青い海。二月だというのにギラつく太陽。白い砂浜にはたくさんの水着姿の人々。絵にかいたような常夏の島。
ここはハワイだ。正確に言えば、アメリカ合衆国ハワイ州オアフ島ホノルル市にあるワイキキビーチ。とりあえず、
日本人が思い浮かべる『ハワイ』とは、概ねココのことである。
まったく、素晴らしい島だ。びっくりだ。海外旅行自体初めてだが、まさにパンフレットで見たままの光景が目の
前に広がっている。ビーチ沿いの通りを、肌の色も髪の色も様々な人たちが行きかっている。水着姿の人も多い。こ
の近辺のホテルから、そのまま出てくるのだろう。日本人らしい人も結構いる。
視線を海の方に転じれば、サーフィンにヨットが目に入る。それから波打ち際で戯れる人々。シートの上で甲羅干
しをしていたり、パラソルの下でのんびりとしてたり、ウクレレを弾いてるお爺さんまでいる。
そんな場所に、あたしも水着姿でくつろいでいた。酷く自分が場違いに思えて、肩身が狭く感じてしまうのは、日
本人特有の島国根性と言うやつだろうか。一方で、隣にいるこいつは……。
「おい」
「え? どした?」
似合ってないサングラスを外して、あたしの隣にいる阿呆は寝ぼけた声を上げた。どうやら、本当にうとうとして
いたらしい。慣れない土地でよくもここまで無防備にできるものだと思う。
「暇だ、なんかしゃべれ」
砂浜に敷いたシートの上に、あたしたちは座っている。あいつはうつ伏せになって、南国の太陽を余すことなく浴
びていた。『帰ってから職場で自慢できるように、しっかり焼いておく』とはホノルル空港到着時のセリフ。
「暇だといってもな。こう何もせずに、日光をただ浴びてくつろぐだけの時間、てのも贅沢だぞ? ほら、『なにも
してない』をしてるんだよ」
「そういうのいいから。ったく、せっかく人が構ってやってるってのに」
「『なんかしゃべれ』は構ってる内に入んないよ」
あぁ言えばこう言う。こんなんであたしのダンナをしようってんだから、呆れるばかりだ。ダメダメだ。まったく。
大体想像がついたかもしれなが、あたしたちはいわゆる新婚旅行の最中だ。ベタベタにハワイなんか行って、恥ず
かしい限りだが、昨今の不景気とこのバカの安月給を考えると、ありがたいくらいなのかもしれない。なにはともあ
れ、新婚旅行は大事だ。ここで、しっかりお互いの立場を確立し、しっかり主導権を握っておく必要がある。そう、
例えば……
「なぁ、喉乾いた」
「はぁ……何か買ってくれば?」
確かに通りを渡ればすぐにABCストアがある。ABCストアと言うのはワイキキを中心に点在している店で、コンビニ
と土産物屋を足して2で割ったような店構えをしている。当然、飲み物だってある。確かに、あたしが行けば済む話
だが、ここはきっちりイニシアチブをとっておきたいのだ。というか、気の利かない奴だ。そんなんであたしのダン
ナが務まるか。仕方なく、もう少し具体的に指示してやる。
「買ってこい」
「……えー」
露骨に嫌そうな顔。だが、あたしは無視して視線をそらし、手をひらひらと振って追いやった。しぶしぶと立ち上
がり、さくさくとサンダルで砂を鳴らして道路に出るダンナを横目で見送り、あたしは再び景色に見惚れる。
まぁ、一緒にいるのが野暮天の極みなのが残念だが、なかなか見られない風景なのは確かだ。海外旅行なんか初め
てだが、次はいつになるか解らない。しっかり楽しんでおこう。パスポートを取ったり、新しい水着を買ったりと、
色々準備させられたのだから、モトは取っておかないと。
子供がぱたぱたと走りながら、あたしの横をかけて行った。陽光を反射する綺麗な金髪に、透けるような肌。羽を
つければ、美術の教科書で見た天使そのままだ。しかし、あたしも結婚したってことは、子供なんか作るんだろうな。
あのバカの子供となると、手を焼きそうだけど。何人くらいかな。やっぱ2人は欲しいよな。男と女一人ずつ、かな。
なんか嘘みたいだな。あたしみたいなガサツなのが、子供産むこと考えてるなんて……これも、あいつのお蔭……っ
つっていいのかな?
はしゃぎまわる子供を見て微笑ましい気持ちに浸っていると、不意に影が差した。戻ってきたか、と一瞬で顔を引
き締めて顔を上げる。
「Aloha」
「……あろは」
反射的に相手のしゃべったことをおうむ返しにしてしまったが、次の言葉が出てこない。
2人組だ。2人とも、あたしが立っても見上げるほどにデカい。一人は赤毛で、でっぷりと出た腹。もう一人は、金
髪に青い目でかなりごつごつした顔立ちをしている。両方とも水着姿で、どうやら海水浴客のようだったが、その口
から怒涛のように言葉が溢れ出す。
「~~~? ~~~~?」
「あ、え……あ……」
何を言ってるか、さっぱり解らない。と、とにかく、あれだ。こういう観光地では、観光客に妙なものを売りつけ
たりするのが多いらしい。『そういうときは、はっきりNOと言うんだよ?』とダンナのアドバイスを思い出す。
「の、のー! のー!」
懸命に手を振ってアピールしてみた。
「? ~~!~~~? ~~~~~~!!!」
だ、ダメだ。全然通じないっていうか、むしろヒートアップしてる。大げさな身振り手振りだが、いかんせん図体
がでかいので、手を振り回すたびに妙な迫力がある。
っていうか、あたしの英語力ってどんなだ? 『NO』すら通じないのか? だ、ダメだ。ギブアップ。に、逃げよ
う! そうしよう! シートやらはあったが、荷物だけ持って一時退却。これがいい。こうしよう。これしかない!
あたしは手元のバッグを掴むと、がばっ! と立ち上がった。
「Oh!」
外人がびっくりしてなんか言ってるが、無視だ。あたしは頑張った! とにかく離れる!
もうそれしか考えられなかった。はっきり言おう。怖かった。あのアホは『ハワイなんて日本語通じる方だよ』と
か能天気なことを言ってたが、もう耐えられない。一旦ホテルまで帰って……
「おい、どこ行くんだよ」
聞き慣れた声に、あたしの脚が止まる。振り返ると、ダンナが外人2人と何か話してるところだった。
「~~~~、~~~?」
「~~! ~~!」
「~!」
何を話してるかはさっぱりだが、外人二人の顔から段々険しさが消えて行った。ダンナは通りを指差し、道案内を
しているようだ。
「OK,Thank you!」
やっとあたしにも聞き取れる言葉が外人の口から出ると、二人はそのままこっちに手を振りながら離れて行った。
それを見送ってから、ダンナはこっちに向き直る。手にはペットボトルのミネラルウォーターが握られていた。
「なにやってんだよ……」
「う、うるせー、バカ」
英語が達者なダンナは、確かに頼もしい。頼もしいがそれを素直に認めてやるのが悔しいから、いつもこんなやり
取りをしてしまう。
「単に道聞いてただけなのに……なにテンパってんだか。『怖がらせてゴメン』って謝られたぞ」
ため息をつくと、しゃべて喉が渇いたのかミネラルウォーターを開けて一口飲んだ。あたしはそれを恨めしく見る
ことしかできない。
「も、もういいだろ……あー!」
「あん?」
「そ、それ、あたしんだろ!」
「あ、そっか。忘れてた。別にいいだろ、ほら」
そう言って、何か言う間も与えずにボトルを押し付ける。仕方なく、あたしはそれに口をつけて、カラカラだった
喉を潤す。
「よいしょ、っと」
じじむさい声と共に元通りシートに腰を下ろすダンナの隣にあたしも座り直して、それから……少しだけ、にじり
寄った。
「? どした?」
「う、ん……ちょっと……アレだ」
ダンナの問いを、歯切れ悪く振り切ると、あたしはさらに肩に頭を載せてみる。日光で火照った肌の熱さが、取り
乱しっぱなしの心を少し落ち着かせてくれた。負けなくらいに、あたしの顔も火照ってるだろうけど。
「そ、その……さ。さっき、ちょっと……」
「?」
ますます不思議そうな顔をするダンナ。やめろ、そんな顔であたしを見るな。いつも通りへらへらしてろ。あたしの
様子を誰よりもよく見てて、誰よりも早く察してくれる、ひと。でも、今はちょっとまずい。できれば笑って流してほ
しい。恥ずかしすぎる。なら言うなって話だけど、こんなこと言うの、言いたい気分になるの、多分次はいつになるか
解らない。
「さっきは、か、カッコよかったから、さ……そ、そんで……ほら、えっと……惚れ、直したから……ちょっと」
あぁ、顔が熱い。安物のパラソルはこれだから。ダンナはあたしの肩に手をまわして、優しく撫でてくれる。畜生、
ちょっと英語ができるからって調子に乗るなよ。結婚したんだんだから、確かに少しは惚れてるけど、でもこれは外国
でないとあり得ないシチュエーションだからな? 英語なんか要らない日本国内では、お前なんかただの安月給なんだ。
「午後は、アラモアナセンターに行ってみようか」
「……なんだそれ」
「超デカいショッピングセンター。勝美の乳くらいデカい」
「う、うるせ、バカ。こんなとこで……」
「その水着似合ってるよ?」
「うぐっ……」
くそ、この野郎。いまこのタイミングでいうのは、めちゃくちゃズルい。確かに、苦労して選んだ水着にあいつが何
も言わないから、ほんの少し、マイクロ単位だけど、拗ねてたりしたのは認めるけど。あぁ、ちくしょう。本当、何か
らなにまで――
「そこの最上階に、美味いシーフードの店があるんだ。『ババ・ガンプ』っていうの。手のひらくらいあるアツアツの
クッキーに、アイスが乗ってるデザートあってさ。そういうの好きでしょ?」
「……はい、好きです」
あぁ、もう。本当にツボを心得てやがる。思わず敬語になっちまっただろ。そんなの食べたいに決まってる。乙女の
別腹舐めんな。
「はは……バカップルって英語でなんて言うんだ?」
「お前がわかんないのに、あたしにわかるわけないだろ」
いつの間にか、あたしは頭をなでられている。でも振り払う気にはなれない。あぁ、くそぅ。結局、主導権は取れな
かったか。いつものこととはいえ、これだけ弱いところを突かれたら、どうしようもない。
でも、それでも、せめての仕返しに、あたしは儚い抵抗をしてみる。
「ん」
「ん? あぁ、ありがと」
ふたを開けたままで、黙って差し出すペットボトル。ダンナは何も考えないで、ボトルに口をつけた。バカめ、罠と
も知らずに。水がまさに口元に滑り落ちるタイミングで、耳元でささやいてやった。
「なぁ……これ、間接キスだよな?」
「ぶっ!!」
瞬間、吹き出す水はきれいな霧状になって、南国の太陽の下に虹を描いた。
あたしはむせて咳き込むダンナを見て腹を抱えて笑った。
――まだまだ、太陽は高い。ずっと、ずっと、高いままだ。ざまぁみろ。
おわり
最終更新:2011年04月24日 22:59