- 遊びに来てるツンデレに帰ってくれってお願いしたら その1
日曜日。特に用事が無い限り、あたしは後輩の別府君の家に行く。特に何か目的があ
るわけではない。本や漫画を借りて読んだり、テレビゲームをやったり、パソコンを借
りてネットに興じてみたり。というか、まあ、要は彼と一緒にいられれば何でもいいん
だけど。しかし、彼にとってはそうでもないみたいだった。
「全く……他にすることないんですか? 先輩は」
この部屋の主たる別府君が、呆れた声を私に掛けてきた。
『あん?』
あたしは読んでいた文庫本から目を逸らし、別府君を見つめる。
「せっかくこの春から、花の女子大生になったっていうのに、僕の家でゴロゴロゴロゴ
ロ。これじゃあ浪人時代と変わらないじゃないですか」
今更花の女子大生とか、時々別府君の言葉は妙に親父臭くなる。説教も多いし、そう
いうところは彼の欠点だと思う。
『何よ。あたしがここに来る事になんか文句でもあるわけ?』
寝転がったままの姿勢で、あたしは上目遣いに別府君を睨み付けた。
「いえ。文句とまでは言いませんが、年頃の女性が、恋人でもない男の部屋でだらしな
く寝そべっているのはどうかと思いまして」
その言い方に、あたしはムッとして言い返した。
『うっさいわねー。日曜日をどんな風に過ごそうが、あたしの勝手でしょうが』
――全くもう。恋人かどうかはそりゃまだ微妙だけどさ。好きでもない男の子の家で無
防備にゴロゴロする訳ないでしょうが。どんだけ鈍感なのよ。
文句を言いつつ、内心でも更に愚痴る。彼の場合、本気で鈍感なのか、知っててわざ
と鈍いフリをしてるのか分からないところがあるから、ちょっと判断に困る事もある訳
だけど。
「まあ、確かにその意見はごもっともだと思いますけどね。僕の日曜日は自由にならな
い訳で……」
ちょっとうんざりしたような口調で、別府君は言った。あたしは、読みかけの文庫本
を閉じると、体を起こした。そして、ジロリと彼を睨み付ける。
『何よ、その言い方。あたしの存在は邪魔だとでも言いたいわけ?』
2
すると、別府君は慌てて否定した。
「ああ。いえその、邪魔だとまでは言ってませんけど……」
他に何か含むところはありそうな感じだったが、邪魔ではないという言質を取ったの
で、それ以上は追及するのは止めた。逆に墓穴を掘ったらせっかくの優位が台無しになっ
てしまう。
『だったらいちいち文句言わないでよ。あたしはこの部屋が落ち着くから気に入ってる
だけよ。黙ってても飲み物とかお菓子も出て来るしねー』
「それ、どこから出てくるか分かってますよね?」
不満そうな別府君に、私はニッコリと笑顔で答えてあげた。
『もちろん、別府君のお財布からよね。それについては、感謝だけならたんまりしてあ
げるわよ。何たってタダなんだし』
別府君は何も言わず、やれやれと言った感じでため息をついただけだった。あたしは
満足してもう一度ゴロンと寝っ転がった。
その時だった。別府君の部屋のドアを静かにノックする音が聞こえた。
『タカシ。ちょっといい?』
外から別府君のお母さんの声がした。その瞬間、あたしは即座に身を起こすと、キチ
ンと正座をして、膝の上に本を置く。
――危なかったぁ…… み、見られてないわよね?
さりげなく廊下の方を窺いつつ、あたしはドキドキする胸を押さえた。だって印象っ
て大事じゃない。いくらなんでも、人様の家でだらしなくくつろぐ女を、嫁に迎えたい
などと考える親はいまい。
「また、見事な早変わりですね」
別府君が呆れた顔で言った。
「うちの親の前でやたらといい子ぶりたがるのが何でかは知りませんけど、そんな付け
焼刃で演じて見せても、すぐに化けの皮なんて剥がれますよ」
『うるっさいわね。そんな事いちいちアンタに指図されたくないわよ。それよりもとっ
とと顔出しなさいよ。おば様、待ってるでしょ』
外に聞こえないように、小さな声で怒鳴りつける。別府君って、本来聡いわりには、
こういう所は結構鈍い。それともワザと鈍いフリをしているのだろうか?
「何? 母さん」
3
別府君がドアから顔だけ出しておば様に声を掛ける。それから、すぐに首を引っ込め
ると、あたしの方を向いて断りを入れてきた。
「先輩、すいません。ちょっと母が僕に話があるみたいなんで」
『そう。いちいちあたしに断らなくてもいいから、さっさと行って来なさいよ』
特に興味のない様子を演じつつ答えると、別府君は頭を下げた。
「それじゃあ、ちょっと行って来ますんで」
『はいはい。ごゆっくり、どうぞ』
あたしの言葉に、もう一度頭を下げて別府君が部屋から出て行く。耳を澄まして外の
様子を窺うと、二人分の足音が遠ざかって行くのが聞こえた。どうやら、話は1階です
るみたいだ。
『あーっ。ビックリしたぁ……』
あたしは、深くため息をつくと、両手を後ろに付き、体を倒した。
『別府君のお母さんてばいきなり来るんだもん。心臓に悪いわ』
両肩をギュッと窄め、グリグリと動かして体を解す。
――何なんだろうな……? 別府君のお母さんが、あたしがいる時に別府君を呼び出す
なんて、珍しいわよね。
ちょっとした用事だったら、大抵はドア口で済ませてしまうし、そうでなくとも廊下
で話すのがほとんどだ。何となくその事が気になって、あたしは読書に戻る気にもなれ
ず、ゴロリと横になって考え込んだ。
――いちいち呼び出すんだから、あんまりよそ様に聞かれたくない話よね。でも、急ぎ
の用事とかじゃなかったら、あたしが来ている時にわざわざ呼び出して話したりはしな
いはずだし……それとも、まさかあたしの事で、何か文句があるとか……
頻繁にお邪魔しても特に口を出される事もなかったから甘えていたが、もしかしたら
気が付かないうちに失礼な事をしていたりとかも、無いとは言えない。そうでなくとも、
月に二度三度と上がり込む女性を、いい加減どういう関係なのか訝しく思ったとしても
仕方が無い。
――普通なら、恋人のする事だもんね……
ちょっと、頬がニヤついてしまった。あたしは頬をピシャッと叩いて、気を引き締める。
――危ない危ない。アイツの前でこんな顔見せらんないっての。みっともない。
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考えを元に戻そうかと思ったが、それも止めた。別府君のお母さんがどんな用事かな
んて、今考えても答えなんて出ないんだからしょうがない。ハッキリさせたかったら、
別府君を締め上げて聞き出せばいいだけだ。
心を決めたちょうどその時、階段を上ってくる足音が聞こえた。
『あ。戻って来た』
あたしは体を起こすと、床にペタンと座ったまま別府君を待つ。程なくしてドアが開
き、別府君が中に入ってきた。
『お帰り。何だったの? 話って』
「戻って来るなりそれですか。先輩、好奇心猫を殺すってことわざ知ってますか?」
いかにも興味津々なあたしの態度に、別府君はため息混じりに言った。
『いーじゃないのよ。興味持つのはあたしの勝手でしょ? でさ、何の話だったの?』
「えっと……それがですね……」
別府君の態度を、あたしは怪訝に思った。口ごもるなんて、彼らしからぬ歯切れの悪さだ。
『何よ。はっきりしないわね。話せない事だったら、キッパリそう言えばいいじゃない。
あたしだって、さすがにそこまで踏み込んだりしないわよ』
あたしは、苛立ちを口に滲ませた。何だろう? この感じは。何か、良くない予感がする。
「ああ、いえ。別に話せないわけじゃありません。というか、どのみち言わなくちゃな
らない事なんですけど……」
『だったら早く言いなさいよね。あたしがウジウジした態度嫌いなのは良く知ってるでしょ?』
強気な態度で不安を隠す。まさか、本当に親御さんに注意されたとか?
「分かりました。怒らないで聞いて下さい」
別府君の歯切れの悪い態度に、あたしは嫌な予感を感じた。そして、それは物の見事
に的中した。
「先輩。申し訳ありませんけど、今日は帰ってくれませんか」
その言葉を聞いた瞬間、あたしは全身からスッと血の気が引くのを感じた。
- 遊びに来てるツンデレに帰ってくれってお願いしたら その2
「全く……他にすることないんですか? 先輩は」
僕の部屋に横向きに寝転がって、クッションを枕に推理小説なんかを読み耽っていた
先輩を見下ろしつつ、僕は言った。
『あん?』
先輩が、文庫本から視線を逸らして僕を見た。
「女子大生になったっていうのに、僕の家でゴロゴロゴロゴロ。これじゃあ浪人時代と
変わらないじゃないですか」
正直、先輩が僕の家に来る事自体は別にいいのだが、若い女性が男の家でだらしなく
寝そべって本なんて読んでいる様は、あまり見栄えがいい物とは言えない。
『何よ。あたしがここに来る事になんか文句でもあるわけ?』
先輩の表情が険しくなるが、僕は構わずに言葉を続けた。
「いえ。文句とまでは言いませんが、年頃の女性が、恋人でもない男の部屋でだらしな
く寝そべっているのはどうかと思いまして」
思ったことを素直に口にすると、先輩は不満を露にして言い返してきた。
『うっさいわねー。日曜日をどんな風に過ごそうが、あたしの勝手でしょうが』
「まあ、確かにその意見はごもっともだと思いますけどね。僕の日曜日は自由にならな
い訳で……」
もうちょっと、僕のことを男性として意識して欲しいな、と思いつつそう言うと、先
輩は即座に切り返してくる
『何よ、その言い方。あたしの存在は邪魔だとでも言いたいわけ?』
「ああ。いえその、邪魔だとまでは言ってませんけど……」
先輩がここで怒って帰ってしまうと後で宥めるのがやっかいなので、適度に妥協しよ
うという思いで、僕はそれを否定した。すると、先輩が即座に言い返す。
『だったらいちいち文句言わないでよ。あたしはこの部屋が落ち着くから気に入ってる
だけよ。黙ってても飲み物とかお菓子も出て来るしねー』
先輩にとって、僕の家は無料の休憩所かなんかだと思っているのだろうか?
「それ、どこから出てくるか分かってますよね?」
そう聞くと、先輩は満足げに笑顔を見せて頷いた。
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『もちろん。感謝だけならたんまりしてあげるわよ。何たってタダなんだし』
僕は大仰にため息をついて見せた。全く、二人とも揃ってめでたく進学したというの
に、僕らの関係は高校の頃とほとんど変わっていない。搾取する側とされる側。場所が
部室から僕の家になっただけに、なお性質が悪いかもな。
と、その時僕の部屋のドアが、コンコンと小さく音を立てた。顔を向けると、ドアが
僅かに開き、母が顔を出す。
『タカシ。ちょっといい?』
同時に、視界の隅で先輩が素早く居住まいを正すのが見えた。さっきまでのだらしの
ない格好はどこへやら。すっかり大人しく可愛らしい女の子になっている。母はすぐに
ドアを閉めたので、僕は先輩の方を向いて言った。
「また、見事な早変わりですね」
普段からこうしてくれればいいのにな、と思いつつ、僕は言葉を続けた。
「うちの親の前でやたらといい子ぶりたがるのが何でかは知りませんけど、そんな付け
焼刃で演じて見せても、すぐに化けの皮なんて剥がれますよ」
すると先輩は、不機嫌そうに眉根をギュッと寄せて、小声で言った。
『うるっさいわね。そんな事いちいちアンタに指図されたくないわよ。それよりもとっ
とと顔出しなさいよ。おば様、待ってるでしょ』
僕は小さく肩を竦めた。まあ、先輩も女の子である以上、人前でみっともない姿なん
て見せられないのは分かるけど、それなら僕にも、もう少し気を遣って欲しいものだな
と。いっそ、一度リビングに通そうかな。部屋が散らかってるからとか何とか言い訳し
つつ。きっと面白い先輩が見れる事だろう。
そんな意地の悪いことを思いつつ、僕はドアから顔を出した。
「何? 母さん」
すると母は、手招きで僕を呼ぶ仕草をしながら言った。
『悪いけど、ちょっとこっちへ来てくれる。すぐに済むから』
僕はちょっと首を捻る。先輩がいる時に、母が僕を呼び出すなどそうそうは無いはず
だから。まあ、すぐに済むというのだから大した用事じゃないのだろう。
「分かった。ちょっと待ってて」
一旦部屋に引っ込んで先輩の方を向くと、一応断りを入れた。
「先輩、すいません。ちょっと母が僕に話があるみたいなんで」
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先輩の答えは素っ気無かった。
『そう。いちいちあたしに断らなくてもいいから、さっさと行って来なさいよ』
特に興味ないフリをしているけど、実際は気になって仕方がないんだろうな、と日頃
の先輩の態度から推測する。大したことない用事だったらいいんだけどな、と内心で祈
らずにはいられなかった。
「それじゃ、ちょっと行って来ます」
軽くお辞儀をして、僕は部屋から廊下へ出た。
「いいよ。何?」
『それじゃあ、ちょっとこっちに来て』
母に促され、僕は母の後に付いて1階に下りる。そのままキッチンまで誘導されてか
ら、母は僕の方を向くと、唐突に切り出した。
『あのね。丹生の叔父さん、知ってるでしょ?』
僕は頷いた。丹生の叔父さん、というか僕から見ると大叔父に当たる人だ。もっとも、
知ってるとは言っても、親戚の集まりなんかで子供の時に二度三度見かけただけだが。
『実は、今朝早くに亡くなられたらしいのよ。それで、お母さん、今日と明日お葬式の
お手伝いに行かなくちゃならないの』
「僕も行った方がいいのかな?」
親戚のお葬式と聞き、反射的に思いついたことを質問してみたが、母は首を左右に振った。
『タカシはいいわよ。大叔父さんなんて、親戚って言ってもほとんど知らないでしょ?
それよりも、お願いしたい事があって』
「お願いって、何?」
『お母さんと一緒に、美紀……美紀叔母さんも一緒に行くんだけどね。娘の真菜ちゃん
いるでしょ? タカシに面倒見て欲しいって言うのよ』
「げ」
反射的に僕は、拒否反応を示してしまった。途端に母の顔が怖くなる。
『何、その言い方は。真菜ちゃんは手も掛からないしいい子じゃない。元気もあって明
るいし。何が不満なの?』
「い、いやその……不満なんてことは無いけど……」
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僕はどもりながら答えた。別に真菜ちゃん自体が来るのは嫌とは言わない。しかし、
そうなると、さすがに先輩に居座ったままでいられるのはかなりマズイので、お帰り願
わなくてはいけないわけだが、果たして先輩が素直に帰ってくれるとは思えなかった。
『ならいいじゃない。そういえば、椎水さんも来てるんだっけ。もし良かったら、彼女
にお願いして一緒に相手して貰えばいいじゃないの。そうすれば、貴方の手間も半分に
なるんだし。彼女、子供の世話とか好きかしら?』
「さあ……先輩が小さい子の相手しているのとか、見たことないからさ……」
だが、僕の直感はこう告げていた。先輩と真菜ちゃんをぶつけたら、絶対に不味い事
になると。主に僕が。だから、あの二人を鉢合わせてはいけない。絶対にだ。
『まあ、女の子なんだし、大人しくていい子だから、きっと喜んで一緒に遊んでくれる
わよね。お母さんはもう準備しなくちゃいけないから。かなみちゃんには貴方からお願
いしておいてね』
――母さん。その見方は甘いです。甘過ぎです。
僕は内心で呟いたが、根拠を説明出来ないのにそれを口に出す訳には行かなかった。
それにしても、何でか母は随分と楽しそうだ。ほとんど面識がないとはいえ、仮にも親
戚が亡くなったというのに。我が母親ながら、こんなんでいいのだろうかと真剣に悩ん
でしまう。
『返事は? タカシ』
無言の僕に、母から念を押された。
「ハア…… まあ、分かったよ……」
仕方無しに、僕は頷いたのだった。
さて。先輩にどう告げたものか。真菜ちゃんがいい子だというのは僕も認めるところ
だ。しかし、大人しい子、というのはちょっと違う。とにかく僕に対しては甘えっ子な
のだ。まさか先輩とはいえ、小学生に嫉妬する事はないと思うけど、その代わり、ロリ
コン疑惑を持たれかねない。やはりここは、大人しく帰ってもらうしかない。
重い気持ちでドアを開けると、先輩が、床にペタンと座り込んで僕を待ち構えていた。
『お帰り。何だったの? 話って』
好奇心満々なのを隠そうともしない先輩の態度に、僕はため息をついた。
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「戻って来るなりそれですか。先輩、好奇心猫を殺すってことわざ知ってますか?」
説教臭い事を言うと、途端に先輩が口を尖らせる。
『いーじゃないのよ。興味持つのはあたしの勝手でしょ? でさ、何の話だったの?』
興味を持つのは勝手でも、根掘り葉掘り聞くのは勝手じゃないと思う。しかし、ただ
でさえこれから先輩の機嫌を損ねなくちゃならないというのに、事前に機嫌を悪くさせ
るのはマズイので、それはグッと噛み殺して、僕は話を先に進めようとした。
「えっと……それがですね……」
どういえばダメージが最小で済むか、考えながら話を切り出す。しかし、いざ本題に
入る前に、先輩からの鋭い突っ込みが入る。
『何よ。はっきりしないわね。話せない事だったら、キッパリそう言えばいいじゃない。
あたしだって、さすがにそこまで踏み込んだりしないわよ』
先輩が苛立ちを募らせる。このままだと、機嫌を損ねる事は明白だ。そうなったら余
計に話がややこしくなる可能性もあるので、僕は腹を据えた。
「ああ、いえ。別に話せないわけじゃありません。というか、どのみち言わなくちゃな
らない事なんですけど……」
『だったら早く言いなさいよね。あたしがウジウジした態度嫌いなのは良く知ってるでしょ?』
それは重々承知しているので、僕は頷いて、澱みを振り払い、キッパリと言った。
「分かりました。怒らないで聞いて下さい」
そして、一呼吸置いて、僕は言葉を続けた。
「先輩。申し訳ありませんけど、今日は帰ってくれませんか」
その途端、先輩の表情がそのまま凍り付いた。
- 遊びに来てるツンデレに帰ってくれってお願いしたら その3
『な……』
先輩の体が小刻みに震えている。どうやらこれは、間違いなく怒っている。しかし、
先輩の怒りを一身に浴びようと、ここは引く訳にはいかない。
と、その時、いきなり先輩が弾けたように立ち上がった。
『何でよっ!!』
叫び声を上げて、僕に掴み掛かる。避ける間もなく、あっという間に僕の襟首を掴む
と、先輩は僕の体を前後にガクガクと揺さぶった。
『ねえっ!! 何でよ? 何であたしが帰らなきゃいけないわけ? 理由を言いなさい
よっ!! 理由を!!』
「ちょっ……ちょっと待ってくださいよ!! 今言いますから、ちょっと止めて……」
このままだと、キチンと説明をする事すらままならなかいので、僕は何とか先輩に落
ち着いて貰おうとしたが、先輩は全く僕の言うことを聞いていなかった。
『やっぱりお母さんに何か言われたわけ? 何言われたのよ!! あたしが悪いの?
あたしのせいなの? ねえ!!』
コレはダメだ。僕も断固とした態度で臨まねばと思い、負けじと叫び声を上げる。
「落ち着いて下さい、先輩っ!!」
僕の声に、ようやく先輩は揺さぶるのだけは止めてくれた。しかし、未だに両手は僕
の襟首を掴んだままで、僕の顔をジッと見つめている。怒りではなく、不安げな表情が、
先輩の顔にくっきりと浮かび上がっていた。
――そうか。先輩、ウチの母親が先輩の事で文句を言ったんじゃないかって心配してい
るんだな。
しかし、たかが居心地のいい場所から追い出されるだけにしては、取り乱し方が普通
じゃないような気がする。とりあえず、誤解を解こうと僕は諭すように優しく言った。
「別に、先輩の事なんて何も言われてませんから。心配しないで下さい」
僕の言葉に、先輩の目から不安そうな色が消える。先輩は小さく吐息をつくと、僕を
解放して呟いた。
『そう。そうなんだ。なーんだ』
2
何でもない風を装っているのは、取り乱した自分を恥ずかしく思っているからだろう。
その証拠に、ちょっと頬に赤みが差している。
「一体何をそんなに心配していたんですか?」
とりあえず、様子見に聞いてみるが、先輩は僕を睨み付けると、今度は逆に挑むよう
に聞き返してきた。
『う、うるさいわね!! そんな事どうだっていいでしょ? それより、じゃあ何であ
たしが追い出されなきゃいけないのよ? 理由を説明しなさいよね。理由を』
どうやら、僕には知られたくない内心の葛藤らしい。それ以上は直接に聞いてもむし
ろ殻に閉じこもってしまうのは目に見えているので、僕は追及を諦め、先輩の質問に答
える事にした。それに、急がないと真菜ちゃんが来てしまう。
「実は、急に親戚に不幸が出来ちゃったんです」
真顔で答えると、先輩は即座に言い返した。
『嘘つき』
まだ嘘は言っていないのに、と僕は内心で呟く。いきなり全否定か。これは説得する
のに骨が折れそうだ。
「何で即座に嘘だって決め付けるんですか。こんな事で嘘言ったってしょうがないでしょう?」
僕の反論に、先輩は不満気な顔も露に答える。
『だって、親戚のお葬式とかって、都合の悪いお誘いを断る当たり障りのない理由ベス
ト3に入るって言うじゃない』
「そんなランキング、いつ発表されたんですか? 聞いた事ありませんが」
真顔でツッコミを入れると、先輩は言葉を濁した。
『こ、細かい事聞くんじゃないわよ。とにかく、そんな当たり障りのない言い訳でごま
かそうって言ったって無駄だからね。ホントの理由を教えなさいよ』
「ですから、ホントですってば。母方の祖父の弟に当たる人が今朝亡くなったんです。
御通夜は明日なんですけど、いろいろお手伝いがあるらしくて……」
ここまでは本当の事なので、サラサラと言葉が出る。実際の所、先輩に嘘を付くのは
気が引けるので、事情を汲んで自分から言い出してくれればと期待したが、しかし、先
輩は疑い深そうな目付きで僕をジーッと見つめて言った。
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『それって、別府君も行かなくちゃいけない訳? 何とか理由つければ断れるんじゃな
いの? 大体、おじいさんの弟なんて随分遠い親戚じゃないの。別府君まで行く必要な
いでしょう?』
僕が察して欲しいと思った事を理解してくれたのはいいが、納得はしてくれなかった。
僕は仕方なしに、演技モードに入る。
「う~ん…… その……断るのはちょっと難しいですね。一応、親戚筋の話ですし、母
の言った事でもありますから」
誤解を招く言い回しだけど、これも嘘は言っていない。すると、僕の言葉を上手く誤
解してくれている先輩は、腕組みをして考え込んだ。
『うう~ん……』
「先輩には申し訳ないんですけど……」
僕も、常に無くしおらしい態度を取ってみせる。すると、先輩は大きくため息をつい
て言った。
『分かったわよ。仕方ない。主のいない家に居残れるほどあたしも常識知らずじゃない
しね。それに、別府君もどうやら嘘は付いてないみたいだし』
僕は内心、ホッと安堵した。先輩がごねたらどうしようかと思っていたけど、何とか
間に合ったみたいだ。
『で、何時に出掛ける訳? その様子じゃ今すぐって訳じゃ無いみたいだけど』
僕は慌ててそれを否定した。真菜ちゃんがいつ来るか分からないのに、先輩にいつま
でも居残られる訳には行かない。
「いえ。実はその……三十分後くらいには出るとか言われたんで、そろそろ準備をしないと……」
そう言い掛けた時だった。ドタドタドタドタ、と慌しく階段を駆け上がる物音がした。
僕の全身から、反射的に血の気が引く。
『何これ? 何の音?』
先輩が首を傾げる。僕は、一秒あるかないかの間に何とか有効な手を打てないかどう
か物凄い勢いで考えを巡らせるが、そんなものはあるはずもなかった。
『お兄ちゃんっ!!』
勢い良くドアが開くと同時に、小学生くらいの女の子が叫んだ。そしてそのまま僕に
向かって突撃してくると、全身で体当たりするようにぶつかってきた。
「おわっ!?」
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思わず悲鳴を上げる。女の子は、僕の体をギューッと抱き締めると、はちきれんばか
りの嬉しさを露にして僕を見つめた。
『久しぶりっ!! 元気だった?』
僕は、かろうじて笑顔を見せることが出来た。
「や……やあ、真菜ちゃん。いらっしゃい」
そして僕は、全てが終焉した事を確信したのだった。
最終更新:2011年08月19日 09:26