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■相応部経典 因縁篇12 第7・67 蘆束




〈 和 訳 〉

── このように私は聞きました。

ある時、尊者サーリプッタは、バーラーナシーのサールナート〈仙人堕処・鹿野苑〉に滞在していました。

その時、尊者マハーコッティカは、晡時〈夕方、申の刻〉に、宴坐〈瞑想〉から起って、尊者サーリプッタの許を訪れました。
そして、尊者サーリプッタと共に挨拶を交わして、一方の席に座り、そして次のように尋ねました。

老死


 「友、サーリプッタよ。
  老死は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  老死は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈老死はそれらのどれにも該当しません〉 生に縁りて老死があるのです」


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  生は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  生は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈生はそれらのどれにも該当しません〉 有に縁りて生があるのです」


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  有は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  有は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈有はそれらのどれにも該当しません〉 取に縁りて有があるのです」

取〈取取著〉


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  取は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  取は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈取はそれらのどれにも該当しません〉 愛に縁りて取があるのです」

愛〈渇愛〉


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  愛は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  愛は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈愛はそれらのどれにも該当しません〉 受に縁りて愛があるのです」


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  受は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  受は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈受はそれらのどれにも該当しません〉 觸に縁りて受があるのです」

觸〈接触〉


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  觸は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  觸は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈觸はそれらのどれにも該当しません〉 六処に縁りて觸があるのです」

六処


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  六処は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  六処は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈六処はそれらのどれにも該当しません〉 名色に縁りて六処があるのです」

名色


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  名色は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  名色は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈名色はそれらのどれにも該当しません〉 識に縁りて名色があるのです」


 「それでは、友、サーリプッタよ。
  識は自作なのてあろうか、それとも他作なのてあろうか、
  あるいは自作にして他作なのてあろうか、それとも、自作でも他作でもなく無因生なのであろうか?」

 「友、マハーコッティカよ、
  識は自作ではありません、そして他作でもありません、
  自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
  〈識はそれらのどれにも該当しません〉 名色に縁りて識があるのです」

 「今私たちは、尊者サーリプッタの所説を、次のように知りました。
  『友、マハーコッティカよ、名色は自作ではありません、そして他作でもありません。
   自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
   〈名色はそれらのどれにも該当しません〉 識に縁りて名色があるのです』と。
  そしてまた、尊者サーリプッタの所説を、私たちは、次のようにも知りました。
  『友、マハーコッティカよ、識は自作ではありません、そして他作でもありません。
   自作にして他作でもなく、そしてまた、自作でも他作でもなく無因生でもないのです。
   〈識はそれらのどれにも該当しません〉名色に縁りて識があるのです』と」

 「友、サーリプッタよ、これらの所説の義〈意味〉を、どのように理解すればいいのだろうか?」

蘆束の譬え


 「友よ、それでは譬えによって説明しましょう。
  友よ、譬えば二つの蘆束 (あしたば) が互いに相依りて立っているとしましょう。
  友よ、それと同じように、名色に依りて識があり、識に依りて名色があるのです。
  そして、その名色に依りて六処があり、六処に依りて触があり、触に依りて受があり、
  愛に依りて愛があり、愛に依りて取があり、取に依りて有があり、有に依りて生があり、
  生に依りて老死がある …… これらがつまり、全苦蘊の集なのです。   

  友よ、もしそれらの二つの蘆束の中の一つを取り去れば、もう一方は倒れてしまいます。
  それと同じように、名色の滅に依りて識の滅があり、識の滅に依りて名色の滅があるのです。
  そして、その名色の滅に依りて六処の滅があり、六処の滅に依りて触の滅があり、
  触の滅に依りて受の滅があり、受の滅に依りて愛の滅があり、愛の滅に依りて取の滅があり、
  取の滅に依りて有の滅があり、有の滅に依りて生の滅があり、 生の滅に依りて老死の滅がある 
  … これらがつまり、全苦蘊の滅なのです」

 「友、サーリプッタよ、希有なことです、友なる、サーリプッタよ、未曽有なことです。
  これは尊者サーリプッタによって、よく説かれ説明されました!
  私たちはまた、この尊者サーリプッタの所説を、これらの三十六事を以って、随喜するでしょう!」

『法師の比丘』・『法・随順法を行ずる比丘』・『現法涅槃に達する丘』と言うに適する比丘


 「友よ、もし比丘にして、老死の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、老死の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、老死の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、生の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、生の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、生の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、友よ、もし比丘にして、有の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、有の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、有の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、取の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、取の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、取の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、愛の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、愛の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、愛の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、受の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、受の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、受の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、觸の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、觸の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、觸の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、六処の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、六処の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、六処の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、名色の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、名色の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、名色の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、識の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、識の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、識の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、行の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、行の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、行の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう。

  友よ、もし比丘にして、無明の厭離・離貪・滅によって法を説くならば、
  『法師の比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、無明の厭離・離貪・滅を行ずるならば、
  『法・随順法を行ずる比丘』と言うに適するでしょう。
  友よ、もし比丘にして、無明の厭離・離貪・滅に取著することなく解脱するならば、
  『現法涅槃に達する丘』と言うに適するでしょう」と。


〈 和 訳・おわり 〉




● 解 説


この経典は、

















〈 編集中 〉