――全く。別府君てば、ホントおせっかいなんだからっ!!
階段を足音も荒く上りながら、あたしは心の中で別府君に対する文句を言い続けていた。
――相手が子供だとか、そんな事分かってるわよ。あたしが大人気ないって事も…… け
ど、しょうがないじゃない。別府君があの子に、すごくいい笑顔を見せるんだもん……
もちろん、別府君はあたしにだって笑顔を見せてくれる。それどころか、抱き締めた
り、優しく髪を撫でたり、時にはキスだってしてくれる。
――あたしって……独占欲……強いのかな……?
いや。そんなのは自覚するまでもない事。高校時代の後輩にも、実の妹にも嫉妬して
いる。そして今、年端も行かない親戚の子にまで、嫉妬しているのだ。これで独占欲が
ないなど、誰も認めてはくれないだろう。
――けど、別府君が悪いのよ。女の子にはすぐに甘い顔見せるんだから……
いや。結局はそれも自分のせいだって分かってる。別府君の優しさに甘えて、ついつ
い我が儘放題に振舞って来たが、いつか嫌気が差して、あっさりと捨てられてしまうの
ではないかという不安が、心の奥にいつも燻っている。
――だからって……急に態度変えるのなんて、無理よ。第一、みっともないし、恥ずかしいし……
と、そこであたしは我に返った。階段を上りきったところで、立ち止まって考え事に
没頭してしまっていた。
――せめて、小学生に嫉妬する事くらい止めないとね。うん。
別府君も言っていたではないか。たかが子供の憧れに過ぎないって。まずはここから、
改善していかないと。でないとそれこそ、別府君に愛想尽かされて、誰かに取られてし
まうだろう。
そう決心すると、あたしは気を取り直して別府君の部屋のドアを開けた。
『あれ? お兄ちゃんは?』
言われたとおりに大人しく本を読んでいた真菜ちゃんが顔を上げてあたしを見た。
『すぐに来るわよ。はい。これ、お菓子ね』
お菓子の盛り付けた皿をテーブルの上に置くと、真菜ちゃんはちょこんと座り直して、
お菓子を一つつまんだ。
『ふーん。で、おばさんはいつ帰るの?』
サラッといきなり挑戦的な態度で来られて、あたしは一瞬、怒りのボルテージが上が
りかけた。しかし、すぐに思い直して気持ちを冷やす。
2
――いけないいけない。ここで怒ったら、また別府君に呆れられちゃう。
相手は小学生なんだと、そう言い聞かせてあたしは無理矢理笑顔を作った。
『あのさ。あたしも、一緒に真菜ちゃんのお相手する事にしたから。宜しく』
するとたちまち、彼女の顔がしかめっ面になった。
『えーっ!! 何でよ。せっかくお兄ちゃんと、久し振りに二人っきりで楽しく過ごせ
ると思ったのに。いい? おばさん。人の恋路を邪魔する人はね。馬に蹴られて死んじゃうのよ?』
どこで覚えたのか、真菜ちゃんは慣用句なんて持ち出して来た。きっと頭はいい子な
んだろうな。あたしなんかよりもずっと。
ここで軽く流す事が出来るのが大人の対応なのだが、どうもあたしはそれが出来なかった。
『何言ってんのよ。恋路だなんて小学生が、大げさな』
そう言って鼻を鳴らすと、真菜ちゃんはあたしをキッと睨んだ。
『バカにしないでよね。今はまだ子供だけど、そのうちに、お胸だっておっきくなって、
お兄ちゃんを喜ばせてあげるんだから。おばさんみたいな役立たずと違ってね』
『失礼な事言わないでよねっ!! あたしだってそれくらいは――』
出来るんだから、と思わず言おうとしてあたしは口篭った。しかし、真菜ちゃんの鋭
い耳は、それを聞き逃さなかった。疑い深げな視線をあたしに浴びせて、小さく呟くよ
うに言った。
『……やっぱり。そうだと思った』
『何がよ?』
子供相手にムキになった事を後悔しつつ、聞き返すと、真菜ちゃんはストレートに突いて来た。
『おばさんも、お兄ちゃんの事、好きなんでしょ? だからあたしの邪魔するんだ』
下から覗き込む視線が、抉るようにあたしの心の中に食い込んでくる。なまじっか子
供だから、視線が純真なだけに耐えられない。
『あ、あたしは別に、別府君の事なんか……』
『ウソつき』
最後まで言う前に、真菜ちゃんはあっさりとあたしの言葉を否定する。
『さっきから、真菜がお兄ちゃんの事をしゃべるたんびに、眉がこーんなに逆立ってる
もん。ヤキモチなんて焼いてないとか言ってるくせに』
そう言いながら、真菜ちゃんは両の人差し指で逆ハの字に自分の顔で眉毛を作って見せた。
『それはアンタが聞き分けないからでしょ? あたしが散々警告してあげてるのにさ』
3
憮然とした顔を作ってあたしは言った。しかし彼女も中々に頑固だった。
『ううん。真菜、分かるもん。女の勘よ』
普通なら、小学生が胸を張ってこういう事を言えば、可愛らしくもあるのだろうが、
今のあたしにとっては小憎らしい以外何物でもない。
『アホくさ。まだ毛も生えていないお子様が何言ってんだか』
ついつい思った事をそのまま口にしてしまうと、真菜ちゃんは顔を歪めて言った。
『うわ。さすがおばさん。言うことが下品よね。お兄ちゃんに言っちゃおっかな?』
『なっ……!! こ、こんな事別府君に言ったら承知しないからね!!』
思わず本気で怒鳴ってしまうと、彼女はワザとらしくキャッ、と身を縮み込ませた。
『うわ、こわっ。そんな怒ってばっかりのおばさんなんて、お兄ちゃんもきっと好きじゃ
ないと思うよ』
『この――!!』
ムキになって怒鳴り返そうとして、あたしはハッと気が付いた。
――いけない。もしかしたら、ワザと怒らせて別府君に告げ口しようとしてるのかも知
れないし。うん。ここはクールに接しないと、別府君に今度こそ本当に帰るように言わ
れてしまうかもしれない。ムカツク子供(ガキ)だけど、今は仲良くしないといけないのだ。
『コホン。ま、あたしの事はどうでもいいわよ。とにかく、話を最初に戻すけど、あた
しも一緒にいる事になったんだから、常識ある大人として、不純異性交遊に当たるよう
な行為は断じて認めないんだから。いい?』
『ふじゅんいせいこうゆうって?』
真菜ちゃんが首を傾げる。相手の言うことがませてるものだから、ついつい難しい言
葉を使ってしまった。ちょっと考えて、あたしは分かり易く言い直す。
『えと、それはね。要するに、簡単に言えばエッチな事とか、それに近いような事とか
ね。だから、別府君にベタベタしたりして、誘惑するのも禁止。分かった』
『イヤ』
あたしの言葉が言い終わるのとほぼ同時に、真菜ちゃんはキッパリと首を振った。
『何でそんな事、おばさんにダメって言われなくちゃいけないの? お兄ちゃんと何の
関係もないんでしょ?』
あたしは一瞬、言葉に詰まる。今度はあたしがさっきから言ってる事を逆手に取って
攻めてきたか。本当に、よく頭が回る子だなと、ムカつきつつも感心してしまう。
4
『か、関係ない事ないわよ。今だって、同じ大学に行ってるんだし…… だから、何て
言うのかな。その……友達というか……』
意外と、あらためて別府君との関係を聞かれると難しいなと思ってしまう。高校では
先輩後輩。今はあたしが一年浪人したから同学年で同じサークルの仲間同士で、友達と
いってしまえばそれまでだけど、実際はもっと深い仲な訳だし、だけど付き合ってはい
ない訳で、口では表現しづらい。
『じゃあ、おばさんがあたしの恋を邪魔する必要なんてないじゃない。お兄ちゃんの事
を、本当は好きならともかく』
真菜ちゃんは、好き、という言葉を敢えて強く言った。それにしても、本当に頭が良
く回るなと、あたしは感心して彼女を見つめた。あと5、6年もすれば、あの手この手
で好きな人を落としてしまうのだろう。その時までにあたしと別府君の関係が進展して
いなければ、本当に横から掻っ攫われてしまう可能性だって、あるのかも知れない。こ
こは、早めに芽を摘んでしまいたい所だ。
『分かったわよ』
考え抜いた挙句に、あたしは頷いた。
『じゃあ、あたしが別府君を好きだって言うなら、アンタと別府君の邪魔をしてもいいって事ね』
すると真菜ちゃんは口を尖らせて答えた。
『いいって訳じゃないけど。でも、好きな人にライバルがいたら邪魔するのは当然だか
ら。あたしだってそうするもの』
よし。言質は取った。あたしは頷く。
『そういう事なら、まあその……別府君の事を……好きだ……って言う事にしてあげて
も、いいかな』
たったこれだけの事を言うのにも、あたしの言葉はつっかえつっかえになってしまっ
た。相手は小学生のお子様一人だけだって言うのに、何とも情けない話である。
『何、その曖昧な言い方。おばさんって大人だってのに、キチンと自分の意見も言えないのね』
真菜ちゃんにまで呆れられてしまった。とはいえ、仕方の無い話なのだ。口に出して
別府君が好きだと認めるのが、こんなに恥ずかしいなんて思わなかったし。
『フ、フン。大人はね。子供と違って単純じゃないのよ』
仕方無しに虚勢を張ってみせる。真菜ちゃんは疑わしげな目であたしを見ていたが、
フン、と鼻を鳴らしてそっぽを向く。
5
『ま、いいわ。これでおばさんとあたしはライバル同士な訳よね』
『アホらし。ライバルだなんて。あたしが本気出せば、別府君なんて簡単に落とすこと
が出来るわよ』
『バカじゃないの? 今までお兄ちゃんがおばさんの事を好きにならなかったのは、お
ばさんに魅力がないからじゃない。真菜のことはね。まだ小学生だからお兄ちゃんは子
供扱いしているけど、もう少し大人になったら、絶対に好きになってくれるんだもん』
そう言って、真菜ちゃんはあたしの真正面に立ち、クリクリとした可愛らしい目であ
たしを睨み付けた。あたしも、彼女の顔を真っ直ぐに見下ろすと、睨み返す。ちょうど
プロレスやボクシングの試合なんかで、試合前にライバル同士が睨み合いをするような、
そんな格好になった。
『勝負よ、おばさん』
居丈高に、彼女は言った。
『どっちが、お兄ちゃんに相応しいか、ね』
しばらく時間を潰してから、僕は時計を見た。
――そろそろ、行ってもいい頃合かな?
飲み物を持っていく時間を遅らせたのは、理由あってのことだ。僕がすぐに行くと、
また不毛な争いを二人で始めかねない。それよりも、二人きりにしておいた方がそこは
同性同士。上手くやってくれるだろうと考えたのだ。それに、先輩だってもう成人を迎
えるわけだし、ちゃんと世話すると約束した以上、子供相手にムキになって喧嘩を続け
はしないだろう。そこは大人として、ちゃんと引くべきところは心得ているだろうし、
むしろ僕が見ていることで素直になれない可能性だって、十分に有り得る訳で。
飲み物を持って部屋に入った途端、真菜ちゃんがパッとこっちを向いた。
『あ? お兄ちゃんお兄ちゃん!! ゲームやらせて。ゲーム!!』
「ん? いいけど」
飲み物を置きながらそう答えると、真菜ちゃんはパッと顔を綻ばせて、クルリと先輩
の方を向いた。
『よし!! おば……じゃなかった。お姉ちゃん。勝負よ』
ビシッと指を突き付けて強気な顔で宣言する真菜ちゃんを見下ろして、先輩がフフン、
と不敵な笑みを浮かべた。
『バカね、アンタ。毎週のようにこの部屋に入り浸って遊んでるあたしに、本気で勝て
ると思ってる訳?』
『真菜だって、お兄ちゃんと一緒に遊んだ事あるもん。負けないわよ』
ギャーギャー言い合う二人だけど、一緒にゲームで遊ぶとは、随分と仲が良くなった
んだな、と僕は意外な面持ちで二人を見つめた。気が付けば、真菜ちゃんも先輩をお姉
ちゃんと呼んでいるし。だけど、仲直りしたのならそれに越した事はないよな。うん。
『何、グズグズしてんのよ。アンタはさっさと準備しなさいよね』
先輩に命令されて、僕は仕方なさそうな笑顔で頷いた。
「分かりましたよ。てか、そろそろ自分で用意して下さいね。僕に何でも頼ってると、
いざ僕がいなくなった時に困りますよ?」
すると、先輩は両手を腰に当て、胸を張って答えた。
『出来るけど、やらないだけよ。むしろ、あたしに使われるなんて感謝しなさいよね』
「いえ。僕はそこまで人間出来てませんので」
ゲームのセットをしながら答えると、先輩は不機嫌そうに僕を睨みつけた。
2
『何よ。不満だっての?』
僕は首を振って答えた。
「別にそこまでは言ってませんけどね。もう慣れっこですし。ただ、感謝までは出来な
いってだけで。はい、セット出来ましたよ」
ゲーム機の電源を点けると、ディスプレイに起動画面が表示される。と、いつの間に
やらゴソゴソとソフトを漁っていた真菜ちゃんが、ソフトを一つ選び取ると、先輩の前
に突き出した。
『これで勝負よ。おねーちゃん』
すると、先輩は不敵な笑みを小学生に対して向ける。
『あら? それ、あたし得意なんだけど。別府君よりもずっと強いし』
『真菜も得意だもん。お兄ちゃんに上手だって言われた事あるし。ねー』
僕は微笑みながら頷いた。そんな僕を睨みつけつつ、先輩は吐き捨てるように言う。
『小学生相手に幾らなんでも本気は出さないでしょ? そんなもの、お世辞に決まって
るじゃない』
それはごもっともなのだが、先輩相手にだって僕はもちろん手加減している訳で。一
方の真菜ちゃんは、さすがに先輩の指摘に思い当たるところがあるのか、僕の顔を心配
そうに見つめている。
「大丈夫。真菜ちゃんだって十分に強いと思うよ。それに、ゲームは年齢じゃないしね」
安心させるように言うと、彼女の顔がパアッと明るくなる。
『ほら!! お兄ちゃんだってそう言ったじゃない。おば……おねーちゃんなんかに負
けないんだから』
一方の先輩はと言えば、僕が真菜ちゃんの肩入れをした事がお気に召さないらしく、
恨みがましい目で僕を見つめている。
『あっそ。ま、やってみれば分かるわよ。お子様だからって容赦しないわよ。泣いてト
イレにでも篭ってなさい』
『フン。おねーちゃんこそ、尻尾を巻いておうちに逃げ帰ればいいのよ』
一体何なのだろうか? 二人の間に漲る対決ムードは。うかつに近寄ると感電死しそ
うな程にピリピリしている。どうやら、あくまで口げんかがゲームに対決の場を移した
だけで、決して二人が仲良くなった訳ではなさそうだ。
「どうでもいいけど、二人とも、負けたからって切れないでくださいよね」
3
そう警告はしたものの、二人の耳には全く届いていないようだった。
『じゃあ、あたしはこのキャラ使うね』
そう言って先輩が選んだのは、先輩の得意としているキャラで、巷ではゲーム中最強
と言われるキャラだった。
『えっと……じゃあ、真菜はこれね』
真菜ちゃんが選んだのは、非力だが操作がし易く、動きが軽快な女の子キャラ。初心
者には人気だけど、ちょっと馴れたプレイヤーと対戦すると、どうしても力不足は否め
ない。とはいえ、極めれば十分に対処できるのだけど、真菜ちゃんにはちょっと辛いか
もと思う。
『それじゃあ勝負よ。クソガキ!!』
『フンだ。こんなクソババアに負けないんだから』
お互い、闘志剥き出しで始まった勝負は、予想通り先輩は優勢だった。真菜ちゃんも
決して負けてはおらず、頑張ってかわしたり受身を取ったりしては反撃しているのだが、
先輩の力押しの攻撃に押し切られてしまっている。
『食らえ!! とどめよ!! 風神烈風拳!!』
『あーっ!!』
先輩の叫び声と真菜ちゃんの絶叫。それに遅れてゲームのキャラが悲鳴を上げて倒れる。
『フフン。どうよ。見たかあたしの実力』
片腕でガッツポーズを取る先輩に、真菜ちゃんが噛み付いた。
『フン。まだ一本取られただけだもん。ここから逆転するんだから』
しかし、次のラウンドも、えげつない攻撃から大技に持って行った先輩が勝利した。
というか、それ、ハメだよね。もちろん、対処法はあるのだが、真菜ちゃんのように素
人に毛が生えた程度のプレイヤーだと、知識が無いからボコボコにやられてしまう。
『もう諦めたら。ここで降参すれば、許してやらないこともないわよ』
『う~っ…… まだ勝負はこれからだもん。十回戦っていう約束でしょ? 次は負けな
いんだから』
両者、同じキャラで再戦。今度は真菜ちゃんも多少は善戦するが、やはり同じパター
ンに持ち込まれて負けてしまう。
『ずるーい!! そのやり方、反則じゃない!! ね、ね。お兄ちゃん。このおねえちゃ
ん、卑怯者だよ』
4
『卑怯じゃないわよ。これだって純粋な戦法なんだから。ねえ、別府君?』
二人から挟まれるようにして聞かれたので、僕は冷静にお答えする事にした。
「別段、反則じゃないですけど、でも卑怯と言うか、えげつないですよね」
二人とも同時に頬を膨らませて不満を露にする。
『えーっ? これ、反則じゃないなんてありえないよ。だって、真菜のキャラ、何の手
出しも出来ずに負けちゃうんだよ? そんなのおかしいよ』
『フン。えげつなくて悪かったわね。勝てば官軍って言うじゃない』
両方から抗議されて、僕は板ばさみ状態になってしまった。
「ま、まあまあ。とにかくさ。二人とも、たかがゲームでそうムキにならなくても」
しかし、収拾を図ろうとしたこの言葉は、たちまちのうちに二人の猛抗議に遭ってしまう。
『たかが、じゃないわよ。ゲームはゲームでも、これは真剣勝負なんだからね!!』
『そうよお兄ちゃん。お兄ちゃんの為にも、真菜は絶対に勝たなくちゃいけないんだから』
何なんだ。この二人の熱の入りっぷりは。さっき、十回戦とか何とか言っていたし、
何か賭け事でもしたのだろうかと、僕は推論付ける。
『ほら、真菜ちゃん。次の勝負よ。それとも、もう降参する?』
急かしつつも相手を挑発する先輩に、真菜ちゃんは負けじと食って掛かる。
『降参なんてしないもん。まだまだ、勝負はこれからなんだから』
またしても同じキャラを選ぶ先輩に対して、今度は真菜ちゃんはパワータイプの巨漢
キャラで挑む。
が、結果はまたしても惨敗だった。
『ほら、見なさい。子供のクセに、あたしと勝負しようなんてのが、そもそも甘いのよ』
得意気な先輩を前に、真菜ちゃんが悔しそうに先輩を睨みつける。
『ズルいよ、そいつ。絶対反則技とか使ってるもん。でなきゃ、真菜が反撃出来ないま
まにやられちゃうとか有り得ないもん。そのキャラ使うの禁止だよ』
『別に、ルールには禁止キャラとか、同一キャラとか使っちゃいけないとか、そんな取
り決めしなかったわよね? だから、ズルくも何ともないの。そもそも、別にハメ技と
か使ってないし』
お子様相手に涼しい顔してそう言う事が言えるのは、さすが先輩だと思う。
『じゃあ、真菜もそのキャラ使うもん。別に同じキャラ使っちゃいけないとか決めてないもんね』
5
『いいわよ。果たして、あたしの真似っ子程度で勝てると思ってるわけ?』
『同じ条件なら負けるわけないもん。今度こそ、おねーちゃんの鼻を明かしてやるんだから』
しかし、三戦目も真菜ちゃんは、一本も取れずに負けてしまった。
『どうよ。分かったでしょ? あたしがズルしてないって』
『う~っ……』
真菜ちゃんはもはや、半分涙目である。しかし、これはちょっと勝負としてはあまり
にも可哀想過ぎる。そう思って僕は、真菜ちゃんを呼んだ。
「真菜ちゃん。ちょっとこっちおいで」
『ん? なあに、お兄ちゃん』
首を傾げつつも、ちょこちょことした動きで真菜ちゃんが僕の傍に寄ってくる。僕は
その耳に口を近付けて、そっとアドバイスをする。
『あーっ!! ちょっと。何教えてんのよ。きったないわよ!!』
内容までは聞こえないまでも、僕が何を言っているのかは察したのだろう。先輩が抗
議の声を上げるが、僕は構わずに最後まで言うと、顔を上げて先輩に答えた。
「この勝負って、僕がアドバイスしちゃいけないとかそういうルールあるんですか?」
すると、先輩より早く真菜ちゃんが答えた。
『特に決めてないよ。ねえ?』
先輩に同意を求めると、先輩はしかし、不満気に顔を顰めた。
『た、確かに決めてなかったけどさ。でも、商品が一方に肩入れしちゃダメでしょーが』
「商品?」
何か、非常に不穏な響きを耳にして聞き返すと、先輩がハッと口を抑えた。
『勝負が終わるまで内緒って言ったじゃん!! おねーちゃんのおバカ!!』
真菜ちゃんが先輩に文句を言った。
『うっさいわね!! ちょっと口が滑っただけでしょ。別府君は今の、聞かなかった事
にしなさい。いいわね!!』
そんな事を言われても、聞かなかった事になどしようがないのだが。どうせ先輩がよ
からぬ賭けを真菜ちゃんに持ち込んだろう。やれやれだ。しかも、どうも先輩が勝つと、
ロクな事にならなそうな気配がするし、ここは真菜ちゃんに加担しようと僕は決めた。
「じゃあ、聞かなかった事にしますけど、その代わり僕が勝負に口出しするのも構いま
せんよね?」
6
すると先輩は、一瞬驚いた顔をした後、怖い顔で僕を睨み付けてきた。
『だ、だからズルいっての。真剣勝負なんだから、そういうの無しよ』
「真剣勝負だからこそでしょう。真菜ちゃんは小学生なんだから、それくらいのハンデ
はちょうど良いと思うんですけど」
しかし先輩は安易には引き下がらなかった。
『だ、だけどそんなの公平じゃないってば!! それだったらあたしにもアドバイスちょ
うだいよ』
何か、いつになく先輩が真剣に抗議しているような気がするんだが、気のせいだろう
か。しかしそれは、甘えたフリをしてる先輩の罠とも考えられるので、僕は毅然とした
態度を取る事にした。
「先輩はもう、飽きるくらいやり込んだじゃないですか。今更僕から助言する事なんて
ないでしょ? 素人に毛の生えた程度の真菜ちゃんとじゃ条件が違いますし。それとも、
僕の助言くらいで先輩は真菜ちゃんに勝てなくなるんですか?」
最後にちょっと、先輩の自尊心をくすぐるような事を付け足す。すると、案の定先輩
は、釣り針に掛かってくれた。
『わ、分かったわよ!! アドバイスでもなんでも好きにすれば良いでしょ!! もう
怒ったわよ。こうなったら、完膚無きにまで、叩き潰してやるんだから』
『お兄ちゃん、真菜に味方してくれるんだ。やったあ♪』
対照的に、こっちは可愛らしく喜んでくれる。僕はニッコリと微笑んで言った。
「それじゃ、とりあえずはさっき教えた方法を試してみて」
『うんっ!! えと、確か……こーして、こーして、こーだったよね?』
先輩に聞こえないように、真菜ちゃんが耳打ちして来た。
「そうそう。それでいいよ」
笑顔で頷きつつ、チラリと先輩に視線を走らせると、とてつもなく怖い顔をしている。
『ホントに? それであのクソ野郎に勝てるのね?』
ここまで手も足も出ずにやられていたせいか、真菜ちゃんの口からかなり過激な言葉
が飛び出した。
「真菜ちゃん。クソ野郎なんて下品な言葉は使っちゃいけません」
ここは一応注意すると、真菜ちゃんはムーッと可愛らしくむくれた顔をする。
『はぁーい』
7
しかしそれでも、素直に返事をするところはいい子だと思うので、僕はニッコリと微
笑んで頭を撫でてあげた。真菜ちゃんは昔からこれが好きなのだ。
「よしよし。いい子だね真菜ちゃんは」
『えへへー。褒められちゃったー』
にへらー、と笑って機嫌を取り直したところで、僕はパンと軽く真菜ちゃんの肩を叩いた。
「さ。先輩にさっき言った方法を試してごらん。勝てるかどうかは分からないけど、少
なくとも手も足も出ないことだけはないはずだよ」
『うん。分かった。真菜、頑張る』
力強く頷いて、真菜ちゃんはモニターの前に座った。
『さあ、勝負よ。クソババア』
『言うじゃないのクソガキ。別府君に何を吹き込まれたか知らないけどね。そんな付け
焼刃であたしに勝てる訳ないでしょ。トイレで一人べそでも掻いてるがいいわ』
うん。二人とも精神年齢は同年代だなあと、そう思いつつ僕は勝負の行方を見守った。
『フン。また食らうがいいわ』
『もうその手は食わないもんねー』
先輩が連続コンボに入るのを見計らったかのように、すかさず真菜ちゃんは防御を入
れる。何気に先輩の使っている技は、最初さえガードに成功すれば簡単に防げるのだ。
初心者がうかつに食らってしまうのは、それまでに繰り出す技のせいで、ついつい他の
大技を警戒してしまうが故である。注意していれば何と言う事はない。
『くそこのっ!! こしゃくなっ!!』
『来たあっ!!』
『えっ!? きゃ、きゃあっ!!』
今度は逆に、お返しとばかりに真菜ちゃんが連続攻撃を入れる。先輩のプレイを飽き
るほど見てそのクセを知っている僕が、付け焼刃でも有効な物として教えた技だ。
『やったあっ!! 初一本っ!!』
両手を高く上げて万歳して真菜ちゃんは喜びを表現する。
『ぐ…… た、たまたまじゃない。それにまだ一本取っただけでしょ。それで勝った気
になんないでよね』
『おねーちゃんの汚い技はもう真菜には通用しないのだ。フフン』
『ぬうう…… いい気になりおってこのお子様があっ!! 次はこうは行かないわよ!!』
しかし、次のラウンドも先輩は奥の手を封じられた挙句に、また真菜ちゃんの技に掛
かってしまい敗退してしまった。
『どお? 真菜の実力、思い知ったでしょ?』
『別府君の力借りていい気になってんじゃないわよ。大体まだあたしの3勝1敗でしょ
うが。あと3勝すればあたしの勝ちなんだからね』
『そうは行かないもん。ここからは真菜のターンなんだから』
同レベルで張り合う二人を見ていると、ある意味仲良いんじゃないかとすら思えてく
る。先輩は次の勝負でキャラを変えて来た。小手先のハメ技が効かなくなったので、今
度はパワーで押し切るつもりらしい。
『ね、ね、お兄ちゃん。アイツに対する攻略法は?』
真菜ちゃんが僕の傍に擦り寄ってくると、そっと小さい声で聞いてくる。
『コラアッ!! 別府君に頼るのもいい加減にしなさいよね。この卑怯者』
2
即座に先輩が見咎めて文句を言ってくる。すると真菜ちゃんが、イヤらしい笑みを浮
かべて先輩に言った。
『あれれ~? さっき好きなようにしろって言ってなかったっけ~?』
ウッ、と先輩が言葉に詰まる。しかし、バツの悪そうな顔をしつつも、先輩は引き下
がらなかった。
『いっ……言ったわよ。言ったけど、だからって、ずっと頼りっぱなしにしていいなん
て言ってないでしょ? 自分一人の力で勝てないなんて情けないわよ』
しかし、そこは真菜ちゃんの方が神経は図太いようだった。
『真菜はお兄ちゃんと力を合わせて悪をやっつけるんだもん。何だったら、おねーちゃ
んもお兄ちゃんを頼れば? お兄ちゃんが素直に教えてくれれば、だけど』
『ぐっ……ぐぐぐぐぐ……』
お子様に良い様にあしらわれて、先輩は歯噛みした。主導権を完全に握った真菜ちゃ
んは、ニヤニヤしながら先輩を見つめている。やがて、先輩の怒りがはち切れた。
『いっ……いいわよこうなったら!! そっちはそっちで勝手にやんなさいよね。あた
しは意地でも別府君に何か頼らないんだからあっ!!』
そう怒鳴ると、先輩はクルリとゲームに向き直り、コントローラーを握った。
『ほら、もう!! 次の勝負、行くわよ!! こうなったら子供だろうと手加減なんて
しないんだから。叩きのめしてやる』
『フン。そんなの返り討ちにしてあげるんだから。ねー、お兄ちゃん?』
僕は先輩を刺激しないように小さく頷いた。しかし、頭に血が上った先輩が、もはや
冷静に勝負が出来るとは思っていなかった。恐らく、この勝負はもう決まった。僕はそ
う確信したのだった。
『やったあああああっ!! 勝った勝ったかったーっ!!』
部屋中に、真菜ちゃんの勝利の雄叫びがこだまする。
『お兄ちゃん!! やったよ!! 真菜、勝ったよ!!』
コントローラーを放り出し、彼女は僕に駆け寄ると、両手を取ってキラキラとした喜
びの表情を向ける。
「そうだね。おめでとう」
3
僕は真菜ちゃんに笑顔を向けつつ、先輩の方にチラリと目をやる。そちらはと言えば、
もはや完全に屍状態だった。
『ウソ……信じらんない…… いくらなんでもあんなガキに……』
まあ、自業自得だよな、とは思う。初心者を騙すハメ技が破られた後は、僕のアドバ
イスに従った真菜ちゃんに弱点をチクチク攻められて、それでも冷静であれば先輩も負
けることはなかったんだろうけど、舐めてた小学生にあしらわれた事に腹を立てて、泥
沼に嵌っていったんだから。
『お兄ちゃんのおかげだよ。お兄ちゃんが真菜の応援してくれたから、真菜、勝つこと
が出来たんだよ』
興奮気味に話し掛けて来る真菜ちゃんに、僕は首を振って否定した。
「僕はちょっとしたアドバイスをしただけだって。実際にゲームをプレイして勝ったの
は真菜ちゃんなんだから」
だけど、真菜ちゃんの方もそれを否定する。
『ううん。お兄ちゃんの愛の力があればこそだもん。真菜の味方してくれたって事は、
真菜の事の方があの女より好きだって事だもんね。真菜、嬉しい』
そのまま、真菜ちゃんは勢い良く、ギュッと僕に抱きついてきた。
「ちょ、ちょっと待って真菜ちゃん。僕はあくまで、このゲームをやり込んでる先輩と
じゃ、不公平だと思ったからで……」
『それでもいいの。お兄ちゃんが真菜の味方だってだけで。へへへー……』
真菜ちゃんは、僕の体の中に納まり、胸に頭を押し付けてスリスリする。
「ちょ、ちょっと待ってってば。どうしたの? そんな急に引っ付いたりして」
多少動揺しつつ、僕は聞いた。いや。真菜ちゃんが甘えてくるのはしょっちゅうだが、
それにしてもこんなに思いっきりベタベタしてくるのは、ちょっと珍しい。そして、そ
れ以上に違和感を覚えたのが、さっきから先輩が一言も文句を言わない事だ。さっきま
でなら、キャンキャンと子犬のように噛み付いて来てたってのに。
しかし、僕の質問に、真菜ちゃんはとんでもない答えをして来た。
『エッヘヘー。だって、お兄ちゃんは真菜が独占していい事になったんだもん。ねー』
最後の問い掛けは、先輩に向けられたものだった。先輩はジロリと真菜ちゃんを睨み、
それから更に怖い形相で僕を睨み付けてから、不満も露にプイッと横を向いて毒づいた。
4
『一時間だけ別府君を自由にしていい、でしょうが。誤解を招くような言い方は止めな
さいっての』
「ちょ、ちょっと待って下さい。何ですかその、独占だの自由にしていいだのって?」
何か、かなり嫌な予感がして僕は慌てて聞いた。すると、真菜ちゃんがニコニコ顔で
答えてくれた。
『えっとね。あのおねーちゃんと約束したの。ゲームで10回戦勝負して、勝った方がお
兄ちゃんの恋人になれるって』
『違う!! そこ、捏造すんな!!』
真菜ちゃんの言葉が言い終わると同時に、先輩がまた噛み付いた。
『だって真菜にとってはおんなじ事だもん』
さも当然のように言う真菜ちゃんを睨み付けてから、先輩は僕の方を向いて、ちょっ
と言い辛そうな顔をしつつ言った。
『この子と、一時間、別府君を自由に出来る権利を賭けたのよ。だってのに、別府君て
ば、真菜ちゃんの味方ばかりしてさ。今度と言う今度は、アンタがロリコンだってはっ
きり分かったわよ』
途中から、愚痴とも文句とも付かない言葉に代わる。しかし、それはちょっと承服し
かねる言葉だったので、僕は慌てて自分の言い分を口にした。
「ちょっと待って下さいってば。そんな約束、僕はちっとも知らなかったんですから。
だからそれで真菜ちゃんの味方をしたくらいでロリコン扱いされても困ります」
『賭け自体は知らなくたって、小さい子にばっかいい顔して、ヘラヘラしてるじゃない。
もう一人の女の子は無視してさ』
先輩は僻みっぽく言ったが、今、自分が嫉妬してますと言ったも同然の発言をした事
には全く気付いていないようだった。一方で真菜ちゃんは、僕から離れて先輩の傍に近
寄ると、嬉しそうな顔で言った。
『おにーちゃんをモノに出来なくて残念だったね。おねーちゃん』
勝利者の余裕たっぷりな真菜ちゃんをジロリと睨み付けてから、先輩は不機嫌そうに
プイッと横を向いた。
『べ、別にちっとも残念なんかじゃないわよ。別にあたしは別府君なんていらないし。
ただ、傍でベタベタと犯罪まがいの行為されない為にこんな賭けしただけなんだから』
『負っけ惜しみーっ♪ 負っけ惜しみーっ♪』
5
『るさいっ!! 負け惜しみなんかじゃないっての。もう知らないから勝手にベタベタ
甘えてなさいよっ!!』
先輩を完全に追い込んでから、真菜ちゃんはトコトコと僕の所に戻ってきて、僕の腕
を掴んで引っ張りながら言った。
『それじゃあお兄ちゃん。真菜と一緒にゲームやろ。ゲーム』
僕は戸惑いがちの笑みを浮かべつつ頷くと、先輩の方を向いた。一つだけ、どうして
も聞いておきたい事があったからだ」
「先輩」
『何よ』
「さっきの賭けって、対象となる僕の了解が全くない訳ですが、それについてはどうお
考えでしょうか」
答えは、予想通りだった。
『何でアンタの意見をいちいち聞かなきゃいけないのよ。バカバカしい』
そして、僕の傍で真菜ちゃんも、ニッコリ笑って言った。
『大丈夫。お兄ちゃんが真菜と一緒に遊ぶの、イヤな訳ないもん。ねー?』
真菜ちゃんに愛想笑いを浮かべつつ、僕は内心ため息をついた。性格に違いはあるも
のの、どうして僕は、こう我の強い女の子ばかりが纏わり付いて来るのだろうかと。
最終更新:2011年08月19日 09:12