民衆駅(みんしゅうえき)とは,
太平洋戦争による戦災を受けた駅本屋(駅舎)を復旧するために都市計画の一部として,地元の地方自治体や民間企業が改築に必要な資金の一部を負担することによって建設された駅のことです。改築された駅本屋の一部は民間企業が商業施設などに使用します。民衆駅として初めて建造されたのは
豊橋駅です。
目次
民衆駅の建設及び運営に関する基本事項
民衆駅の建設と運営に関して,1953年(昭和28年)に次のような文書が出されました。
民衆駅は,国鉄の財政状態が,戦災を受けた駅舎の復旧を意の如く進めることを許さず復興途上各方面からの要望に応えることができないでいる事情の下で,生まれたものである。この構想は,国鉄財産の有効利用をはかりつつ交通利便を増進し,また大都市における土地の経済的有効利用という点で新生面を拓くものであり,加えて都市計画との関連において,近代的都市の形成に寄与するもので国民経済的に見て是認することができる。
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1953年(昭和28年)10月19日付国鉄総裁諮問第一号「民衆駅の建設及び運営に関する基本事項」
国鉄の民衆駅における公共性
1952年(昭和27年)9月25日の
東京駅八重洲口(鉄道会館)の建設時に,国鉄の財産を民間企業が利用することに対して批判が起きました。そのため,民衆駅の公共性を確保するために,国鉄は民衆駅運営委員会を開議し,次のような答申を出しました。
民衆駅の建設は,国鉄の駅舎の整備を促進し,併せて経済的価値の高い鉄道用地をその価値にふさわしく立体的に活用できること,及び都市計画の要請にこたえ都市美の形成に貢献すること等の利益がある。併し,反面において営業施設における営業者の企業性は,駅の公共性と必ずしも相容れぬ場合もあり,又将来の輸送事情の変化に伴う駅施設の改良などを制約するおそれもあるので,民衆駅の建設に当っては,国鉄はこれらの弊害を生ずることのないように,一定の基準を設けて承認するべきである。
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民衆駅運営委員会「民衆駅の建設及び運営に関する基本事項についての答申」1954年(昭和29年)4月21日
国鉄はこの答申により,
運輸大臣の承認をもって民衆駅を建設することになりました。
参考文献
- 老川慶喜『鉄道』〈日本史小百科 - 鉄道〉東京堂出版,1996年9月17日 初版。
(書名の五十音順)
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更新日:2010年11月14日
最終更新:2010年11月14日 16:15