1◆


「50メートル先にトラップ反応があります!」

 ユイの叫びと同時に、俺はアクセルを緩めることでバイクを減速させて、右に方向転換をする。荒廃した大地がタイヤに抉られる音を耳にしながら、ハンドルと共に視界を傾けていく。
 次の瞬間、背後から爆音と悲鳴が響いてくる。闘牛のように突っ込んできたモンスターがいたが、俺たちの運転に対応できず、自分からトラップへと飛び込んだのだろう。

「ユイ、今のモンスターはまさか……」
「トラップによって、一撃で消去されています。方向転換しなければ、私たちが……」
「……ごめん。それ以上は、もういい」

 ユイの表情が曇るのを見て、俺は謝罪する。
 牛のモンスターが地雷でデリートされたことは、振り向かなくても気付ける。そして、このレース会場には俺たちを陥れるため、危険なトラップが大量に仕掛けられていることが嫌でも理解できた。


 だが、脅威は地面を駆けるモンスターだけではない。
 空の彼方からも、飛行系のモンスターたちが襲撃してくるため、常に周囲に気を配る必要があった。
 案の定、現れたモンスターたちはゴブリンを襲う気配はなく、俺たちに狙いを定めてくる。あと少しでゴブリンを捕まえる所を狙うように、モンスターたちの襲撃に遭ってしまう。俺や黒雪、アーチャーがモンスターを撃退するも、ゴブリンたちは捕まえられずに時間だけが過ぎていった。
 制限時間は残り4分を切っており、加えてゴブリンたちは5体とも爆走し続けている。思わず、ハンドルを強く握りしめていくが、加速させてもゴブリンたちの笑い声が遠のくだけ。

「やーい! やーい! あんたのデータ容量、1ビット~!」
「なっ!? なんて失礼なゴブリンなんでしょう! ひどいです!」
「ああ……ユイ、あんな奴は俺が絶対に倒してやるからな!」

 早飯のジョヌーの悪口にユイは怒る。
 俺も同感だ。娘を侮辱した輩など、この手でしばき倒さなければ気が済まない。ユイの心は、もはや「データ」や「容量」などという概念で収まる訳がなく、俺たちと同じように生きている。
 アインクラッドで出会ってから、ユイとは数え切れないほどの思い出を培ってきた。彼女が見せてくれた笑顔や喜びは数え切れず、どれもかけがえのない宝物だ。
 ユイのこれまでを否定した奴らに、絶対に負けられなくなった。

(まずいな……俺たちは全然追い付けていない。
 それがわかっているから、ゴブリンたちは俺たちを挑発しているはずだ)

 しかし、敵もなかなか素早い。
 スピード自体はバイクが勝っているようだが、プチグソたちの脚力も油断できず、またネットスラムには大量のトラップが仕掛けられている。エネミーたちやトラップを避けなければならず、自然とバイクを減速させてしまい、ゴブリンたちには逃げられてしまう。
 焦りは禁物な状況で、時間制限がかけられてしまい、俺たちのペースを確実に乱しにかかっていた。

(バイクを乗りながらじゃ、いつものような剣を使った戦い方は不利になる。ここは、GGOアバターで勝負するか!)

 戦国時代の騎馬武者のように、剣を構えてエネミーたちを撃破することも難しい。歴史で語られる実際の合戦では、兵士たちは馬に乗って刀を振るったことはなく、基本的には弓で戦っていたようだ。ならば、ここは遠距離戦に特化したGGOアバターで挑むべきだろう。
 ウインドウを操作して、GGOアバターに切り替える。エネミーの中には弾丸を発射する奴もいるため、《弾道予測線》を視認する必要があった。案の定、俺の視界では赤いラインがいくつも映るようになり、これで確実な回避ができるようになる。
 ユイの検索とGGOアバターの《弾道予測線》さえ揃っていれば、ゴブリンたちの追跡に余力を回すことができた。マシンを左右に走らせれば、弾丸が俺たちの横を通り過ぎていく。

「ユイ、トラップ反応を教えてくれ!」
「10時と12時の方向に地雷タイプのトラップが一つずつ! ゴブリンも回避に向けて、方向転換をする可能性が高いです!」
「よし、ならば……!」

 ユイの指示のまま、方向転換をしながら俺はバイクのアクセルを全開にした。
 マシンは徐々に加速していき、ゴブリンの背中が近付いていく。突進してくるエネミーもいるが、奴らのスピードなど軽く凌駕できた。

「ご、ゴブー!?」

 こちらを振り向いた早飯のジョヌーは狼狽するがもう遅い。
 元から、乗り物としてのスペックはバイクの方が勝っていて、ゴブリンたちはエネミーやトラップの妨害でカバーしている状態だ。GMより与えられた優位が消えてしまえば、その先の結果など語る必要もない。
 ユイを侮辱された恨みも込めて、バイクの巨体で思いっきりジョヌーに体当たりを仕掛けた。

「ゴブウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥゥ!?」

 ドガアアアアン! という、漫画やアニメのギャグシーンで使われそうな激突音と共に、ジョヌーはプチグソごと吹き飛ばされていく。俺たちの怒りのパワーも合わさってか、きらめく星空にまで飛んでいったかのように見えた。

「思い知ったか!」

 ジョヌーたちが空の彼方に消え去った頃、俺は思いきって叫ぶ。
 ようやく、ゴブリンの捕まえることができた。この【プチグソレース:ミッドナイト】が始まってから、ゴブリンたちに翻弄されていたが、大きな一歩になったはず。

「ゴブー!? ジ、ジョヌーが捕まったゴブー!」
「ゴブブ……我らが一人でも欠けたら、陣形が美しくなくなるゴブ!」
「こ、ここは新しい陣形を考えた方がいいでゴブか!?」

 ジョヌーの敗北はゴブリンたちに大きな衝撃を与えたようだ。
 ステハニーは狼狽する一方、ヂャンとアルベルトはよくわからないことを言ってきた。誇りを抱いていた自分たちのフォームを崩されてしまい、ダメージになったのだろうが、この状況ではズレているように見えてしまう。
 しかし、これはチャンスだ。ゴブリンたちのペースが乱れたのなら、こちらの勝機にも繋がる。

「アンタたちいいいいいぃぃぃぃぃっ! こんな所でヘコたれるなでゴブよおおおおおぉぉぉぉぉぉっ!」

 だが、俺の希望を砕くかのように、リーダーのマルチナが大きく叫ぶ。
 マルチナの声量はネットスラム全域を振動させそうな程に凄まじく、俺とユイは表情を顰めてしまった。

「アタシらゴールド・ゴブリンズは史上最速! 例え一人が欠けていようとも、心は一つ! 最後にアタシらが勝てば、それはみんなの勝利になるでゴブよおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉっ!」
「「「…………ゴ、ゴブウウウウウウウウゥゥゥッ!」」」

 マルチナは手下のゴブリンたちを奮起させていたようだ。
 やはり、リーダーにカリスマが溢れていれば、そのグループの士気は上がる。気に入らないけど、ゴブリンズの連帯感だけは確かだろう。
 奴らが走らせるプチグソたちもまた、鼻息を荒くしながらフィールドを駆け抜けていく。マルチナの言葉はプチグソにも効果があったようで、やはり簡単に勝てる相手ではないようだ。
 もう、ユイと力を合わせてゴブリンたちをトラップのない道に誘導させることはできない。

「ならば、お前を捕まえればチームの士気は一気に下がるようだな!」

 マルチナに負けないほどの声量で叫ぶのは黒雪だ。
 彼女はバイクに乗り、マルチナを追いかけ続けている。俺とユイ、ジローさんとアーチャーが手下たちを引き受けて、黒雪はマルチナとの一騎打ちに集中していた。
 黒雪の運転技術は優れているが、この会場に仕掛けられているトラップやエネミーの妨害によって、マルチナとの距離は縮まない。

「ほぅら、ほぅら! アタシを捕まえてみなさいでゴブ~! お姫さん、こちら! 手の鳴る方へ~!」
「貴様……ッ!」

 マルチナは俺たちが未だ不利な状況にいることを知ってか、黒雪を挑発しながら逃走する。
 そして、黒雪の元には大量のエネミーが殺到するが、一瞬で屠らてしまう。その剣技さえあれば並のエネミーがいくら束になろうとも、乗り越えるなど造作もないこと。だが、その一瞬の余裕さえあれば、マルチナが逃げるまでには充分だった。
 このままでは、マルチナに翻弄された黒雪が大ダメージを受けてしまう恐れがある。だからこそ、次の策が必要だ。

「おーい、キリトにユイちゃん!」

 そこに、クソアイアンに乗ったジローさんとアーチャーが駆けつけてきた。

「ジローさん!?」
「やったな! あのゴブリンを一体捕まえるなんて凄いよ!」
「ありがとな。でも、あいつらはまだあと4体もいる……それに、このフィールドには罠やモンスターが大量に用意されている以上、俺たちが不利なことに変わりはない」

 そして、俺はメニューバーに目を向ける。
 このプチグソレースが始まったことで、いつの間にかメニューバーの右下にタイムリミットを告げるタイマーが設置されていた。
 タイマーは四人全員で共有されていて、5分以内にゴブリンたちを捕まえるべきだと無言で告げている。しかし、残り時間は3分を切っており、対してゴブリンはまだあと4体も残っていた。

「それなんだけどさ……キリト。俺たちにちょっとアイディアがあるんだ。一体だけじゃなく、まとめてゴブリンたちを捕まえられるかもしれない」
「アイディア? ジローさんが?」
「ああ! うまくいけば、あいつらを一気に捕まえられるかもしれない」

 そして、ジローさんは俺たちにアイディアを伝えてくれた。
 そのアイディアは、確かに効果的に思えた。同時にリスクも高く、一歩間違えたら俺たち全員が大ダメージを受けてしまう危険がある。言うなれば、諸刃と呼ぶべき策だ。
 しかし、ジローさんも知っての上で考えたのだろう。元々、俺たちは僅かな可能性に賭けてこのプチグソレースに挑み、どんな罠が来ようとも乗り越えると決めた。
 俺たちだって、勝利に繋げる可能性が1%でも上げられるなら、どんなことだろうとしなければいけない。

「……本当なら、俺はこんな方法は御免なんだよな」

 ジローさんがアイディアを話し終えた頃、アーチャーはため息混じりに溢す。

「けど、ジローやキリト、それに姫様や妖精さんの命を守るなら、無理は避けられない」
「いいや、奴らに勝てるならどんなことでもやってみるべきだ。それに、アーチャーがいるからには100%ダメって訳でもなさそうだしな」
「おやおや、俺もずいぶんと買い被られたようだな。なら、その信頼には応えてやらないとな」

 フッ、と満足げな笑みをアーチャーは浮かべた。
 このプランはゴブリンたちには聞かれていない。距離があり、加えてエネミーたちの叫び声によって俺たちの話し声は届いていなかった。

「ユイ、やれるか!?」
「トラップの探索なら任せてください! どんな条件でも、パパのナビゲートをしてみせます!」
「よし! やっぱり、ユイは自慢の娘だ!」

 俺の胸ポケットにいるユイも、頼もしげに返答している。
 唯一、黒雪にだけは届いていないが、距離の都合からして仕方がない。もちろん、レオを経由して伝えることもできるが、ゴブリンズに情報が漏れる危険もある。
 それに、この作戦はナビゲートになるパートナーが必要となるため、たった一人で黒雪を巻き込めない。だから、マルチナだけを引き離している今こそがチャンスだった。

「よし、作戦スタートだ!」

 ジローさんの掛け声と共に、俺たちは加速した。


     2◆◆


 タイムリミットは確実に迫っている。
 一分一秒を争う中、ゴブリンたちのリーダーに翻弄されてしまい、苛立ちが募る。キリトとユイがゴブリンを撃破したのに、私は何もできていない。
 デスゲーム自体が崩壊の危機にあり、またオーヴァンとフォルテの二人は今もどこかで潜んでいる。ハルユキ君やニコの仇を取るまで、止まるわけには行かないし、無意味に時間を浪費するなど耐え難い。
 だから、バイクのハンドルを強く回して加速しようとするが、その機会を狙うようにエネミーの襲撃に遭う。

『ガアアアアアァァァッ!』

 陸と空からそれぞれ襲いかかってくるが、大した脅威ではなく、一対の刃を振るうことで簡単に両断できる。心意を使うまでもなく、ほんの一瞬だけハンドルから手を離して、攻撃すればエネミーの撃破は造作もない。
 何故なら、このネットスラムに出現するのは低級レベルのエネミーだけで、揺光やミーナが遭遇したほどに危険なエネミーはいない。恐らく、戦闘力を持たないゴールドゴブリンズに被害が出ないように、あえて高レベルのエネミーを出現させていないはずだ。
 だが、いくらエネミーを撃破しようとも、レースの勝敗には何の影響も与えない。

(くっ……このようなエネミーたちに時間を取られるわけにはいかないのに!)

 ただ、マルチナの背中が遠ざかっているのを見ているだけで、あまりにも悔しかった。
 奴らは自分たちが不利な状況にいることを知っているからこそ、挑発している。対主催生徒会だけではなく、散っていったハルユキ君たちも含まれているはずだ。
 絶対に許せない。

「ゴブゴブゴブ~! ゴブゴブゴブ~! のろまなバイクさん、さあおいで~!」

 今もなお、マルチナの挑発は続いていた。
 いつの間にか私から大きく離れたからこそ、余裕でいられるのだろう。奴の嘲りは耳障りで、この胸に宿る憎悪と憤怒がより激しく燃え上がりそうだ。
 望むところだ。奴らがそのつもりなら、相応の戦いをするまで。多少のダメージには、目をつむるべきだろう。勢いのまま、マルチナを目がけて加速しようとした瞬間……どこからともなく、爆発音が響いてきた。

「ッ!?」
「ゴ、ゴブー!?」

 私とマルチナは同時に驚いて、反射的に振り向く。
 いつの間にか、ネットスラムの大半を飲み込むほどの煙幕が発生していて、対主催生徒会はおろか生き残っているゴブリンズたちを飲み込んでいた。

「これは……まさか、お前たちの仕業か!?」
「いやいやいや、こんなトラップは仕掛けた覚えがないゴブ! もしかして、あんたたちの仕業じゃないでゴブ!?」
「なんだと!?」

 どうやら、これはマルチナにとっても予想外の出来事らしい。
 マルチナはゴブリンズを率いるリーダーであり、自らに与えられた『役割』を果たすためにネットスラムで待機しているゴブリンだ。当然、このフィールドのことも把握しており、仕掛けられたトラップについても知っているはず。だから、この状況で嘘を言うとは考えられない。
 だが、いったい誰の仕業なのか? 驚愕は次第に警戒に代わっていき、動きが取れなくなってしまう。マルチナも同じ状態になっているが、ここで下手に動いたら何が起きるかわからない。
 だから私は、レオ生徒会長に通信を取ろうとするが……

『大丈夫ですよ、黒雪姫さん!』

 そんな私の思考を読み取ったかのように、レオ生徒会長からの連絡が来た。

「生徒会長! いったい、これはどういうことだ!?」
『うーん、今は守秘義務があるので上手くは言えませんが……何の問題もありません! ジローさんたちの見事な連係プレーですよ!』
「ジローさんたちの……?」

 いつもの上機嫌さを崩さないレオ生徒会長を見て、私は気付いた。
 ジローさんが乗るプチグソにはアーチャーも同乗している。アーチャーは不意討ちやトラップの仕込みを得意としており、相手の視界を遮ることも可能だ。つまり、これはゴブリンズではなくアーチャーによる煙幕と考えるべきだ。
 すると、荒ぶりつつあった私の心は落ち着いていく。仲間たちが起こしてくれたハプニングは、私にブレーキをかけただけでなく、事故も未然に防いでいる。

「ゴ、ゴブー!?」
「ゴブブー!?」

 煙幕の中から、ゴブリンたちの悲鳴が聞こえてくる。一方でキリトやユイ、ジローさんやアーチャーは問題がないようだ。
 みんなは今も戦っていることを知り、私の闘志が再び燃え上がる。振り向いた先にいるマルチナからは、僅かながらの動揺が見られた。

「さあ、勝負を再開しようか」
「ゴ、ゴブブブ……!」
「どうした? 私はのろまなバイクさんだそ? それなのに、どうしてそんなにうろたえているんだ?」
「う、うるさいゴブ! アンタたちが不利なことに変わらないゴブよ!」

 そう言い放ちながら、マルチナはプチグソを走らせて逃走する。
 確かに、状況は未だにゴブリンズたちが有利だ。しかし、奴らの余裕は確実に崩れつつあり、ペースも乱れるだろう。
 タイムリミットは2分30秒を切り、このネットスラムにはエネミーが蔓延していることに変わらないが、負けるつもりはなかった。


     3◆◆◆


「アイアン、大丈夫か!?」
「我が主が導きさえすれば、どこまでも走り抜くでガキーン! 例えそれが、罪深き悪鬼を焼き尽くす地獄の業火の中だろうとも!」
「……そんな所には行かないから!」

 煙幕が張られ、周りが見えなくなった中でもアイアンは堂々と走っている。まさに、ファンタジーの世界で活躍する誇り高き騎士のように威風堂々としていた。
 煙で視界が遮られても、アイアンの走りは微塵も衰えたりせず、非情に頼もしく感じる。

「しかしまぁ、よくこんな戦法を思いつくもんだ。野球選手って奴らはみんなこうなのか?」
「俺が戦ってきた奴らは、どいつもこいつも一筋縄じゃいかなかったんだ! だから、こっちも工夫が必要だろ? それにアーチャーだって、煙の中でも大丈夫って言ってたからさ」
「……やっぱり、俺は随分と買いかぶられたな」

 俺が考えたアイディア。
 ゴールド・ゴブリンズはこのネットスラムにトラップを仕掛けて、また大量のエネミーの助けがある状態だ。地理的条件と人数のどちらで考えても圧倒的に不利だから、こっちもアーチャーの煙幕でゴブリンたちの視界を遮ってやればいい。それもネットスラムの大半を飲み込むほどの煙で、敵味方問わず姿を隠している。
 普通に考えたら俺たちも危険な状況に晒してしまうが、こちらには探索スキルが優れているアーチャーとユイちゃんもいる。二人のナビゲーションを受けながら、周りのトラップやエネミーを避ければ、ゴブリンたちを捕まえることができる。
 後は、俺とキリトの運転次第だ。

「それで、どこを進めばいいんだ?」
「はいはい! 右にはトラップ、左にはエネミーがいた……だから、思い切って直進だ!」
「了解! アイアン、頼むぞ!」
「任せるでガキーン!」

 アーチャーのナビを支えにしながら、アイアンを走らせる。
 煙で前が見えないけど、こっちにはアーチャーの目とアイアンの足があるから、決して心配することはなかった。そのままアーチャーの指示を頼りに、アイアンを左右に走らせると、俺の目の前に金色のゴブリンが現れる。

「ゴ、ゴブー!?」

 驚愕するゴブリンだが、俺は微塵の躊躇もせずに体当たりを仕掛けて、プチグソごと吹き飛ばした。煙の中に消えていくが、俺のメニューには『下っ端 ステハニー』と表記されていたので、撃退に成功したはず。
 やはり、この作戦は確実な効果があった。相手が大量のトラップを仕掛けていたのだから、俺たちだって相応の工夫をしても罰は当たらない。

(おうおう、やるじゃねえか『オレ』!)

 達成感と同時に『オレ』の声が聞こえてくる。

(こんな無茶苦茶な作戦を聞いた時には『オレ』の正気を疑ったけどよ……やっぱり狂ってやがったか! でも、狂ってなきゃこんなイカれたレースに勝てるわけないよなぁ?)
(お前……こんな時に何を言ってるんだよ! 俺たちは今、レース中なんだぞ!?)
(まぁまぁ、『オレ』はお前を素直に褒めてるんだ! お前は自分を何の力もないと卑下したけどよぉ……やっぱり、ここぞという時の判断力はすげえよなぁ!
 それでいて、みんなからは信頼されている……流石は『オレ』だな! そして、『オレ』は『オレ』の中にいる)
(…………俺をからかって、心を乱そうったってそうはいかないぞ!)
(からかう? やれやれ、『オレ』はどうにも信用されていないねぇ……
 んなわけあるかよ。ただ、これだけは言いたかっただけだ……お前は『オレ』で、『オレ』はお前でもある……俺たちは運命共同体だ。
 せいぜい、レースも頑張れよ)

 そして、『オレ』の言葉は聞こえなくなる。
 流石に長話は無意味と考えたのだろうが、俺の気持ちが乱れてしまう。あいつは俺を褒めていると言ったが、どこまでが本当なのかわからない。

「我が主よ、どうなされたか?」

 こんな俺の身を案じてか、アイアンが訪ねてくる。

「えっ? 何を言っているんだ……?」
「何やら、覇気が感じられないであるが……もしや、我が走りに何か不満でもあるでガキーン?」
「そんなことはない! アイアンは充分に頑張っているさ!」
「……なら、いいであるガキーン」

 まずい、アイアンを不安にさせている。せっかく、俺とアーチャーを背中に乗せてくれたのに、肝心の俺がしっかりしないでどうするんだ。

「なあ、ジロー……あんた、俺たちに何か隠し事をしていないか?」

 続くように、アーチャーは核心に触れるようなことを口にする。

「あの姫さんもそうだけどよ……あんたの顔を見ているとな、言えない何かを抱えているような気がするんだよ。自分一人で解決しようとするのは勝手だが、きちんと周りを見てくれよな」
「そ、そんなことはない! それよりも、今は残りのゴブリンを捕まえることが先決だろ!?」
「そりゃそうだけどねぇ……」
「道はこっちであってるのか!?」
「ああ。ここから少し左から、ゴブリンの声が聞こえてきた……あいつらのうちの誰かがいるはずだ」
「よし、なら行くぞ!」

 アーチャーからの問いかけをごまかすように、俺はアイアンを走らせた。
 俺の中にもう一人の『オレ』がいて、俺のことをごまかそうとしている……そんな話をみんなにどう伝えればいいのか。また、この状況下で俺と『オレ』の問題に余力を回すことなどできない。
 だからこそ、一刻も早くすべてを終わらせたいし、そのためにもプチグソレースに勝つ必要がある。

「ここはどこでゴブ!? 前が全然見えないゴブー!?」

 決意と共にアイアンを走らせている最中、濃煙の中から狼狽するようなゴブリンの声が聞こえてきた。
 その声を頼りにアイアンを走らせると、すぐにプチグソに乗るゴブリンが見つかったので、アイアンの重装甲で体当たりをする。

「ゴブァ!?」

 痛々しい悲鳴が聞こえて、ほんの少しだけ良心がうずくけれど、気にせずに走る。『早耳のヂャン』の名前がメニューに表示されたので、3体目のゴブリン捕獲に成功した。
 これで残りはあと二組になる。タイムリミットは1分40秒となっていて、まだ十分に余裕があることを確信した瞬間……どこからともなく、爆発音が響いてきた。

「何だ!?」
「ガキーン!」

 その轟音に驚愕して、俺は反射的にアイアンを止めてしまう。
 すると、アーチャーによって仕掛けられた煙幕が晴れてしまった。轟音が響く中、ネットスラムの大地がめらめらと燃え盛っている。

「おいおい……まさか、トラップが爆発したから俺の煙幕が吹き飛んだのか!?」

 アーチャーの叫びに俺は目を見開いた。
 彼が言うように、このネットスラムには罠が仕掛けられていて、その威力はエネミーを簡単に撃破するほどだ。そんな爆発が起きては、アーチャーの煙幕が吹き飛ばされても充分にあり得る。
 辺りを見渡すと、黒雪姫とリーダーのゴブリンであるマルチナの姿が遠くに見えた。そして、もう一組のゴブリンとプチグソもいる。

「ご、ゴブ……? なんだ、大口を叩いておきながら、結局仲間を爆発させたでゴブー!」
「そ、そんな……!」

 ゴブリンの嘲笑に俺は愕然とする。
 キリトとユイちゃんの姿が見られない。まさか、俺のせいで二人はゴブリンたちの罠にはまってしまい、そのまま命を奪われてしまったのか? だとしたら、二人を殺したのは俺になる。
 俺の体は大きく震えていくが……

「ゴーブ! ゴーブ! ゴーブ! タイムリミットはあとわずかだけど、これで勝負は決まったでゴブー!」
「……ああ、勝負は決まった。お前の負けだ!」

 だけど、俺の絶望を吹き飛ばしてくれる頼もしい声が、上空より聞こえてきた。

「ゴブゥ!?」

 嘲笑から一変、驚愕するゴブリンには振り向かず、上を見上げてみる。満天の星空を背にしながら、翼を生やして急降下するキリトの姿が目に飛び込んできた。
 髪型や服装が変わっているが、その胸ポケットには笑顔のユイちゃんが収まっているので、彼はキリトで間違いない。
 驚愕で硬直しているであろうゴブリンを目がけて滑空し、そのままプチグソもろともゴブリンを吹き飛ばした。

「ゴブウウウウウウウウ!?」

 無残な悲鳴を発しながら、4組目のゴブリンも消滅していく。
 一方、キリトは自らの乗り物をオブジェクト化させて、バイクに乗る形でネットスラムに帰還した。

「『早寝のアルベルト』か……これで、残るはリーダーだけでいいんだよな、ユイ!」
「はい、残り時間は一分ですが充分に間に合います!」
「そうか! なら、今から黒雪を助けに行くか!」

 先程の爆発など関係なしに、キリトとユイちゃんは力強い笑みを向け合っている。
 見たところ、二人はダメージを受けていなさそうだ。

「キリトにユイちゃん! 無事だったのか!?」
「ああ、おかげさまでな! ジローさんとアーチャーのおかげで敵を撹乱できたけど、もしかしたらエネミーが自分から罠に突っ込んで、巻き添えを食らうかもしれなかった。
 だから、俺はALOアバターに切り替えて空を飛び、空中からゴブリンを捕まえたのさ!
 案の定、ゴブリンはエネミーの自爆で油断していたからな」
「な、なるほど……」
「バイクから降りたら試合放棄になるけど、プレイヤーはレース中に空を飛んではいけないなんてルールはないからな! 着地する直前に、バイクに乗ってやった……そうすれば、バイクから降りたことにはならないだろ?
 俺たちは、飛び上がったんだ!」
「……なんて屁理屈だ!」

 あの煙幕の中で、キリトは飛行能力に特化したALOアバターに変わり、空に飛んでいた。
 俺が見ていたのはエネミーの爆発であり、キリトの作戦だった。エネミーが地雷を踏み、煙幕を吹き飛ばしてくれればゴブリンが捕まえやすくなる。また空を飛ぶ場面が目撃されなかったことで、リタイアしたように偽ることもできる。
 もちろん、成功するかはわからない危うい賭けだが、そもそも俺のアイディアすらも危険極まりなかった。危険な計画を重ねて、大きなリスクを覚悟したからこそ、リターンが得られたのだろう。

「それじゃ、姫様を助けに行くとしますか。といっても、俺たちがつく頃には終わりそうだけどな」

 アーチャーの言葉に頷きながら、俺たちは走る。
 残された時間は40秒を切っており、このプチグソレースの決着は近かった。


     4◆◆◆◆


 ただ、マルチナを追跡している。
 どれだけエネミーが襲いかかろうとも、確実に撃破して、前を進んでいた。
 元より、スピード自体はプチグソよりもバイクが勝っているため、距離は確実に縮んでいる。

「ゴブー!? ま、まさかアタシだけになるとはゴブ……」

 みんながゴブリンたちを捕まえてくれたおかげで、マルチナの士気もまた下がりつつあった。

「だ、だが! アタシはゴールド・ゴブリンズのリーダーとして、最後まで戦うゴブ!
 散っていった野郎共の無念を晴らすために、アタシは逃げ続けるでゴブよ!」
「……珍しく、同意見だ。私たちも、散っていったみんなのために戦っているのさ」

 ゴールド・ゴブリンズは気に入らないが、仲間意識だけは本物だ。元のゲームにおけるゴブリンたちがどんなキャラクターだったのかは知らないけれど、互いを思いやる気持ちは持ち合わせている。
 だからこそ、余計に許せなかった。絆の尊さを知っているはずなのに、他者を踏みつけにするこんなデスゲームに加担していることが。もしかしたら、システムによってGMには抗えないのだろうが、正当性には結びつかない。
 だが、ここで口にするつもりはない。システムによって強制された戦いなら、こちらが打ち勝ってやるまで。

「フン! ならば、アタシを捕まえてみろでゴブ! タイムリミットはもう30秒を切っているでゴブよ!」
「言われなくとも、そのつもりだっ!」

 私たちは互いに啖呵を切り合う。
 キリトたちは駆け付けてくれるだろうが、このネットスラムにはエネミーやトラップが大量に用意されているため、制限時間以内の救援に期待しない方がいい。
 私はバイクのハンドルを強く回しながら、ストレージを操作する。残るはマルチナだが、どんな罠が用意されているかわからないため、万が一の時に備えてアイテムを用意する。直感だが、この状況下では必要に思えた。
 アイテムを取り出してから、運転に意識を集中させようとした瞬間……マルチナの乗るプチグソが跳躍した。

「ゴブー!」

 走り幅跳びのように数メートル先に飛んでいく中、私はバイクを走らせる。

「さあ、みんなの仇ゴブ……特大の地雷を踏みやがれ~!」

 そして、マルチナの叫びに呼応するように、ネットスラムの地面が大爆発を起こした。


      †


「ヤッター! ヤッタでゴブー! あの真っ黒お姫様をバイクごと吹き飛ばしてやったでゴブ~!」

 目の前で燃え盛る炎の壁を前にして、マルチナは高笑いしていた。
 ゴールドゴブリンズはネットスラムに仕掛けられたトラップの位置を把握しているため、敵を誘い込むことが可能だ。方向転換ができない所までに引き付けて、プチグソを跳躍させた。本来の『The World』には存在しない仕様だが、GMによって追加されている。
 対するにバイクは加速することで方向転換が困難となり、自分からトラップに突入する形になった。単純だが、効果はある戦法だろう。

「ゴブゴブ~! タイムリミットは10秒……この距離だったら、あいつらはアタシを捕まえられないゴブ! このプチグソレース、アタシたちの勝ちでゴブよ~!」

 キリトたちからは大きく離れており、彼らが全速力を出そうとも間に合わない。エネミーたちやトラップの影響もあり、間に合わないだろう。
 自らの勝利に酔いしれているのか、マルチナは大笑いしていた。このまま時間だけが経過すれば、ゴブリンたちの勝利に終わるだろう。

「……果たして、それはどうだろうな?」
「ゴブッ!?」

 しかし、ゴブリンズの勝利を許さない冷たい声が発せられたことで、マルチナは振り向く。
 マルチナが振り向いた先では、ブラック・ロータスがバイクに乗ったまま顕在していた。夢や幻などではなく、正真正銘の本人だ。

「あ、アンタは……! どういうことでゴブ!?」
「お前が私を罠にはめようとしていたのは見え見えだ。スペックで劣るバイクに、わざわざ実力だけで逃げようとは思えない。だから私はお前の後をわざと追いかけて、爆発の寸前に高く跳躍したのさ……親友の力を使ってな」
「し、親友の力……!?」

 淡々と語るブラック・ロータスの背中には強化外装・ゲイルスラスターが装着されていた。
 ブラック・ロータスにとって長年の親友であり、ネガ・ネビュラスの副官でもあるスカイ・レイカーが扱っていたゲイルスラスターを着装すれば、圧倒的な推進力で飛行することが可能だ。
 先程、キリトとユイがアルベルトを捕獲した場面から、ブラック・ロータスは新しい発想を得ていた。自らのストレージから瞬時に取り出し、地面が爆発する直前に高く跳躍することでダメージを避けている。そのまま、空中でストレージを操作して蒸気バイク・狗王を一時的にしまい、地面に着地する頃にオブジェクト化させた。
 マルチナはロータスが爆発に巻き込まれる場面を直接見ていないため、油断させることができている。加えて、大きく広がる爆炎によって、プチグソの移動範囲は制限された。
 罠を踏ませたつもりが、自らが用意した地雷によって追い込まれる結果になってしまう。残り時間は5秒を切ったが、もうマルチナに逃げ場などない。

「…………ゴブウウウウウウウウウゥゥゥゥゥゥゥゥ!」

 後がないことを悟ったのか、咆哮と共にマルチナはプチグソを走らせる。
 同時にブラック・ロータスもバイクのハンドルを回して、真っ直ぐに突貫した。

「さあ、決着をつけようか」

 そこから先の結果は、あえて語る必要などない。圧倒的速度を誇る蒸気バイク・狗王の巨体で、プチグソごとゴブリンズを率いるマルチナを吹き飛ばした。
 制限時間は2秒を切った所で、【プチグソレース:ミッドナイト】の決着がつき、対主催騎士団が勝者となった。


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最終更新:2019年09月04日 21:42