とある休日の昼下がり。
私はいつもと同じようにあいつの部屋に遊びに来ていた。といっても、別段世のカップル達が、日夜繰り広げているような甘い青春チックな展開などは一切無い。
目下の所、あいつのベッドの上で漫画を読んでいる私に対して、あいつは背を向けてゲームに熱中していやがるのである。何やら、好きなシリーズの新作が最近発売されたらしいのだが、だからといって遊びに来ている女の子を放置して携帯ゲーム機の液晶画面に没入しているというのはどうだろうか。どうだろうか、というか私を舐めてるとしか思えない。
普段もあいつは、私が気合い入れてお洒落しようが、髪型を変えようが、さりげなく距離を詰めようが、まったく意に介さない朴念仁の唐変木ではある。もうあいつが鈍感であることは変えられようのない事実として諦め、受け入れているくらいだ。……しかしいくらなんでもお茶すら出さないとは何事だ。
既に読み返すのが四回目に入っている漫画に目を落とす。思わずため息が出た。
――むかつく。
なんだって私がこんな惨めな思いをしなければならないのか。そりゃいつも素直じゃないし、言葉遣いも刺々しいかも知れないけれど、それは昔からだし……。
もしかしたら、昔から、だからなのかもしれない。あまりにも長く一緒にいるから異性として見られていないとか……。
そこまで考え、不安になって顔を上げる。あいつはちょうど「やった、レア武器ゲットだぜ!」と心底楽しそうな声を上げていた。
――人の気も知らずに……!
「この鈍感男がーー!!」
気付いたときには、手に持った漫画をあいつの頭めがけて投げつけてしまっていた。
「いってえ! 急に何すんだよかなみ!」
「うっさい! だいたい、女の子が遊びに来てるのにほったらかしにして、アンタは一体何時間ゲームしてるつもりよ!」
そう噛みつくように文句を言ってやると、あいつはやれやれとばかりに首を振った。
「なんだ、構ってほしいなら素直にそう言えばいいのに」
「だ、誰が構ってほしいってのよ!? 私が、アンタのことをちょっとぐらいなら構ってあげてもいいと思ってるの!!」
図星を指されたせいで、自分でもそれはどうかと思うような言い訳をしてしまった。あいつも呆れたような表情をしている。慌てて、付け足すように言う。
「だ、大体付き合ってもいないのに、こんな可愛い女の子が遊びに来てるなんてアンタみたいな男には本来あり得ないくらい幸せなことなんだからね!」
すると、あいつはキョトンとした表情で、
「俺たち、付き合ってるんじゃないのか?」と、とんでもない事を言いやがったのである。
「は、はああああ!? ど、どういうことよ、どういう理屈よそれ!??」
「どういうことも何も、確か小学校に入ったばかりくらいの時にお前が言ってきたんじゃないか。『たかしはどうせ女の子にモテないから、かわいそうだし私が恋人になってあげる』って……」
「そ、そんなこと覚えて……」
と、そこまで言ってハッと思い出す。
――そうだ、小学校に上がって、タカシも私も交友関係がぐっと広がって……タカシが他の子に取られちゃうんじゃないかって不安になって、それで……。
「……言った、かも……」
「だろー!」
タカシは得意顔ではしゃぐように言った。しかし、すぐに落ち込んだように肩を落とす。
「……でも、かなみの方では覚えてなかったんだな。恋人同士だと思ってたのは俺だけなのか」
「うぅ……。しょ、しょうがないじゃないそんな昔のこと! 大体、あんたも恋人だと思ってたっていうくせに何で、その、き、キスとかしてこないのよ!?」
「だって、それもかなみが……」
「何よ、また私が何か言ったっての!?」
「ああ。『キスとかぎゅってするのは恥ずかしいから、タカシからしちゃだめ』って言われたから今まで我慢してきたんだが……」
「な、何よそれー!?」
それは思い出せなかったけど、今よりもっと恥ずかしがり屋だった昔の私なら言いそうである。というか、ここでタカシが嘘をつくとも思えないので多分真実なのだろう。
――ということは。
今まで、私が気合い入れてお洒落しようが、髪型を変えようが、さりげなく距離を詰めようが、まったく意に介さないように見えたのは……。
「あんた、今までその言葉を律儀に守ってたって言うの?」
「おう。いつかお前からしてきてくれると思ってたんだけどなあ」
絶句する。
だって、私たちが小学校に入学したのなんてもう十年も前の話だ。
……それなのに……それなのに、こいつは。
と、感傷にひたっていると私は一番大切なことに気付いた。こいつが十年以上も私と恋人同士だと思っていたと言うことはつまり……。
「じゃ、じゃあさ、それじゃ、あんたって私のこと、その、す、すす好きなわけ?」
羞恥で顔が熱くなるのを感じる。きっと今の私はタカシから見てさぞ真っ赤になっていることだろう。でも、顔をそらすわけにはいかない。死ぬほど恥ずかしいけど、ここはそういう場面だと強く思った。
そしてタカシは、まるでそんな私の気持ちに応えるかのように、私のことをまっすぐ見つめて言う。
「当たり前だろ。そんなの、それこそ小学校に上がる前からずっとお前のことが好きだよ」
「っ~~~!」
嬉しい。あまりにも嬉しくて死んでしまいそうだ。鼓動が早鐘のように騒がしく高鳴る。
きっと今の私の顔はさっきまでの比ではなく赤く染まっているはずだ。
――だから、思わずあいつに抱きついてしまったのも仕方がないと思う。
「ちょ、急にどうしたんだよかなみ!?」
「いいじゃない別に。あんたは何年も我慢してたんでしょ? だからその分を今精算してあげてるの。……そ、それとも、い、嫌だって言うの?」
「嫌なわけ、ないだろ」
「じゃあいいじゃない……」
そう言って私が抱きしめる力を強めると、あいつもおずおずと私の背中に腕をまわしてきた。
「なあ、かなみ?」
しばらくして、突然あいつが問いかけてきた。
「なによ」
「俺はさ、さっきも言ったとおりお前のことが好きだ。でも、その、お前の方はどうなんだよ?」
「ど、どうって、そ、そんなの……」
それは、言うまでもなくこの状況が指し示していることだ。
だけど、だからといって、このまま有耶無耶にしてはいけないことだろう。私は先ほどと同じく気持ちを強くまとめ上げる。
そうして、逃げ出したくなる気持ちを抑えつけて、思い切って顔を上げると、あいつは真剣そうな、けれど優しい表情で私のことをじっと見つめてくれていた。
胸に勇気が湧くのを感じる。今ならきっと、ずっと言いたくて言えなかったこの気持ちを伝えられるはずだと確信する。
「そんなの、好きに決まってるでしょ……ぁ」
想いを告げた瞬間、あいつに唇をふさがれていた。
もちろん、あいつの唇で。
「な、何するのよ馬鹿。あんたからしちゃ駄目って言ったでしょ」
そう私が拗ねたように文句を言うと、あいつは慌てたような困ったような顔をした。
「う、ごめんかなみ。でも、どうしても我慢できなく――」
最後まで言わさずに今度は私があいつの唇をふさいでやった。すぐに離すと、あふれ出しそうな想いを堪えきれずにあいつの胸に顔を押しつける。
そして、私と、あいつの、お互いの気持ちを強く確かめるようにもう一度告白する。
「タカシ、好きだよ。大好き……絶対に私のことを離しちゃ駄目なんだからね……」
「ああ、俺も大好きだ。頼まれたって離すもんか」
そう優しく答えて、あいつは一層強く抱きしめてくれる。
あいつの体温と、あいつの気持ちを、誰よりも近くで感じられていることが嬉しくて、私もそれに応えるようにあいつの体を強く抱きしめた。
そんなわけで、付き合い始めて十年目にして一日目の今日、私たちは初めてキスをしたのだった。
最終更新:2011年04月30日 17:22