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■増支部経典 6集 第3 無上品 28




〈 和 訳 〉

ある時、多くの長老比丘たちが、バーラーナシーのサールナート〈仙人堕処・鹿野苑〉に滞在していました。
彼ら長老比丘たちが食後、乞食〈頭陀行〉から戻って食堂に坐して集まった時に、彼らの間である議論が起きました。

 「諸賢たちよ、意を修する〈心の修行・瞑想修行をしている〉比丘に、
  謁見する〈会いに行く〉ために詣でる〈訪れる〉べき時は、何時であろうか?」と。

このように言われたときに、ある長老比丘は、次のように言いました。

 「意を修する比丘が、食後、頭陀行から戻って、足を洗って、結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、
  前面に対して念を住する、その前の時こそが、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時です」と。

すると、一人の比丘が、先の比丘に次のように言いました。

 「賢者よ、それは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。
  賢者よ、意を修する比丘が、食後、頭陀行から戻って、足を洗って、結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、
  前面に対して念を住しようとするその時は、遊行の疲れも未だ落ち着かず、食事の悩も未だ落ち着かず、
  それ故に、比丘が念を住する前の時は、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。
  賢者よ、意を修する比丘が、補時〈申の刻、午後四時頃、あるいは夕暮れ時〉に、
  宴坐〈座禅〉より起って、部屋の影の中で結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、
  前面に対して念を住する時こそが、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時です」と。

すると、また一人の比丘が、先の比丘に次のように言いました。

 「賢者よ、それは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。
  賢者よ、意を修する比丘が、補時〈申の刻、午後四時頃、あるいは夕暮れ時〉に、
  宴坐〈座禅〉より起って、部屋の影の中で結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、
  前面に対して念を住する時は、日中に思惟した三摩地の相〈定相〉が、彼に現行するのです。
  ですから、その時は、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。
  賢者よ、意を修する比丘が、夜が明ける頃に結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、
  前面に対して念を住する時こそが、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時です」と。

すると、また一人の比丘が、先の比丘に次のように言いました。

 「賢者よ、それは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません。
  賢者よ、意を修する比丘が、夜が明ける頃に結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、
  前面に対して念を住する時は、彼の心身は精気に満ち、彼は諸仏の教えを思惟して安楽なのです。
  ですから、その時は、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時ではありません」と。

そのように言われた時、マハーカッチャヤーナ長老は、次のように比丘たちに告げたのです。 

 「私は、世尊より、実際に次のように聞き、実際に教えを受けました。
  ── 曰く、比丘よ、これらは、意を修する比丘に謁見するために詣でるべき六つの時です。

  何を「六」とするのか?

  比丘よ、ここに比丘が居て、心が欲貪に纏〈まと〉われ、欲貪に制されるままに住し、
  また、未生の欲貪を如実に出離することを知らざる時は、
  その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。
  『賢者よ、私の心は欲貪に纏〈まと〉われ、欲貪に制されるままに住し、
   また、未生の欲貪を如実に出離することを知りません。
   具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、欲貪を断つ法を説きたまえ』と。
  意を修する比丘は、欲貪を断つ法を説説いてくれるのです、── 比丘よ、
  これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第一なのです。

  また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が瞋恚に纏〈まと〉われ、欲貪に制されるままに住し、
  また、未生の瞋恚を如実に出離することを知らざる時は、
  その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。
  『賢者よ、私の心は瞋恚に纏〈まと〉われ、瞋恚に制されるままに住し、
   また、未生の瞋恚を如実に出離することを知りません。
   具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、瞋恚を断つ法を説きたまえ』と。
  意を修する比丘は、瞋恚を断つ法を説説いてくれるのです、── 比丘よ、
  これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第二なのです。

  また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が惛沈と睡眠に纏〈まと〉われ、
  惛沈と睡眠に制されるままに住し、また、未生の惛沈と睡眠を如実に出離することを知らざる時は、
  その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。
  『賢者よ、私の心は惛沈と睡眠に纏〈まと〉われ、惛沈と睡眠に制されるままに住し、
   また、未生の惛沈と睡眠を如実に出離することを知りません。
   具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、惛沈と睡眠を断つ法を説きたまえ』と。
  意を修する比丘は、惛沈と睡眠を断つ法を説いてくれるのです、── 比丘よ、
  これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第三なのです。

  また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が掉挙と悪作に纏〈まと〉われ、
  掉挙と悪作に制されるままに住し、また、未生の掉挙と悪作を如実に出離することを知らざる時は、
  その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。
  『賢者よ、私の心は掉挙と悪作に纏〈まと〉われ、掉挙と悪作に制されるままに住し、
   また、未生の掉挙と悪作を如実に出離することを知りません。
   具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、掉挙と悪作を断つ法を説きたまえ』と。
  意を修する比丘は、惛沈と睡眠を断つ法を説いてくれるのです、── 比丘よ、
  これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第四なのです。

  また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、心が疑に纏〈まと〉われ、
  疑に制されるままに住し、また、未生の疑を如実に出離することを知らざる時は、
  その意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。
  『賢者よ、私の心は疑に纏〈まと〉われ、疑に制されるままに住し、
   また、未生の疑を如実に出離することを知りません。
   具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、疑を断つ法を説きたまえ』と。
  意を修する比丘は、疑を断つ法を説いてくれるのです、── 比丘よ、
  これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第五なのです。

  また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、
  相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがある。
  この相を知らず、見ざる時は、意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。
  『賢者よ、相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがあります。
   しかし私はこの相を知らず、見ることもありません。
   具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、諸漏を尽くす法を説きたまえ』と。
  意を修する比丘は、諸漏を尽くす法を説いてくれるのです、── 比丘よ、
  これが意を修する比丘に謁見するために詣でるべき時の、第六なのです。


〈 和 訳・おわり 〉




● 解 説


この経典は、「有尋有伺定」と「有尋無伺定」を説明するために訳出しました。

ポイントは、二か所あります。

一つ目は、最初の「意を修する修行」の説明の二番目、

  賢者よ、意を修する比丘が、補時〈申の刻、午後四時頃、あるいは夕暮れ時〉に、
  宴坐〈座禅〉より起って、部屋の影の中で結跏趺坐をし、身を部屋の隅に置き、
  前面に対して念を住する時は、日中に思惟した三摩地の相〈定相〉が、彼に現行するのです。

この中の、〈 日中に思惟した三摩地の相〈定相〉が、彼に現行する 〉という説明部分。

つまりこれは、日中に〈 思惟した 〉「 有尋有伺定 」 によって育成された 「 三摩地の相 」 が、
補時の 「 無尋有伺定 」 を行う時に、「 彼に現行する 〈 憶念によって、定相が現前する 〉」 のです。
実際に体験しないと、経典を読んだだけでは意味が分からないので、今まで誰も説明が出来なかったのでしょう。



二つ目は、最後の「第六の時」の説明で、

  また次に、比丘よ、ここに比丘が居て、
  相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがある。
  この相を知らず、見ざる時は、意を修する比丘に謁見するために詣でて、次のように語るべきなのです。
  『賢者よ、相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがあります。
   しかし私はこの相を知らず、見ることもありません。
   具寿〈尊称の一種、大徳・尊者など〉よ、願わくば私に、諸漏を尽くす法を説きたまえ』と。

この中の、〈 相に依り、相を思惟して、無間に〈絶え間なく〉諸漏〈諸々の煩悩〉が尽きることがある 〉
     〈 しかし私はこの相を知らず、見ることもありません 〉という説明部分。

ここで言う「相」とは、「厭逆想」や「不厭逆想」を指しています。
この訓練によって、中部経典152経で説かれている「感官の最高の修習」が可能となるのです。








〈 編集中 〉