• ツンデレ先輩VSデレデレ小学生 その19

 別府君がリビングから出て行くのを見送ると、あたしはチラリと真菜ちゃんの方を見
る。すると、ちょうど向こうもあたしの方を見たので、目が合ってしまった。あたし達
は、一瞬固まった後、同時にそっぽを向く。
『『ふんっ!!』』
 そのまま、あたしはヤケクソ気味に自分の作業に戻りつつ愚痴を垂れた。
『全くあのアホ。何見てんのよ。こんな生意気なお子様と仲良く料理しろだなんて、無
理にも程があるわ』
『おにーちゃんってば、ぜんっぜん分かってないんだから。お料理は下手くそなのに、
ひきょうな手ばっかり使う女なんかと仲良くなんて出来るわけないのに……』
 全く同じタイミングで、真菜ちゃんも文句を言った。あたし達はまた、同時にお互い
の顔を見合わせてしまう。そして、口火を切ったのは向こうからだった。
『だれが生意気なのよっ!! 真菜はいい子だもん。おねーちゃんの方がよーっぽど生
意気じゃない。お兄ちゃんにも偉そうな口きいてさ』
『あたしはいいのよ。アイツより偉いんだもん。だから当然、アンタよりよっぽど目上
なのよ? 分かる? 目上って意味』
『しらなーい』
 真菜ちゃんはホントか嘘か、わざとらしく大げさに首を振って見せた。
『でも、おねーちゃんなんて本当は偉くも何ともないじゃない。お料理も出来ないしゲ
ームだって真菜より下手くそだし。口ばっかり偉そうにしたって、ダメダメじゃん』
『あのね。目上の人ってのはそういう意味じゃないの。料理だとかゲームだとかの腕だ
けで決まったら、コックさんやゲームの達人はみんな偉くなっちゃうじゃない。そうじゃ
なくて、あたしは別府君より一年学年が上だから、いろいろ教えてあげたりして……』
 何というか、子供に説明するのに分かりやすい言葉というのは、なかなか見つかりに
くいものだなと四苦八苦しながら言葉を選んでいると、急に真菜ちゃんが、ポン、と手を叩いた。
『あ。分かった』
『分かってくれた?』
 なかなかませていて聡い子だけに、あたしの言葉でも理解してくれたのだろうか?
そう思ったのは、真菜ちゃんの次の一言が出てくる、ほんの一瞬だけだった。
『あの、むのうなじょーしって奴でしょ? 失敗ばっかりなのに、偉そうにしてる人。
パパもよく言ってるよ』
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『うがーっ!!』
 思わず呻いてしまった。しかもあながち間違いじゃなかったりするのがムカつく。
『でも、そんなんじゃ、お兄ちゃんの心はつかめないよね。年上だから言う事聞きなさ
いとか、そんな事ばっか言ってたら、嫌われるだけだもん』
 ライバルに一歩優位に立ったと確信したのか、真菜ちゃんはとっても得意そうだ。
『す、少なくともまだ嫌われてはいないわよ。だってその……こうして、遊びに来れて
るんだし……』
 こんな子供に言い負かされるとは、悔しくて仕方ないが、しかし反論できる材料を何
一つとして持たないあたしは、既成事実から辛うじてマシな答えを引き出すことしか出
来なかった。
『お兄ちゃんはやさしいよね。おねーちゃんみたいならんぼうな人でも、ちゃんと相手
してあげるんだよ。でもね。真菜は、ちゃーんとお兄ちゃんに好かれてるから』
 エヘヘ、と笑う真菜ちゃんに、あたしは不満気な顔をして聞き返す。
『何でそんな事分かるのよ。そんなの、アンタの願望……って、えーっと、勝手な思い
込みじゃないの?』
 また意味が分からないと言われるかも知れないと思い、分かり易く言い換える。する
と真菜ちゃんは、激しく否定した。
『そんな事ないもん。お兄ちゃんはいつだって真菜のことかわいがってくれてるもん』
『それは子供だからでしょ? あと2、3年もしたら、そういう事も無くなるわよ』
 すると、思いの他真剣な表情で真菜ちゃんがあたしの方を向いた。
『違うもん!! そんな事ないもん!! だって、あたしの事褒めてくれて、頭撫でて
くれて、ギュッて抱き締めてくれて…… 好きじゃなきゃ、そんな事しないもん!!』
 必死で、彼女はあたしに訴えかける。そんな彼女から視線を逸らしつつ、あたしは苦々
しい思いを感じた。
――全くあのアホ…… 気安くそういう事するから……
 別府君にしてみれば、それはきっと単なる親愛の情なんだろうけど。でも、女の子か
らしてみれば、それはもっとずっと、重要な意味を持っているのだ。特に、想いが真剣
であればあるほど。
――もうちょっと、相手の気持ちを思いやりなさいよ。本当にアイツは……分かってい
るつもりで、全然、分かってないんだから……
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 別に、この子の味方をするつもりなんてないけど、と最後に心の中の思いに付け足す
事は忘れなかった。すると、横から真菜ちゃんの苛立たしげな声が飛んでくる。
『おねーちゃん。手、止まってる』
『え?』
 あたしは、ハッと我に返った。自分の考えに没頭し過ぎていて、完全に周りが見えて
いなかったのだ。
『真菜のハンバーグの種から、玉ねぎ全部取ったんでしょうね? 全く……おねーちゃ
んがよけいなことしたせいで、すごいめいわくだったんだからっ!!』
『自分だって、ズルしようとしてたクセに』
 嫌味っぽく言い返すと、あたしはボウルの中を見た。ほぼ、自分が突っ込んだ玉ねぎ
を取り除くのは終わっている。もしかしたら少しは奥に混ざっているかも知れないけど、
それくらいは許容範囲だろう。
『ほら。終わったわよ。はい』
 ひき肉の入ったボウルを差し出すと、彼女はそれをひったくるように取る。
『もうっ!! おねーちゃんのせいで余計な時間かかっちゃったじゃない』
『元はと言えば、自分がズルしようとしたのが悪いんでしょ? そのくらい報いだと思
いなさいよ。あたしの方がよっぽど苦労したんだから……』
『おねーちゃんこそ、真菜のハンバーグにイタズラするからじゃない。えっと……なん
ていったっけな……じぼーじき? じゃなくて……そう。じごーじとくよ』
 たどたどしいながらも、的確な四文字熟語で言い返してくる。最近の小学生はそんな
事まで教わるのか、それとも真菜ちゃんが背伸びして難しい事を覚えまくっているのか。
多分後者だろうなと、あたしはそう推測した。
『別にイタズラした訳じゃないわよ。ちょっと切り方が大きかっただけじゃない』
 とにかく、自分が悪いと認めるわけには行かないので、あくまで自説を押し通す。す
ると真菜ちゃんは、疑わしげにあたしを睨み付けた。
『どーだか。でも、もういいからさっさと続きやってよ。でないと、いつまでたっても
真菜のハンバーグも出来ないじゃない』
『何でよ。さっさとこねて焼けばいいじゃない。場所はあるでしょ?』
 ガスコンロなら空いているのに、と思ってそう言ったら、真菜ちゃんは口を尖らせて
首を左右に振った。
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『だーって、お兄ちゃんにはあつあつの焼き立てを食べて貰いたいんだもん。だから、
おねーちゃんのグラタンをオーブンで焼いてからにしようと思ってるのに、これじゃあ
いつまで掛かるか分からないじゃない』
『付け合わせがあるでしょ? そっち先に作ってればいいじゃない』
 素直に聞くのが癪なだけに、何か言い返す言葉はないだろうか? そう考えた末の反
論は、あっさり打ち砕かれた。
『にんじんとインゲンを炒めるだけなんてすぐ出来るもん。それより、おねーちゃんこ
そ、コンロ使わなくちゃいけないじゃない。ホワイトソース作るんでしょ?』
『ホワイトソース?』
 反射的に聞き返したあたしを、真菜ちゃんは一瞬、ポカンとした顔つきで見つめた。
それから、厳しい顔つきになって聞いてくる。
『おねーちゃん……まさか、ホワイトソースも知らないでグラタン作ろうとしてたの?』
 その態度と言葉に、どうやらホワイトソースとは基本中の基本であると直感であたし
は気付いた。瞬時に頭が回転を始め、切り返しの言葉を考える。
『バッ……バカ言わないでよ。それくらい知ってるわよ。急に言われたから、一瞬違う
ものを連想しただけだって』
『ホントにー? ごまかしてるだけじゃないのぉ?』
 さすがにこの子は勘が鋭い。しかし、あたしだって負けていられない。グラタンの中
身を必死で連想し、ようやく思い当たった。
『あれでしょ? あのトロッとしたクリームみたいなのでしょ? 大丈夫だってば』
『ホントにぃ? 何か、おねーちゃんって信じられないのよね』
 物凄く疑わしげに言われ、あたしは思わず言葉を失った。しかし、口でお子様に負け
る訳には行かないので、あたしは何とか気を持ち直して言い返す。
『フン。別に、ちゃんと作って見せればいいんでしょ? アンタに信じられなくたって
別に構わないもんね』
 そう言いつつも、内心ではあたしは結構必死だった。別府君に言われた材料を必死で思い出す。
――えっと……小麦粉でしょ? 牛乳でしょ? バターでしょ……? あとは……
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 バターを使うと言う事は、フライパンで炒めるのだろうか? 炒めるとしたら、玉ね
ぎとポテトを小麦粉を振りかけて、それから牛乳で煮るのかもしれない。カレーも炒め
てから水で煮込んでルーを入れるんだし、多分そうだろうと結論付ける。
『よし。後は論より証拠。始めてみますか』
 パン、と手を叩いて、あたしはテフロン加工の鍋を探し出してコンロに乗せ、火を点
ける。それにしても、別府君の家って調理器具の多さがハンパないと思う。うちの倍く
らいはあるんじゃないだろうか?
『やっと始めた。ホント、遅いんだから』
 椅子にちょこんと座って両足をぶらぶらさせながら、真菜ちゃんが文句を言う。
『うっさいわね。いいからいい加減ハンバーグ作りなさいよ。焼かなくたって、種を形
整えるくらいは出来んでしょうが』
 しかし真菜ちゃんは、勢い良く椅子から立ち上がると、つかつかとあたしの傍に寄っ
て来て言った。
『そういう訳には行かないの。おねーちゃんてば、どう見てもお料理してないって感じ
だもん。お兄ちゃんに言われた以上、真菜が責任持って面倒見ないと』
 あたしはちょっと驚いて真菜ちゃんを見返した。別府君に言われたからとはいえ、な
かなか素直ではないか。しかし、次の瞬間、あたしは気を引き締め直す。
――見た目の素直さに騙されちゃダメよ。何てったって、あたしら今、勝負してるんだし。
『お断りするわ。あたしはアンタと違って子供じゃないんだから。自分の面倒くらい自
分で見れるわよ』
 しかし、そんな強がりはバッサリと切って捨てられた。
『でも、料理の腕前は子ども以下じゃん。次、何すればいいか知ってるわけ?』
 暴言に反論しようにも、まずは質問に答えない以上効果はゼロである。あたしは戸惑
いつつも、自分が思っていることを口にする。
『……っと……これで玉ねぎとじゃがいもをバターで炒めて塩コショウしてから、牛乳
で煮るんでしょ? で、それからお皿に盛り付けて、チーズ振りかけて、オーブンで焼
けばいいんじゃないの?』
 直感だけで答えたが、真菜ちゃんから反論は無かった。もしかして、意外と当たって
たりするのかも? 知識はないけど、あたしってばもしかして、料理の天才だったりす
る? とか考えてしまう。
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『だったら、さっさと炒めなさいよ。空焼きしてると、おなべ、ダメになっちゃうよ?』
『へ……? っと、わっ!?』
 鍋から白い煙が黙々と上がっているのを見て、あたしは慌ててバターを適当にフライ
パンに放り込む。一瞬でバターがジュワーッと泡を吹いて蒸発していく。
『何よこれ? すぐ無くなっちゃうじゃない?』
『いいから。フライパンにまんべんなくバター溶かしたら、さっさと炒めないと。あと、
火はもっと弱くしなきゃ』
『いっぺんに何度も言わないでよ。頭こんがらがるじゃない』
『おねーちゃんって、もしかしてバカ? あ、もしかしなくてもバカか』
 今日、この子にバカにされるのは何度目だろう? しかも、言い返そうにも料理の方
が待ってくれない。あたしはその言葉を大人しく甘受しつつ、フライパンにドサッと食
材を入れて炒め始める。
『フン。ちょっとばかり料理の手際がいいくらいで偉そうにしてるんじゃないわよ。あ
たしだって覚えれば別にこんなの、何てことないんだから』
 ようやく落ち着いてから強がりで返すが、言ってる相手が小学生だと思うと何とも情
けない。しかも、あっさりとスルーされてしまった。
『ほら。グズグズしてないで、グラタン用のお皿にもバター塗って』
 真菜ちゃんの言葉に、私は驚いて彼女を見つめた。
『何? お皿にもバター塗るの?』
 すると彼女は、両手を腰に当てて憤慨して言った。
『そうよっ!! 真菜だって知ってるのに、そんなのも知らないでよくグラタン作ろう
だなんて言えたものね』
 アンタのせいでこんな事になったんでしょうが、と言いたい心をグッと抑える。何だ
か、それを言ったら負けを認めるような気がしてしまった。
『うるさいわねっ!! でも、こっちはどうするのよ?』
 炒め中のフライパンを指して言った。じゃがいもの切り方が下手くそなせいで、なか
なか火が通らない。自分のせいで苦労を強いられてるのが、余計癪に障っていた。
『こっちは真菜が見ててあげる。あくまで見てるだけだけどね』
 ホント、一言多いガキだなと苦々しく思いつつも、ここは言葉に甘えざるを得ない。
『ちゃんと見ててよ? アンタも食べるんだからね。焦がしたりしないようにしてよ?』
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『さーねー』
 何とも不安が拭い切れなかったが、あたしは食器戸棚からグラタン用の耐熱皿を探し
出し、バターを塗る。お皿にバターを塗るなんて初めての事で、お世辞にも上手く出来
たとは言い難いが、あまり塗り過ぎるよりはまだムラがあった方がマシだと思い、正直
めんどくさいので適当なところで切り上げる。
『ま、こんな所よね。うん』
 自分で自分を納得させてから、あたしはガスレンジの前に戻る。
『お待たせ。もういいわよ』
『どれだけ時間掛かってるのよ。ノロマ。おねーちゃんてば、ホント、何するのも遅いのね』
 またまた暴言を吐かれ、あたしはグッと拳を握り締めた。ここで怒っても、向こうの
思うツボに嵌るだけだ。
『あたしは別にノロマなんかじゃないってば。慣れてない事すれば、誰だって時間掛か
るのは当然でしょ?』
 しかし、真菜ちゃんはフン、と鼻で笑うと、嫌味な笑顔を浮かべてみせた。
『そぅお? おねーちゃんは特別ぶきっちょに見えるけどなあ。真菜、こないだお友達
とクッキー作ったけど、その子も初めてだったけど、おねーちゃんよりよっぽど手際良かったよ?』
 あたしはぐぬぬ、と歯軋りした。間違いない。将来、この子は絶対に嫌な女になる。
今のうちに別府君にちゃんと言っておかないと。これが終わったらキッチリと。
『分かったわよっ!! もうこっちはいいから、アンタ自分のハンバーグ作りなさいよ。
まだ形も作ってないじゃないのよっ!!』
『言われなくてもそうするもん。ベーだ』
 しかめ面して舌を思いっきり出してから、真菜ちゃんはトトトッとテーブルにあるボ
ウルの方に向かって行った。
『フゥ…… あとは多分、小麦粉混ぜて牛乳で煮ればいいのよね。うん』
 直感であたしは、適当に小麦粉を振りかけてから、牛乳をドバーッと注ぐ。と、その
瞬間、あたしは違和感に気付いた。
『何よこれ? 何でこんなに黒いの?』

  • ツンデレ先輩VSデレデレ小学生 その20

 本来、牛乳入れたら白とかクリーム色になるはずなのに、入れた途端から何か茶黒い
感じになっている。匂いを嗅いでみると、ツンとした香りが鼻を突いた。思わずくしゃみが出る。
『クシュッ……ハクシュッ!!』
 手近にティッシュを探して鼻を噛んでから、あたしはもう一度フライパンを覗き込ん
だ。大量に浮いたこの黒い粒は間違いなくコショウだ。
『おっかしいわね。あたし、こんなにコショウなんて入れてないわよね……』
 自分の行動を思い起こして呟いてから、咄嗟に真菜ちゃんの顔が思い浮かんだ。
『あのくそガキか……!!』
 あたしはパッと流しの前を離れて、真菜ちゃんの方へと詰め寄った。
『ちょっと、アンタ。あたしが見てないうちに何したのよっ!!』
『は? 何言ってんの。おねーちゃん』
 仏頂面で真菜ちゃんはあたしを見返す。しかし、その顔はあくまで落ち着いている。
『とぼけるんじゃないわよ。何であんなに大量のコショウが入ってんのよ? アンタが
やったんでしょ?』
 問い詰めるも、一向に真菜ちゃんに動揺の色は見えなかった。恐るべし小学生だ。う
ん。将来悪女間違いなし。絶対に男を惑わせるわ。
『真菜、知らないもん。おねーちゃんが自分で分量間違えたんでしょ? 人のせいにし
ないでよね』
『あたしが自分のやった事を忘れてる訳ないでしょ? コショウ入れ過ぎなんて失敗し
てりゃ、さすがのあたしでも分かるわよ。大体、あの量はちょっと失敗なんてものじゃ
ないし。ワザとやらなきゃ、ああはならないわよ』
『でも、真菜じゃないもん。真菜はそんな事してないもん。大体、証拠はあるの?』
 証拠と来たか、このお子様は。最近の小学生は、変にませているせいか意外と難しい
言葉を知っているようだ。なら、こっちもそれなりに、大人の扱いをしなければなるまい。
『そんなもん、状況だけで明らかじゃない。あたしをグラタンのお皿の方に注意向けさ
せておいて、その間にイタズラしたんでしょ? さあ。白状しなさいよ。そしたら、こ
の勝負もルール違反でアンタの負けだからね』
『してないったらしてないもん。そんなの、おねーちゃんの勝手な思い込みでしょ? 真
菜はウソなんて言ってないんだから』
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 しれっとした顔で答える。この子の教育には、さぞかし親も手を焼いている事だろう
と思いつつ、あたしは子供を説教するような気分で、彼女を睨みつけた。
『真菜ちゃん。いい加減にしないと、別府君に言いつけるわよ。あいつならアンタの嘘
なんて簡単に見抜けるはずだし、そうしたら嫌われちゃうわよ。今だったら、黙ってて
あげるけどね。ほら。どうするの?』
 しかし、真菜ちゃんはあたしを真っ向から見つめ返して、堂々と言った。
『別に呼んだっていいよ。お兄ちゃんなら真菜の事信じてくれるもん。嘘つきはおねー
ちゃんの方だって、絶対言ってくれるもん』
 一体、その自信はどこから出てくるのか。恐らくは自分が小学生だから、自分の方が
信じて貰えやすいと知っているのだ。正直、その計算高さには舌を巻かざるを得ない。
あたしより10歳も年下なのに、よっぽどのやり手だ。
『甘いわね。別府君が子供だから許してくれると思ったら大間違いよ。さっきだって厳
しく叱られたりもしたでしょ? 小さい子には甘いとか、そんなの通用しないんだから』
『やってみなければ分からないわよ。ほら。お兄ちゃん、呼びなさいよ』
 視線と視線が交錯し、火花が散る。しかし、その視線を外したのは真菜ちゃんの方だった。
『あーっ!?』
 大声を上げて、あたしの背後を指す。その様子にただならぬものを感じて振り返るの
と、真菜ちゃんの言葉が同時だった。
『おねーちゃん、フライパン!! 煙吹いてる!!』
『へ……?』
 ガス台の方に振り向いた私は仰天した。フライパンから濛々と蒸気のような白い煙が
吹き上がっている。
『火!! 早く火止めないと!!』
『分かってるわよそんなの!!』
 偉そうに指示する真菜ちゃんに振り向いて怒鳴ると、あたしは慌ててガス台に飛びつ
き、火を消す。フライパンの中では沸騰しすぎた牛乳がぶくぶくと泡立っていた。もう
ほとんど水分はなくなっており、グズグズに煮崩れたじゃかいもと玉ねぎは、もはや原
型を留めていない。
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『あーあ。火を点けたままでフライパンの前から離れちゃいけないって、教えてもらわ
なかったの? もう少しで火事になるところだったじゃない。そしたら、おねーちゃん
のせいだからね』
 呆れた口調で、真菜ちゃんがフライパンを覗き込みながら言った。確かに大失態なの
は認めざるを得なかったが、それでもあたしは素直に頭を下げる気にはなれなかった。
『う……うるさいわね。元はと言えばあんたが……』
『まだ言ってる。証拠もないのに。でも、これでどっちにしてもグラタンは作れないよ
ね。こんなに焦がしちゃったら食べられないもの』
 ちょいちょい、と真菜ちゃんは菜箸で崩れたじゃがいもをつつく。底の方は完全に焦
げていてフライパンにこびり付いており、容易には離れなさそうだ。しかしあたしは、
キッと真菜ちゃんを睨み付けて言い返した。
『諦めるのは早いわよ。上の方は食べられそうだし、クリームソースだけ作り直すんだっ
たら、そんなに時間掛かんないもん』
 あたしの言葉に、真菜ちゃんは胡散臭そうな顔つきで、フライパンの中とあたしの顔
を交互に見つめて、それからボソリとうんざりした口調で呟いた。
『……好きにすれば。でも、あたしは食べないからね』
『ちょっと!! 何よその、ゲテモノ料理を見ましたって顔つきは!!』
 その顔に浮かんだ表情に、あたしは思わず声を荒げる。しかし、真菜ちゃんは上目遣
いにあたしを睨み付けると、キッパリとした口調で言った。
『これがゲテモノ料理でなくて何なのよ。ホントはおにいちゃんにだって食べさせたく
ないけど、それじゃおねーちゃんが納得しないでしょうから、真菜の料理で口直しさせ
てあげることにするからいいわよ。どうせ、一口で吐き出すでしょうし』
『そんなの分かんないじゃない。奇跡的に美味しい料理が出来上がるかも知れないでしょ?』
『ほら。やっぱり自分でも奇跡だと思ってるんじゃない。やっぱり降参した方がいいと
思うよ。おねーちゃん』
 真菜ちゃんの指摘に、あたしは思わずうぐ、と呻いてしまった。強がりを言うつもり
で却って墓穴を掘ってしまうとは。しかし、今更勝負を放り出す訳にも行かず、あたし
は上の方の、生存している部分を菜箸とへらで焦げた部分と分離させ、皿に盛る。
『フン。こうやって分ければ、まだ十分食べられそうじゃない。まだ決着が付いた訳じゃないわよ』
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 焦げたフライパンに水を入れてコンロから下ろし、棚から別のフライパンを出す。そ
んなあたしに向けて、真菜ちゃんは大げさにため息をついて見せた。
『ほんっと。諦めが悪いんだね。おねーちゃんって。もういいわ。好きにすれば』
 プイッとそっぽを向いて、真菜ちゃんは自分のハンバーグのところまで戻って行った。
それを見届けてから、あたしは耐熱皿によそったグラタンの具をちょっと菜箸でつまん
で食べてみる。
『うげ』
 何というか、食べられない事はないが、お世辞にも美味しいとは言い難い。何と言っ
ても、掛かり過ぎた塩コショウのせいで、辛過ぎる。ソースかけてチーズ乗っけてオー
ブンで焼いても、ごまかせはしないだろう。
『このままじゃ、100%負けよね…… ていうか、あの子が全部悪いんじゃない』
 大量の塩コショウをぶちまけられなかったとして、美味しかった保障はないが、それ
でもこれよりはマシな出来になったはずである。
『こうなったら、目には目を、歯には歯をよ。大人をバカにしたらどうなるか、思い知
らせてやるわ』
 もう一度フライパンに牛乳を入れ、小麦粉と塩コショウを適当に振る。ある程度混ざっ
たかなと思ったところで、あたしは一旦火を消した。それからコショウと塩のフタを
開けて外れやすくしたところで、あたしはそれを持って真菜ちゃんの方に行く。
『おねーちゃん。どうしたの? そんなの持って』
 いささかではあるが、警戒するような顔つきで真菜ちゃんが、あたしの行動を見咎める。
『片付けとくのよ。誰かさんに、またこっそりいたずらされたら、たまらないし』
 あたしの言葉に、即座に真菜ちゃんが顔色を変える。
『だから、真菜はやってないって言ってるのに。それに、塩もコショウも仕舞うのこっ
ちじゃないでしょ? ガス台のすぐ後ろじゃない』
『手の届くところには置きたくないのよ。いいでしょ? 別にやってないならやってな
いで、気にしなきゃいいだけじゃない。後ろ暗い所があるから、気になるんじゃないの?』
 挑発的な物言いをしつつ、あたしはタイミングを窺う。チャンスは一回きり。しかも
事故を装わなくてはいけない。出来れば怒って突っ掛かって来てくれれば最高なんだけど。
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『使い終わったら、元あったところにちゃんと戻しなさいって、お母さんいつも言って
るもん。真菜だって、こんなところに置かれたら邪魔だもん』
『邪魔も何も、別にテーブルの上なんてどこだって置き場くらいあるじゃない。それに、
アンタもうハンバーグだってこね終わって、後はあたしがガス台を使い終わるのを待つ
だけでしょ? 何も問題ないじゃない』
 真菜ちゃんは、ジッと不満気にあたしを睨み付けていた。さあ、どう出るかとあたし
はちょっと緊張しながら待ち受けていたが、やがて彼女は不満そうに鼻を鳴らした。
『もういいわよ。勝手にすれば。それより、また火の前から離れちゃっていいの? ま
た焦げ付くわよ』
 どうやら目論見はちょっと外れたようで、真菜ちゃんはあっさり引き下がってしまっ
た。ここは一発、あたしの演技力を見せ付けるしかない。
『大丈夫よ。今度はちゃんと火、止めて来たから』
『今度やったら、もうおねーちゃんは料理作っちゃダメだからね。もう、どっちみち、
お兄ちゃんとラブラブなお食事するのは真菜なんだから』
 そうはさせるもんですか、とあたしは心の中で呟きつつ、決行のゴーサインを下す。
あたしはわざと、イスの脚に、自分の足をぶつけた。
『あいたっ!!』
 と、同時に、持っていたコショウと塩をテーブルの上に、落としてしまう。いや。ほ
とんど投げたと言っても構わなかった。真菜ちゃんのこしらえたハンバーグの種の上に。
フタも外していたため、中身がドバッとその上にぶちまけられる。
『あいったあ~…… 思いっきりぶつけた……』
 もちろん痛みなんてほとんど無いが、ワザとらしく痛そうにしかめっ面をして足の小
指を押さえる。そして、こっそりと真菜ちゃんの様子を窺うが、呆然としたまま言葉も
ない様子だった。しばらくしゃがんで足の様子を見たりしていると、ようやく、小さく
真菜ちゃんの声がした。
『お兄ちゃんの……ハンバーグ……』

  • ツンデレ先輩VSデレデレ小学生 その21

『イタタ…… ハンバーグがどうしたのよ?』
 顔を上げて、あたしは自分のやった事を確認する。作戦は成功――というか、むしろ
成功し過ぎたくらいだった。ハンバーグの手前目掛けて投げた香辛料は、見事にハンバ
ーグの方に倒れ、わざと開けてあったフタが外れて中身がハンバーグの上にこぼれ出て
いた。山のように。
『ごっ……ごめん。ワザとじゃないのよ。本当に』
 そのこぼれ方は、あたしが咄嗟に真菜ちゃんに謝ってしまう程のものだった。一方で
真菜ちゃんはと言うと、呆然とハンバーグの種を見つめたまま、もはや言葉もなく立ち
尽くしている。
『だ、大丈夫。ほら。まだ何とかなるわよ。この山を取り除いてさ。塩コショウのつい
た場所を取ってから、もう一度こね直せば。多少小さくなるかも知れないけど、この際
仕方ないじゃない。ね?』
 あたしは自分から、ハンバーグの上に山になっているコショウを瓶に戻す作業を始め
た。綿密に練った計画のはずだったが、ここに来て忘れていた事を思い出したのだ。ど
んなにませていても、真菜ちゃんは小学校4年生の女の子だという事を。起こってしまっ
た事の成果に、さすがに大人気ないという想いが、あたしの心を支配していた。
『……おねーちゃん』
 小さく、震える声で真菜ちゃんがあたしを呼ぶ。あたしは手を止めて真菜ちゃんを見
返し、小さく呟いた。
『……え?』
 感情の無い、無機質な目で、彼女は私を見つめていた。そして、小さく呟く。
『……ワザと……やったんでしょ?』
 その問いに、あたしは即座に弁明した。多少の後ろめたさを感じながら。
『わ、わざとなんかじゃないわよ。本当に、たまたまなんだってば!! そりゃ、あた
しのせいでこんな風になっちゃったのは悪いと思ってるけど、だからこそ、今少しでも
何とかしようとしてるんでしょ?』
 しかし、あたしの言葉に真菜ちゃんは納得しなかった。その時初めて、目にパッと怒
りの感情がほとばしり出るのを、あたしは見て取った。同時に、彼女は激しい口調であ
たしを詰りだした。
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『ウソ。正直に言ってよね。自分の料理が失敗したからって、腹いせにあたしのハンバ
ーグをダメにしようとしたんでしょ? おねーちゃんの卑怯者!!』
『だから正直に言ってるわよ!! あたしはアンタみたいにグラタンのソースに大量に
コショウをぶちまけるような事しないもの!! 嘘つきは泥棒の始まりだって、お母さ
んに教わらなかったの?』
 手を止め、あたしも負けじと真菜ちゃんを見返すと、激しい口調で言い返す。もしか
したら、泣き出すのではないかと多少はハラハラしていたのだが、やはりそんな玉では
なかったようだ。
『まだ疑ってる。自分が悪い事棚に上げといて。真菜はそんな事してないもん。大体、
真菜がしなくたって、あんなの、上手く行きっこないもん。絶対失敗したに決まってるもん』
『そんな事ないわよ。あれさえなければ、もしかしたらちゃんと美味しいものが作れた
かも知れないじゃない』
 ここでハッキリと断言出来ないのが、あたしの弱い所であった。とはいえ、こんなお
子様相手に女子大生が負けるなど、許されるはずもない。これは、引く訳にはいかない
戦いなのだ。
『ムリムリ。ムリだもん。真菜なら、まだ出来るかも知れないけど、おねーちゃんには
ムリ。ぜーったい、ムリ!!』
『グッ……この……』
 断固として否定する真菜ちゃんを前に、あたしは歯軋りした。しかし、言葉を失った
事で、あたしは少し冷静さを取り戻す。何とか言い負かしたい所ではあったが、条件は
あたしに不利だし、このまま騒いでいたら、もしかしたら別府君に喧嘩しているのがバ
レるかもしれない。ここはとにかく、一旦矛を収めようと、あたしは決めた。
『ま、まあいいわよ。とにかく、いつまでも口ゲンカしててもしょうがないでしょ。一
応、ワザとじゃないとはいえ、こぼしたのはあたしなんだから、掛かった塩コショウは
取ってあげるから。さっさと作り直しなさいよね』
 あたしは、真菜ちゃんから体を背けると、彼女の作りかけのハンバーグに向かい、掛
かった調味料を取り除く作業を再開し始める。真菜ちゃんも、あたしの隣に来たが、表
面の山を取り除いても、まだ大量にコショウの掛かったハンバーグをじっと見つめてい
るだけだった。
『どうしたのよ? さっさと始めないと、いつまで経っても出来ないわよ?』
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 てっきり諦めて作業を再開するものだとばかり思って、あたしは真菜ちゃんの方をチ
ラリと見やる。しかし、彼女は全くハンバーグに手をつけようとせず、僅かに体を震わ
せながら、うつむき呟いた。
『あたしは……お兄ちゃんに…… 美味しいねって言って貰いたかったのに……』
 真菜ちゃんのまなじりに、じんわりと浮かんだ涙に、あたしはドキリとした。泣き出
されたらどうしよう。さすがにそれはマズイと、それだけが頭に浮かぶ。それだけに、
真菜ちゃんの行動が、全く予測出来なかった。
『こんなの……』
 キッと顔を上げ、真菜ちゃんはあたしを睨み付ける。真菜ちゃんの涙の方に注目して
いたあたしは、彼女が左手でハンバーグの種を掴んだのに気付かなかった。彼女が、モ
ーションの動作に入った時は、既に遅かった。
『お兄ちゃんに食べさせられるわけないでしょ。このバカッ!!』
『え――?』
 疑問の声を上げるのが、精一杯だった。真菜ちゃんの怒鳴り声と共に、真菜ちゃんは
左手で、持ったハンバーグの種を、あたしの顔面にベチャッと押し付けた。
『はぶっ!?』
 生のハンバーグの種が、利き手でないのにも係わらず、寸分違わずにあたしの顔の下
半分に命中し、口の中にも入り込んでくる。
『ぶえっ…… ゲホゲホゲホッ!! ゲホッ!!』
 たっぷり掛かったコショウも一緒に口の中に入ってしまい、あたしは盛大にむせ返る。
苦しみに悶えていると、一泡吹かせてスッキリした感の真菜ちゃんの得意そうな声が聞こえる。
『フンだ。ざまーみろ。自分がやったんだから、全部自分で食べてよね。真菜は、余っ
た材料で、お兄ちゃんと真菜の分だけ作り直すから』
 しかし、この仕打ちに、あたしの中で何かがブツン、と切れた。口の中に入った生肉
をペッペッと吐き出すと、あたしは猛然と真菜ちゃんを睨み付ける。
『ちょっと……』
 振り向いて、あたしの前から立ち去ろうとした真菜ちゃんの肩を、ガシッと力強く掴む。
『え……?』
『何てことすんのよっ!!』
 あたしは、すぐ傍のコショウの瓶を掴み、中身を彼女の顔にパッと掛ける。
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『ふぁっ……はくしょっ!! はくしょっ!! はーくしょっ!! くしゅんっ!!』
『全く……子供だからってやって許されないこともあんのよっ!! 反省なさいっ!!』
 しかし、無論こんな事で反省する真菜ちゃんではなかった。くしゃみが収まると同時
に、涙目であたしをキッと睨み付けて、手近なものを手で掴む。
『やったわねえっ!! もう、こうなったら許さないんだからっ!!』
『あたしだって、許さないわよっ!!』
 こうして、キッチンは、一大戦場へと変貌したのであった。
最終更新:2011年08月19日 09:16