「純度の高い愛でした」の編集履歴(バックアップ)一覧に戻る

純度の高い愛でした - (2008/11/05 (水) 00:59:37) のソース

<pre></pre>
<p>「メイコ、」</p>
<p><br />
あのひとの優しい声がすきだった。</p>
<p>雨の中。一つの傘。</p>
<p>ボーカロイドの特別に良い聴覚に響く雨音。</p>
<p>傘を持つのは貴方。</p>
<p>私が持ちます、と云えば口元に静かな笑みを浮かべて「こういうのは男の仕事な</p>
<p>んだよ」と優しく云われて。</p>
<p>あの笑顔が好きだった。</p>
<p>あの声が好きだった。</p>
<p>雨の中でそっと左手に触れれば、こちらを見つめて睛を細めて、優しくまた笑っ</p>
<p>て。</p>
<p>自然な動作で優しく手を握ってくれた。</p>
<p><br />
ねぇ、マスター。</p>
<p>私、歌うことだけが幸せだとずっと思っていたんです。</p>
<p>だからあの時、内心とても驚いたんですよ。</p>
<p>貴方の体温が躰に触れて、私よりも大きな手が私の手を包みこんで。</p>
<p>あの時私は歌うことと同じくらいに、驚くくらいに幸せでした。</p>
<p>歌を歌う機械として生まれ歌うことが存在理由だった私が、最初で最後の、他の</p>
<p>存在理由を見つけたんです。</p>
<p><br />
ねぇ、マスター。</p>
<p>生きているのか死んでいるのか分からない私を、つなぎ止めるのが貴方だったん</p>
<p>です。</p>
<p>あの冷たい雨の中で繋いだ手の体温だけが、私の世界の色彩だったんです。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>窓硝子を叩く雨音が、耳について離れない。</p>
<p><br />
「もう、長くは無いって」</p>
<p><br />
僕の声は思ったよりもすんなりと言葉に成った。</p>
<p>視界は白。</p>
<p>ベットやカーテン、全ての中で白が目立ち、薬品のにおいが嗅覚に付いて離れな</p>
<p>い。</p>
<p>酷く無機質なその室内の中で、ただ一つだけ僕の視界を安堵させる君の色。</p>
<p>睛は動揺を隠せないように見開かれ、静かな室内で君の掠れた呼吸音が響いた。</p>
<p><br />
「マ、スター?なにを、云っているんですか」</p>
<p><br />
いつもの凛とした音は姿を隠し、今発せられている音は掠れて震えている。</p>
<p>立ち尽くし、ただ呆然としているメイコを見て、僕は静かに笑った。</p>
<p><br />
「僕の躰が弱いことは知っているだろう?それが、一気に病気に変わっただけだ</p>
<p>よ」</p>
<p>「…そんな、」</p>
<p>「お医者さんはもう長く無いって云っていたんだ」</p>
<p>「…止めて、止めてください、マスター。もう、そんな風に云わないでください</p>
<p>…!」</p>
<p><br />
弱々しく首を振り、メイコは僕が寝ているベットを細い指先で縋り付くように掴</p>
<p>む。</p>
<p>ベットに横たわっている僕を見つめて、顔をくしゃくしゃに歪めて。</p>
<p>ああ、そんな顔をしないで、可愛い顔が台無しだ。</p>
<p>彼女の頬に手を当てれば、その手に縋るように彼女の手が触れる。</p>
<p>ごめんね、と内心僕は呟いて彼女を安心させるように笑みをつくった。</p>
<p><br />
「ねぇメイコ。いつか人は死ぬんだ。それが早いか遅いかの違いなんだよ」</p>
<p>「…そんな、陳腐な台詞を云わないでください…!どうしてマスターが早く逝か</p>
<p>なければいけないんですかっ」</p>
<p><br />
そんなの、不公平です、と弱々しく呟いたメイコの頬をもう一つの手で触れ、彼</p>
<p>女の頬を両手ではさむ。</p>
<p>手に温かな体温が伝わり、この体温を何時か感じられなく成るんだと考えると、</p>
<p>やはり寂しかった。</p>
<p>ふと、頭の中で静かによぎったフレーズに小さく苦笑を零す。</p>
<p>参ったな、こんな世の中にありふれた歌詞の言葉こそ、僕が一番君に伝えたいこ</p>
<p>とだなんて。</p>
<p><br />
「メイコは歌うことがすきだよね」</p>
<p>「…はい、マスター」</p>
<p>「それをどうか忘れないで、」</p>
<p><br />
まるで遺言のようだと、自分で云っておきながら思う。</p>
<p>云いたい言葉の数々が頭の中に浮かんで、消えていく。</p>
<p>小気味の良い雨音を聞いていると、彼女と手をつないだ日を思い出した。</p>
<p>一つの傘で二人で手をつないで、触れた彼女の体温が温かかった。</p>
<p>回りから見たら恋人みたいだったかな、そう見られてたら良いなぁ。</p>
<p><br />
「メイコは僕の色だよ。白い紙に綺麗な世界をつくる色だ」</p>
<p><br />
彼女がその言葉を聞いて小さく睛を見開いた。</p>
<p>この澄んだ琥珀色の睛が僕は大好きだ。</p>
<p>彼女の躰の一部だからこそ、僕はこの琥珀色が愛しくてたまらない。</p>
<p>そう思っていれば、じわり、とメイコの睛から透明な雫が零れ落ちた。</p>
<p>思わずえっ、と驚きが言葉に成って現れる。</p>
<p>彼女の頬をはさんでいる僕の手に、じわりと温かい水分が触れた。</p>
<p><br />
「マスター、私が…っ、貴方の色だって、云う、なら、貴方はその土台、なんで</p>
<p>す」</p>
<p>「…土台、」</p>
<p>「私を…っ、色を、混ぜれるのは、貴方しか、いないんです…っ!」</p>
<p><br />
ああ、僕は君に会えて本当に良かったと、心の底から思った。</p>
<p>君は僕を必要としてくれるんだね。</p>
<p>嬉しいな。</p>
<p>とっても嬉しいのに、哀しい。</p>
<p><br />
彼女の頬に触れていた手は涙で濡れていたけれど、構わずにその手を彼女の後頭</p>
<p>部に添える。</p>
<p>強引に成らないようにゆっくり引き寄せれば、頬よりも強く感じる温かさに涙が</p>
<p>出そうに成った。</p>
<p>ぎゅっ、とメイコが強く僕の衣服を握って、小さい子が親に縋るように抱きつく</p>
<p>。</p>
<p>耳元で彼女の小さな嗚咽が漏れ始めるのを聞き、僕はそっと睛を閉じた。</p>
<p>彼女の背中を優しくたたく。</p>
<p>子供をあやすように。君が落ち着くように。</p>
<p><br />
ドラマや映画みたいな奇跡は、僕が望んでいるハッピーエンドは、きっと成らな</p>
<p>い。</p>
<p>だからこそ僕は君と生きているこの時を、色彩豊かな『奇跡』にしたい。</p>
<p><br />
「分かってるの、メイコ」</p>
<p><br />
返事は無い。</p>
<p>ただ小さい嗚咽だけが、彼女から聞こえる。</p>
<p>それでも僕は続けた。</p>
<p>僕は男だからね、君に格好悪い姿は見せれないんだ。</p>
<p>一生懸命に、言葉ができるだけ震えないように云う。</p>
<p>目尻に浮かんだ水分は無視だ。</p>
<p>伝えなくちゃいけない。</p>
<p>この言葉を、彼女に。</p>
<p><br />
「…今日は、おめでとう。」</p>
<p><br />
いつの間にか、雨はやんでいた。</p>
<p> </p>
<p> </p>
<p>見上げれば視界には一面の水色。</p>
<p>青と云うには薄いその色彩は、彼が好んだ色だった。</p>
<p>空の色だと、綺麗な色だと、あの優しい笑みで私に云っていたのを覚えている。</p>
<p><br />
でもマスター。</p>
<p>私はマスターに縋り付いて泣いたあの日、対と成る赤色を酷く欲したんです。</p>
<p>貴方に流れていた赤色を、</p>
<p>生きている証である赤色を、</p>
<p><br />
(貴方にはもう直ぐそれが流れなく成ると絶望して、)</p>
<p>(もうその赤色が止まってしまうのだと感じて、)</p>
<p>(強く強く欲したのを覚えている、)</p>
<p><br />
『忘れないで』</p>
<p><br />
忘れません。</p>
<p>私は歌が好き。</p>
<p>貴方から貰った歌が好き。</p>
<p>一生、この気持ちは変わらない。</p>
<p> </p>
<p>「お姉ちゃん!」</p>
<p><br />
ソプラノの綺麗な声が遠くから聞こえる。</p>
<p>後ろを振り返ればそこには思った通り、若草色の綺麗な髪を揺らして手を振る妹</p>
<p>の姿。</p>
<p>それに応えるように手を振り、妹の可愛い笑顔に思わず口元は弧をえがいた。</p>
<p><br />
マスター、私は今とても幸せです。</p>
<p>貴方との記憶はあまりにも美しくて、時々辛くなるけれど。</p>
<p>貴方がくれた歌を歌えば、私は笑えます。</p>
<p><br />
『忘れないで』</p>
<p><br />
大丈夫です。</p>
<p>私は何も忘れない。</p>
<p>貴方の声も、体温も、笑顔も。</p>
<p>私はそれを色彩満ちた記憶の音として大切にしていきましょう。</p>
<p>もう大丈夫、笑えるわ。</p>
<p>ちゃんと、前を向いて歩いていける。</p>
<p><br />
だから私は、貴方の存在を忘れません。</p>
目安箱バナー