24]
「委員長はさ。この夏休みはどうするの?」
『え?』
彼の言葉に、バッグに荷物を入れて帰り支度をしていた彼女は驚いた顔で彼を見つめ
た。次に、その顔が怪訝そうに曇る。
「いや、だからさ。夏休みの、予定」
唐突過ぎて理解出来なかったかなと、そう思って彼はゆっくりと言葉を区切って言い
直す。すると彼女は、ほんの少しの間、彼をジッと見つめていたが、やがて視線を落と
し、帰り支度を再開しつつ、小さく答えた。
『何で、別府君が、私の夏休みの予定なんかに興味を持つんですか?』
いささか尖ったその口調に、彼の心が僅かに怯む。しかし、答えないわけにも行かず、
彼は戸惑いがちな笑顔を浮かべつつ、なるべく変な奴だと思われないように、言葉を選
んで答えた。
「いやあ。別に、興味って訳じゃないけどさ。えーっと、何となくっていうか、ちょっ
と話題を振ってみただけでさ」
彼の言い訳めいたその口調に、彼女は小さくため息をつく。それは、自分の言葉の素っ
気無さに我ながら呆れての事だったが、無論彼はそんな事には気付くはずもなかった。
「あ、ゴメン。不快だったら謝るよ」
彼女のため息に鬱陶しがられたのかも思い、彼は急いで謝罪の言葉を口にする。しか
しそれが、ますます彼女を慌てさせた。
『別に、不快なんて事はありませんけど。ただ、私の夏休みの予定を別府君に話す意味
なんて、何もないと思いますけど』
口にして、また彼女は顔をしかめる。自分の夏休みの予定なんて特に面白くも無いも
のを話してあっさり流されたらショックなので、出来れば言いたくないと思って出した
言葉だったが、こんな言い方ではまた、彼に不快感を与えてしまうだろう。
しかし、彼女の不安とは裏腹に、不快ではないと聞いた彼は多少安心して自分の言葉
を言うことが出来た。
「雑談に意味なんてないって。別に話の種にするだけだから。まあ、委員長が言いたく
ないって言うなら、それはそれで別にいけど」
120 名前:2/7[] 投稿日:2011/08/06(土) 20:47:41.38 ID:Q2A5AENV0 [17/24]
彼からしてみれば、何のことは無い、ちょっとした好奇心に過ぎない。だけど、どち
らかと言うと一人でいる事が多い委員長にしてみれば、あまり自分の事は話しのネタに
されたくないのかも知れないなと彼は思った。
しかし、彼女はまるで挑むような視線で彼を見つめて答えた。
『別に、隠すほどのことではありませんから、知りたいと言うなら教えてあげます。変
に勘繰られて、人に言えないような事をしているんじゃないかと誤解されたら困りますから』
それは、彼女にとっては半分は本気の言葉だった。もっともそれ以上に、せっかく彼
が話し掛けてくれたのに、意地を張って突っ撥ねては、それは流されるよりも辛い事だ。
彼女は、一度バッグにしまった筆記用具とスケジュール帳を取り出す。それを見て、
彼が聞いた。
「どうしたの? そんな物出して」
『口でいちいち説明するのもめんどうだから、紙に書いて説明します』
そう答えて彼女は、日付を書き、矢印と予定を書き込んでいく。そんな几帳面に書か
なくてもいいのにと彼は思ったが、せっかく教えてくれる気になったのに水を差すのも
申し訳ない。
『はい。出来ました。これが私のこの夏のスケジュールですけど』
紙をクルリと回して、彼女は彼に自分のスケジュールを示す。そしてすぐに顔を逸ら
してうつむいた。こんな風に自分の事を男の子に話すなんてこれまでなかったし、それ
も何かと自分に気を配ってくれる別府君にだなんて、彼女は何だか、酷く気恥ずかしい
思いがしていた。
差し出された紙を見ていた彼は、小さく感想を漏らす。
「うわ…… 夏休み中ほとんど、部活と夏期講習ばかりだな」
彼女のスケジュールは、前半と後半が部活動と予備校で埋められており、8月に入っ
ても部活の夏季合宿が入っている。
『聞いたのは別府君なんですから。私の予定がつまらなくたって、責任なんて持ちませんからね』
つっけんどんな口調で言いつつも、彼女は彼がどんな印象を抱いたのか気になって、
顔色を窺っていた。しかし彼は、彼女の不安げな面持ちには全く気付く様子もなく、感
心した顔つきで彼女のスケジュールを眺めていた。
「これって、夏休みって言ったって、ほとんど休みなんてねーじゃん。大変じゃないか?」
『どれもやらなきゃいけない事ですから。大変だなんて言っていられません』
121 名前:3/7[] 投稿日:2011/08/06(土) 20:48:04.43 ID:Q2A5AENV0 [18/24]
彼女の言葉に、彼は腕組みをして首を捻る。
「にしても、これはキツイよなあ。まあ、委員長は真面目だからさ。分からないでもな
いし、だからこそ、二年で団体戦のレギュラー取れたんだもんな。剣道部の」
彼の言葉を聞いた途端、彼女はギュッと下唇を噛んだ。普段からあまり表情のない、
その端正な顔立ちに僅かに悔しさが滲み出る。
『私がふがいないせいで、先輩達をインターハイの県予選で2回戦負けしてしまったん
です。最後の夏だったのに……』
その事は彼も知っていた。何故なら、彼女には言っていないけれど、こっそりと試合
を見に行っていたのだ。面を打たれ、放心して佇んでいた彼女の姿は、今でも彼の目に
焼き付いていた。
「まあ、俺はその事については何も言えないけどさ。当事者じゃないから、委員長のせ
いだとかせいじゃないとか、言える立場にないから。けれど、引き摺らずに気持ちを切
り替える必要はあるんじゃないか?」
余計な事だよなとは思いつつも、ついつい彼は思いを口にしてしまう。しかし、彼女
はそれを非難せず、ただ頷いて答える。
『別府君に言われるのは癪ですけれど、その通りです。だからこそ、この夏はしっかり
と練習をして実力の底上げをしないといけませんから。秋季大会もありますし、一年生
の新人戦もあります。だからと言って、勉強もおろそかにする訳には行きませんから、
予備校で夏期講習を受ければ無理矢理にでもせざるを得ませんし』
まっすぐに自分を見つめる彼女の視線を受け切れず、彼は顔を逸らす。一体、この華
奢な体のどこにそんな力が漲っているのかと、彼は不思議に思わざるを得なかった。第
一印象では、地味で真面目で口数の少ない平凡な女子に過ぎなかったのに、彼女の事を
知れば知るほど、魅力的に思えてくるのだから。
「なるほどねぇ。言われれば納得するけどさ。けど、どこかで息抜かないと潰れちゃう
んじゃないか?」
これまた余計なお世話だろうと思いつつ、彼はつい自分の感想を口にする。彼からす
れば、彼女の生活はこのスケジュールに表れている通り、いつも張り詰めているように
思えてならなかったからだ。
しかし、これには彼女はキッパリと首を横に振った。
122 名前:4/7[] 投稿日:2011/08/06(土) 20:48:25.40 ID:Q2A5AENV0 [19/24]
『そんな事、別府君に心配して貰う謂れはありません。勉強はともかく、剣道は好きで
やっているんですから、むしろストレス解消にもなっていますし。練習も、試合も、そ
して練習が終わった後の解放感も、試合に勝った喜びも、試合に負けた悔しさも、全部
貴重なものです』
表情も変えず口調も淡々としたものだったが、彼女の目は明らかに輝きを帯びていた。
恐らく、こんな風に彼女が輝きを持っていると知っているのは、全校の男子でも自分だ
けのはずだと、ちょっと得した気分で彼は頷いた。
「なるほどね。納得はしたよ。ただ、あと一つだけ、分からないのがあってさ……」
彼女の夏休みスケジュールを見た時、彼にとって一つ理解し難いものがあった。ただ、
いろいろと話したい事があったから、最後にしようと取っておいた質問を、切り出す。
「この、修行っての……なに?」
その途端、彼女の目が大きく見開かれた。咄嗟に慌てて、机の上に置かれたスケジュー
ルを手で勢いよく覆い隠す。
『な……何の事を言ってるんですか? 私にはよく分からないんですが……』
無駄と思いつつも、彼女はごまかそうとする。しかし、その口調は僅かながら明らか
に普段の彼女よりも早口で、彼にははっきりと彼女の動揺が伝わっていた。それがおか
しくて、彼は思わず笑みを浮かべてしまった。
「今更遅いって。さっき、しっかり見て確認したんだから。それとも、俺の見間違いな
のかな? でも、だったら隠す必要もないよね?」
今度は、彼女が彼の視線に堪え切れずに横を向いてしまった。どう取り繕おうか、し
ばらく考えるが、最終的に彼女は考え自体を放棄する。ごまかしたって仕方が無いし、
これも素の自分なのだ。いっそ、彼に曝け出してしまった方がスッキリするかも知れな
い。しかし、そうは思っても、やはり答えるのは恥ずかしかったが。
『修行って言うのは……父の実家への帰省です』
初めて彼女は、自信なげに小さく答える。そこで区切ってチラリと横目で彼を見ると、
案の定、怪訝そうな表情を浮かべていた。
「いや。お盆だし、里帰りなら分かるけど…… それが修行って、どういう事?」
当然の彼の質問に、彼女は小さく吐息をつく。そして、意を決して顔を前に向けるが、
さっきまでのように彼の顔を真っ直ぐ視線で捉える事は出来ず、下に落としてしまう。
123 名前:5/7[] 投稿日:2011/08/06(土) 20:48:45.27 ID:Q2A5AENV0 [20/24]
『祖父は……その、お寺の住職なんです。それで、体験修行という事で、休みの期間に
なると小学生や中学生を受け入れてお寺での生活をさせるのですが、私も帰省すると必
ずそれをさせられるので、うちの家族では修行と呼んでいるのです』
果たして、変な家族だと思われないだろうか? そんな不安に下を向き、キュッと唇
を真一文字に閉じて、次の彼の返事が来るまでの間、彼女はジッと耐えていた。剣道の
試合で格上相手の試合を待つよりも遥かに不安は上であり、時の流れも遅く感じられた。
胸の激しい鼓動を感じ、自分はまだまだ精神修養が足りないと強く自覚する。
そして、このまま窒息死するんじゃないかと思うくらいの時が経った頃になって、よ
うやく彼が口を開いた。
「本当に、委員長って大変な夏休みを過ごしているんだな。家族で田舎に行っても修行
させられるとか」
やっぱり、変な女の子だと思われただろうか。そう思うと、彼女の身体の芯が、まる
でストーブのように熱を持ち、全身に熱を送る。やはり、ごまかすべきだったのだろう
かと多少後悔もしてみるが、見られてしまった以上仕方のないことだ。しかし、友達に
もちゃんと田舎に行くと言っているのに、何でよりにもよって別府君に見せるスケジュー
ル用紙にそんな事を書いてしまったのか? やはり彼を前にして、どこかおかしくなっ
ていたのだろうと、彼女は自分で認めざるを得なかった。
「でさ。修行って一体何するの?」
彼の問いに、彼女は視線だけ彼に向ける。そのためか、上目遣いに睨んでいるような
顔つきになってしまった。
『おっ……面白半分で聞くのは止めて下さい。私の予定は、別府君のおもちゃじゃない
んですから』
焦りと不安から、まるで挑みかかる様な口調になってしまった。しかし彼は、慌てて
手を横に振ってそれを退ける。
「違う違う。確かに、もともと興味本位から聞いてはいるけどさ。面白がってるとかバ
カにしてるとか、そういうんじゃないから。せっかくここまで教えて貰ったのに、最後
に疑問が残るのって、何かスッキリしないだろ? この際だから、全部解消しとこうと
思ったんだけど、ダメかな?」
124 名前:6/7[] 投稿日:2011/08/06(土) 20:49:04.45 ID:Q2A5AENV0 [21/24]
何とか彼女の機嫌を宥めようと、彼は言葉を選びつつ説得する。彼女はそれを聞いた
最初は、まだからかわれているのではないかと疑って掛かっていた。しかし、途中でフッ
と気持ちが切り替わる。
――彼の言う事を疑うのは止めよう。私の知っている別府君だったら……きっと、そん
な事で人をバカにしたりしないはずだから。
そう信じる事にして、私は表情を和らげ、首を横に振ってから答えた。
『分かりました。どのみち、教えて損になるものでもありませんから』
そう一つ前置きをして、彼女は心に残る僅かな抵抗感を踏み潰してから、言葉を続けた。
『朝は五時半に起床して境内の掃除。それから早朝稽古をして、朝食。昼は座禅を組ん
で祖父の読経を聞いたり読書をしたりして過ごすの。食事は基本的に精進料理中心。肉
が出るのは最後の日だけです。こんな感じですが』
大まかな事だけザッと説明すると、別府君はややうつむき加減になり、難しい顔をし
ながら呟いた。
「へえ…… 何か、確かに修行っていう感じだな……」
『はい。だから、修行と呼んでいるんです。もっとも、大人はもう少しくだけています
けどね。私やいとこ達だけですし、それに稽古も入るのは私だけです』
彼が納得した感じで頷くのが嬉しくて、彼女はつい饒舌になった。その気配を察して、
彼もさらに踏み込んで質問する。
「稽古って言ったけど、何をするの? やっぱり剣道の練習?」
彼の言葉に、彼女は曖昧に首を振った。
『いえ。剣は剣ですが、剣術です。真剣で振るうやり方を、木刀で再現して素振りをす
るだけですが、それでも心に刃を描いて振り続けると、精神が物凄く研ぎ澄まされますから』
その言葉は、彼の心に凛とした響きを持って届いた。
「ハハ…… 真剣って、何かちょっと怖いよな」
言葉の重圧に耐え切れず、つい冗談めかして彼は答える。すると彼女も、薄く笑って頷いた。
『はい。でも私が真剣を振るう事は無いですから。せいぜいが、祖母の立会いの下で、
抜き身の刀を目の前に飾っておくくらいですね』
125 名前:7/7[] 投稿日:2011/08/06(土) 20:50:07.03 ID:Q2A5AENV0 [22/24]
彼はその言葉で、彼女のその様子を想像してみた。板敷きの道場で、抜き身の刀を前
に延々と木刀を振るう彼女の姿を。それはきっと、凄惨でそしてとてつもなく美しいの
だろう。少なくとも、彼が心に描いた彼女の姿は、まさにそんな感じだった。
『どうですか? 別府君。これで、納得していただけました?』
彼女の言葉に、彼は我に返る。目の前にいるのは、地味で無表情な、いつもの彼女だっ
た。彼は慌てて、頷く。
「あ、ああ。おかげさまでよく分かったよ。何ていうか、委員長ってやっぱ凄いんだなっ
て思う。好きな事だからって言うけどさ。勉強も趣味もひたむきに出来るって感心す
るし。俺にはとても無理な事だから」
彼が熱心に自分の事を褒めるのを、彼女は何だがひどくこそばゆい気分で聞いていた。
気の置けない友人達は、いつも彼女のそんな性格を堅物とか生真面目とかいってからか
っていたし、母親にすらもう少しゆとりを持てとか言われてしまう始末だった。だから、
それをこんな風に褒められるなんて、とても奇妙に思えたのである。しかも、彼女が一
番理解して欲しいと思っている人から。
『単に性分なだけです。凄いとか、そんな事じゃないですから。現に、こんな事やった
からといって、東大に行ける訳でもなければ剣道のインターハイに出れる訳でもないですから』
このままだと、うっかり相好を崩してしまいかねないので、努めて冷静に、彼女は自
虐的に言葉を返す。しかし、それを謙遜と受け止めた彼は、構うことなくそれを退けた。
「いやいや。そうやって自分を律して、努力出来る事自体が凄いんだって。勉強の事も、
剣道の事も軽々しく結果の事は口に出来ないけどさ。でも、その努力は絶対、何かの形
で報われるって、俺はそう思うぜ」
本気で感心して、興奮気味になって彼は語る。それを彼女は、うつむいて堪えるよう
に聞いていた。そして、思う。報われると言うなら、今、彼にこうして褒めて貰えただ
けで、十分に報われたと。出来るなら、今この場で、彼に向かって微笑みかけ、ありが
とうと、お礼を言いたかった。嬉しいと、気持ちを伝えたかった。しかし、それをして
しまうと、今まで自分を律してきた感情が壊れてしまいそうで、出来なかった。
果たして、この場を切り抜けるのにはどうしたらいいだろうかと、彼女は必死で考え
る。受けてばかりいてはダメだと。攻めに転じないと。そう思った途端、瞬間的に思い
ついた事が、彼女の口を突いて出た。
『それで、別府君の夏休みのスケジュールはどうなっているんですか?』
204 名前:以下、名無しにかわりましてVIPがお送りします[] 投稿日:2011/08/07(日) 03:40:30.79 ID:54C9fxRo0 [2/8]
「え?」
唐突な質問に、彼は思わず聞き返す。確かに話の順序としては驚く事ではなかったが、
ただ、タイミングが急だったからだ。しかし、戸惑いがちな彼の様子に、強気に出た彼
女の態度が僅かに揺らぐ。もしかしたら出方を間違ったのではないかと思いつつ、彼女
はそれでも、質問を押し通そうとした。
『だ、だって……私のスケジュールを教えたんですから、今度は別府君が私に教える番
でしょう? 聞くだけ聞いて、自分は逃げるとか、まさかそんなつもりはないですよね?』
「い、いや。もちろんその……委員長が聞きたいって言うなら、教えてもいいけどさ……」
ちょっと自信無げに彼は答える。正直言えば、彼女のしっかりとしたスケジュールを
聞いた後だと、自分の夏休みなんてあまりにだらしなく思えて、気が進まなくはあったのだ。
しかし、そんな彼の気持ちを勘付いた彼女は、僅かに身を乗り出し、彼を睨むように
見上げて言った。
『別に、聞きたいって訳じゃありませんけど、私ばかり教えたんじゃ不公平じゃないで
すか。別府君のスケジュールも聞いておかないと、納得出来ませんから』
前置きを除けばそれは彼女の本心だったので、その言葉は決然として淀みがなかった。
彼は諦めのため息をつくと同時に頷いた。
「分かったよ。けど、俺の夏休みなんて大した事無いから、聞いてもしょうがないとは思うぜ」
『しょうがないかどうかは、聞いてから私が決めます。別府君が判断する事じゃありません』
彼が言い訳がましく前置きするのを、彼女はキッパリと跳ね付ける。実際、彼女にとっ
ては彼の事であれば、どんな内容であろうが、しょうがない事なんてなかったのだから。
「まあ、委員長みたいにキチッと決まってるのなんて、来週の水曜に山田とかと海行く
ことくらいしかないんだけどな。あとはまあ、八月の最初の週に、町内の盆踊り大会が
あるから、それ行くくらいかなあ」
頭の中で予定を繰り出しながら口に出すが、他に予定らしい予定も出て来なかった。
呆れられているんじゃないだろうかと、恐る恐るチラリと彼女の様子を窺うと、自分を
見る視線がどことなく厳しいように感じられて、彼は僅かに視線を逸らした。
『それだけですか? 別府君の家では帰省とかしないんですか? あと、宿題の計画とかは?』
205 名前:2/6[] 投稿日:2011/08/07(日) 03:40:53.43 ID:54C9fxRo0 [3/8]
彼女としては、助け舟を出すつもりで思いついた事を聞いてみる。しかし、彼は首を
横に振った。
「うちは親父が東京でお袋もさいたまだからな。近いからすぐ行けるし。だから、お盆
の墓参りも来たくなきゃ別にいいって言われてるし」
『ご先祖様のお墓参りは大切な事じゃないですか。おろそかにしないで、ちゃんと行く
べきだと思いますけど』
差し出がましいと思いつつも、ついつい彼女は思いを口にしてしまう。しかし、彼は
うんざりしたように肩をすくめてみせた。
「そりゃ分かるけどさ。墓参りっつーより、親戚のガキどもの相手しに行くようなもん
だからな。いとこが小学生だから、相手するの大変なんだよ。それに、大人たちに混ざ
るのも肩っ苦しいし」
『そういう人付き合いも、経験のうちだと思いますけど。もっとも、その事は私もあま
り人の事は言えませんけど』
説教口調でつい言ってしまってから、彼女は慌てて言葉を付け足す。自分だって、こ
うして彼の方から話し掛けてくれなければ、多分一度も会話をする事すら出来なかった
だろう。本当に、何を偉そうに言っているんだろうと自分で自分に呆れる思いがした。
「まあな。でも、ホント小学生の相手とかってマジで疲れるんだよな。生意気だし。す
ぐ怒るわ泣くわ」
親戚の子供達がたまに叔母さんに連れられて家に来た時を思い出して、彼はげんなり
とした顔で言う。それが何だか少し面白くて、彼女は思わず頬が緩みそうになった。し
かし、笑ったりしたら失礼だと思い、グッと我慢して話を先に進める。
『まあ、それ以上は私が言う事はないですけど。あと、勉強の方はどうなんですか? ちゃ
んとスケジュールを立てて計画的にやったりはしないんですか?』
彼女の問いに、彼は苦笑いで答えた。
「いや、それがさ。毎年計画的にやろうとしても、どうしても上手く行かなくてさ。そ
れだったらいっその事、決め事とか作らないようにして、気分が乗った時に一気にやっ
た方がいいかなあ、とか思ってんだけど」
怒られるかな、と思って彼女の様子を窺うと、案の定、彼女は眉をしかめた。
206 名前:3/6[] 投稿日:2011/08/07(日) 03:41:16.71 ID:54C9fxRo0 [4/8]
『そんな事言って、気分が乗るのはどうせ切羽詰ってからになるんじゃないんですか?
そういうのは無計画って言うのと変わらないんです。確か去年は、結局英語の課題が間
に合わなくて先生に怒られてましたよね?』
「ああ。休み中に学力が落ちないように課題は最低限で出しているのに、それすら出来
ないとはどういう事だって説教されてさ。参ったぜ。あれには」
冗談っぽく答えつつ、彼は内心で少し驚いていた。正直、彼女が彼の去年の事を覚え
ていたなんて思いも寄らなかったからだ。まさかとは思いつつも、淡い期待を抱いてしまう。
『全くです。特に今年は、受験に向けてスキルアップを図らないといけない夏なのに、
別府君のスケジュールを聞くと、ほぼ毎日、だらだらして過ごすだけになりそうですね。
そんなんじゃ、人としてダメになってしまいますよ?』
彼女の言葉にごもっともだと思いつつ、彼はおどけて笑顔を見せる。
「既にもう手遅れかもな。まあ、委員長の言葉を肝に銘じて、自堕落にならないよう努
力はしてみるけど」
しかし、彼の言葉に彼女は、呆れたように吐息をついた。
『どうせ、口だけですよね。いっそ、別府君も体験修行とかしてみればいいんです。そ
うすれば、少しはだらけた気持ちに活も入るようになるでしょうから』
口にしてから、彼女は自分で自分の言葉に驚く。まさか自分が、彼を誘うような事を
言うなんて思ってもみなかった。確かに、彼と一緒に過ごせれば、そんな魅力的なこと
はないけれど、でもきっと笑って流されるんだろうなと、彼女はすぐに思い直した。
しかし、彼の口から出た言葉は、彼女の予想を裏切った。
「うーん…… それも、いいかもな。もし、一緒にお邪魔してもいいって言うなら、だけど」
さすがに、この答えには彼女も驚いて口をポカンと開けて呆けてしまった。しかし、
すぐに立ち直り、眼鏡の位置を直すと、疑い深げな視線で彼を見つめて言った。
『本気で言ってるんですか? 今の。もし、冗談とかだったら、キチンとそう言って下
さい。別に怒ったりはしませんから』
期待しないようにしつつも、彼女は胸の高鳴りを抑える事が出来なかった。ジッと彼
を見つめていると、彼はコクンと、首を縦に振る。
「結構本気かな? まあ、どんだけ厳しいかとかよく分かんないから言えるのかも知れ
ないけど。でも、委員長が勧めるなら、一度体験しとくのもありかなと思ってさ」
207 名前:4/6[] 投稿日:2011/08/07(日) 03:41:45.75 ID:54C9fxRo0 [5/8]
冗談と思われないように、彼は真面目な顔を作って答える。それに彼女は、首を横に
振る。そして、視線を落とし、小さな声で言った。
『一般の人も、祖父の寺にはよく訪れますけど、私ほど厳しくはありません。自由時間
も結構ありますし、強いて言えば座禅が大変なくらいだと思いますけど』
厳しいイメージを持たれて、彼が尻込みしないように彼女は情報を付け加える。もち
ろん、嘘ではないので、動揺して声が多少震えたとはいえ、彼女はハッキリと言う事が出来た。
すると、彼もちょっと安心したのか、笑顔を見せて頷く。
「そういう事なら、是非参加したいな。委員長がいいって言うなら」
彼の言葉に、彼女は心臓がキュンと窄まった感触を覚えた。酷く落ち着かなくてモジ
モジしてしまい、脚をピタッと閉じて擦り合わせる。しかし、そんな気持ちを悟られな
いよう、腰から上は必死に平常な様子を保とうと意識しつつ、頷く。
『もちろん、私が言い出したことですから、異論はありませんけど…… それに、その
時期は普通は一般の体験修行の受け入れはありませんから、是非にといえば祖父もダメ
とは言わないと思います』
「だったら、是非にって言っといてよ。何かこういう、気の引き締まるイベントがあっ
てもいいなって、委員長の計画聞いたら、そんな気分になってたからさ」
彼の言葉に頷きつつ、彼女は釘を刺しても置こうと思った。後になって辛かったと言
われるのも、それはそれで嫌だったから。
『言っておきますけど、そんなに大変ではないと言っても、修行は修行ですからね。気
軽な気分で来られたら、迷惑ですから』
それに彼は、真面目な顔で頷いた。
「分かってるよ。ちゃんと、精神を鍛えるつもりで行くからさ。それと、委員長の邪魔
もしないようにするから」
そう言いはしたが、彼は参加するつもりになった本当の意図を、彼女が知ったらどう
思うだろうかを考えた。まさか、これをきっかけに彼女との少しでも距離が少しでも縮
まればなどという邪まな考えを持っていると知れたら、恐らくきっと断られるのだろう
なと。だから、それを表に出さないようにしないといけない。それも、一種精神鍛錬の
一つだよな、と彼は内心で思った。
『分かりました。それじゃあ、クラスの人が一人、一緒に行きたがっていると祖父にお
願いしてみます』
208 名前:5/6[] 投稿日:2011/08/07(日) 03:42:06.63 ID:54C9fxRo0 [6/8]
頷いてそう言うと、彼女はガタリと椅子を鳴らして立ち上がった。
「どうしたの? 委員長」
彼の問いに、彼女は彼を見下ろして冷静に答えた。
『お昼を部のみんなと食べるので、そろそろ行かないといけないんです。それに、別府
君と話すことも、もう無いですから』
本当は、もう少し時間があったのだが、彼女はこれ以上この場にいる事が出来なかっ
た。何故なら、もう喜びが湧き出して堪え切れそうになかったからだ。しかし、彼女は
そんな気持ちを微塵も表に出さなかったので、彼は言葉どおりにそれを信じて頷いた。
「それじゃあ、修行の事頼むよ。あと、話に付き合ってくれてありがとう」
生真面目にお礼を言われて、彼女は身体がカッと熱く火照るのを感じた。顔を逸らし、
体を教室の入り口に向けてから、彼女は小さな声で答えた。
『別に…… 私も、お昼まではする事もなかったから、付き合っただけです。そんな、
お礼を言われるほどじゃありません!!』
恥ずかしさでつい、語尾を強めに言ってから、彼女は教室を出ようと足を一歩前に進
める。しかし、ある事を思いついて、彼女は足を止め、顔だけ彼の方を向いた。
『そうです。一つ言い忘れました』
「何?」
彼に聞き返され、一拍置いてから彼女は言葉を続けた。
『もし、修行に来る事になったとしたら、その時は夏休みの課題全部持って来て下さい。
どうせ、ダラダラしてほとんど勉強なんてしないんでしょうから、その期間で全部終わ
るように、しっかり私が監視しますから』
その申し出に、彼の顔がパッと明るくなった。
「マジで? 委員長が勉強見てくれるんなら、俄然やる気出るけどな」
彼の態度があからさまに喜びを出していたので、彼女は照れ臭くなって視線を逸らし、
うつむいて吐き捨てるように答えた。
『言っておきますけど、監視ですから。そりゃ、分からない所があれば教えてはあげま
すけど、でも……お手伝いとかは一切しませんからね!! それじゃ!!』
小走りに駆けて、彼女は教室を出て行った。彼は一つため息をつくと、もう一度今の
会話を反芻して、小さく呟いた。
209 名前:6/6[] 投稿日:2011/08/07(日) 03:45:10.77 ID:54C9fxRo0 [7/8]
「委員長と一緒に、一週間近くも過ごせるのか…… 言ってみるもんだな。その間に、
少しは仲良くなれるといいけどな……」
邪まな気持ちを申し訳なく思いつつも、彼は嬉しくなってついつい笑顔になってしま
うのだった。
廊下を小走りに駆けて、階段まで来て彼女は立ち止まる。そして、今の彼との会話を
思い出して、つい笑顔を浮かべてしまった。
『彼と……一週間も、一つ屋根の下で過ごせるなんて……』
お寺で、精神を鍛える為の修行なのに、そんな邪まな気持ちを抱いてはいけないと分
かっていても、自然と気持ちは浮き立ってしまう。
『ダメダメ。ちゃんと気を引き締めないと。これから稽古なんだし』
そう言い聞かせてみても、一向に気持ちは静まらない。彼女は周りをザッと廻らせて
見た。廊下に誰もいない事を確認してから、一気に喜びを放出しようと、彼女はバッグ
を抱き締めてクルリと踊るように一回転し、笑顔を浮かべた。そして、ひとしきり喜び
を噛み締めてから、パンと頬を叩いて気を引き締め、彼女は剣道場へと小走りに階段を
駆け下りたのだった。
終わり
海堂尊のひかりの剣を読んでたら、線の細い大人しそうな委員長が剣道やってるのもいいなあとかそんな所から広がった妄想でした。
最終更新:2011年08月19日 08:43