• ツンデレ先輩VSデレデレ小学生 その16

――さて、と。どうするかな……
 じゃがいも。たまねぎ。ベーコン。そして調味料の数々。これらをテーブルの上に並
べただけで、あたしの手は止まってしまった。
――何せ、グラタンなんて作った事ないもんね……
 チラリ、と敵を見る。向こうはさっさとボウルにひき肉をあけ、パン粉だの梳き卵だ
のを混ぜ合わせ始める。
――ズルイわよ。ハンバーグなんて、単にひき肉を固めて焼けばいいだけじゃない。
 今更ながらに、自分の選択を悔やむ。こんな事になるんだったら、クリームシチュー
くらいにしておけば良かった。とはいえ、もはや変更など出来る訳も無い。
『あれ? 作らないの、おねえちゃん。もしかして、もう降参?』
『うるさい。料理ってのはね。完成品のイマジネーションが重要なんだから。話し掛け
るんじゃないわよ』
『いまじねーしょん?』
 あたしの適当なごまかしに、真菜ちゃんが首をひねる。どうやら、言葉の意味がよく
理解出来なかったらしい。
『と、とにかく今から作るんだから、邪魔しないでよ』
『諦めるなら今のうちだよ。お野菜がもったいないし』
『誰が諦めるかっ!!』
 思わず彼女が顔をしかめて耳を塞ぐくらいの大声で怒鳴ってから、あたしはまず、じゃ
がいもを手に取った。とりあえず、無難なところで野菜を洗うところから始めよう。手
を動かしていたら、きっと何か良い方法が見つかるだろう。
 スポンジに洗剤を付け、水で泡立ててから、ゴシゴシ擦って泥を落とす。一つ洗い終
わったところで、視線に気付く。隣に真菜ちゃんが立って、怪訝そうな顔で、あたしの
手付きをジーッと見つめていた。
『ちょっと。何見てんのよ』
 見咎めてそう聞くと、彼女はプイ、と視線を逸らす。
『どうでもいいけど、お兄ちゃんを毒殺するようなものは作らないでよね』
『何よそれ。どういう意味よっ!!』
 聞きとがめたが、彼女は無言のまま、ひき肉を混ぜる作業に戻っていた。
――むぅ…… あたし、何か間違いをしたのだろうか?
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 首を捻って考えてみるが、思い当たらない。そもそも、まだ野菜を洗っている段階で
毒殺も何もないだろうに。それとも、泥をもっと良くキチンと落とせというのか。もし
かしたら、単なる揺さぶりかも知れない。
――ま、いっか。気にしたって始まらないし。
 洗い終えたじゃがいもを、皮むき器で剥く。一応、カレーくらいは作った事があるか
ら、このくらいは出来る。とはいえ、横でお母さんが付きっ切りで口やかましく怒って
はいたけど。
『う~ じゃがいもってでこぼこしてて剥き難いから嫌いなのよね』
 苛立たしげに剥くが、へこんでいる所はどうしても、皮よりイモの方が多く削れてしまう。
『ま、いいか。こんなもんで』
 ゴロンとまな板の上に転がして、二つ目に取り掛かると、真菜ちゃんがそれを見て文
句を言ってきた。
『おねーちゃん。ダメじゃない。ちゃんとキレイに剥かないと』
『うっさいわね。別にちょっとくらい残ってたって問題ないでしょ』
 多分、死にはしないだろうなと思いつつ、口を尖らせて言い返す。すると彼女は、あ
たしの剥いたじゃがいもをジロジロと見て、それから苛立たしげに声を上げた。
『あー、もう!! 芽を全然取ってないじゃない。お母さんが言ってたのに。じゃがい
もの芽は毒だから、キレイに取らなきゃダメだって』
『え? あー、そ、そうだっけ……?』
 そういえば、カレー作る時、あたしもお母さんに怒られたっけな、と今更ながらに思
い出す。それにしても、母親ならともかく、小学生に注意されるとは屈辱の極みだ。
『全くもう。お兄ちゃんを殺す気なの? おねーちゃんは』
『そりゃ、大量に食べたら死ぬかもしれないけど、ほんのちょっとでしょ? 大丈夫よ。
運悪くても、おなか壊すくらいじゃないの?』
『そういう問題じゃないでしょ……』
 ハァ……と、ため息を吐く真菜ちゃんの態度に、ぐっさりと心を槍で貫かれた気分になる。
『これじゃあ、万が一、おねーちゃんがお兄ちゃんのお嫁さんになっても、すぐに死ん
じゃいそうよね。絶対に、おねーちゃんにだけは渡せないわ』
『だ、大丈夫よ。別府君が料理作ればいいんだし。っていうか、誰が別府君のお嫁さんに――』
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 なるって言うのよ、と言い掛けてあたしは慌てて口を噤んだ。この子の前で、ちょっ
とでも否定するようなことを言えば、あっという間に勝負の土俵から蹴落とされてしまう。
『言ってるでしょ? 女はね。好きな男の人に手料理を作ってあげて、おいしいねって
言ってもらえるのが幸せなんだって』
『フン。今時古いのよ。そんなの』
『だって、お母さんが言ってたもん。あたしもそう思うし』
 なるほどね、とあたしは内心納得する。この子のませた言葉は全部、お母さんからの
受け売りか。あたしは、さっき会った真菜ちゃんのお母さんを思い出す。小学生の娘が
いる割には、キレイだったと思う。きっと、仲の良い夫婦なんだろうなと思うと、何だ
か羨ましく思ったりする。
――あたしには無理だろうな……きっと……
 別府君との夫婦暮らしはどんな風になるんだろう? ふと、あたしはそんな事を考え
てしまう。今の関係がそのまんま延長して続くようになるんだろうか? 何かそれだと、
いかにもダメ主婦みたいな感じでイヤだな、と思う。もっとも、だからこそ料理嫌いの
あたしが、少しでも勉強出来るように母親から習っている訳だが。
『ちょっと。ボーっとしてないで、早く終わらせてよね。あたしもピーラー使うんだから』
 ピーラーと言われ、あたしは一瞬キョトンとする。それから、皮むき器の事を指して
いるんだと気付き、ちょっと慌てて返事をする。しかし、子供のクセに難しい言葉をい
ろいろ知ってるなこの子は、と、ムカつきながらも感心せざるを得ない。
『待ちなさいよね。と、確かここ使うんだったっけ……』
 前に焦がしたカレーを作った時に母親に怒られながらやった事を思い出す。が、子供
の前でもたもたした所を見せられないと焦る余り、却って手際が悪くなってしまう。
『おねーちゃんてば、本当に“不器用”よね。何か、こっちがイライラするんだけど』
 グヌヌ、と歯軋りするが、事実なのだから反論のしようもない。何とかして二個のじゃ
がいもを剥き終ると、あたしは放り投げるように皮むき器を彼女に渡す。
『はい、おしまい!! これでいいでしょ?』
 だけど、あたしが剥いたじゃがいもには目もくれず、彼女は付け合せのにんじんの皮
を剥きつつ、冷たく言い放った。
『知らない。あたし、おねーちゃんの監督係じゃないし。むしろ失敗してくれたら、あ
たしがお兄ちゃんを独占出来るんだから、その方が良いし』
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 これも言ってる事は正しいけれど、言い方がいちいち癇に障る。絶対学校でも嫌われ
てるだろと思いつつも、あたしは不満気に睨み付ける事しか出来なかった。すると、そ
の視線に気付いて真菜ちゃんがこっちを見る。
『人の事見てる暇があったら、さっさと進めたら? 別におねーちゃんの為に言ってる
んじゃなくて、そっちが遅れたせいであたしのハンバーグが冷めるのが嫌なだけだからね』
『分かってるわよ。やればいいんでしょやれば』
 あたしは包丁を手に取り、じゃがいもに向き合う。たどたどしい手付きで、片手でじゃ
がいもを持ち、少し切れ目を入れてから手の抑え方を変えつつ、恐る恐る半分に切る。
『フゥ……』
 何とか一つ半分に切ると、あたしはため息を吐く。すると、あたしの手付きを横で見
ていた真菜ちゃんが、呆れた声を上げた。
『うっわ…… すっごい下手』
『う、うるさい!! 包丁はちょっと苦手なのよ。大体、刃物なのよ、刃物。怖くないの?』
 あたしは真菜ちゃんの顔の高さに包丁をかざすと、軽く振ってみせる。研ぎ澄まされ
た包丁の刃がキラリと光るが、真菜ちゃんは平然とした顔で首を横に振った。
『ううん。使い方さえちゃんとしてれば大丈夫だって、お母さんが言ってたもん』
『うっかり間違えたらどうするのよ。ざっくりよ。ざっくり』
 脅すつもりでわざと動作も大げさにして見せたが、真菜ちゃんはフン、と鼻を鳴らし
ただけだった。
『そんな事分かってるもん。でも、そういう危ないものだってちゃんと考えて気をつけ
ていれば怪我しないんだって。まあ、おねーちゃんは不器用だから、危ないと思うけど』
『それが油断って言うんでしょ。ちょっとあたしより料理が上手だからって粋がってる
と、今に大怪我するんだから』
 不器用と言われ、腹立ち紛れに忠告してみせたが、彼女は全然意にも介せず、まな板
の上を指した。
『そんな事よりさっさと切ってよね。下手くそ。後がつかえているんだから』
 見ると、既に真菜ちゃんはにんじんの皮むきを全部綺麗に終えていた。それどころか、
ハンバーグの種もキッチリ作り終えている。恐るべし小学生。
『うぐぐ…… わ、分かったわよ』
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 切る度に包丁に張り付くジャガイモと格闘しながら、恐る恐るスライスしていく。もっ
とも、スライスと言う言葉に失礼なくらい分厚かったり逆に薄すぎたりで、厚みが全
然一定でなかったが。
『ハァ……もう、待ってられない。あたし、ちょっとお兄ちゃんとこ言ってお話して来
るから、終わったら呼んでよね』
『あ、コラ!! ちょっと待ちなさいよ!!』
 咄嗟に呼び止めるが、真菜ちゃんはあたしを無視してキッチンの入り口まで行くと、
クルリと振り向いて言った。
『文句があるなら、とっととジャガイモを切り終えなさいよね。バーカッ!!』
 バタン、と勢いよくドアを閉めて、彼女の姿はキッチンから消えてしまった。それを
見送りつつ、あたしは大きくため息を吐く。
『やっばいなー……どうしよう……』
 このままじゃ確実に負ける。別府君はこういう時にお世辞とか一切無いから、あたし
の見よう見まねのグラタンなんてバッサリ切り捨てるに決まってる。まるで甘々な新婚
生活を送る夫婦のようにいちゃいちゃしながら食事をする二人を黙って見てるなんて出
来っこない。
『何か策はないかなぁ……』
 しかし、一見して見た感じ、既に十分混ぜ合わされているハンバーグの種に隙はない
ようだった。しかし、よくよく見てみると何かが足りない。菜箸でゴチョゴチョと弄くっ
て、あたしはそれが何だか分かった。
『これ、玉ねぎ入ってないじゃない』
 買い物の時のやり取りを思い出す。そういえば、真菜ちゃんは玉ねぎが嫌いだったっけ。
『そういうのってズルイわよね。人の嫌いなにんじんはキッチリ準備してんだもん。自
分のにも入れないと』
 ちょっとした嫌がらせが見つかり、あたしは多少気分を取り直して流しの前に戻る。
いやいや。嫌がらせなんかじゃない。教育として好き嫌いを直すのは正当な行為だ。
『グズグズしてたら戻って来ちゃうし。先こっちからやるか』
 自分のじゃがいもは一旦放棄して、玉ねぎの皮剥きに取り掛かる。
『これは手で剥けるから楽でいいわよね。全部の野菜がこんなんならいいのに』
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 茶色い部分がほとんど無くなるまで剥いてから、ゴロゴロとして安定しない玉ねぎを
押さえつけて何とか半分にする。
『よっしゃ。後はこれを細かく刻んで……と。フフン。あのガ……いや。お子様。帰っ
て来たらどんな顔するかしらね』
 一瞬、泣かれたらどうしようかと思ったが、あの気性の強い子の事だ。怒りはするだ
ろうが、泣くなんて事はあるまい。何も料理をダメにする訳じゃないし。
『ちょっとくらいの挫折は味わったほうがいいのよ。若いんだからね』
 そう自分で自分の行為を正当化しつつ、あたしはせっせと秘密工作に励むのだった。

  • ツンデレ先輩VSデレデレ小学生 その17

『お兄ちゃん!!』
「わぷっ!?」
 いきなり飛び付いて来た真菜ちゃんに、僕は対処する暇もなく、ソファの背もたれに
体を押し付けられた。真菜ちゃんは僕に抱きつきながら、顔を上げて申し訳無さそうに言う。
『お兄ちゃん。大丈夫? お腹空いてない?』
「はは……大丈夫だよ。ちょっと苦しいけどね」
 何とか笑顔を作って見せると、真菜ちゃんは申し訳無さそうな顔を見せる。
『……ごめんなさい。痛かったの?』
「ううん。大丈夫。もう痛くないよ」
『ホント? 良かったぁ~っ!!』
 ソファの背もたれと僕の体の間に強引に腕を入れて抱きつき、体をギュウギュウと押
し付けてくる。10歳とはいえど女の子だ。まだ胸はないが体は柔らかく、全く意識しな
いという訳にも行かなかった。
「そ、それより真菜ちゃん。どうしてこっちへ? ハンバーグ作ってる最中でしょ?」
 意識を逸らすべく話をすると、真菜ちゃんは僕の胸に埋めていた顔を上げ、不満そう
に口を尖らした。
『あのおねーちゃんが包丁をひとり占めしてるんだもん。ハンバーグは今から焼いてた
ら冷めちゃうしさあ。だから休憩なの』
 そう言うと再び僕の胸に顔を埋めて甘える真菜ちゃん。先輩がこれを見たら頭から角
が生え出るだろうなあと思う。
「先輩はどうなの? 上手くやってる?」
 不安に思っていることを聞くと、真菜ちゃんは顔を上げて首を振った。
『ううん。もう全然。あのおねーちゃん、お料理下手くそなんだもん。見ててこっちが
イライラしちゃう。お兄ちゃんも食べないほうがいいよ』
 急にしかめっ面になって真菜ちゃんは言った。まあ、その事に関しては真菜ちゃんよ
り僕の方が重々承知しているのだが。
「うーん。グラタンにはならなくても、せめて食べられるものを作ってくれればいいんだけどな」
 そう呟くと、真菜ちゃんは首を振った。
『無理無理。おねーちゃんじゃ絶対無理だよ。お野菜とか無駄にしちゃうだけだと思うけどな』
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 小学生から見てすら、やっぱりそう思えるか。
「やっぱり、僕が傍で見てた方がいいな。ちょっと行こうか」
『ダメ!!』
 真菜ちゃんはしっかりと僕に抱きついて離そうとしなかった。
「でも、先輩を放って置くってのは……」
『ダメなの。大人なのにお料理も出来ないなんて、絶対甘やかされてるに決まってるも
の。一人でやらせないとダメなんだもん』
 先輩が甘やかされて育ったかどうかはともかく、真菜ちゃんの意見に反論出来るだけ
の言葉を、僕は持たなかった。とはいえ、やっぱり心配なのは確かだ。何と言っても、
家のキッチンを使っているのだから。
「分かった。先輩に教えたりはしないよ。だけど、ちょっとだけ様子見に行くのはいい
だろ? それくらいなら、真菜ちゃんのお父さんだってするんじゃないのかな?」
 僕の言葉に、真菜ちゃんはうーん、と考え込んでしまった。きっと僕の言った事が本
当なんだけれど、して欲しくない事でもあるのだろう。
『……分かった。ちょっとだけなら……いいよ』
 渋々、真菜ちゃんは口にした。
『でも、真菜のお料理もちゃんと見てよね。真菜はちゃんと作ってるから』
「分かったよ」
 僕は、真菜ちゃんの頭を撫でながら言った。
「それじゃあ、そろそろ離れてくれない? でないと立てないんだけど」
『ダーメ』
 真菜ちゃんは頭をスリスリさせながら言った。
『おねーちゃんが、包丁使い終わったら呼びに来る事になってるから。それまではずっ
とこうしてるの。ねー?』
「ちょちょちょ、ちょっと待ってよ真菜ちゃん。それはちょっとマズイってば」
 先輩にこんな所を見られたら、完璧にロリコン扱いされる。それだけは何としても避けないと。
『何で? 好き同士なんだもん。あんなおねーちゃんの事なんて、気にしなくって大丈
夫だってば。ね?』
 どうやら、どうあっても真菜ちゃんはどいてくれないらしい。来るべき審判の時間を、
僕は覚悟しながら待ち受けねばならないようだった。

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『や、やっと出来たぁ……』
 溢れ出す涙と格闘しつつ、何とか玉ねぎのみじん切りを終え、それから自分のじゃが
いもも切り終えて、あたしは額を腕で拭った。いや。別に汗は出ていないんだけどね。
何となく気分で。
『それにしても、真菜ちゃんてばいつまで別府君に引っ付いてんのよ。何してんだか知
らないけどさ。全く……』
 そういえば、終わったら呼びに来いとか偉そうに言ってた事を思い出す。
『あの年で男に甘える事を覚えるとか、教育上にも、風紀の問題からも、絶対良くない
わよ。ああいう女の警戒心の無さが男を犯罪に引っ張り込むのよね。うん』
 ぶつくさと適当な文句を言いつつ、あたしは二人がいるはずのリビングに向かった。
そして、そこで目の当たりにしたのは、ソファに座っている別府君と、しっかり抱き付
いている真菜ちゃんの姿だった。
『ちょっ…… 何やってんのよアンタ達!!』
 半ば予想していたとはいえ、やっぱりあたしは怒鳴り声を上げてしまった。真菜ちゃ
んが迷惑そうな顔でこっちを向く。
『あ。やっと終わったんだ。全く、たかがじゃがいも切るだけなのに、遅過ぎ。何時間
掛けてんのよ』
 それから、クルリと別府君に向き直り、まるで仲睦まじい恋人のように、耳元で囁いた。
『ごめんねお兄ちゃん。真菜、もう行かなきゃ』
 その態度が、またあたしの苛立ちを刺激する。
『いつまで抱き合ってるつもりなのよ。いい加減にしなさいよね。別府君もニヤニヤし
ちゃって、このド変態のロリコン!!』
 すると別府君は、優しく真菜ちゃんを自分の体から離すと、そのまま地面に下ろして
あげた。それから、自分も立ち上がると、腰を屈めて真菜ちゃんの頭を撫でる。
『それじゃあ頑張って。真菜ちゃんのハンバーグ、楽しみにしてるからね』
『うんっ!!』
 二人の会話は、完全にあたしの事など無視して進められていた。
『こらっ!! ちょっと、聞いてんの?』
 ムキになって叫んだが、何か酷く自分が惨めな気がする。しかも、追い討ちを掛ける
ように、すれ違い様に真菜ちゃんがあたしにだけ辛うじて届く声で言った。
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『……年増の嫉妬って、みっともないよ。おばさん』
 キッ、とあたしは小学生に見せるには余りにも大人気ない視線で彼女を睨み付ける。
が、真菜ちゃんはそれを受けることなく、さっさとリビングから出て行ってしまった。
「先輩」
 その声に、あたしはハッと振り返る。いつの間にか、別府君がすぐ傍に立っていた。
『何よ。このロリコン。あの状況で言い訳出来るとか思ってな――』
 僻み口調で詰問しようとして、あたしの言葉は途切れた。何故なら、いきなり別府君
が、しっかりとあたしを抱き締めたからだ。
『やっ……ちょ……』
 別府君の温もりに全身が包まれる。痺れに似たような感覚が襲い、あたしはわずかに
喘ぎに似た声しか上げることが出来なかった。
 しかし、それはほんの僅かな時間で、別府君はすぐにあたしを解放してしまった。
「はい。これで二人とも平等ということで、文句ないですよね」
 ニッコリと笑う別府君に、あたしは食って掛かった。
『だっ……誰が抱き締めて欲しいなんて言ったのよ。このドスケベ』
 大声を上げそうになって、あたしはグッと感情を抑え、低く小さな声で言った。こん
な事が真菜ちゃんに知られたら、また面倒くさい事になる。
「あれ? して欲しくなかったんですか? 確かに口では言ってないですけど、てっき
りそうかと思いましたが」
 しれっと真顔で言うところが憎たらしいと思う。またそれが事実なのだから尚更だ。
『ちっ……違うわよ。あたしは、別にその……そんな事されたいとか、全っ然思ってな
かったもん……』
 何とか気を強く持って、口では否定する事に成功する。とはいえ、随分とたどたどし
い言い方になってしまったが。そして、別府君は演技なのかそれともあたしの心を読ん
でわざとそうしたのか、とにかく済まなそうな顔を作って頭を軽く下げた。
「そうですか。それじゃあ僕の勘違いですね。すみません」
 それから、顔を上げると真正面からあたしを見つめて、続けて言った。
「でも、僕は先輩を抱き締めたかったですけどね」
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 途端に、あたしの体温が、一気に二度くらい上昇する。胸の奥が何とも言えずむず痒
い感覚を覚えた。それに逆らい、あたしは必死で彼を睨み付けると、バカの一つ覚えみ
いにさっきと同じ非難を繰り返した。
『それってやっぱりドスケベって事じゃないのよっ!!』
 上ずった声で怒鳴りつけると、別府君はあっさりと頷いた。
「はい。そう思っていただいても構いません」
『自分から認めるなあっ!! こんのドアホッ!!』
 いつもそうだ。言い訳がましく自分の立場を主張するなら、こっちだって文句の言い
ようもあるのだが、別府君は案外すんなりと自分の非を認めてしまう。いや。元々が言
い掛かりなのだから、非などあるはずもないのに。だからああもあっさりと頷かれると、
あたしの方が困ってしまうのだ。
『女の子からドスケベって言われてあっさり頷くとか、どういう神経してんのよアンタは!!』
 やり場の無い感情を怒りにして別府君にぶつけるが、彼はそれをあっさりと打ち返し
てきた。
「だって、男がスケベじゃなかったら困るじゃないですか。先輩だってそうでしょ?」

  • ツンデレ先輩VSデレデレ小学生 その18

『は? な、何でアンタがスケベじゃなかったらあたしが困らなくちゃいけないのよ?』
 咄嗟に聞き返すと、別府君は首を振って否定の仕草をする。
「違います。僕だけじゃなくて男性一般の事です。仮に先輩の好きな男の人がスケベじゃ
なかったらどうですか? エッチな事はもちろん、キスも、スキンシップも全く興味を
持たないんですよ? 男の場合は特に、そういうのとスケベ心はセットですからね」
 あたしは思わず、スケベじゃない別府君を想像してみた。別府君がキスとかしてくれ
なくなったら、イヤだ。まだ経験無いけど、エッチな事だって……
「どうかしましたか?」
 別府君の言葉に、ハッとあたしは我に返った。彼の面白がるような顔を、思いっきり
睨み付ける。
『何でもないわよ。あたしは良くわかんないけど、確かに生物学的には困るかもね』
 適当な言葉でごまかしてお茶を濁そうとしたが、別府君の表情を見て確信した。コイ
ツ、絶対に信じてないな、と。
「まあ、そんな訳でスケベと言うのは至極正常ですからね。ロリコンとかド変態とか言
われるのは心外ですけど、スケベと言われるのは光栄です。少なくとも、大人の女性に
スケベ心を抱く、真っ当な男であると言う理解はしてくれたみたいですし」
 それを信じさせるために、いきなりあたしを抱き締めたりしたのかと、あたしは納得
した。もっとも、ロリコンだのなんだの、最初っから信じて言ってる訳じゃない。半分
は嫉妬心で、半分はもしかしたらという恐れからだ。
『アンタね。そんな事を証明させる為に、乙女を抱き締めるとか何考えてんのよ。犯罪よ、それ』
 思いとは裏腹の文句を言ったが、別府君はいけしゃあしゃあと言い返す。
「僕にとっては大事な事でしたんで。それに先輩はもう成人ですし、知り合い同士なん
で犯罪とはなりにくいですよね」
 そうなのか? そんな事でいいのか日本の法律は? まあ確かに、男女とはいえ知り
合い同士のじゃれ合い程度で警察が出て来ていたら、いくら手があっても足りないかも。
 そんな事を考えていたら、いきなりキッチンから大声が上がった。
『あーっ!! 何よこれーっ!!』
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 パッと別府君が反応し、足早にキッチンへと向かう。あたしも慌ててその後に続いた。
いや、真菜ちゃんの悲鳴の原因は大体分かるから、別に慌ててはいないか。
「どうしたの、真菜ちゃん」
 別府君がキッチンに入ると、真菜ちゃんは、ボウルに入った物を指差して言った。
『見てよこれーっ!! 真菜が一生懸命練ったハンバーグの種がめちゃくちゃにされちゃったのっ!!』
 憤慨して、ボウルの中身を別府君に示す。別府君は中を見ると、怪訝そうな顔で言った。
「何か、玉ねぎが山のように入ってますね。しかも随分と大きな固まりが」
『そうなの!! 絶対コイツがやったに決まってるんだから』
 手を腰に当て、尊大な態度で下からあたしを見上げる真菜ちゃんを、あたしは負けじ
と睨み返した。
『そうよ。だって、ちゃんと玉ねぎ食べるって約束したじゃない。なのにこっそり抜い
たまま作ろうとしたから、あたしが入れてあげたの。何か悪い事した?』
 一瞬、真菜ちゃんがしまった、という顔をする。しかしそれはほんの一瞬で、すぐに
元の表情に戻ると、唇を尖らせる。
『だからって真菜に内緒でこっそり入れないでよ。しかもこんなのみじん切りじゃない
し。これじゃあこねられないじゃない』
『何贅沢言ってんのよ。十分細かく刻んであるでしょ? 自分が嫌いだからって文句言
わないの』
 すぐにバラバラになっちゃう玉ねぎを細かく切るのは何気に大変だったのだ。一体世
間の料理人はどうやってあんな風に細かく切っているんだろうか。きっと機械でやって
いるんだ。そうに違いないと、あたしは納得する。
『聞いた? お兄ちゃん。これがみじん切りだったら、ただの皮を剥いただけの玉ねぎ
でもみじん切りって言えるわよ』
 あたしとの口喧嘩で不利だと思ったのか、真菜ちゃんは別府君を味方に付けようと同
意を求めた。それに別府君はあっさりと頷く。
「ま、そこまでは大げさだけどね。それより先輩」
 別府君は今度はあたしの方を見て言った。顔が意外にも真面目だ。
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「いくら子供が悪い事をしているとはいえ、こっそり入れるっていうのは無いと思いま
す。それじゃあ、注意するどころか逆効果になっちゃうじゃないですか」
『だ、だって、注意したって絶対文句言って入れようとしないに決まってるもん。どう
せこの子、あたしの言う事なんて聞かないし』
「最初から聞かないと諦めたら、何も教えられません。言う事を聞かない子を宥めすか
して聞かせるようにするのも、大人の務めだと思うんですけど」
 結構厳しく言われて、あたしは思わずシュンと気分が落ち込んでしまった。もともと、
嫌がらせメインでやった事だけに、反論しようにも説得力のある言葉が出て来ない。
 押し黙ってしまったあたしに、小さくため息を吐いてから別府君は言った。
「まあ、真菜ちゃんも約束を破ろうとしたのは良くないよね」
 すると今度は、真菜ちゃんがシュンとする番だった。
『ち、違うもん。本当に後でちゃんと入れるつもりだったんだもん』
 焦ってした言い訳は、一瞬で別府君に看破される。
「自分のをこねてから、でしょ?」
 ニッコリと笑顔の別府君に顔を向けられず、真菜ちゃんは俯いてしまう。それから、
小さな声で言った。
『……ゴメンなさい。だって真菜。本当は玉ねぎ……切るのもダメなんだもん。目が痛
くなっちゃうし……』
 敢えて庇いたくないからあたしは黙っていたが、それには心の底から同意した。何故
なら、さっき玉ねぎを切った時に、あたしも散々苦労したからだ。
「ちょっと見ててごらん」
 別府君が、包丁を持って言った。あたしが切り残した玉ねぎをまな板の上に置く。
「みじん切りはね。こうやってやると手早く綺麗に出来るんだよ。あまり目に沁みずに済むし」
 別府君は、玉ねぎを根元だけ残して包丁を入れていく。あたしが、バラバラになるの
をかき集めては切ってを繰り返した玉ねぎを、全く崩すことなく綺麗に切り刻んだ。
『お兄ちゃんスゴイ。やっぱりお兄ちゃんてば天才だよね』
 真菜ちゃんも驚いたらしく、感心して呟いた。別府君はちょっと照れたように答える。
「いや。これくらいは教えて貰えば誰だってすぐに出来るって。真菜ちゃんも、もうコ
ツは分かったろ?」
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『うん。真菜、やってみる』
 すっかり元気を取り戻して、真菜ちゃんは包丁を握る。
『フン。バッカじゃないの? 子供に褒められただけで照れちゃってさ』
 ちょっと嫉妬したあたしは、小さな声で毒づく。すると別府君がこっちを見た。今の
言葉が聞こえたのかと、ドキリとしつつもあたしは平静を装う。
「先輩」
 別府君があたしを呼ぶ。あたしは気を強く持とうと、グッと気を引き締める。
『な、何よ。何か言いたいことでもあんの?』
「はい、これ」
 別府君は、真菜ちゃんのハンバーグの種の入ったボウルをあたしに差し出した。
『は? これが何よ』
「先輩の切った玉ねぎだと、ハンバーグに入れるのには大き過ぎですから。責任を持っ
て取り除いて下さい。まあ、細かい奴はそのまま使えますから、大きな固まりだけでいいです」
『何であたしがそんな事しなきゃなんないのよっ!!』
 咄嗟に大声で文句を言ったが、別府君の真面目な顔に、強がりもあっという間に消え
て失せてしまった。
「自分のやった事ですからね。ちゃんと自分で責任を取らないと。それに、この大きさ
だったらポテトグラタンに入れるにはちょうどいいでしょうし」
 そう言うと、ニッコリと別府君は笑う。人の心を解きほぐしてしまうその微笑が、あ
たしは苦手であると同時に大好きでもあり、だからこそ憎らしくもあった。
『ぐっ…… 分かったわよ。やりゃあいいんでしょ? やりゃあ』
 あたしは菜箸を引っ掴むと、半ばやけっぱちで玉ねぎをボウルから取り除く。幸か不
幸か、あたしも上から乗せただけで全く混ぜ合わせなかったから、ほとんどひき肉も付
いておらず、確かにあたしのグラタンに使えそうだった。
「真菜ちゃん。玉ねぎは混ぜる前によく炒めておくとジャリジャリ感は無くなって食べ
やすくなるからね。それじゃあ、僕は向こうで待ってるから」
 そう言われて、何故だか急に、あたしの心に不安の影が掠める。しかしまさか引き止
めるなんて出来る訳も無かった。
『うん。お兄ちゃん。楽しみに待っててね』
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 真菜ちゃんの言葉に別府君はニッコリと頷く。それから、あたしと真菜ちゃんを交互
に見やって言った。
「二人とも。いがみ合ってたら美味しい料理なんて出来ないからね。仲良く、協力して
作るんだよ」
 あたしと真菜ちゃんは一瞬、互いの顔を見合わせる。それから、ほぼ同時に、返事をした。
『はぁーい。お兄ちゃんの言う事なら、仕方ないもんね』
『分かってるわよ。てか、別にいがみ合ってなんていないっつーの。どんだけ保護者気
分なのよアンタは』
 あたしは、渋々真菜ちゃんのボウルに入れた玉ねぎを取り除く作業に取り掛かる。別
府君は少しの間、あたし達の料理の様子を無言で見ていたが、小さくため息を吐くと、
リビングへと戻って行った。
最終更新:2011年08月19日 09:15